例年、今ごろの時期になると、駆け込みで受験作文小論文の指導を頼まれます。本当は、受験で困っている人は全部引き受けたいのですが、臨時に指導できる人数は限られているので、大学入試であと数ヶ月というような場合はお断りせざるをえないことがほとんどです。
しかし、単に断るのではかわいそうなので、1回だけ書いたものを見て、今後の勉強の方向をアドバイスしてあげるということは極力するようにしています。
言葉の森の作文指導の特徴は、そのまま受験作文にもつながることです。しかし、言葉の森に小学校低中学年で来る人は、受験というものを意識しているわけではなく、趣味で作文を書きたいという人がほとんどです。
それらの子供たちは、小学校高学年になり受験するころになると、ちょうど作文の入試があったので使えたというケースが多いようです。中学受験だけでなく、高校入試でも、大学入試でも、作文小論文の試験があるところを受験することになったので、たまたま言葉の森に入っていてよかったというケースがかなりあります。
言葉の森の受験作文指導の特徴は、志望校の傾向や過去問にあわせた問題で作文を書くことです。その学校の傾向に合わせて10本ぐらい作文を書いておくと、そこで書いた主題や表現や実例が試験の本番でも使えます。
この場合、ただ書くだけでもよいのですが、言葉の森では、構成的に書くように指導しています。例えば、「こういうテーマの場合、第一段落はこうで、第二段落はこうで、第三段落はこうで、第四段落はこういう形で書くといい」といった説明です。
実際の試験では、もちろんこのようにきれいに書けるわけではありませんが、構成的に書く練習をしていると、試験のときも自然に全体の構造がしっかりした文章を書くことができます。作文の試験というと、普通は書きながら考えていくような人が多いのですが、言葉の森の生徒は最初に考えてから書くという書き方ができる人が多いようです。予備校などの小論文模試を受けると、言葉の森の生徒は構成力の点数が際立って高いという特徴があります。
さて、赤本などで大学入試の小論文の模範解答をときどき見ることがありますが、それらの模範解答は、合格ラインぎりぎりの文章だと思います。いずれも表面的に当たりさわりのないことを書いているので、欠点もないが長所もない文章になっています。受験生の多くがこういう文章を模範的な文章だと思って書いていると、採点するために読む方も大変です。
受験の小論文でよく「具体例を挙げて書きなさい」という指示がついているのは、受験生の中に模範解答と同じように理屈だけで書いている人が多いためだと思います。
森リン(言葉の森が開発した小論文自動採点ソフト)にこれらの文章をかけてみると、理屈だけで書いた文章は、語彙の多様性が低下していることが多いので、読んだ感じとして味気ない文章という感じが残ります。理屈だけで書いて、しかも語彙が多様である書き方ができるのは、かなり実力のある人だけです。
言葉の森では、文章には理屈の裏づけとしての実例をいつも入れるように指導しています。しかし、受験の場合はちょっとしたコツがあります。それは、特に大学入試の場合、体験実例を入れるとよほど文章力のある人でないかぎり、文章が幼稚に見えてしまうことがあるということです。
したがって、大学入試の場合、体験実例よりも社会実例を入れるような書き方を指導しています。しかし、本当は論説文であっても裏づけとなる実例に体験実例を入れた方がずっと面白い文章になることが多いのです。大学入試の問題を出す人は、「体験実例を入れて書きなさい」という指示をしてくれるといいのかもしれません。
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ときどき、国語の成績のことで相談を受けることがあります。先日も、子供の国語の成績が悪いというお母さんから、悪かったというテストのファクスを送ってもらいました。そのテストを分析して、電話でお母さんに話し始めると、「実は、私はまだその問題を読んでいないのです」という話でした。
このように、ほとんどのお母さんが、テストの点数だけを見て、中身を見ていないということがあります。模試などでは、分野別に漢字が何点、物語文が何点、説明文が何点などと分けて表示してくれるものもありますが、そういう表面上の分析よりも、まず親が中身を自分の目で見る必要があります。
これは、国語に限らずほかの教科についても言えることです。また、入試についても、模試の偏差値などよりもずっと確実にあてになるのは志望校の過去問の出来具合です。点数のように加工されたデータに左右されるのではなく、もともとの生のデータに直接当たってみることが大切なのです。
さて、ほかの教科はよくできているのに国語だけがおもわしくないという場合、意外と多いのが時間不足という原因です。前半がよくできているのに後半に×が多いという場合は、明らかに時間不足です。
