暗唱という勉強の仕方に効果があることがわかってきました。しかし、今心配しているのは、この暗唱の学習が学校などでも取り入れられるようになり、勉強のスタイルとして常態化してしまうことです。
暗唱は、親や先生が子供のころにやっていない勉強法なので、ついその効果だけに目を奪われてしまいがちです。すると、暗唱の自習が、人よりもいかに速くいかに多く暗唱できるかという競争になることも考えられます。競争によって、暗唱に力を入れるというのは最初のうちは効果がありますが、やがて弊害がでてきます。それは、じっくり考えるとか自分で考えを作り出すとかいう要素なしに、覚えることだけが目的になってしまうからです。
江戸時代にも、素読という暗唱の勉強法はありました。そのころに暗唱のしすぎという弊害がなかったのは、子供たちが日常の遊びや仕事の中で、自分で考え判断し作り出す経験が豊富にあったからです。
現在は、そうではありません。勉強以外の時間の多くを、非創造的なテレビやゲームやテレビやインターネットに費やしている子も多いのです。。
自分で作り出すものがない中で、覚え込むことだけに力を入れると、人間の成長は歪んできます。
吸収する勉強は、発表する勉強とセットにすることで初めてバランスよく力のつくものになるのです。これをわかりやすく比喩的に説明すると、次のようになります。
まず、食べるだけで運動しないという生活をしていれば、次第に体が太ってきて、ますます運動が苦手になります。その一方で、食べることだけは得意になります。これを勉強にあてはめると、覚えることだけが得意になるという状態です。
もう一つは、食べずに運動するという生活の仕方です。食べないので力が出ません。そこで、自分の無理のない最小限の範囲で運動をするようになります。勉強に当てはめると、本を読まないので、作文も細々としか書けないという状態です。食べずに運動するというのは、やがて食べないし運動もしないということと同じになります。
最後に、食べて運動するという生活です。食べたものが運動によって血や肉となるので、どんどん力がついてきます。食べることと運動をすることが相互作用で発展していくので、どちらも楽しくなります。勉強に当てはめると、読書も作文もどちらも進んでいくという状態です。勉強と遊びとの対比で言えば、「よく学びよく遊べ」の状態と言ってもいいでしょう。
運動というのは、国語の場合は作文ですが、数学や英語の場合は、問題を自分で考えることや文章を自分で作ることになります。それも、既にある答えを再現するような記憶力に依拠した問題や文章ではなく、自由に自分で考える問題や文章です。
言葉の森の暗唱は、作文指導を充実させるために始めました。作文とセットでない暗唱は、暗唱のための暗唱になります。このような暗唱も最初のうちは効果がありますが、やがてやり過ぎによる弊害も出てくるでしょう。そうならないために、暗唱は作文という創造的な勉強とセットで行う必要があるのだと思います。
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素直に勉強する子がいます。親や先生が「これをしなさい」と言えば、素直に「はい」とやります。
しかし、こういう素直すぎる子がどういう勉強をしているかというと、無理のない範囲で手を抜きながらそつなくやっていることも多いのです。
これは、人間の本能的な対応で、嫌なことでも一生懸命やってしまうと、次にはもっと大きい負荷がかかってくるに決まっています。そうしたら、手を抜きながらぎりぎりのエネルギーでそつなくこなすしかないのです。何か、昔の社会主義諸国の仕事の仕方に似ているようです。^^;
「休まず遅れず働かず」という勉強の仕方をすれば、外見上は親や先生の言うことをよく聞くよい子です。しかし、そういう勉強法では、実は大したことは身についていないのです。小学校低学年からこつこつ真面目に毎日勉強していた子が、それまでずっと遊んでいて中学生の後半から急にがんばりだした子にすぐに追いつかれてしまうのは、こういう事情があるからです。
だとすれば、言うことを素直に聞かない子には、まだそういう手抜き勉強の仕方に慣れてないという点で見所があるのです。
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子供に勉強をさせるときのコツは単純です。大事なことは、絶対に断固として尻を叩いてでもやらせる。しかし、内容については明るく楽しく褒めるだけ。この二つです。多くのお母さんは、この「断固として」という点が弱いのです。しかし、断固としてやらせられるお母さんの多くは、この「褒めるだけ」ができません。
