昨日の物語文に引き続き、今日は、開成中学の国語の入試問題のうち説明文の推測です。
あくまでも推測ですので、正式の入試問題ではありません。
しかし、これを作ったあと、実際の入試問題を見たら(笑)、大体同じようなものでした。
■説明文
「歴史に『もしも』はない」というのはよく口にされる言葉です。
たしかに、「起きなかったこと」は起きなかったことですから、「起きなかったこと」なんか考えてもしかたがないのかも知れません。
でも、どうして「あること」が起きて、「そうではないこと」は起きなかったのか。その理由について考えるのはなかなかにたいせつな知性の訓練ではないかと私は思っています。
どうしてかというと、過去の「(起こってもよかったのに)起こらなかったこと」について想像するときに使う脳の部位は、未来の「起こるかもしれないこと」を想像するときに使う部位とたぶん同じ場所のような気がするからです(解剖学的にはどうか知りませんけれど)。
歴史の勉強をすると、「出来事Aがあったために、出来事Bがその後に起きた」というふうに書いてあります。歴史的事件はまるで因果関係に基づいて整然と配列されているかのようです。けれども、ほんとうにそうなのでしょうか。というのは、私たちの世界で今起きている出来事の多くは「そんなことがまさか現実になるとは思いもしなかったこと」だからです。
例えば、第二次世界大戦が始まる前に、ヨーロッパはいずれフランスとドイツを中心とした国家連合体になり、パスポートも国ごとの通貨もなくなるだろうと予測していた人はほとんど存在しませんでした。同じように、太平洋戦争が始まった頃に日米の緊密な同盟関係が戦後の日本外交の基軸になると予見していた人もほとんど存在しませんでした。
でも、「そういうこと」がいったん現実になってしまうと、みんな「そういうこと」が起こるのは必然的であったというようなことを言います。
でも、歴史上のどんな大きな事件でも、それを事前に予見できた人はいつでもほとんどいません。
同じことが未来についても言えるだろうと私は思います。
私たちの前に拡がる未来がこれからどうなるか、正直言って、私にはぜんぜん予測ができません。わかっているのは「あらかじめ決められていた通りのことが起こる」ということは絶対にないということだけです。後になってから「きっとこうなると私ははじめからわかっていた」と言う人がいても(たくさんいますが)、私はそんな人の話は信じません。
未来はつねに未決定です。
今、この瞬間も未決定なままです。
一人の人間の、なにげない行為が巨大な変動のきっかけとなり、それによって民族や大陸の運命さえも変わってしまう。そういうことがあります。歴史はそう教えています。誰がその人なのか、どのような行為がその行為なのか。それはまだ私たちにはわかりません。ということは、その誰かは「私」かも知れないし、「あなた」かも知れないということです。
過去に起きたかもしれないことを想像することはたいせつだと私は最初に書きました。それは、今この瞬間に、私たちの前に広がる未来について想像するときと、知性の使い方が同じだからです。
歴史に「もしも」を導入するというのは、単にSF的想像力を暴走させてみせるということではありません(それはそれで楽しいことですけれど)。それよりはむしろ、一人の人間が世界の運行にどれくらい関与することができるのかについて考えることです。
私たちひとりひとりの、ごくささいな選択が、実は重大な社会的変化を引き起こす引き金となり、未来の社会のありかたに決定的な影響を及ぼすかもしれない、その可能性について深く考えることです。もしかするとほかならぬこの自分が起点になって歴史は誰も予測できなかったような劇的な転換を遂げるかもしれない。
そういう想像をすることはとてもたいせつです。
