勉強というと、ひとりでポツンと机に向かって取り組むイメージがあります。たまに、子供が、ひとりで勉強していてわからないことをお父さんやお母さんに質問すると、お父さんかお母さんがちょっと面倒そうに教えます。そして、「何で、こんなこともわからないの」などと言うこともあります(笑)。
ところが、作文の勉強は少し違います。それは、対話が可能な勉強なのです。ただし、うまくやるための工夫は必要です。その工夫とは、作文の書き方に関する批評はせずに、その作文に書かれている内容を認めてあげることです。
言葉の森の作文の勉強における対話の第1は、音読と暗唱です。例えば、朝の食事の前の時間に、食卓で子供たちが大きな声で暗唱をします。子供たちの元気な暗唱は、聞いていても楽しいものですが、暗唱する当の子供たちも10分間で達成感のある勉強ができるのが楽しいものなのです。
その暗唱の長文が、対話の種になります。テレビの番組を見て話題にすることはよくありますが、子供の読んでいる文章を家族の対話の材料にする方が更に話がはずみます。暗唱以外に、課題の長文を1ページ音読している子もいると思います。課題の長文は、更に豊富な話題を提供してくれます。
対話の第2は、作文です。小学校1、2年生までは自由な題名ですから、どこかに遊びに行ったり、面白い出来事があったりしたときに、作文の材料として使うことができます。また、普段の何気ない日常生活の中でも、身近なものをたとえを使って表現する遊びができます。たとえを作る能力とダジャレを作る能力は共通していますから、日常生活でダジャレを使うことも、子供の言語感覚を育てることにつながります。
小学校3年生以上は題名が決まっている課題なので、次の週の課題に合わせて、作文に書く材料を準備することができます。例えば、「虫をつかまえたこと」「玉子焼きを作ったこと」などの題名の場合は、その題名に合わせて実際に経験をしてみることもできます。また、「がんばったこと」「初めてできたこと」などの一般的な題名でも、家族で話題をふくらませていくことができます。例えば、「初めてできたこと」などという題名の場合は、次のような話ができるでしょう。
父「来週の課題は、『初めてできたこと』か。お母さんは、どんなことがあった」
母「そうねえ。小学生のとき、初めて自転車に乗れたときが感動的だったわねえ」
子「あ、ぼくも、それある、ある」
父「お父さんが初めて自転車に乗ったときは、そのまま曲がれなくてへいにぶつかったなあ」
子「へえ」(笑)
母「いなかにいるおじいちゃんにも、電話で聞いてみようか」
作文の勉強における対話の第3は、書き上がった作文についてです。しかし、ここで大事なことは、書き方の注意や批評はしないことです。子供が書いたものに注文をつけるのではなく、書かれている内容に共感して読んであげることが大切です。
中学生になると、子供は親とはあまり話をしなくなります。それは、子供が内面的な成長をしている時期なので、話をしないことが、ある意味で子供の成長にとって必要な時期でもあるのです。しかし、小学生のときまでに家族でたっぷり対話をしていれば、中学生や高校生になっても、必要なときにいつでも心をこめた話をすることができるようになります。
高校生で作文が上手な子も、小学生のころは普通でした。
幼稚園年長から小学1、2年生にかけて、作文のすごく上手な子がいます。このような子をどう指導したらいいのでしょうか。
この子たちがなぜ上手なのかというと、本が好きで、読んだ本の文体や語彙がすっかり身についているからです。つまり、自分で書いているというよりも、読んだ本の文体で書いているのです。これは、いい意味での模倣ですが、本人にとってはごく自然に自分の言葉として出てくるので、模倣という意識はありません。
しかし、こういう子供たちも、成長とともに自分らしさが出てきます。すると、これまでの本の文体から抜け出そうとして、一時的に作文が下手になることもあります。そして、また新しい内容に合った新しい文体の模索が始まります。このようにして模倣と模索を繰り返して次第に自分の文体ができてくるのです。
ですから、小学1、2年生で作文の上手な子を、もっと上手にさせようとは考えないことです。その時代の表現を楽しむとともに、文章を書く習慣を継続し、学年が上がったときに必要な文章力をつけていくという展望で考えていく必要があります。
しかし、もちろんただ書かせるだけではなく、上手な子には、次のような点に留意しながら指導していきます。
第1は、体験です。作文に書く題材となる自分らしい体験を増やしていくことです。
第2は、取材です。作文に書く題材を広げるために、両親や祖父母に取材したり、関連する事柄を調査したりすることです。
第3は、観察です。作文に書く対象をよく観察して、自分の目や耳を使って書くことです。
第4は、比喩です。自分が書き表そうとする対象を自分らしいたとえで表現することです。
第5は、感想です。自分が心の中で思ったことを、できるだけ自分らしい感想として書いていくことです。
つまり、上手な子の指導は、作文の書き方以外の指導という面が大きくなるのです。
高校生で、作文が好きで上手な子がいます。その子たちのほとんどは、小学生のころ普通に上手という程度の作文を書いていました。つまり、書くことが楽しいという程度に上手な作文であって、決して目を見張るように素晴らしく上手な作文を書いていたわけではありません。
そういう普通に上手な子供たちが、中学生のころから少しずつ書き方を変化させて、高校生になると高校生の思考力にあった読書力と文体を身につけて上手に書く力をつけていきました。小学生の上手さの延長ではなく、それぞれの年代に応じた読書力と思考力を身につけて、上手さの内容を変化させつつ成長していったのです。
小学校低学年のころの作文の上手さは、低学年の子供のかわいらしさと似ています。低学年のころのかわいさがそのまま成長するのではなく、途中で反抗や脱線があって、親をときどき困らせて(笑)、だんだんと自分らしい個性と魅力のある人格になって成長していくのです。
では、逆に、小学校1、2年生ですごく下手な子の指導はどうしたらいいのでしょうか。これは、心配いりません。低学年のころは、みんな似たり寄ったりで作文が下手です。コンクールに入選するような上手な子と比較するから下手に見えるのであって、もともとは下手な方が自然なのです。
こういう子供たちの指導は、第1に自信を持たせること、第2に読む力をつけることです。書くことを直接指導するのではなく、書くことの土台となるところに力を入れていくことが大事です。何を書いても、いいところを見つけて褒めてあげて、その一方で毎日、暗唱と読書を気長に続けていくことです。
褒めることと読むことを気長に続けながら作文を書いていると、代り映えのしない状態がいつまでも続くように見えますが、やがて、ある日ふと忘れたころに、「あれ、いつのまにか上手になっていた」と気がつくのです。