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「進学塾不要論」(水島酔著 ディスカヴァー)という本を読みました。以下は、その内容の紹介です。
塾に通ってよくなる子は1割、残りの9割は何らかのかたちで悪くなる、と著者は述べています。大量の宿題によって、考えずに問題をこなすようになると、本来わかっていた勉強もわからなくなり、また、そのような間違った学習スタイルが身につくと、その後の勉強にも悪い影響を与えるというのです。
なぜ塾が大量の難しい宿題を出すかというと、ひとつは、宿題についてはコストがかからないという営業上の理由からです。もうひとつは、大量の宿題と難問を出すことによって、生徒のふるい分けができるからです。
なぜふるい分けをするかというと、成績のいい順に難関校を受験させて合格実績を上げるためです。このため、受験の直前になるまで過去問を解かせないという塾もかなりあります。本当に志望校の合格を考えるなら、早めに過去問をやるのが正解ですが、ふるい分けのための手段として考えるならば最後の仕上げとしてやることになるからです。
そして、この合格実績というのも、結局、その塾に通うから合格するのではなく、もともと合格する力のある子を集めているだけというのが正直なところです。
偏差値60までの受験は、学校の勉強がしっかりできていれば十分というのが著者の考えです。
著者の水島氏は、自分でも学習塾を運営しているので、書かれている内容に説得力があります。著者のいう「よい塾」の条件は、「宣伝をしていない」「チェーン展開をしていない」「一科目でも受講が可能である」です。中でも、宣伝が多いか少ないかはわかりやすい指標になると思います。
学習塾の実態にくわしい人は、このようなことを考えているのだということ前提にした上で、自分の子供にどういう教育をするかを考えていく必要があります。
以上の予備知識をふまえた上で、学力別の勉強の仕方を説明します。
まず、実力の高い子は、塾に行ってもとりあえず問題なく勉強を進めています。これらの子供たちは、大学合格を目標とするのではなく、合格後の将来の社会生活の目標を普段から考えさせていくとよいと思います。そのためには、ハングリー精神を持たせることです。将来、安定した高収入の仕事につけばいいというのではなく、日本のリーダーとなる気概を持って創造的な仕事をすることを子供のころから求めていくことです。
次に、実力の普通な子は、学習塾のペースに乗せて勉強をあおらないことです。大量の宿題をやらせて考える力をなくすのではなく、読書の時間を確保して自分なりに考える習慣を育てていくことです。小中学生のころは、まだ人に言われてやる勉強ですが、いずれ必ず本人が自覚して勉強するようになる時期が来ます。その足固めのための学力をつけておくというのが、小中学校時代の勉強の位置づけです。成績を上げることにとらわれるのではなく、実力をつける勉強に取り組んでいってください。
最後に、勉強の苦手な子は、塾には頼らず、家庭で力をつけていくのが基本になります。苦手な子についても、勉強の方法はシンプルです。国語については読書です。英語は、教科書の音読と暗唱です。算数数学は、1冊の問題集を100%できるようになるまで繰り返すことです。
いずれの場合も大事なことは、学習塾の方針を鵜呑みにするのではなく、親が自分の目で見て子供を育てていくことです。これは、何度言っても言いすぎにならないことですが、子供がテストを持って帰ってきたとき、点数だけを見て一喜一憂する親が多すぎます。ほとんど子供と同じレベルです(笑)。点数を見たあとに、必ず問題の内容を見て、子供がどこができなかったのかを知ることが大事です。そして、できれば、お母さんやお父さんが一緒にその問題を解いてみて、子供がどうしてできなかったのかを理解することです。そうすれば、勉強は、もっと地に足のついたものになっていくと思います。
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水島先生は次のようなことも述べておいでます。書くことや読書がきらいになる弊害をきたすくらいなら、子供に作文や読書感想文を強要しないほうがよい、読解力さえあれば高校生くらいになれば自然に書けるようになる、と。しかしたとえ小学生であっても、自分の体験したことを、下手でも記録に残すことは意味あるように思うのですが。無理強いしないことが大事ということでしょうか。
方法論なしに作文や読書感想文を教えたら、作文も読書も嫌いになる可能性が高いです。だから、一般的にはそう言えます。特に、家庭で親が子に作文を教えるのは難しいと思います。
