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来春から、新しい学習指導要領のもとに教科書が厚くなります。特に、理科と数学の分野では、ゆとり教育の時代に比べて6割以上もページ数が増えるそうです。
これまでの教科書は、内容が薄すぎ、易しい問題しか載っていないために、教科書だけは受験のための勉強には間に合わないという面を持っていました。その点で、教科書が厚くなるということは歓迎できます。
この教科書重視の教育に伴って、勉強のスタイルも、解く勉強、覚える勉強から、読む勉強、考える勉強に変わっていく必要があります。
解く | → | 読む |
教わる | → | 学ぶ |
試験 | → | 発表 |
選ぶ | → | 書く |
覚える | → | 考える |
昔の勉強は、読む勉強が中心でした。テキストとなる書物をしっかり読み、それを消化することが勉強の内容で、その勉強の評価は、口頭試問のような形で読んだ内容がどれだけ血肉になっているかで測られました。現代のように、問題が多数用意され、その問題の正解数によって評価されるような形の勉強は、多人数を一斉に試験で評価するための便宜的な方法でした。しかし、その便宜的な方法がいつの間にかひとり歩きをするようになり、勉強というと、問題となる空欄に答えをあてはめるようなものになっていったのです。
勉強が、答えを選ぶようなものになると、次第に問題もそれに対応して、答えを選びにくいものに進化していきます。その問題と答えのいたちごっこの結果、勉強というと、答えをすぐに選べるように知識を覚えておくというものになっていきました。
しかし、勉強とは本来考える勉強であるべきです。知識を覚えることはその考えるための手段にほかなりませんが、今までの勉強は、覚えることが目的のようになってしまい、肝心の考えることがなおざりにされてきたという面がありました。
読む勉強で大事なことは、読む機会を増やすことです。今の子供たちの多くは、解く機会が多すぎるために、読むための時間がかえって圧迫されるという本末転倒の状態にあります。書く勉強についても、同様で、これからはもっと書く機会を増やしていく必要があります。
ただし、理科と数学のように、問題を解くことが考える勉強になっている教科もあります。しかし、この場合も、解くという作業をするのではなく、解き方を読むという考えで取り組んでいく必要があります。
読む勉強、書く勉強は、家庭で行うことができる勉強です。具体的には、夜の10分間読書、朝の10分間暗唱、そして、できれば毎週1回の作文の勉強ができれば理想的です。なんだか言葉の森の勉強のようですが(笑)。家庭でこれだけのことをやって、学校の授業をちゃんと受けていれば、ほかに特別の勉強をする必要はありません。
さて、先日、木村秋則さんのリンゴの話を読みました。無農薬無肥料でリンゴを育てているとき、次々と弱っていくリンゴの木に向かって、木村さんは毎日、「がんばってくれよ」と話しかけていたそうです。しかし、隣りの畑と接しているリンゴの木たちには、近所の人に変に思われたくないために何も言いませんでした。すると、話しかけたリンゴの木たちは、生き残りましたが、話しかけなかったリンゴの木たちは全滅してしまったそうです。
子供の勉強も似ています。子供に勉強の仕方を1回教えると、あとは自動操縦でずっとうまくやっていくというような子はひとりもいません。毎日の声かけ、励まし、明るい言葉で、何とか勉強を続けていくというのがすべての子供の実態です。
家庭での勉強は、特に、この毎日の声かけが大事です。また、本を読んだり暗唱をしたりしたつど、毎回のようにそれを認めてあげる温かい言葉が必要なのです。
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小学2年生のときから言葉の森で勉強し、今年、東北大学理学部に合格したA君に、これから受験する後輩の人たちに向けてのメッセージを書いてもらいました。
なお、この文章は、構成図と音声入力の練習を兼ねて書いてもらいました。大学に入ってレポートを書くときに、構成図で考える方法と、音声入力で文章を書く方法は役に立つと思います。
読書好きで、運動も得意で、文章を書くことも好きなA君のこれからの活躍を期待します。
