これは、言葉の森新聞に掲載した記事を編集したものです。
作文のコツの第三は、難語を自然に書くことです。(「その1」に書いたコツの第一は字数の枠内で書く、第二は誤字をなくす、でした)
「でも、公園にゴミ箱があると、ゴミを減らすという気持ちがなくなる」という文と、「しかし、公園にゴミ箱が設置してあると、ゴミを減らすという自覚が生まれにくくなる」という文では、どちらが知的に感じるかというと、やはり「設置」や「自覚」などの難しい言葉を使ってある文の方です。中学生で、これらの言葉を読めない人はまずいません。しかし、文章の中に自然に使える人は少ないのです。なぜ読めるのに使えないかというと、こういう言葉の入った文章を読む量が不足しているからです。
文章に使う言葉には、自分がふだん読んでいる文章の質が自ずから出てきます。中学生や高校生の文章で、話し言葉とあまり変わらない文章を書いている場合は、その人がふだんあまり本を読んでいないことを示しています。
未消化の難語を使うのはかえってマイナスですが、少し背伸びをした文章語を使うのは、いい文章を書くためのコツです。
第四は、光る表現を入れることです。
文章の結びの5行は、文章全体の印象を左右する部分です。ここに光る表現があると、全体の印象がよくなります。書くことが好きな生徒は、自然にこういうことを知っているのでしょう。結びに一工夫してまとめてある文章をときどき見ますが、例外なく上手な文章です。
光る表現となる要素は二つあります。一つは、「○○はAでなくBである」のような形で、逆説的な真理を述べていることです。もう一つは、結びの意見を書き出しのキーワードと結びつけてまとめていることです。いずれも、考える力がないとなかなか書けません。
第五は、感動のある体験実例を書くことです。
意見は、だれが書いてもほとんど差がありません。人間が考えることにそれほど大きな差はないからです。差があるのは、前に書いた表現の部分とこの実例の部分です。
体験実例に、「友達がこんなことをした」と他人の体験を書いても、印象は強くなりません。また、自分の体験であっても、平凡な体験では印象に残る実例にはなりません。自分の体験であって、しかも、挑戦、感動、個性、共感などの感じられる実例がよい実例です。
文章を読むのは人間ですから、体験実例の印象がよければ、それによって文章全体の印象が上がるのです。例えば、「私は、三年間ひとりで公園のゴミ拾いをしていたが」などという体験がさらりと書いてあれば、読み手はそれだけで文章以前に書いている人間に好印象を持つのです。
しかし、もちろんウソを書いてはいけません。本当のことを書くというのは、文章を書く上での当然の前提だからです。たまに、文章指導と称して、うまく見せるためにウソでも何でも書けという人もいるようですが、こういう発想をすると、目に見える小さな利益のために、目に見えない大きな利益を失うことになります。
いい文章を書くためには、日常生活で挑戦や感動や個性や共感のあるいい行動をすることです。
(つづく)
次回の予定は、第六に知性を感じさせる社会実例を書くこと、第七に構成がわかるように書くこと、です。
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小1や小2の子が音読をすると、読み間違いがたくさんあります。
これを聞いていると、ほぼ百パーセントの人がその間違いを直そうとします。
もちろん、直す間違いもあります。しかし、それは、小学校高学年や中学生になってから、間違えて覚えていることがわかったときのことで、ほとんどの間違いは直す必要のないものです。
低学年の子の間違いは、実力がついていないために間違えているというケースがほとんどです。
例えば、「私の家には、大きな木があります」という文章を読むときに、「私の家に、大きい木があります」と読んでしまうような間違いです。「家には→家に」「大きな→大きい」と2ヶ所も間違いがあります。しかし、これは読む実力がついていないための間違いですから、直す必要はないのです。
直さない方がいいという理由は、子供は自分が予想していないところで間違いを指摘されると、そのあとの勉強がのびのびとできなくなる、ということがあるからです。
小さなことでも注意されると、緊張して読むようになります。そうすると、読むことが苦痛になり長続きしなくなるのです。
たとえ間違って読んでも、いつも褒められていれば気楽に読むことができます。そうして、読んでいるうちに実力がつき正しく読めるようになるのです。
もう少し高度な方法は、子供が自分で間違いを気づくようにさせることです。
子供が文章を読んだあと、今度は親が同じ文章を読んで子供がそれを聞くようにします。その際、親は子供の間違えたところの注意などは一切しません。ただ楽しそうに読んでいくだけです。
そうすると、子供が自然に正しい読み方を理解します。しかし、子供がすぐには理解しないからと言って、親が教えるようなことはしません。
注意やアドバイスは一切せずに、ただ二人で楽しく交互に読んでいくだけです。
「注意すれば下手になり、褒めれば上手になる」というのは、勉強以外にも通用する人生の鉄則のようなものです。
そのように褒められて育った子は、将来社会人になったときに、やはり人を褒めて育てることができるようになるのです。
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息子は小4ですが、いまだに例に挙げられているような読み間違いをします。音読の際、読み間違いを指摘すると、読むペースを文脈がわからないほどの速度に落としたりして、反抗します。もうすぐ5年生なので、間違いを指摘して、読み直させた方が良い時期に入るのではないかと思いますが、どのようなものでしょうか?