言葉の森の場合は、長年の蓄積に基づいた方法論があるので、小1から高3まで続けても大丈夫です。
ただし、読む力をつけないと作文がマンネリ化するので、暗唱+読書+作文ということでやっていくのが大事です。
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通信で授業を受けている言葉の森の月・火・水の生徒のみなさんにご連絡します。
3.4週の読解問題は、課題フォルダに載っていないので、3.3週と3.4週の「山のたより」に載せます。
しかし、月・火・水の生徒のみなさんには、3.3週の山のたよりに、2月の読解問題を載せてしまいました。
3.4週の山のたよりに、正しい3月の読解問題を載せますので、3.4週の「山のたより」を見て3月の読解問題をやってください。
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言葉の森で勉強をしていた子が、大きくなってから教室に相談に来ることがあります。担当の先生のところにも、やめたあとに近況を時々連絡をしている子がいます。
作文の勉強は、心の交流という面があるので、先生と生徒の間に信頼関係を作りやすいようです。未来の教育のあり方も、ここから考えることができます。
子供は、勉強をするとき、勉強を通して大人の生き方を学びます。その大人は、必ずしも先生である必要はありません。昔だったら丁稚奉公先の主人、現代なら勤め先の上司や先輩がその役割を果たすこともあります。また、子供たちの周囲に、大人はたくさんいます。しかし、先生という役割は、子供と最も容易に接することができる立場です。
この場合、先生が必ずしも立派な人格者である必要はありません。それは、親が必ずしもそうでないのと同様です。しかし、先生や親は、子供にとって立派であろうという意識があります。それが大事なのです。子供が何かに困っていたら、力になりたいという意識を自然に持つことのできる大人、これが親であり先生であるのです。
しかし、今の学校や塾の体制の中では、先生は生徒にとっての先生である前に、勤務先にとっての勤務者です。何年かたって転勤になったり転職したりすれば連絡もとれなくなり、信頼関係はなかなか築けません。
また、学校や塾の先生は、勉強を能率よく教えるという技術面を主に提供することが求められています。生徒との人格的な触れ合いは、親からも生徒からももともと求められていません。だから、生徒の方も、「あの先生の授業はおもしろい」「つまらない」というところで接するだけで、困ったことがあったら相談したいという気持ちは出てきません。
そこで出てくるのが、地域に根ざした教育です。先生が、学校や塾というゲゼルシャフト(利益共同体)ではなく、地域というゲマインシャフト(地縁共同体)に属していれば、生徒との関係はもっと永続的になります。小学校低学年のころからその先生に教わった子は、中学生になっても、高校生になっても、大人になっても、いつでも生徒と先生という関係で話ができるようになります。
この場合、先生が生徒よりも能力的に上であり続ける必要はありません。それは、親が子供に対してそうであるのと同様です。しかし、成長した子供に対して、親や先生という立場で話すことができる人がいるということが大事です。ある年齢を超えると面と向かって注意してくれる人は社会にはいなくなります。しかし、親や先生ならそれができます。少なくとも、そういう役割を持てる人がいるということが重要なのです。
未来の教育は、グローバリズムの対極にあるローカリズムの教育になるでしょう。グローバリズムの教育の典型は、放送授業のようなものです。人気のある講師の授業が、テレビで自宅にいながらにして見られるというのは能率的ですが、それはテレビを使った教育ではなく、ただのテレビです。勉強の技術的な能率だけを考えたもので、先生と生徒の接触というものはありません。
ローカリズムの教育とは、昔の寺子屋教育のようなものです。また、インディアンの社会で言えば、長老が子供たちに行う教育のようなものです。
今後、小中学生の教育は、学校や塾が行うものではなく、地域が行うものになっていくでしょう。教材は、グローバルなものを生かしつつ、先生という人間はあくまでもローカルなものにとどまるということが、子供たちの成長にとっていちばんよいことだからです。
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前回の「
●解く勉強より読む勉強が国語力をつける」は、問題集読書の意義にあたる部分です。今回は、問題集読書の方法について説明します。