私は高校2年になる前の文理分けで、理系を選択しました。もともと理系の学問に興味があったからです。理系の中でも選ぶ分野はすでに決まっていて、地球科学・資源工学・都市工学のうちのどれかでした。しかし、私は数学と物理がかなり苦手で、物理は文理分けをした後の定期テストで赤点を取るほどでしたが、志望した3分野のうちどれに進むとしても、物理は必ず必要でした。テストの結果から、個別指導の塾で物理を徹底補強することにしました。特に苦手な分野は、集団型ではついていけなくなりやすいので、個別指導でやる方が効果が大きいと思います。得意分野を伸ばしたいなら集団型の授業でも大丈夫でしょう。
物理に関しては、原理や基礎の確認と演習を繰り返した結果、物理は高校3年の前半までに人並みのレベルまで到達しました。一方、英語や国語は得点源になるほどの得意科目で、理系科目と相殺していました。完全に文系です(笑)。その当時、英語は通塾中に電車の中で、現代文は言葉の森でやっていましたが、古文と漢文は学校の授業以外ではほとんど勉強しませんでした。英語・数学・物理は、10月末の気象大学校の試験に向けて対策をしていきました。試験を終えて、自分としては手応えがあったのですが、不況のためか例年より倍率が高く定員も少なく、結局不合格でした。それからはすぐに気持ちを切り替え、センター試験以後の入試に備えて問題のソースを上位の私立・国公立大に変更し、応用力をつけることにしました。たとえ不合格の学校があったとしても、第一志望でないかぎりは気にせずに、すぐに切り替えることが大切だと思います。
センター試験1ヶ月前からは、センター試験だけに特化した勉強をしました。あまり対策開始が早いとセンター以外の内容を忘れますが、遅いと間に合わないので、1ヶ月前くらいに始めるのが適正かと思います。しかし、古文がほとんど対策できていなかったため、古文で大量失点し、目標点には遠く及びませんでした。目標9割が高すぎたといえばそれも事実です。合計は約8割でした。センターの点数と予備校の判定を眺めては悩み、結局第一志望を東京大から東北大に変更して、国公立2次・私立大入試対策を始めました。2月上旬の前哨戦では1校を除き合格し、早稲田は2学部のうち片方のみ合格でした。試験ではほとんど動じない性格が幸いしたのか、または何も考えていなかったのか(笑)、最後の東北大の入試も合格しました。結果的には受験は成功(?)したので、私大不合格も国立大受験の際の遠征もいい思い出になっています。
今でも理系を選んだことに悔いはありません。険しい道を選んだことで、自分ができないことに挑戦し、それを達成する喜びを味わえた気がするからです。志望校に合格するのに欠かせないものは、それに足る勉強量も然りですが、自分の精神状態を管理する能力や、合格しようという熱意必要な要素だということを、これから受験を経験する人たちに伝えたいと思っています。
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小学校1年生の勉強で大事なものは読書です。もうひとつは、楽しさです。
勉強は、明るく楽しく面白くやっていく必要があります。叱ったり注意したりすることはなるべくしないということが大事です。真面目な人ほど、子供の欠点が目につき、その欠点を直すことが勉強の中心になってしまうことがあります。そういう人は、子供の作文を見ても、すぐに直そうとします。例えば、字がきたない、漢字を使っていない、点の打ち方がおかしいなど、子供が作文を書き上げた直後にそういう注意をすれば、子供は楽しく勉強できるようにはなりません。
欠点にすぐ気がついて注意しながら勉強をしていると、子供の能力は時間をかけたわりに伸びなくなります。頭脳は、明るく褒められることによって活性化して吸収力も増すからです。もちろん、注意や叱ることが必要なときはあります。しかし、それは、明るく強く短く、原則を決めてやっていくことが大切です。
読書、楽しさのほかに、もうひとつやっていくとよいものがあります。それは、暗唱です。