また、読み直させる場合の具体的な指摘の仕方、注意すべき点をアドバイスいただければ嬉しいです。
よろしくお願いします。
(息子は読書量もあるほうなので、物語文や簡単な説明文を読むこと自体には、比較的慣れています。)
今は、続けさせることが最優先ですから、正しく読むことは二の次です。
本人が抵抗を感じないように読み間違いを指摘することはできるのですが、それはかなり高度なテクニックが必要です。
ですから、今は、間違えていてもいいから、暗唱や音読を続けさせるということでやっていってください。本人もお母さんもあまり負担がない状態で続けることがいちばん大事です。
アドバイスを有難うございます。
継続することを第一に考え、芽の出る時期を待つことにいたします。
気長にやっていると、忘れたころに、「いつのまにか上手になっていた」ということになると思います。
学年が上がるとだんだん言うことを聞かなくなると思いますが、忍耐強くがんばってください。
小1の息子がなかなか暗唱にとりかかろうとしません。
毎晩お風呂から出て歯磨きをした後、小3の姉は習慣になってきたようで、黙っていてもはじめるのですが、
息子の方には「はーい暗唱の時間だよー」「早くしなさい!」
「こらーッ!!」私もだんだん強い口調で怒ってしまいます。
最終的には読みはじめますが、10回くらいしか読んでいないのに30回読んだーとうそをついたり、だらだらやっているのでとても長い時間がかかります。
「もう少し早口で読んでごらん。」と言うと、今度は猛スピード(聞いていても何を言っているのかまったくわからない、でたらめではないかと思うようなスピード)で読んで反抗します。
’。。間違えて読んでも直さない’以前の問題なのですが、
何かいい方法があれば、アドバイスいただきたいと思います。
一般に、上の子が女の子だと手がかからないので、下の男の子も同じように考えがちですが、男の子は2倍ぐらい手をかけないと同じようにはなりません。
特に、低学年のうちは、密着してお母さんのすぐ近くで読むようにして、1回読み終えるたびに、「よく読めたね」「上手、上手」「その調子」「はい、あと○回」「もう一息」「うまくなってきた」「さあ、ラスト○回」などの声かけをしてあげてください。その際、読み間違いなどは直さずに、読み方の注意もせずに、ただ褒めてあげるだけにした方がいいです。
どんなにたどたどしい読み方でも、回数を繰り返すうちに自然にスムーズになっていき、そのうちに見ないでも言えるようになります。そうなると、自分でも、やればできるものなんだという自信がつきます。
わずか10分だと思って(最初はもっと時間がかかるかもしれませんが)、その間は密着して聞いてあげてください。
言われました通りに暗唱を続けております。
やり始めると、どうにか最後までできるのですが、始めるまでの、とりかかりがとても苦労してしまいます。
今日は小3の娘の事でご相談があります。
小1の息子は、30回読み終わるまで、ふざけたりしながら読んでいるし、回数もごまかしているのではないか。。と疑ってしまう程です。とりかかるまでには親の私が試行錯誤なのですが、実は週一回の電話指導の先生の前では、すらすらとできてしまいます。
一方、姉の方はまじめで、黙っていても暗唱を始めるし、じっくりしっかり「できるようになりたい。」と言う気持ちをこめて読んでいます。それなのに、結果、暗唱できていません。
「どうして弟にはできてわたしはできないの?」っと自分でも悩んでいるようなのです。