国語力のある子は、問題文を気合いを入れて一回だけ読み、設問にも一発で答えるような解き方をします。国語力のない子は、何度も繰り返し読むような読み方をするので、どうしても時間が不足してくるのです。
問題文の読み方には、コツがあります。一つは傍線を引きながら読むことです。印象に残ったところに線を引いて読んでおくと、再読する必要があったとき必要な箇所がすぐに見つかります。
もう一つは、特に物語文を読むときのコツですが、その物語に没入し状況をありありと実感しながら読むことです。こういう読み方をすると、微妙な設問に対しても問題文にいちいち戻らなくても答えることができます。
速く読む力、共感して読む力は、国語の勉強によってではなく、読書の経験によって作られます。小学校の中学年までは、勉強よりも読書を優先した方がいいというのはこうした理由からです。
大学入試センター試験などでも、説明文の読み方と物語文の読み方はちょっと違います。説明文は、知的に理解して読んでいけばいいので、ある意味で内容を要約しながら読むような読み方で読んでいけます。
しかし、物語文はあらすじをまとめながら読むものではありません。その物語が描いている場面に入り込み、自分もその物語の中を生きているような感じで読むものです。そのような読み方をすると、登場人物の微妙な心情も手に取るようにわかってきます。そして、この読み方は、まさしく読書によって培われる読み方なのです。
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先日、ホームページの記事で問題集読書のことを書きました。何人かの方からそのやり方についての問合せがありましたので、より詳しく書きたいと思います。
まず、問題集読書の意義は、三つあります。一つは、難読、つまり難しい文章を読む機会を増やすということです。もう一つは、復読、つまりその難しい文章を何度も繰り返して読む機会を作るということです。そして最後は、時代性、つまり現代という時代の思潮を知るということです。
この時代性ということについて言うと、国語の問題は社会の問題よりも時代の風潮をよく反映しています。例えば、これまでは地球温暖化がよく国語の問題に取り上げられていましたが、今は地球温暖化のデータそのものに疑問が投げかけられています。あと数年もすると、地球温暖化や二酸化炭素の問題はもう国語の問題としては出てこなくなるかもしれません。
同じように、私が学生のころは、丸山真男の日本ダメ論が流行していました。しかし、その後、そのダメと思われていたところが実は日本の長所だったのだという論議が出てきました。そのうち、またしばらくすると、その日本の長所と思われていたところが実は欠点だったのだという話が出てくるかもしれません。
大学入試の国語問題を読んでいると、新聞やテレビにはあまり出てこない文化の流れというものが感じられます。
問題集読書の方法は、まず問題集を分解するところから始まります。全国の入試問題1年間分というのはかなり分厚いので、そのまま読もうとすると、本棚から出すたびに「どっこいしょ」と言わなければならないからです。
その分解した問題集を、40ページぐらいずつまとめてきれいな表紙をつけてホッチキスで止めます。この40ページが1週間分で、毎日6ページぐらいを目安に読んでいきます。読みながら、印象に残ったところに傍線を引きます。傍線でなく付箋をつける方法でもかまいません。
言葉の森の通学教室では、その付箋をつけたところを参考にしながら四行詩で感想を書くようにしています。読書ノートを1冊用意して、毎日四行詩を書いていくのです。四行詩ということがピンと来ない場合は、四行の引用や感想でもかまいません。
問題集読書について、ときどき質問を受けることがあります。
「天声人語のようなコラムを読むのはどうですか」と聞かれることがあります。天声人語は、難読というには軽すぎます。
「要約するのはどうですか」という質問もあります。要約をしてもかまいませんが、面倒なことは長続きしません。時間をかけずに気楽に毎日続けられるものの方がいいのです。
「なぜ問題を解かないのですか」という質問もよくあります。問題を解こうとすると、ただ読むだけのときよりも数倍の時間がかかります。そして、その結果○がついた問題は、もともとやらなくてもできた問題ですから解いただけ時間の無駄だったわけです。また、×がついた問題は解答を見てもできるようにはなりませんから、やはり解いただけ時間の無駄だったことになります。
問題の解き方には、実はコツがあります。そのコツは、正しいものを選ぶのではなく、正しくないものを選ばないで残ったものを選ぶということです。この方法は、一般論として説明してもなかなかできるようにはなりませんが、実際にその子の解いた国語問題をもう一度解きなおしながら説明すると、だれでも1時間ぐらいですぐに理解できます。その結果、高校生でも一挙に点数が上がるということがよくあります。