今、学校では、音読の宿題を出すところが増えているようです。それはそれでよいことですが、音読は、実は家庭での取り組みが意外と難しいのです。音読の原則は、(1)毎日欠かさず、(2)同じ文章を、(3)空で言えるようになるまで繰り返し読む、ということです。その際、読み方はふざけて読んでもかまいません。ところが、そうではなく、次のような読み方をしている家庭が多いのです。毎日ではなくときどき、次々と違う文章を、数回繰り返すだけで、しかも真面目に読ませようとして子供が嫌がる、という読み方です。
音読を、自然に習慣化するような形で子供に読ませるというのは、実は、かなり大変なことです。もちろん、毎日、自然に読ませることができれば、子供の読む力や書く力は向上します。
音読よりもいいのが暗唱です。言葉の森の900字暗唱は、毎日10分間でできて、しかもそのつど達成感があります。また、低学年ほど取り組みやすいという利点があります。ただし、こういう短い時間の勉強は、習慣化しないとなかなかできるようにはなりません。暗唱の勉強にいちばんいいのは、朝ごはん前の10分間です。朝ごはんの前なら、やり忘れることはまずありません。
学校の音読の宿題と、言葉の森の暗唱の自習が重なって子供が負担に感じる場合はどうしたらいいのでしょうか。暗唱の自習は朝行い、学校の宿題は夜行うというようにすれば、子供の負担はなくなります。
読書や音読や暗唱の場合も、褒め言葉は大事です。褒め方は、本を読んでいたら、「よく本を読んでいるねえ」と声をかけるだけでよいのです。音読や暗唱は、読み方がどんなに下手であっても、「だんだん上手に読めるようになってきたね」と褒めていれば、その言葉に合わせるように必ず上手になっていきます。
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小学校1年生になると、学校の勉強が始まります。教科書でいろいろなことを学ぶようになると、勉強が子供の生活の中心になってきます。そこで、家庭でも、学校の授業に合わせたドリルや問題集をやるようになります。
勉強の習慣をつけるということは大事ですが、学力をつけるための最も大事な土台は読書です。日本語を深く読み取る力があって初めて、国語、算数、英語などの勉強が生きてきます。そして、日本語を読み取る力は、国語の問題集よりも読書によって得られるのです。
しかし、読書が大事といっても、子供の持ち時間は限られています。学校の宿題と家庭の読書があって、両方ともやる時間が取れないときは、どうしたらいいのでしょうか。そういうときでも、迷わず読書を優先してください。読書だけは、何があっても、休みの日でも、毎日続ける必要があります。宿題をやる時間が取れないときというのは滅多にないと思いますが、そういうときはお母さんが代わりにやってあげてもいいぐらいです。
では、いつ、どういう形で、どういう本を読んだらいいのでしょうか。
読む時間に関しては、夜ご飯のあと、夜の勉強のあとなどが最適です。読書のあとに用事や勉強が入って読書を切り上げる必要が出てくる時間帯ではなく、その本が面白ければ心ゆくまでじっくり読める時間帯が読書の中心時間になります。また、朝ごはんのあと、学校に行くまでのちょっとした5分か10分の時間ができたときも、その時間で読書をすると決めておくとよいでしょう。
読む本の種類としては、子供が楽しく読める本というのが原則です。子供が自分から進んで読める本であることが第一です。大人から見ると、易しすぎるとか、内容が軽すぎるとか思われるような本が、子供にとってよい本である場合がしばしばあります。しかし、絵のスペースと字のスペースを比べた場合、絵のスペースの方が半分以上ある本は、遊びとして読む分には全くかまいませんが、「読書」とは呼ばないという原則を決めておくとよいと思います。
親が読んでほしいと思うような難しい本を、薬でも飲ませるように読ませると、かえって読書がはかどらないという結果になります。親が読んでほしいと思う本は、読み聞かせで読むようにします。よく、小学1年生になったことをきっかけに読み聞かせをやめてしまう家庭がありますが、読み聞かせは、子供が喜んで聞いているかぎり続けてあげた方がいいのです。
小学校1年生は、勉強でも生活でも、容易に習慣のつく時期です。これが、小学校3年生ぐらいになると、習慣がつけにくくなります。小学校5年生では、新しい習慣をつけることはかなり困難になります。