’暗唱の仕方で大事な事は覚えようとししないで無心になって読むこ’という内容の記事も、娘に読んで聞かせた事もあります。本人も、暗唱しようとするのではなく、単純に30回読むことを心がけています。
読み方は、特につっかえつっかえでなく、普通に読めています。娘に、’できる’と言う自身を付けさせたいのですが、
どのようにしたらいいのか教えて欲しいと思います。。
まず、森川林代表が示されている例から。
>「私の家には、大きな木があります」という文章を読むときに、「私の家に、大きい木があります」と読んでしまうような間違いです。「家には→家に」「大きな→大きい」と2ヶ所も間違いがあります。しかし、これは読む実力がついていないための間違いですから、直す必要はないのです。
専門的には1つ目の間違いは「省略」、二つ目は「代用」と言います。読むことの本質的な目的は、読み手の意味の把握にあります。この場合は、意味が保持されますので「2ヶ所も間違い」があると考えないほうが学習者のためです。「読む実力」ではなく、読みの上達の過程の姿と考えてはどうでしょうか。
音読中、大人が間違いを指摘することは、音読という活動を中断してしまうこともマイナスなのです。意味が崩れてしまうほどの読み間違いをしたときには、短く否定して(たとえば「ん?」と言って)、もう一度自分で本文を振り返らせてはどうでしょうか。
また、音読暗唱がブームですが、目的のない暗唱は子どもにとって苦役に等しいものです。子どもに強制する前に、親が暗唱の手本を示すことができますか? 親子で楽しむことを大切にしないと、国語嫌いになってしまいます。せめて家庭くらい成果を求めず、のびのびと国語に親しませたいものです。
代表は案を示しています。
>注意やアドバイスは一切せずに、ただ二人で楽しく交互に読んでいくだけです。
親子でこのような活動ができたら素晴らしいですね。マンツーマンの音読指導は学校では絶対できません。また、音読が苦手な子どもほど学校と同じような指導が通用しないものです。
小3と小1のお母さんへ
お返事遅れて申し訳ありませんでした。見落としていました。^^;
微妙な質問は、父母の広場や質問の広場などに書いていただいても結構です。そうすると、スレッド状になってわかりやすくなると思うので。
ミスキューさんが言ってくれたように、お母さんが試しにやってみるというのも、一つの手です。そうすると、コツなどもわかりやすく伝えられます。
暗唱のコツは、大声で早口で繰り返すことです。
ゆっくりていねいに上手に読むと覚えられません。意味を理解する読み方になってしまうからです。歌の歌詞を自然に覚えてしまうような感じで読むと早く暗唱できるようになります。
また、小さい声で静かに読むとやはりなかなか覚えられません。自分の耳で聴くということが大事ですから、できるだけ大きい声で読む方が暗唱しやすくなります。
1日目の100字を30回読む段階で、すらすら言えるのが条件です。100字の30回がちょっと不安だという場合は、300字はできません。また300字がほぼ完璧にできていないと900字はできません。
100字の30回で流れるように言えない場合は、回数をもう10回増やしてもいいです。それでもスムーズにできない場合はもう10回増やします。
限られた時間でうまくできない状態をそのままにするよりも、できて自信を持たせる方がいいからです。
3年生の長文はやさしいので、回数を増やせば必ずできます。がんばってやってください。
ありがとうございます。
続けて質問させてください。
”1日目の100字を30回読む段階で、すらすら言える”というのは、’すらすらと暗唱できている’ということですか?