【■2】何より、「私ひとりががんばって善いことをしても、何が変わるわけでもない」とか「私ひとりがこっそり悪いことをしても、何が変わるわけでもない」というふうに自分の歴史への参与を低く見積もって、なげやりになっている人に比べて、今この瞬間においてはるかに人生が充実しているとは思いませんか。
「もしも歴史が」(内田樹の文章より)
■問一、著者は歴史がどのようなもので、歴史に「もしも」を考えることがどのような役割を持つと考えているか。八〇字以上一〇〇字以内で書きなさい。
……歴史は必ずしも因果関係で結ばず、かつてどのような可能性があったのかを考えることが未来に繋がり、歴史に「もしも」を導入することで、個人が世界の運行にどれくらい関与できるかについて考えることができるから。
■問二、【■2】「何より、『私ひとりががんばって善いことをしても、何が変わるわけでもない』とか『私ひとりがこっそり悪いことをしても、何が変わるわけでもない』というふうに自分の歴史への参与を低く見積もって、なげやりになっている人に比べて、今この瞬間においてはるかに人生が充実しているとは思いませんか。」という著者の意見に対して反論を述べるとしればどのようなことが言えるか。あなたが反論すると考えて自由に一〇〇字以上一三〇字以内で書きなさい。
……歴史や政治などという大きなものを背負うことが個々人の幸せになるとは限らない。歴史上、勝者もあれば敗者もあり、社会の仕組みや歴史は常に支配者の都合のよいようにつくられる。大きな政治・歴史よりも、個々人がいかに幸せを暮らすことができるかという社会を目指すべきであろう。
※その他の問題は省略。
※解答例はインターエデュのページのものを使わせていただきました。
http://www.inter-edu.com/nyushi/2010/kaisei/jap.php
2010年の開成中学の国語試験の解答がインターエデュなどで掲載されています。
http://www.inter-edu.com/nyushi/2010/kaisei/jap.php
しかし、問題文がないので、何がなんだかよくわかりません(笑)。
そのうち、問題もどこかで発表されるると思いますが、とりあえず解答から推測して問題を作りました。ですから、これは正式の問題ではありません。あくまでも推測です。
開成中の物語文は、屈折した心理を問うのが特徴のようです。
説明文の問題の方は、また明日にでも。
■物語文
嘘は私もしじゆう吐いてゐた。小學二年か三年の【■1】雛祭りのとき學校の先生に、うちの人が今日は雛さまを飾るのだから早く歸れと言つてゐる、と嘘を吐いて授業を一時間も受けずに歸宅し、家の人には、けふは桃の節句だから學校は休みです、と言つて雛を箱から出すのに要らぬ手傳ひをしたことがある。また私は小鳥の卵を愛した。雀の卵は藏の屋根瓦をはぐと、いつでもたくさん手にいれられたが、さくらどりの卵やからすの卵などは私の屋根に轉つてなかつたのだ。その燃えるやうな緑の卵や可笑しい斑點のある卵を、私は學校の生徒たちから貰つた。その代り私はその生徒たちに私の藏書を五册十册とまとめて與へるのである。集めた卵は綿でくるんで机の引き出しに一杯しまつて置いた。すぐの兄は、私のその祕密の取引に感づいたらしく、ある晩、私に西洋の童話集ともう一册なんの本だか忘れたが、その二つを貸して呉れと言つた。【■2】私は兄の意地惡さを憎んだ。私はその兩方の本とも卵に投資して了つてないのであつた。兄は私がないと言へばその本の行先を追及するつもりなのだ。私は、きつとあつた筈だから搜して見る、と答へた。私は、私の部屋は勿論、家中いつぱいランプをさげて搜して歩いた。兄は私についてあるきながら、ないのだらう、と言つて笑つてゐた。私は、ある、と頑強に言ひ張つた。臺所の戸棚の上によぢのぼつてまで搜した。兄はしまひに、もういい、と言つた。