習慣をつける上で大事なことは、例外を作らないことです。例えば、食後のあとに読書をすると決めていた場合でも、お母さんがくたびれているときは、「はい、読書の時間ね」と子供に言うほどの気合いが入らないことがあります。そういうときでも、できれば理由を明確に述べて、少しの時間、形だけでもやらせるようにすることが大事です。
例えば、食後すぐに、近所のお祭りに行く予定で子供が楽しくてそわそわしている、また、お母さんは仕事でくたびれていて何もする気がしない、というようなときです。そのようなときは、「今日は、楽しいお祭りだから、読書をお休みにしようね」とか「今日は、5ページだけ本を読んで、読書をしたということにしようね」とか言っておけば、例外を作ったことになりません。よくないやり方は、「あとで必ずするのよ」です。「あとで」というのは、うやむやになるのでかえって例外を作る結果になります。そのときにやるか、やらないかのどちらかです。また、やらないと決めた場合でも、しぶしぶ「やらない」と決めるのではなく、前向きに明るく「やらない」と決めるようにしてください。
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小学4年生で、ローマ字を習います。すると、パソコン入力ができるようになります。なぜ、かな入力ではなくローマ字入力がいいかというと、ローマ字入力のキー配列を覚えれば、日本語も英語も同じキー配列で打てるようになるからです。
パソコン入力をするときには、ホームポジションを覚える必要があります。「JKL+」のキーに、それぞれ右手の人差し指、中指、薬指、小指を置き、「FDSA」のキーに、それぞれ左手の人差し指、中指、薬指、小指を置きます。右手の人差し指で打つのは、「YUHJNM」の6個です。右手の中指で打つのは、「IK、」の3個です。右手の薬指は、「OL.」の3個です。右手の小指は、「P+・」の3個です。左手の人差し指は、「RTFGVB」の6個です。左手の中指は、「EDC」の3個です。左手の薬指は、「WSX」の3個です。左手の小指は、「QAZ」の3個です。親指はスペースキーを打って漢字の変換をするきに使います。手を崩して打ったり、人差し指だけで打ったりしないようにします。
ホームポジションを覚えておくと、ブランドタッチができます。ブラインドという言葉に抵抗があるということで、タッチタイピングと呼ぶ人もいます。ホームポジションを覚えると、よそ見をしがら、例えばテレビを見ながらでもパソコンを打つことができます。
最初に自己流の打ち方をしてしまい、ホームポジションとタッチタイピングを覚えていないという人はどうしたらいいでしょうか。右手が使えなくなったので、左手で文章を書くというぐらいの決心があれば、タッチタイピングができるようになります。私自身、最初に、かな入力で覚えていたものを途中でローマ字入力に直しました。その後、また全く別のローマ字入力配列を覚え、それが慣れたあと再びもとのローマ字入力に戻りました。入力の仕方を変えているときは、仕事の最中でしたが、まさに右手で書くのをやめて左手で書く、左手で書くのをやめて足で書くというぐらい、入力の能率が低下してストレスがたまりました(笑)。
普通のパソコンは20万円ぐらいすると思いますが、ネットブックは4万から5万です。パソコンで必須な機能は、インターネットができることと、テキスト入力ができることなので、ネットブックで十分です。テキスト入力をするために、言葉の森では、テラパッドというフリーのエディタを使っています。
子供にインターネットを使わせたくないという家庭は、KING JIMのポメラ(1万7千円)というデジタルメモと呼ばれるものも使えます。文庫本ぐらいのサイズですが、キーボードが広がるので入力しやすい機械です。
パソコンで入力するようになったら、マウスはなるべく使わずに、ショートカットキーを覚えた方が能率がよくなります。よく使うのは、下記のショートカットです。
○Alt(オルトキー)+F→S(上書き保存)
○Alt+E→A(すべて選択)
○Alt+T→W(文字数カウント)
○Alt+E→C(コピー。Ctr+Cでもできる)
○Alt+E→P(貼り付け。Ctr+Vでもできる)
特に、Alt+F→Sで、書いている途中、ときどき上書き保存をしておくことが大事です。