そういえば、小1の息子は何を言っているのかわからないような速さで読んでいるのに、小3の娘は、しっかりとした口調できちんと読んでいます。私は、逆に、ゆっくり丁寧に読んでいる娘が暗唱できなくて、ふざけたようにいい加減に読んでいる息子が暗唱できているのが不思議でした。
良くわかりました。
次の暗唱からは私もいっしょにやってみて、娘に伝えてみようと思います。
すらすら言えるというのは、すらすら暗唱できているということです。
ちなみに、早口で読むというのは、「、」や「。」で区切らないぐらいのスピードで読んでいいということです。暗唱できるようになってからは、普通に読んでもいいのですが。
わかりました。そのようなやり方で暗唱させてみようと思います。
それから、その、まじめで神経質な性格の娘なのですが、
先週、電話指導の先生に、「じゃあ来週もう一度同じところを暗唱してみましょうね。」とやさしく言われたようなのですが、(自分では一生懸命がんばっているつもりなのに、うまく暗唱できなくて)その後の作文指導の電話の最中ずっと泣いていました。(先生は気づかれなかったようでした)
私は、先生に、「~性格的に、、、~来週は来週のところをやらせてください。」とお願いしました。
そして、今週、実は今日今から、10分後、電話指導の時間なのですが、「言葉の森がいやだ」とべそをかいています。
「継続は力なり~」と言って、今のところがんばらせようと思っているのですが、この先、作文が(国語が)嫌いになってしまわないか心配です。。。
勉強のコツは、できるようにさせて褒めることです。
前提になるいちばん大事なことは、できるようにさせることですから、不十分にできない状態では、どういう対応をしても意欲的になることはできません。できないままでは、褒めることも注意することもどちらもほとんど意味がありません。
勉強が苦手になるのも好きになるのも、「できる」と子供が思うことですから、暗唱ができるという状態に早急にさせていくことが必要です。
小学校3、4年生の暗唱は、全く難しくありません。毎日10分やれば絶対にできることです。
たとえ最初のうちは10分でできなくても、15分か20分もやれば例外なくできるようになり、すぐに10分でできるようになります。
週1回の通信指導なので、先生は家庭での毎日10分のチェックはできませんから、ここはお母さんががんばって毎日10分の暗唱をできるようにさせていってください。
大事なのは、絶対に簡単にできるようになるというお母さん自身の確信です。
娘は、毎日欠かさず金土日30回(100字)、月火水木10回(300字)4週目は900字を5回ずつ読んでいます。注意もアドバイスも一切していません。本人は一生懸命です。ただ性格上、、と言いますか、ゆっくり丁寧に読んでしまいます。
私の前ではだいたい暗唱できているのですが、
「結果暗唱できない」といのは、「電話の時、先生の前で暗唱できない」という意味で、緊張してしまうのか止まってしまいます。
「先生に、’もう一度、同じところを来週も~’と言われて悔しくなっちゃったの。。。」
と先週の電話指導の後、目に涙をためていましたが、
「先生に、次回は’次の暗唱’をさせてもらえるようにお願いしたから大丈夫よ。」
と言ったら、「よかった!」と安心して次の100字の暗唱をしはじめました。
このような場合、本当はどちらの方が良かったのでしょうか?
まずは気持ちを入れ替えさせて、今日の作文が楽しく書けるように何とか励まし、先生からの電話を待ちました。。
2~3回チラッと暗唱文を覗き込んだりしていましたが、なんとか今回は、先生に褒めていただけたようなので、電話ご指導の後、すぐに作文にとりかかることができました。
長く続けさせたいと思っております。
よろしくお願いいたします。
それはよかったです。
暗唱は、勉強と思わずにスポーツと思ってください。
スポーツには勝ち負けもあって、勝ってうれしいことも負けてくやしいこともあります。しかし、その中で子供はいろいろ経験をして成長していくのだと思います。
しかも、暗唱は練習をしっかりすれば絶対に勝てるスポーツですから、やればできるという自信を子供が持てるようになります。
しばらくは、「大体できる」という水準ではなく、「完璧にできる」という水準まで練習して、自信を持たせるようにするといいと思います。
300字が完璧にできていることが前提になって、最後の900字もスムーズにできます。最初の300字にちょっとでもあいまいなところがあると、結局最後の900字も楽にできるようになります。
ですから、合格扱いにして先に進むのはそれはそれでいいのですが、今度の300字はどんな状態でも一息で言えるぐらいに練習しておいてください。読みなれれば、100字が一息なので、300字は3息が目標です(笑)。
暖かいアドバイスをありがとうございます。
長い目で見守って生きたいと思います。
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今日は、たまたま小1や小2の低学年の子のお母さんから、何件か電話相談を受けました。
