低学年から言葉の森を始めた方がいいのですか、という質問をよく受けます。
この記事は、
「低学年から始める国語力対策」というタイトルで以前ほかのページに書いていたものですが、ホームページの記事としても検索しやすいように再度掲載しました。
「国語力がないから、社会や理科もすぐに理解できないようです。」
「計算は得意なのですが、算数の文章題が苦手です。」
「国語の記述問題がいつも白紙で困っています。」
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これらは、いずれも、小学校高学年以上の保護者の方からの問い合わせです。なぜ、このようなことが起こるのでしょうか。それは、低学年のうちから読んだり書いたりする勉強をおろそかにしてきたからです。
実は、この読み書きの力は、「国語」という教科の枠をこえ、すべての教科に関わる非常に大事な力なのです。国語力は、一朝一夕で身につくものではありません。毎日の生活の中で、地道に積み上げていかなければならないものです。
しかし、いったん身につけた国語力は、失われることなく、ずっと維持できます。これが国語力の特徴です。だからこそ、低学年のうちから最優先で取り組んでいく必要があるのです。
言葉の森では、読む勉強と書く勉強を並行して行っています。
低学年のうちは、読むことと書くことに慣れることが目標です。最初のうちは、長文音読もたどたどしく、作文も1行書くのがやっとというようなことも少なくありません。ここで大切なのは、ほめることです。保護者の方が不安に思われるのもよくわかります。でも、注意するのは逆効果です。
読むのも書くのも得意なのだという暗示をかけることが大事なのです。どの子供もその子供なりのペースで、必ず国語が得意になるはずなのです。たとえ、作文が1行しか書けなかったとしても、自信を持ってほめることです。
ほめられながら力をつけてきた子供は、自分は読むことや書くことが得意なのだという思いがあるので、その後も国語の勉強に積極的に取り組みます。中学年から始まる、長文の感想文課題も難なくこなしてしまいます。
逆に、注意され続けてきた子供は、読むことや書くことに苦手意識を持ってしまいます。一見整った作文を書いているように見えても、それは、素直な気持ちのこもった、その子らしい感性豊かな作文ではありません。
実際、作文が不得意ということで言葉の森に来る中学年の生徒は、自分が一生懸命書いた作文を注意されたことがトラウマになっている場合が多いです。
国語力は成長とともに自然に身につくものではありません。低学年のうちから、読むこと、書くことを生活の中に組み込んでおく必要があります。
こうして身につけた国語力は、受験のみならず、社会に出てからも、さまざまな場面で役に立ちます。毎日の10分間暗唱と週に一度の作文で、この一生の宝となる国語力を身につけることができるのです。
言葉の森の勉強は、ひらがなが書けるようになったら始められます。
現在の世界の政治経済状況は、次のようになっています。
中国は、輸出の不足を内需の拡大で補おうとして、バブル経済になりつつあります。中国のバブルが崩壊すれば、中国は保有しているアメリカの国債を売却せざるを得ません。米国が破綻を免れようとすれば、日本が肩代わりすることになるでしょう。
このシナリオはやむをえないとしても、その条件として、日本は、アメリカと対等な国家となること約束させるべきだと思います。
そのあと、日本では、食料品などの必需品は高騰します。教育費、交通費、家賃、衣料品などの日常品は、細々と回転していきます。奢侈品や高額品は、もう売れません。ワークシェアリングでも限界があります。そこで、大量の失業圧力が日本経済を襲うようになります。
これをかつてのように農業が吸収することはもはやできません。また、農業が吸収したとしても、その後の展望がありません。土木建築への公共投資も、過去に向けての投資でしかありません。
そこで考えられるのが、新「米百俵」政策です。今後の政策は、新しい雇用を創出するとともに、未来に投資することが大事なのです。
現在、日本の小中高生は1500万人です。これを100万人の教員が教えています。1人の先生が15人の生徒を見る形になっているのです。そして、これが必ずしもうまく機能していません。
この教育体制を、もし1人の教員が5人の生徒を教える形に改善するならば、300万人の教員が必要になり、差し引き200万人の雇用が生まれます。もし1人の教員が3人の生徒を見る形にするならば、500万人の教員が必要になり、400万人の雇用が生まれます。しかも、新たに教員になった人たちの研修や教材開発などで経済の波及効果があるので、さらに大きな雇用を生み出すことができます。
そして大事なことは、この結果、日本の子供たちに落ちこぼれがなくなることです。日本の子供たち全体の学力が向上し、ある分野で優れた子は、特にその才能を伸ばす教育を受けることもできます。また、学力だけでなく、人間性や感受性を育てる教育も充実するでしょう。この子供たちが、未来の日本を支えていくのです。
当面、現在の学習塾の教員などが学校に入ることも考えられますが、基本は、一般の国民が自分の力量や得意分野に応じて学校に入っていくことです。
しかし、教科の学習は、この超少人数教育で急速に向上するはずですが、国語に関しては、学校で学力が向上するわけではありません。家庭での日常生活における国語力育成が必要になります。国語に関しては、少人数教育とともに家庭教育のノウハウも必要になってきます。
しかし、いずれも根本的な障害となるものは何もありません。以上の提案は、今すぐにでも実行可能です。
経済情勢が逼迫してからではなく、今からこの新「米百俵」政策に向けて手を打っていくことが大事です。このページをごらんになったみなさんは、ぜひこの提案を広めていっていただければと思います。