インターネットで原稿を送るときは、書いたものをいったん保存してから、その文書の画面をコピーして、インターネットのフォームの入力画面に貼り付けて送るようにします。入力画面に直接書き込むようにすると、間違ってESC(エスケープキー)を押したときなどに、書いたものがすべて消えてしまいます。
ホームページのフォームで移動するときも、できるだけマウスは使わずに、タブで移動するようにします。送信ボタンを押す場合も、マウスとクリックではなく、タブとエンターキーで押すようにすると能率がよくなります。エンターキーは、送信のボタンのところではなく、テキスト入力欄で押すこともできます。画面を戻るときも、マウスで戻るよりも、バックスペースキーを押して戻る方が楽です。
言葉の森の通学教室では、早い子は小学3年生から、普通の子は小学5年生からパソコン入力で作文を書いています。最初は、1時間でやっと100字か200字です。しかし、すぐに慣れてきます。
パソコンで書くことによって文章を書く能率は向上しますが、書くことの中には、書きながら考えるという要素もあります。この考える要素を取り上げたものが構成図です。構成図は、手書きで書きながら考えるために使います。パソコン入力をする場合は、構成図であらかじめ考えを深めておくことが大切です。
パソコンの入力の仕方は、将来どうなるでしょうか。筆記用具も、筆→万年筆→鉛筆→ボールペン→シャーペンと変化してきました。パソコン入力の仕方も、今のキーボード入力だけでなく、手書き文字認識や音声入力が発達してくると思います。書くことと考えることが一致するのが手書きの利点ですから、理想は、手書き認識の精度が上がり、くせ字や速記も認識できるようになることです。しかし、それは当分無理でしょう。そこで、今いちばん可能性があると考えているのが、書くことに特化した音声入力の書き方です。
言葉の森の通学の中学生以上は、音声入力をしています。考えることは構成図でたっぷり行い、書くことは音声入力ですばやく行います。私の感覚として、1200字程度の文章を書く場合の疲労度を考えると、パソコン入力は手書きの2分の1ぐらいで済みます。構成図+音声入力は、更にパソコンの直接入力の2分の1ぐらいです。テキスト化の部分を他の人に依頼するとなれば、更にその2分の1になるでしょう。しかし、単に入力のスピードアップを図るのではなく、入力の質そのものを変えてしまう方法もあります。それは、1200字の文章を書く代わりに、同じ内容を四行詩で書くことです。ただし、これは意見中心の文章の場合です。また、構成図+音声入力という方法は、慣れるまでは、パソコンに直接書くよりも時間がかかります。
さて、ここでSF的な話になりますが、将来、テレパシーによる通信ができるようになったら言葉はどうなるでしょうか。思いうかべた概念が伝わるのであれば、日本人と外国人が互いの国の言葉を知らなくても意思疎通できるようになります。しかし、問題は、テレパシーでは、ダジャレは通じないということです。ダジャレの面白さは、言語の不完全さに依拠しています。
例えば、「上ばきが飛んできた。うわー、バキッ」という文の擬音語の「バキッ」という表現は、文化として感じられる面白さです。文化というものは、身体に蓄積された歴史です。「バキッ」という擬音語で表される状態を何度か経験することによって、この言葉の実感が身につきます。決して、辞書的に身につけているわけではありません。実感があるから、「思わず」笑いが出るのであって、実感を伴わなければ、「笑うべきだ」ということはわかりますが、「思わず」笑うということにはなりません。
同じように、言語には不完全さがあるので、「真っ赤な白」「まぶしいほどの暗闇」「巨大な微生物」「猛スピードのナメクジ」などという矛盾した表現が成り立ちます。この不完全さによる矛盾という性質が、実は言語の持つ創造性であり、人間の持つ創造性の源なのです。
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※ 高社の1位の作品は優れていましたが、要約の部分がやや多く含まれていたので、代表作品としては掲載しませんでした。
次回から、清書にする際は、要約は省略するか、自分の言葉に直して説明する形にしておいてください。(^o^)/
2月の森リン大賞(高1高2高3社の部121人中)
大成を呼ぶ視野