問題集に載っている文章には、悪文のものもありますが、総じてよい文章が多いものです。そのため、問題集は、国語力をつける読書のエッセンスになります。しかし、もちろんそれが読書のかわりになるというわけではありません。
(1)問題集読書は、黙読で読みます。音読だと、読むのに負担が大きくなり長続きしなくなるからです。
(2)面白いところに傍線を引きながら読みます。借りた本の場合は、付箋をつけながら読みます。これは、再読のときにも役に立ちますし、問題を解くときにも役に立ちます。
国語の試験の問題文をきれいに読む子がいますが、文章を読む問題は、必ず問題文に線を引きながら読む習慣をつけていきます。これは、英語の問題文を読む場合も同様です。
(3)言葉の意味でわからないものがあったら、近くにいる人に聞きます。辞書で調べる必要はありません。どうしてかというと、手軽にできて長続きすることが大事だからです。辞書をで引く場合は、読んでいる途中で引くよりも、読んでいるときは印だけをつけておき、全部読み終えてからまとめて調べるようにします。
(4)問題文は読みますが、問題は一切解きません。問題を解く勉強は、実力をつける勉強ではなく、勝負に慣れるための勉強にすぎないからです。これが、国語の問題が、数学などの問題とは根本的に性質の違うところです。
(5)問題文に空欄などがあった場合は、飛ばして読みます。答えを入れて読む必要はありません。空欄があっても、文脈から読んでいけば内容は把握できるようになっています。
(6)1日の所定のページを読み終えたら、傍線や付箋のところを参考にして四行詩を書きます。四行詩は、「
●問題集読書の四行詩の書き方」を参考にしてください。小学校高学年以上の生徒は、「詩を書く」と説明するだけでその雰囲気がわかるので、すぐにリズム感のある四行詩が書けます。複数の文章を読んでいる場合は、その中のひとつにしぼって四行詩を書きます。
(7)1冊の問題集は、4回以上繰り返して読みます。問題集を最後まで読み終えたら、また最初に戻ります。1つの文章を続けて4回読むのではなく、全部の文章を読み終えたあと、また最初に戻って読むということです。
(8)傍線や付箋は、繰り返すたびにだぶるような形になります。1回目に傍線を引いたところを読んだときに、1回目の傍線で十分だと思えば2回目の傍線を引く必要はありません。2回目に読んだときにも更に傍線を引いておきたいと思ったところは、1回目と重ねて傍線を引きます。したがって、2回目の傍線は、1回目の傍線よりもずっと少なくなります。2回も3回も同じところに傍線を引くというのは、そこが自分にとって特に印象に残ったところだということです。
問題集読書に限りませんが、よく、本を無理に読ませて読書嫌いになりませんかと聞く人がいます。そういうことは、ありません。本には、読み手を引きつける力がありますから、読んで実力がついてくれば必ず本を好きになります。ただし、本人の読む実力に比べてあまりに難しい本は、楽しさよりも苦痛の方を大きくしてしまうので、適度な難しさということも大事です。
難しい本を読ませるときに生じる問題は、難しい本はどうしても読む量がはかどらないので、そのために易しく面白い本を読む時間も少なくしてしまうことです。読書は、山頂を高くすることも大事ですが、裾野を広げることもそれ以上に大事です。裾野となる読書で普通の語彙を実感をもって読めるようになるからこそ、難しい語彙のある本も味わいながら読むことができるのです。難しい本を読むためには、易しく面白い本もたっぷり読んでおく必要があります。
子供たちの多くは、ある本を読み終えるまで、ほかの本は読めないと律儀に考えます。そういうことはありません。読書は、何冊も並行して読んでいくことができます。この並行読書に役立つのも、付箋読書です。付箋を見るとどの本をどこまで読んでいるか一目でわかるので、途中からすぐに続きを読むことができます。
小学校低中学年から問題集読書をさせるのは、あまりよくありません。そのころは、楽しく読める本がたくさんあります。小学校高学年までは、勉強のために読むのではなく、読書の楽しさを味わうために読むのが大事な時期です。小学校低中学年で楽しく多読して読書力の裾野を広げておくからこそ、高学年で難しい文章も読むことができるようになるのです。
小学校低中学年で国語の問題集を解かせるのは、更に意味がありません。そのころは、楽しく遊んだり楽しく本を読んだりすることによって、実感の裾野を広げていく時期だからです。
また、小学校高学年や中学生や高校生でも、問題集読書をしているから、普通の読書はしなくてよいというのではありません。受験勉強が多忙になってくると、普通の本を読む時間がなかなかとれなくなるので、そのかわり密度の濃い問題集読書で読む力をつけておくということです。