しかし、その点数が上がるのは、その子の実力のところまでです。だから、普段の国語の勉強は、解き方のコツのようなことはする必要がなく、ただ実力をつけるための勉強に徹していればいいのです。その実力をつける勉強法が読む勉強です。
言葉の森の通学教室では、今、長文暗唱と付箋読書(問題集読書を含む)を組み合わせた自習をしています。昔の言葉の森の自習は、音読と読書でした。音読と読書は、真面目にやっていれば必ず実力がつきますが、音読と読書という方法自体に外から見てチェックする仕組みがないので、どうしても言葉かけだけで終わりがちだという面がありました。今、暗唱や付箋読書をしている子供たちは、今後確実に力をつけていくと思います。
(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)
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早稲田大学政経学部の総合選抜入試に合格した高3のYさんが、合格体験記を書いてくれました。
私は、言葉の森で11年間勉強を続けてきました。私が言葉の森を始めたのは、小学1年生のときです。母に連れられて来た教室で、初めて書いた作文を先生に見せたとき、その日見た夢の話を書いた支離滅裂な文章にも関わらず、「面白いね」と褒めてくださいました。これが、私が11年間作文を書き続ける原動力になりました。
言葉の森の良さは、まず何よりも、とにかく褒めてくれることだと思います。
小学校高学年になると、自由な題名ではなく、長文の感想文を書く課題に変わりました。毎日音読する長文を理解し、考え、文章にすることは決して簡単なことではありません。最初は字数もなかなか書けずにはがゆい思いもしましたが、言葉の森の先生方の指導のおかげで次第に書けるようになりました。
長文音読や暗唱は、私の場合、毎日できたわけではありません。むしろサボってしまうことが多く、先生からの電話がかかってくる前に慌てて読むなどということもよくありました。それでも言葉の森の教材に載っていた長文はとても強く印象に残っており、様々な文章に触れることで、自分自身の興味関心の幅を広げ、考える力を養うことができたと思います。
私が受けた早稲田大学政治経済学部の総合選抜入試では、一次試験で英語、国語それぞれ2時間の論述試験がありました。1題の長文を読み、それに関する問いに英語、または日本語で答える論述形式の試験です。
私は私立文系の一般入試の勉強を主にしていたので、総合選抜入試には十分な対策を立てて臨んだわけではありませんでしたが、言葉の森で鍛えた文章力が私を助けてくれました。
試験会場には、これまで言葉の森で書いた自分の作文のコピーを持っていき、休み時間に眺めていました。自分が毎週、考えをめぐらし背伸びをして書いた文章は、どんな素晴らしい参考書よりも私に自信を与えてくれました。
言葉の森で学んだ勉強は、入試だけに役立ったわけではありません。学校での読書感想文の課題や、授業で書かされる小論文、また国語の試験においても、自分の頭で考え、文章を書けるということは、何よりも自分の強みになりました。
(※この生徒は読書感想文コンクールなどにもよく入選していました。言葉の森)
文章力は、英単語を覚えるように暗記でどうにかなるわけではありませんし、小手先のテクニックですぐ身につくものでもありません。私は、週に一度、自分の頭で考え文章を書くということの積み重ねによって、文章力を鍛え、自分自身を成長させることができたと思います。
言葉の森のいちばんの良さは、楽しく勉強できるところです。言葉の森で書いた作文はどんなアルバムよりも、私自身の成長の記録となり、言葉の森で身につけた力は、これからの私の人生においても、大きな支えになっていくと思います。
(※同学部には、このほかに言葉の森のもう一人の元生徒も合格しています。)
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フキノトウ
12月の小学生の暗唱長文は、これまでとは違ってコンクール入選作文にしました。
言葉の森のこれまでの長文は、説明文で難しい言葉のあるものが中心でした。それは、そういう説明文を読むことを通して、語彙力や思考力をつけることを目指していたからです。
しかし、900字の暗唱という難しい勉強に挑戦するときに大事なのは、子供の意欲です。
言葉の森に来ている子のほとんどは、作文が上手になりたいと思って来ています。このときに、「いや、小学生のうちに上手に書くことが大事なのではなく、高校生や大学生になったときに立派な論説文を書くための力をつけることが目的なんだよ」と言っても、子供たちにはあまり説得力はありません。
そこで、最初は、子供たちが意欲を持ちやすいコンクール入選作文を中心にしたのです。