よい書物とは、文章がただの文字ではなく、その中に小さな広場、世界を作っているようなものである。この世界とは、書き手が長く、たった一人で思いわずらい、作った場所なのである。ここにたどり着いた読者は、書き手を捕まえたということができるだろう。
筆者は若いころ、言葉でしゃべることによっては自分を他人に伝えることができないと思っていた。読書を始めるようになると、書物の中には書き手や登場人物として、自分と同じような人がいると気づいた。
しかし、同類は身近にはいないのに書物の中に多く見つけられるということに気がつき、それは自分の周囲の人間も、自分と同じことで悩んでいるのではないかと思った。筆者が恐れるのは、彼らのような人間なのである。
私は、自分だけが特別だとは思わずに生きてゆきたい。そのための方法としては第一に、自分のやり方だけにこだわりすぎないことである。
私は二年生の間、経営学の授業を受けていた。そのなかで、よい経営をしてゆくには会社の異部門間のつながりが重要であるということを学んだ。教授の話によると、ある家電会社が、新しく乾燥機を作ろうとしており、新しい技術の導入をしたいと思っていたところに、エアコン部門の技術を取り入れたことによって大成功を収めたということである。この授業で、製品開発に際し、自分たちだけの技術にとらわれずに、別部門との提携をすることがむしろ新しい製品開発につながる、ということを学んだ。
第二の方法としては、自分の世界に閉じこもらないことである。
歴史上有名な勝海舟は、元は幕府に使えている身でありながら、坂本竜馬や西郷隆盛らに肩入れし、統幕を手伝った。忠臣としてただ幕府に尽くして生涯を終える、ということにならなかったのは、彼が幾度かの渡米を行っているからかもしれない。彼はこのときの経験によって外国のすばらしさを知り、開国論者になったとも言う。また、江戸の無血開城に当たっては、フランスに対するイギリスの思惑を利用したり、かつてのロシア戦役の戦術を利用したりするなど、数々の場面で視野が広かったといえる。
確かに、自分が特別であると自覚し、自信を持つことも時には必要である。しかし、大きな成功を収めるためには大きな視野が必要なのである。
スポーツの世界でも、自分が行っている競技を極めたつもりになっても、大会や海外選手を見ることによって、まだまだであると気づかされるということが多々あるだろう。また、ひょんなことから、まったく関係がなさそうな競技からヒントを得ることができた、という経験も私にはある。
どのような分野にいようとも、他人との関係がまったくないという状況にはならないだろう。他人を拒絶することなく自分と比べ、決して見下すことなくおたがいの違いを冷静に分析し、そこから何かを得ることができれば成功に一歩近づいたといえるのではないだろうか。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●客観的目線(清書) | PINK | 90 | 1244 | 59 | 79 | 84 | 92 |
2位 | ●大成を呼ぶ視野 | あほーどり | 88 | 1202 | 61 | 96 | 97 | 87 |
3位 | ●時代と共に変化する価値観 | LOLLIPOP | 86 | 1433 | 57 | 68 | 81 | 84 |
4位 | ●感情を出すこと | いへゆ | 84 | 1162 | 52 | 61 | 77 | 86 |
5位 | ●私はある時から | ターミネーター | 84 | 1139 | 57 | 53 | 72 | 100 |
6位 | ●まっしろい風 | くま王子 | 83 | 1620 | 49 | 61 | 70 | 84 |
7位 | ●ある書物がよい書物であるか(感) | まいう | 80 | 1517 | 56 | 109 | 112 | 86 |
8位 | ●横や上には猛虎居ず | ピカチュウ | 80 | 1020 | 48 | 75 | 83 | 90 |
9位 | ●教育という料理 | カエル | 78 | 1558 | 61 | 62 | 92 | 83 |
10位 | ●ある書物がよい書物であるか | おとめ | 76 | 450 | 49 | 67 | 69 | 92 |
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