実力のある子は、受験勉強の最中でも時間を見つけては短時間の読書をしています。読書の原点は、子供がもっと自分を知的にも精神的にも成長させたいと思う内在的な意欲にあります。そういう読書がその子の本当の実力になっていきます。
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(4)問題文は読みますが、問題は一切解きません。
とありますが、設問は読まないのでしょうか。
設問も読みません。問題文を読んでいくだけです。勉強というよりも、読書のような感じでやっていってください。
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国語力をつけるには、解く勉強ではなく読む勉強をすることが大切です。だから、国語の勉強は家庭学習に向いているのです。塾に行って本を読むだけでは、授業らしくならないからです。
国語の勉強は、家庭学習で十分です。その家庭学習も、小学生では特に、ドリルよりも読書が勉強の基本になります。よく、問題を解く宿題の時間が多くて読書ができないという子がいます。解く勉強ばかりしていると、頭が悪くなります。
勉強には、実力をつけるための勉強と、勝負に勝つための勉強とがあります。問題を解く勉強は、実力が変わらないことを前提にした、勝負に勝つための勉強です。
勝負のための勉強は、受験勉強の最後にすればよい勉強です。例えば、国語の問題の解き方は、1時間もあれば説明できます。
●センター試験国語の解説に問題の解き方が載っています。
その子が解いた模擬試験や志望校の過去問の問題をもとに、1時間も説明すると、どの子も国語の成績が急に上がります。しかし、それは最後の仕上げにする勝負のための勉強です。普段の勉強でいちばん大事なのは、実力をつけるための勉強です。それが読む勉強です。
さて、では、どういう本を読んだらよいのでしょうか。ひとつは、易しい面白い本で多読をすることです。これは、その子の実感の持てるところで語彙の手足を増やすことにつながります。これが国語力の裾野になります。
例えば、「かいけつゾロリ」という子供たちに人気のある本で、「そのとき、ゾロリはひらめいたのです」「イシシとノシシは、顔を見合わせました」という表現があったとします。子供たちは、面白おかしく笑いながら読んでいるうちに、「ひらめいた」「顔を見合わせた」という語彙を実感をもって味わいます。このことによってこれらの語彙が豊かな手足を持つことになります。語彙の豊かな実感の裾野があるから、難しい本になったときも、文章を味わって読むことができるようになるのです。
多読とは異なるもうひとつの読書は、難読(難しい本を読むという意味で使っています)です。これが、国語力の頂上を高めることになります。また、この難しい文章が、実際の入試問題に出ます。「かいけつゾロリ」は入試問題には出ません(笑)。特に、受験前の1年間は、難読を中心に頂上を引き上げることが中心になります。しかし、低中学年で難読をさせると、易しい面白い本で多読をするという裾野を広げる勉強ができなくなります。
次回は、問題集読書の方法です。
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構成図は、言葉の森では、小学3年生から書いています。音声入力は、通学教室で中学生以上の生徒が行っています。音声入力は、小学校高学年でもできると思います。
書く時間がとれないときでも、10分間で1200字程度の文章がすぐに書けるという点が音声入力の利点です。しかし、役に立つのは主に、大学生や社会人になるでしょう。大学生の場合は、レポート提出などに使えます。
音声入力は、ICレコーダーの機器が必要なため、通信教室では行っていませんが、以下の説明を参考にすれば、だれでも自宅でできると思います。ただし、通学教室の中高生を見ていると、音声入力は慣れるまで時間のかかる人が多く、しばらくの間は、音声化するよりも直接書いた方が書きやすいという人が多いようです。
では、音声入力の方法です。
まず最初に、構成図を書きます。音声入力は、文章を書くという作業ですから、その作業に入る前に、考える作業が必要になってきます。それが構成図です。この構成図も、慣れないうちは、直接作文を書いた方が早いという人が多いようです。何事も、新しいやり方は最初のうちはかえって手間がかかることが多いので、ついこれまでの慣れ親しんだやり方でやりたくなるのです。