子供たちが今回の長文暗唱を通して、「はあ、こういうのが総理大臣賞なんだ。なんだか自分でも書けそうだなあ」(笑)と思えるようになればいいと思います。
ところで、コンクールに入選するような作文のいちばんの重点は、題材の面白さです。小学生の場合は特に、題材が第一で、表現力や思考力は二の次です。
この題材の面白さの中には、その出来事の個性に基づくものがあります。例えば、「モグラをつかまえた」「牛の子が生まれた」「新聞配達の仕事を手伝った」などです。こういう体験は、普通の子供はまずしません。
しかし、その一方で、共感に基づく面白さというものもあります。例えば、「初めてバスに乗った」「思わずカンニングしそうになった」「電車の中でおじいさんに席をゆずろうとしたがうまくできなかった」などです。こういう経験は、だれでも多かれ少なかれ似たことをしているので共感を感じるのです。
個性、感動、挑戦のような面白さはなかなか出合うことがありませんが、共感の面白さは意識していると日常生活の中にも意外と出合うことがあるものです。
今回の暗唱の長文を通して、小学生のみなさんがこの題材の面白さというものに意識を向けていかれるといいと思っています。
(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)
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小3の保護者の方から、母親が多忙でなかなか子供の作文の勉強を見てあげられないというお話をうかがいました。
この点については、こちらも大いに反省するところがありました。
具体的には、
1、暗唱の自習は、最初のうち保護者が手をかけないとできない
2、パソコンによる清書も、保護者が手をかけないとできない
3、新聞やコンクールへの投稿も、保護者が手をかけないとできない
という問題があったのではないかと思います。
そこで、今後、小1~小3は、できるだけ保護者の手をわずらわせない仕組みにし、やりにくいところなどがあれば改善する、というようにしていきたいと思います。
具体的には、
・自習の暗唱は、今度の新しい暗唱法でやりやすくなったと思いますが、基本的に自習はオプションとして、やりにくい場合はやらなくてよいとします。毎週の作文をしっかり書いていればそれだけでも十分です。
・新聞やコンクールへの投稿がしにくい場合は、講師に送ってもよいとします。その場合、講師はその清書を1週の作文と一緒に返却します。そのあとに投稿しても結構です。
・清書のパソコン入力は、小4になってローマ字を習い自分で打てるようになるまでは、保護者がやらなくてもよいとします。これは、これまでもそうでしたが、もっとはっきりと任意の作業とします。
・したがって、パソコン入力による森リン大賞のプリントは、自分でパソコン入力ができる小4以上の生徒を中心にします。また、上位入選者の掲載というよりも、自分の書いたものを中心にプリントする仕組みにしたいと思います。
・小3以下の生徒は、原則として自分でパソコン入力ができないことを前提に考えていきます。パソコンで入力した清書については、生徒本人のものだけをプリントするか、又は、プリントせずにウェブで見られるような形にしたいと思っています。
以上、まだ検討中の段階ですが、ご意見ご提案などがございましたらお知らせください。
電話 0120-22-3987(平日9:00-20:00)
なお、今回の暗唱の自習については、多くの方からやりやすくなったとの声をいただきました。暗唱の自習はオプションですので、今すぐには取り組めなくても、できるようになったときから始めるような形で取り組んでいってください。
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小3の保護者の方から、感想文の添削についてご質問をいただきました。
その内容は、「中心を決めることと、似た話と、結びの感想が一貫していないのに、いいところを褒めるだけの指導でいいのか」というものでした。
こういう疑問は、多くの方が持っていると思いますが、実は「それでいいのです」というのが答えです。
その理由は二つあります。
第一は、小3、小4では、感想文の本格的な指導はまだ無理だからです。
感想文の指導が意味を持つのは、小5からです。このころになると、全体の構成や主題を考える力がついてくるので、先生が説明したことを自分なりに理解して書いていくことができます。しかし、小4までは、先生の説明を消化するだけの年齢になっていないので、先生に言われたとおりに書くぐらいまでしかできません。
では、なぜ小3や小4で感想文の指導をするかというと、それは小5になって感想文を書くために、その形に慣れておくという準備をするために書いているのです。