しかし、どちらかしかできないとすれば、お母さんの役割は、やはり「褒めるだけ」の方です。子供はいずれ社会に出て、嫌なことでも「断固として」やらなければならない状態に遭遇します。しかし、温かく「褒めるだけ」で接してくれる人に出会うことはまずありません。褒められて自分に対する肯定的な感情を持って生きていくためには、子供時代にお母さんにたっぷりかわいがられて育つ必要があるのです。
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小学1年生の男の子のお母さんから、「暗唱の自習をなかなかしない」という質問がありました。
以下は、そのお返事です。
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低学年のうちは、密着してお母さんのすぐ近くで読むようにして、1回読み終えるたびに、「よく読めたね」「上手、上手」「その調子」「はい、あと○回」「もう一息」「うまくなってきた」「さあ、ラスト○回」などの声かけをしてあげてください。その際、読み間違いなどは直さずに、読み方の注意もせずに、ただ褒めてあげるだけにした方がいいです。
どんなにたどたどしい読み方でも、回数を繰り返すうちに自然にスムーズになっていき、そのうちに見ないでも言えるようになります。そうなると、自分でも、やればできるものなんだという自信がつきます。
わずか10分だと思って(最初はもっと時間がかかるかもしれませんが)、その間は密着して聞いてあげてください。
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つまり、最初はつきっきりでやることが大事です。お母さんがすぐそばにいれば、だれでもしっかりやります。しかし、そのとき注意やアドバイスは一切せずに、ただ明るく褒めて励ますだけにします。
やがて数日で、子供が自分でできるようになるので、そうしたら密着は必要ありません。しかし、ときどき褒めて励ましてあげてください。
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暗唱の自習が軌道に乗っているのは、次のような状態のときです。
1、一応親が毎日「暗唱の自習をした?」と声をかけます。
(毎日の声かけなしに、子供が自動的に勉強をすることはまずありません。)
2、子供が、「あ、そうだった」と気づいて暗唱の自習を始めます。
(スムーズにできるようにするためには、毎日の勉強の大体の時間を決めておくことです。子供が遊びに熱中しているときに、突然「勉強した?」などと聞かないようにしてください。)
3、子供が読み終えたら、必ず一言褒めてあげます。
(褒め方は、「よく読めたね」「読み方が上手になったね」「難しいのを読んでいるね」などです。読んだあとは、褒めるだけです。読み方を注意したり、読み間違いを指摘したりしないでください。また、特に小学生の間は、親の見ていない子供部屋などでひとりで勉強をさせないようにしてください。低学年の子は、最初のうち親が密着して1回読むたびに褒めてあげてください)
こういう状態が作れない場合は、暗唱の自習はしない方がいいと思います。
というのは、親や子供が苦痛に感じるような形で勉強を進めることは、長い目で見てかえってマイナスになるからです。基準は、「親が叱る」か「子供が嫌がる」ような状態が1週間に1回はあるようなら、その勉強はしない方がいいということです。
暗唱の自習をしなくても、毎週しっかり作文を書いていれば実力はつきます。しかし、書く力は読む力に支えられて上達しますから、本を読む時間は毎日できるだけ確保するようにしてください。
しかし、「そうは言っても、何とか毎日の自習をやらせたい」という人もいると思います。その場合は、まず親が変わることです。子供が変わるのではなく、親が変わるのだと考えることが出発点になります。
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■最古参の作文教室
言葉の森が30年前に作文教室を始めたとき、作文の教室というのは全国で一つもありませんでした。作文教室という名前で広告を出したのは言葉の森が最初だと思います。