構成図に似ているものに、マインドマップという方法がありますが、手順が複雑なのでかえって時間がかかります。構成図は、普通のルーズリーフに、1本のペンで、短文と矢印で図を書いていくという書き方です。
なぜルーズリーフがいいかというと、2枚以上にわたったときに、横に広げて見ることができるからです。1本のペンで書くといっても、書き込みが複雑になったときは途中で色を変えた方が読みやすくなります。短文と矢印で書くというときの矢印とは、構成図に書いた順番であって、文章化するときの順番ではありません。つまり、短文どうしの内容的な関係を表すものではなく、単純に短文を書いた時間的な順番を矢印で表しているということです。また、構成図に書くのは短文であって単語や長い文でないということも大事です。構成図に書く短文の平均的な字数は10-20字です。1文を1行で長く書くのではなく、2、3行に折り返してコンパクトに書きます。その方が矢印でつなげるときに縦にも横にも斜めにも結びつけやすいからです。
言葉の森では構成用紙という小さい枠のある用紙を使っていますが、慣れてくれば無地の紙に書いた方が書きやすくなります。
1200字の文章を書く場合、構成図で7、8分かかります。ただし、全く新しいことを構成図を使って考える場合は、もっと時間がかかります。
構成図は、思いついたことをどんどん書いていきます。その文章のテーマに関係なさそうに見えることであっても、気がついたことは次々に書きます。構成図を書くということは、思考を外化することです。考えの材料をすべて表に出して見えるようにして、文章化のシミュレーションをしていることになります。
構成図を書き終えると、自分が考えたことの全体の構造や文章化の方向がわかります。全体の方向がわかってから文章化するというのが、構成図を使った書き方の特徴です。文章には、考える過程と書く過程がありますが、構成図は、考える過程ですから、書くための予行演習のようなものです。構成図で思考の下書きをしたあとに文章化するので、文章を書きなおすということがほとんどありません。それで、音声入力がしやすくなるのです。
音声入力は、慣れるまでなかなかうまく文章化できません。それは、これまでの長い習慣で、考えるスピードと書くスピードが結びついているからです。また、口に出して言う文章は、手で書く文章と違うところがあります。最も大きな違いは、日本語の場合、音声の文章は文末をあいまいにすることが多いということです。
「昨日は、どこに(行ったのですか)」
「ちょっと海に(行ったのです)」
「へえ、どちらに(行ったのですか)」
「うん、城ヶ島(に行ったのです)。それで、これ(お土産です)」
「わあ、くさやね」(そんなもんあるわけないだろ)
これは、スピーチなどでも同じです。話をしたり聞いたりする場合には、普通はなかなか「。」の来ない文章を交わします。それでお互いに、言うことも聞くこともうまくできるようになっています。
文章化しやすい音声を入力するためには、意識的にやや短い文にします。長めの文の場合は、文の途中で区切ります。ICレコーダーで大体10文字から20文字ぐらいごとに録音を停止しながら音声を入力していきます。なぜかというと、再生するときに、その区切りごとに一度で入力できるからです。あまり長い文だと、短期記憶が追いつかないので、もう一度聞きなおして書くという書き方になってしまいます。
音声入力は、考えながら言うのではなく、1文を1息で言うようにします。もちろん、手作業でテキスト化する過程で追加や修正はあります。
言葉の森のこれまでの音声入力は、ヘッドセットとテキスト化ソフトを使っていました。これはこれで便利ですが、ソフトの機能がまだ十分でないことと、操作の手間がかかることという弱点がありました。そこで、音声化した文章をそのまま聞きながら書く方が楽だということがわかってきました。
長い文章を書く時間がとれないときは、とりあえず音声化で入力さえしておけば、あとで時間のあるときに書くことができます。また、大量の音声化した文章を、多人数で手分けして文章化することもできます。
音声化の入力に慣れておくと、音声化せずに書く文章も、書くスピードが上がります。1文を1息で書くコツがつかめるようになるからです。
もちろん、文章の価値は速く長く書くことにあるのではありません。書く内容を豊かにするために読書が必要になり、考える力をつけるために暗唱などの練習が必要になります。
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これから大学生になるみなさんへ、大学で学ぶ心構えを4つにわたって説明します。
第1は、夏休み前までにサークルに入るとよいということです。それは、サークルの先輩からの情報が、大学生活では役に立つことが多いからです。