第二は、よりよい文章を書くために先生が直す指導に力を入れると、その直す指導が子供の理解力を超えている場合、苦手意識を育てることにしかならないからです。
よく作文指導に熱心な先生のクラスの生徒の多くが作文に苦手意識を持っているということがあります。それは、先生が熱心に直す指導をし、その一方で上手な子の作文だけを褒める指導をするので、大部分の子が作文を苦手に思うようになってしまうのです。
では、単に褒めるだけの指導でいいのかと言えば、そうではありません。褒めるだけの指導は、直す指導よりもずっとよいのですが、褒め続けているだけでは進歩がありません。
褒める指導にセットしておくものは三つあります。
第一は、自習で力をつけていくことです。暗唱や読書によって読む力がつき語彙力がつけば、先生の説明を自分なりに生かすことができるようになります。褒めることと自習をすることは勉強の両輪のようなものです。
第二は、できた作品を褒める一方で、次回の作文や感想文の準備をすることです。特に、感想文は事前の似た話の準備が重要です。長文を読んで、自分で似た話を考えるとともに、家族に取材して似た話を集めます。すると、感想文の内容が見違えるほど充実してくるのです。
言葉の森の指導の特徴は、事後添削ではなく事前指導です。書いた作品について赤ペンを細かく入れても、作文力は上達しません。書き出すまでに準備をして、先生が事前に電話で重要なポイントを言う、という書く前の指導がいちばん重要なのです。
第三は、中高生になるまでの発展を見越したシステムで勉強することです。小学生の作文を小学生の時代だけ上手になればいいと考えると、どうしても生活作文をくわしく描写的に書くことに終始しがちです。小学校低中学年で上手な作文を書くことが目的なのではなく、書く力そのものを伸ばして、中学生や高校生になったときに立派な説明文や意見文を書けるようにすることが勉強の目的です。
小3の生徒の中には、題名課題は難しいから嫌だとか、感想文は難しいから嫌だという生徒がよくいます。しかし、そういう子供たちでも、作文が勉強の一つなのだという話をすると、難しいけどがんばるという姿勢で取り組んでくれるようになります。そして、事前の準備に力を入れて、お父さんやお母さんに似た例などを取材してくると、すばらしい作文が書けるようになるのです。
褒める指導を中心にしつつ、毎日の自習で読む力をつけ、先の展望を考えて勉強を進めていく。これが作文、感想文の勉強で大事なポイントです。
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作文小論文の自動採点ソフト森リン(もりりん)を開発しているときのことです。
高校生の上手な子の作文をいくつもずらっと並べて見ていました。それぞれの作文にいろいろな計算方法で抽出した語彙の数値が載っています。それらを並べて見ているときに、ふと語彙の多様性と上手さがきれいな正比例関係になっているのに気づきました。
語彙の多様性といっても機械でやっと抽出できるぐらいの数値ですから、人間が目で見ても到底わかりません。しかし、語彙の多様性が高い作文を読んでいると、感覚として「この作文はうまいなあ」と思ってしまうのです。
もちろん、語彙の多様性のほかにも、上手さと相関の高い数値がいろいろありました。考える語彙の多さ、難しい語彙の多さ、文の長さのバランスなど、ある範囲で上手さと相関する数値がいろいろ見つかりました。「ある範囲で」というのは、どの数値も、ただ高ければよいというのではなく、ある程度以上高い数値が出るとかえって読みにくくなる面があるからです。
この結果を、言葉の森の講師数十人にも見てもらいました。その結果、森リンの出す点数と人間の感じる上手さがかなり高い相関になっていることがわかったのです。
語彙の多様性とは、ひとことで言えば、同じことをいろいろな言葉で表すことです。文章力のある人は、文章を書いていて同じ言葉が続きそうになると、それをほかの言葉で言い表すということをよくします。同じ言葉が単調に続くことに、美的にしっくりしないものを感じるからです。
しかし、語彙力(読むための語彙力ではなく、書くための語彙力)の乏しい人は、しっくりしなくてもほかの言葉が思いつかないので、そのまま書いてしまいます。よく、小さい子は、作文の結びを「とても、楽しかったです」と書いて終わりにします。それがよくないというのではありません。語彙力の少ない年齢では、ほかの言葉が出てこないだけなのです。
したがって、森リンの点数を上げるためには、作文を直すのではなく、語彙力を育てるための読書に力を入れていく必要があります。ただし、読むための語彙力は、そのまま書くための語彙力ではありません。読む語彙力を書く語彙力にするためには、何度も繰り返し読むことが必要です。暗唱は、書くための語彙力を増やす勉強にもなっています。
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