相談の内容はさまざまですが、共通しているのは、勉強のさせ方についてです。こういう勉強をさせているがいいか」「どういう勉強をさせたらいいか」という相談です。
小1から小4にかけては、親が手をかければそれだけすぐに成果が出ます。しかし、そこで手をかける分野をわかりやすい勉強の面に絞ってしまうと問題が出てきます。
成績というのは目に付きやすいものなので、成果が上がれば親も子もうれしくなります。しかし、その結果、花を咲かせることに気を取られて、肝心の根を育てることを忘れてしまうことがあるのです。
自分自身の身近な人を思い浮かべてみればわかりますが、魅力のある人というのは、成績や学歴とは関係がありません。リーダーシップがあったり、ユーモアがあったり、勇気があったり、美的なセンスがあったりと、そのよさは人によってそれぞれですが、だれもが、成績という狭い尺度ではなくもっとトータルな人間的魅力を基準にして周りの人を見ています。
しかし、学校の中だけは、現実の社会とはかなりずれた尺度で、成績のよさがほとんどすべてであるかのような価値観になっています。その成績を通して見ると、子供の本当の姿が見えなくなることがあります。
子供の育て方に、ただ一つの基準というものはありません。どの親も試行錯誤をしながら子育てをしています。親が子供をよく見ていれば、その子にとって何が必要で何が不要かということは、自ずからわかってきます。しかし、成績の面から子供を見てしまうと、力の入れ方を勘違いしてしまうことが多いのです。
よくある例が、子供にとって負担の大きすぎる勉強を機械的にさせてしまうことです。もう一つのよくある例が、勉強のことばかりに目を向けて、肝心の躾や情操の面をおろそかにしてしまうことです。
大事なことは、子供にとってのよりよい人生というものを考えていくことです。成績は人生の一部ですが、成績がよければ自動的によい人生になるわけではありません。
よりよい人生の一つの指標は、毎日が幸せだということです。たとえ口には出さなくても、子供が「今日も幸せ」と思いながら眠りにつくような過ごし方を目指していくことが、親がまず最初に子供にしてあげることだと思います。
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公立中高一貫校では、入試問題のほとんどに作文試験があります。作文力を見ることによって、単なる知識の学力ではない、受験生の本当の学力を見るというねらいがあります。
この作文試験の内容は年々高度化しており、現在では複数の文章や資料を見てそこから自分の考えを述べるという小論文的なものになっています。
言葉の森では、もともと大学入試や企業の入社試験に対応した作文指導を行ってきた経緯があるので、中高一貫校の作文入試に対しても豊富なノウハウがあります。
今後の入試は、中高一貫校にかぎらず、高校入試でも大学入試でもますます文章力の重要さが増してきます。しかし、作文力というものは、知識の量で左右される教科に比べて、身につけるのにきわめて多くの時間がかかります。
言葉の森では、子供たちが将来社会人になったときに役立つ文章力を育てるために、小学校低学年のころから、大学入試の小論文にも対応できる長期的な展望で作文指導を行っています。
小学校低学年から、中学生、高校生、更には大学生や社会人の作文指導までの一貫したカリキュラムを持っているのが言葉の森の作文指導の特徴です。
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言葉の森では、これまでの長い作文指導の経験から、作文そのものを教えるよりも、作文力の土台となる読む力を育てることが重要だと考えてきました。
そのため、発足当初から音読や読書の自習を進めてきましたが、音読や読書は、継続してできる子とできない子の差があり、必ずしも全員の読む力を育てる方法となってはいませんでした。
そこで、言葉の森では、これまでの音読を発展させた独自の暗唱法を開発しました。現在、暗唱用紙を使った毎日10分の暗唱で、だれでも楽に1ヶ月で900字の文章を暗唱できるようになっています。
暗唱の効果は、単に読む力、書く力を育てることにとどまりません。暗唱力をつけることによって、思考力、発想力が伸び、学習力そのものが育つという効果もあることがわかってきています。
文章を暗唱するという方法は、ただ文章を音読するという方法に比べて達成感のある勉強法です。一見、音読の方が簡単にできるように思われがちですが、暗唱の方法さえわかれば子供たちは音読よりも暗唱の勉強の方を好みます。
小学校低中学年の時期から暗唱の学習に取り組むことは、作文の書き方を身につけるだけでなく、ものの見方や考え方を育てる上で大きな効果があるのです。
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数学や英語は、勉強をしなければ成績の上がらない教科です。聖徳太子や空海がタイムマシンで現代に急に現れて、中学の数学や英語のテストを受けたとしたらまず0点です。勉強をすればできるが、勉強をしなければできないというのが普通の教科の特徴です。