しかし、サークルの中には、宗教団体や政治団体が背後にあるという例もあります。特定の宗教や政治の団体に入ることは、自分の可能性の幅をせばめます。何かの団体に勧誘されたら、まず情報を集めてください。インターネットの情報、友人からの情報、先輩からの情報と、多様な情報と照合して判断していくことが大切です。
また、何かの集団にただ属するよりも、自分がサークルや研究会を立ち上げた方が得るものは多くなります。だれでも自分の好きな分野や、自分がこれから取り組んでみたい分野があります。その自分がやってみたい分野についてサークルや研究会を作って運営していくのです。
第2は、大学生時代でなければできない挑戦の体験をすることです。高校時代までの友達と離れて、これまでとは異なる人に囲まれるということは、自分を変身させる大きなチャンスになります。高校までは、勉強のできることが大事でしたが、その延長で成績を上げたり資格を取ったりすることだけを考えていたのでは、大学生活の意義は十分に達成できません。就職試験などにおいても、大事なのは、成績や資格よりも、挑戦体験の有無です。挑戦体験で大事なのは、自分が責任を負うリーダーの立場で何かをすることです。
第3は、暇なときにはとりあえず読書をするということです。大学生活は比較的ゆとりがあるので、差し迫って何もする必要のない時間が生まれます。そのときは、何しろ本を読むと決めておけば、あとで必ずよかったと思うはずです。
大学生は、つい入門書や概論書や流行の本を読みがちです。しかし、学生時代に読まなければならないのは、1にも2にも古典です。古典と呼ばれる古今の名著は、現代の社会には一見役立たないように見えますが、実は生き方や考え方のバックボーンになるのです。
第4に、言葉の森の勉強の中で、大学生になってからやっていくとよいことをいくつか挙げます。
1つは、付箋読書です。本を読むときに、自分の本であれば傍線を引きながら、借りた本であれば付箋を貼りながら読んでいきます。そのときに、フォトリーディングをいう方法を練習すると、読書のスピードが上がります。また、付箋読書でたくさんの本を並行して読んでいくことができます。
●付箋読書の方法
もう1つは、構成図を書くことです。今はブログやmixiなど情報を発信する機会が多いので、自分の考えを述べる場所を作っておくとよいと思います。その場所で文章を書くときに役立つのが構成図です。マインドマップという方法もありますが、手順が複雑なので、もっと簡単にできる構成図を練習しておきましょう。
●構成図の書き方
3つめは、音声入力です、レポートの提出でも、自分のブログに書く記事でも、構成図をもとに音声入力で文章化していくことができます。忙しいときでも10分もかからずに1200字程度の文章を作ることができます。
●音声入力の方法
4つめは、四行詩です。日常生活でふと何かいいことを思いついたとき、昔の人は短歌や俳句で表現しました。今は四行詩です。文章を書く時間がとれないときも、四行で自分の言いたいことを表すコツを身につけておくと役に立ちます。
●四行詩
5つめは、暗唱です。自分がいいと思った文章を100字単位で区切って、毎日10分間暗唱していきましょう。そうすると、数ヶ月で発想力が伸びてくることが実感できると思います。
●暗唱の手引
大学入学はゴールではなく、そのあとの社会に出てからの仕事がゴールです。自分がどういう社会人になるかということを常に考えながら、意義ある大学生活を送ってください。
そのための前提として、現在、日本が危機にあるという自覚も必要です。日本は今、米国と中国という二つの大国のはざまにあって、少子化、高齢化、国家としての活力の低下という出口の見えない状況に置かれています。日本を建て直すための勇気と知性を育てるために、みなさんは、これから大学で勉強していくのです。
(外国の生徒のみなさんは、「日本」の部分を自分の国に置き換えて読んでください。)
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先生の書かれていることは今読んでもそのまま通じます。
10年以上経っても変わらず大事なことだと思います。
MMさん、ありがとうございます。
これは、10年以上前の記事だったのですね。
ここに、ChatGPTの利用などを付け加えれば、今の記事になると思います。
ところで、いちばん重要なのは、大学生はちゃんとした本を読むことです。
しかし、つい遊んでしまうんですよね。
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