學校で作る私の【■3】綴方も、ことごとく出鱈目であつたと言つてよい。私は私自身を神妙ないい子にして綴るやう努力した。さうすれば、いつも皆にかつさいされるのである。【■4】剽竊さへした。當時傑作として先生たちに言ひはやされた「弟の影繪」といふのは、なにか少年雜誌の一等當選作だつたのを私がそつくり盜んだものである。先生は私にそれを毛筆で清書させ、展覽會に出させた。あとで本好きのひとりの生徒にそれを發見され、私はその生徒の死ぬことを祈つた。やはりそのころ「秋の夜」といふのも皆の【■5】先生にほめられたが、それは、私が勉強して頭が痛くなつたから縁側へ出て庭を見渡した、月のいい夜で池には鯉や金魚がたくさん遊んでゐた、私はその庭の靜かな景色を夢中で眺めてゐたが、隣部屋から母たちの笑ひ聲がどつと起つたので、はつと氣がついたら私の頭痛がなほつて居た、といふ小品文であつた。此の中には眞實がひとつもないのだ。庭の描寫は、たしか姉たちの作文帳から拔き取つたものであつたし、だいいち私は頭のいたくなるほど勉強した覺えなどさつぱりないのである。私は學校が嫌ひで、したがつて學校の本など勉強したことは一囘もなかつた。娯樂本ばかり讀んでゐたのである。うちの人は私が本さへ讀んで居れば、それを勉強だと思つてゐた。
しかし私が綴方へ眞實を書き込むと必ずよくない結果が起つたのである。父母が私を愛して呉れないといふ不平を書き綴つたときには、受持訓導に教員室へ呼ばれて叱られた。「もし戰爭が起つたなら。」といふ題を與へられて、地震雷火事親爺、それ以上に怖い戰爭が起つたなら先づ山の中へでも逃げ込まう、逃げるついでに先生をも誘はう、先生も人間、僕も人間、【■6-1】いくさの怖いのは同じであらう、と書いた。此の時には校長と次席訓導とが二人がかりで私を調べた。どういふ氣持で之を書いたか、と聞かれたので、私はただ面白半分に書きました、といい加減なごまかしを言つた。次席訓導は手帖へ、「好奇心」と書き込んだ。それから私と次席訓導とが少し議論を始めた。先生も人間、僕も人間、と書いてあるが【■6-2】人間といふものは皆おなじものか、と彼は尋ねた。さう思ふ、と私はもぢもぢしながら答へた。私はいつたいに口が重い方であつた。それでは僕と此の校長先生とは同じ人間でありながら、どうして給料が違ふのだ、と彼に問はれて私は暫く考へた。そして、それは仕事がちがふからでないか、と答へた。鐵縁の眼鏡をかけ、顏の細い次席訓導は私のその言葉をすぐ手帖に書きとつた。私はかねてから此の先生に好意を持つてゐた。それから彼は私にこんな質問をした。【■7】君のお父さんと僕たちとは同じ人間か。私は困つて何とも答へなかつた。
「思い出」(太宰治)より
【■1】雛祭りを別の言葉の漢字二語で書きなさい。……節句
【■2】「私は兄の意地惡さを憎んだ」のはなぜか。四〇字以内で答えなさい。
……卵を手に入れるために蔵書と交換していたことを知りながら、すでに手元にない本をわざわざ読みたいという言うから。
【■3】「綴方」は、現代の言葉で何と言いますか。……作文
【■4】「剽竊」の意味を書きなさい。……他人の作品をそのまままねること。
【】この文章で著者は二とおりの綴方の書き方を対比して考えています。それはどういうものですか。
……ほめられるために嘘を書くこと
……真実をそのまま書くこと
【■5】「先生にほめられた」とあるが、その綴方のどういう内容がほめられたか。三〇字以内で書きなさい。
……頭が痛くなるほど勉強したうえに、月を愛でる風流さ
【■6-1】作文に書かれた「いくさの怖いのは同じであらう」に対して、訓導が【■6-2】「人間といふものは皆おなじものか」と聞いたのは、どういうことを言いたかったからか。四〇字以上五〇字以内で書きなさい。
……おまえは臆病で戦争が怖くて逃げるのかもしれないが、他の連中は恐れず勇ましく戦いに挑むのだ。
【■7】「君のお父さんと僕たちとは同じ人間か」のあと、訓導は何を言おうとしたか。自由に想像して一五字以内でその言葉を書きなさい。
……そもそも人はそれぞれ違う。