しかし、国語はそうではありません。全然勉強をしない人でも、国語ではある程度の点数を取ることができます。
ここで、多くの人は、だから国語はそっちに置いておいて、まず英語や数学などの差のつく勉強に取り組もうと思うのです。しかし、英語や数学における0点と100点の差よりも大きいのが、国語における80点と100点の差です。国語力の差は小さいように見えても、ほとんど埋まらない差なのです。
そのような国語力をつけるためには、どうしたらいいのでしょうか。
まず、国語を勉強だと考えずに、生活だと考えることが必要です。
国語力のある子の生活の特徴は、読書と対話があることです。
読書のある生活をするために第一に大事なことは、読書を妨げる要因となるテレビやゲームの時間をコントロールすることです。これは簡単なように見えますが、実はかなり難しいことです。なぜかというと、子供の生活時間をコントロールするためには、かならず親の生活習慣の改善が必要になるからです。
生活習慣の改善は、子供の学年の自乗に比例して難しくなります。だから大事なことは、小学校低学年のうちに、テレビとゲームについてのルールを決めておくことです。テレビを見させない、ゲームをやらせないというのはコントロールではなく単なる禁止です。禁止したものは、学年が上がると逆にコントロールできなくなります。
テレビやゲームが生まれたときからあるという状態は、人類が経験してまだ日の浅いものなので、コントロールする文化がまだ成立していません。だから、個々の家庭で工夫して行く必要があるのです。
対話のある生活をするために大事なことは、親が対話好きになることです。対話といっても子供が小中学生のうちは、親子の対話というよりも、親どうしの対話が中心になります。そのときの話題が、子供の関心のあるものであればなおいいと思います。
理想的な対話の習慣は次のようなものです。
まず、子供が千字程度の文章(以下、長文と呼ぶ)を音読したり暗唱したりします。夕食などで家族がそろったら、子供が家族みんなの前で音読や暗唱をします。そのときは周囲の温かい目が必要ですから、お父さんは必ず「おお、難しい文章をよく読んでいるね」などと言わなければなりません。間違っても、「もっとこういうふうに読んだらいい」などという勉強的なアドバイスはしないことです。
子供が長文を読んだあと、その長文の内容が自然に話題になって食事が盛り上がります。その際、お父さんとお母さんが、自分はこう思うとか、昔はこうだったということを自分の言葉で話します。ときどき子供が話に参加しますが、基本になるのは親どうしの対話です。つまり、親が話を楽しんでいるのを子供が聞いているという形の対話なのです。
家庭によっては、親どうしの対話が難しいという環境もあると思います。その場合は、親がひとりで子供にいろいろな話を聞かせてあげるという形になります。小学校の低中学年のころは、子供は喜んで親の話を聞きます。この時期に対話の習慣を作っておけば、子供が高学年になっても同じように対話のある習慣を維持していくことができます。
食事のときの対話をするための一つの前提条件は、食事中はテレビを消しておくということです。これも、子供が小学校低中学年のうちは簡単にできますが、学年が上がるほどいったんできた生活習慣を変えることは難しくなります。
では、そういう読書や対話の習慣がないままに成長してしまった子供の国語力をつけるためにはどうしたらいいのでしょうか。
実は、国語力をつけるためのより即効的な勉強法もあります。それは、国語力として要求される国語の問題に出てくるような文章を徹底して読みなれることです。もう一つは、国語の記述式の問題の解答として要求される文章を丸ごと暗唱してしまうことです。
しかし、このような勉強法は、あくまでもその場しのぎのものです。これで国語の成績が上がって合格できたとしても、その国語力は内容の伴っていないものなのであとが続きません。やはり、読書と対話によって中身のある国語力をつけていくことがいちばん大事なのです。
国語力は、国語の成績としても表れますが、もっとはっきりとした形で作文力として表れます。作文を見ると、その子の実力がわかるというのはそのためです。
では、作文力をつけるためにはどうしたらいいのでしょうか。指導の仕方以前に何よりも大事なことは、まず作文を書く機会を確保することです。学校では、先生の負担が大きいために作文の指導まではなかなか手が回りません。これも、家庭の中で書く機会を増やしておくというのがいちばんいい方法です。
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日本時間の1月2日に、アルゼンチンから体験学習を申し込まれた方のご住所が入っていません。
お申し込み時に記載のあったメールアドレスに言葉の森からメールを差し上げていますが、まだごらんいただいていないようです。
ご連絡くださるようお願い申し上げます。
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