私は当時から、英語や数学は自分で勉強すればいいし、国語は本を読んでいれば自然にできるようになる、しかし作文は他人からの評価が必要だと考えていたので、作文教室は作文だけの専門の教室でした。
ですから、指導法はすべてオリジナルでした。そして、言葉の森の指導法を多くの人に知ってもらうために、教材をホームページですべて公開していました。大手の通信教育の人が指導法を聞きに来たので、教材を渡して説明したこともあります。
■最先端の技術を使う
言葉の森の教材や指導法はすべてオリジナルなもので始まったので、その後の教材の開発もオリジナルに進みました。
ちょうどインターネットがブレークする前夜でしたので、プログラミングを独学で勉強し動的なページを作ることにしました。現在はワードやエクセルで静的なページを作ることができますし、動的なページもアプリケーションソフトで作れるようになっています。しかし、当時は、日本語の情報さえも少ない時代でしたので、すべて最初から勉強しなければなりませんでした。そのため、言葉の森のページには、いまだに使いにくいところがかなりあると思います。
その代わり、言葉の森には、ほかのところでは決してないようなユニークなページもあります。例えば、
●漢字の使い分けのページです。漢字を入れると自動的にルビがつくというプログラムなので、海外で日本語を勉強する人たちに評判になっています。また、小学校の先生方も学年別にルビを振るときに、このページをよく利用しているようです。
■充実した電話指導
言葉の森の指導のユニークな点は、通信教育なのに電話指導があるということです。言葉の森はもともと通学の教室からスタートしたので、その延長で通信指導でも先生と生徒のコミュニケーションを大切にしたのです。
通信教育で電話指導を行う条件として、教材をすべてウェブ化しておく必要があります。言葉の森の教材は、ほぼ毎学期内容を改訂しているので、講師が全学年の教材を即座に見るためには、最新の教材がすべてウェブで見られるようになっていなければなりません。
もう一つ条件は、休講や欠席への対応が必要だということです。電話指導する場合の難問は、講師が急に休んだとき、生徒が急に休んで他の日にふりかえをするとき、電話がうまくつながらないなどのトラブルがあったときに、即座に対応がしなければならないことです。しかも、これらはよく授業開始の直前に発生します。
電話指導の1分前なのに、講師から、「急にパソコンが壊れたので(あるいは電話が故障したので、子供に熱があるので)今日の電話ができない」という連絡が入るときがあります。そうすると、すぐに全国の講師で代講できそうな人を探さなければなりません。
突然の休講や欠席や事故に対応するためには、講師が指導を共有できている必要があります。その週の作文の課題をどう教えるかということ以外に、担当の先生がこれまでにどういう指導して、その子がどういう作文を書いていたのかということを即座に知る必要があるのです。また、全国の講師に連絡して、その場で担当できる人が対応するという体制にするためには、その前提として、講師どうしの助け合いの文化が必要になってきます。
以上のような理由で、通信教育での本格的な電話指導は、ほかの教室ではやっていないのだと思います。
次回は、
■独自の教材
■小1から高3までの指導
■長期的な展望で読む力をつける指導
の3点について説明していきます。
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「作文の丘から」には、2002年から2007年までの生徒のパソコン作文が入っています。(1998年からのものは、
「作文小論文の花」に)
「作文の丘から」には、約2万7千件の作文があり表示がわかりにくくなっていましたので、これを年別に分けて見やすくしました。
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中学生、高校生の暗唱は難しいと思います。一つの理由は、中学生のころからちょうど単純記憶から理屈で理解する記憶に移り変わる時期になるからです。しかし、それよりも大きなもう一つの理由は、暗唱する文章が説明文だということにあります。説明文のために、文章の流れがつかめないというのが、中学生、高校生の暗唱が難しい大きな原因になっています。
事実文は、自然に暗唱の順序が頭に入ります。例えば、こういう文章です。
「あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。すると、川上から大きな桃が……」
このような事実中心の文章は、内容がすべて時系列の映像になるので、順序を間違えることはまずありません。
ところが、説明文は違います。例えば、次のような文章です。
「わずか一粒の種から一万個以上もの実をつけたトマトの巨木がある。遺伝子組み換えなどの新しい技術により、このようなトマトができたのかと想像されるかもしれないが、そうではない。このトマトは、一本の根幹から何千もの枝が分かれて、トマトの実を結ぶ。」
このような説明中心の文章は、それぞれの文の前後が入れ替わっても意味が通じます。文の前後に厳密な必然性がないのです。
しかしこういう説明的な文章でも、歌の歌詞としてならば比較的容易に覚えることができます。それは、文の流れを音の流れとして把握できるからです。
このため、暗唱は、黙って覚えようとするのではなく声に出して自分の耳で聴いて覚えるということが大事です。説明文であっても、何度も反復して音声を聞いていると、自然に覚えることができるようになるのです。
説明文の暗唱を早くできるようにするもう一つのコツは、出だしの言葉をイメージ化して覚えておくことです。
まず、体の一部に順番をつけます。「1番=頭、2番=おでこ、3番=左目……」といった具合です。または、自分が家から学校に行くときの道順でも構いません。「1番=玄関、2番=信号、3番=コンビニ……」という感じです。
あるいは、順番のすでに決まっているものに結びつけることもできます。言葉の森の課題の名前は、植物名のアイウエオ順になっているので、それに結びつけることもできます。
「アカシア、イバラ、ウツギ、エニシダ、オリーブ、カキ、キンモクセイ、クリ、ケヤキ、コブシ、サツキ、シオン、ススキ、セリ、ソテツ、タラ、チカラシバ、ツゲ、テイカカズラ、トチ、ナツメ、ニシキギ、ヌルデ、ネコヤナギ、ノギク、ハギ、ヒイラギ、フジ、ヘチマ、ホオ、マキ、ミズキ、ムベ、メギ、モモ、ヤマブキ、ビワ、ユーカリ、ベニバナ、ヨモギ、ライラック、リンゴ、ルピナス、レンギョウ、ローレル、ワタスゲ、ピラカンサ、プラタナス、ペンペングサ、ポプラ、ガジュマロ、ギンナン、グミ、ゲンゲ、ゴムノキ、ザクロ、ジンチョウゲ、ズミ、ゼニゴケ、ゾウゲヤシ」
言葉の森の広場の名前は動物名になっています。
「アカトンボ、イワツバメ、ウズラ、エミュー、オオムラサキ、ガチョウ、カッコウ、キビタキ、ギンヤンマ、クサヒバリ、グンカンドリ、ケイマフリ、ゲンゴロウ、コオロギ、ゴリラ、サイチョウ、ザリガニ、シジュウカラ、ジラフ、ズグロカモメ、スズムシ、セセリチョウ、ゼブラ、ゾウガメ、ソウシチョウ、タマムシ、チドリ、ツグミ、テントウムシ、トキ、ナイチンゲール、ニイニイゼミ、ヌートリア、ネオンテトラ、ノビタキ、ハナムグリ、ヒグラシ、フラミンゴ、ヘラジカ、ホタル、マツムシ、ミツバチ、ムクドリ、メジロ、モンシロチョウ、ヤマバト、ビーバー、ユリカモメ、ベニシジミ、ヨシキリ、ライチョウ、リス、ルリタテハ、レミング、ロバ、ワタオウサギ、ピパ、プレーリードッグ、ペリカン、ポインター」
(や行は「やびゆべよ」、わ行は「わぴぷぺぽ」としています)
順番をつけたら、文の出だしをその順番にイメージ的に結びつけます。先ほどの「わずか一粒の……」の文章を体に結びつける例で言うと、「輪(「わずか一粒」の「わ」)が頭につきささった」「イノシシ(「遺伝子」の「い」)がおでこにぶつかってきた」「木の実(「このトマトは」の「この」)が左目に入ってきた」などと、イメージ化した言葉を体の一部に結びつけると、出だしの部分をすぐに覚えることができます。
出だしの部分さえわかれば、あとの文は音の流れとして覚えているので自然に口から出てきます。これが説明文の暗唱のコツです。
暗唱のように一見敷居が高そうに見える勉強は、このような方法で「簡単にできた!」という感覚をつかむことが大事です。簡単にできるようになると、おもしろさが分かってきてさらに続けてみようという気になります。(ただし、小学生の事実文はこのような工夫はあまり必要ありません。事実中心の文章はただ音読を繰り返すだけでも覚えることができるからです)
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