これまで、音声入力を通学教室の中学生以上の生徒を中心に行っていました。しかし、教室では、周囲にほかの生徒がいるので、やりにくい面がありました。周りに遠慮して、中途半端な音声入力になってしまうことが多いのです。そこで、音声入力は、むしろ通信生の方がやりやすいのではないかと考えました。
必要な機器は、ICレコーダーです。楽天で売られているものを見ると、5000円から1万円のものが多いようですが、最も安いもので3000円程度のものが何種類かありました。このICレコーダーに直接音声を入れてもいいのですが、画面を見ながら操作できるように片耳用のヘッドセットも買っておくと便利です。これも楽天で300円程度で売られています。
試しに、この文章も、その3000円のICレコーダーと300円のヘッドセットで書いてみました。この機種の弱点は、1分間操作をしないと省電力モードに戻ってしまい、再生するファイルを選びなおさないといけなくなることです。しかし、これも、1分以内にテキスト化すればいいだけですから、それほど大きな問題ではありません。もっと高級な機種を使えばそういう問題はありませんが、最初は安いもので練習しておくといいと思います。
参考までに、私が使っているものは、オリンパスのボイストレックV-61で2万円です。このほかに、iPodをボイスレコーダーとして使えるようにするマイクが千円程度で売られているようです。
音声入力手順は、次のとおりです。
1、まず最初に構成図を書きます。この場合、単語よりもできるだけ短文で書いた方があとで文章化しやすくなります。
2、構成図を書き終えたら、全体を眺めて順番を考えていきます。別の色のペンで、書く順番に矢印をつけなおしたり、一部を省略をしたり、新たに追加をしたりします。また、このときに段落の印をつけておいてもいいと思います。
3、全体像がわかったら、一挙に音声入力で書き上げます。音声入力は、1文ずつ区切って入れます。1文を入れたらいったん録音を停止して、また次の1文を入れるという入れ方です。また、「えーと」などと途中で考えずに、文の最後まで一息で入れます。その方が、あとで文章化するときに、スムーズな文章になります。
1200字程度の文章を書く場合、慣れてくれば、構成図を書くのに7、8分、音声入力をするのに7、8分というところです。音声入力した原稿をテキスト化する作業は、タイピングのスピードによっても左右されますが、速ければ15分程度でしょう。
作文というものは、書くときの勢いが必要なので、途中で止めてほかのことをしたあと、また続きを書くということができません。そのため、作文を書くときには、1、2時間の時間的な余裕が必要になります。
ところが、構成図と音声入力という形で書くのであれば、10分もあればひとまとまりの作業ができます。そして、音声入力されたものをテキスト化するときも、細切れの時間を使うことができます。既に音声入力で全文ができているので、あとはそれをテキスト化するだけだからです。まるまる1時間はないとできない勉強と、10分程度の細切れの時間を組み合わせればできる勉強とでは、やりやすさが大きく違ってきます。
例えば、テスト前で時間がとれないときは、先生の説明を聞いたあと、とりあえず15分で構成図と音声入力だけを済ませておき、テストが終わってからその音声をテキスト化するというような使い方もできます。
音声入力に慣れることによって、直接書く文章も、早くスムーズに書けるようになってきます。作文を書く時間がなかなかとれないという中学生、高校生のみなさんは、この音声入力を試してみてください。
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作文力は、国語力の頂点なので、国語に必要な要素はすべて作文の中に含まれます。漢字力も、読解力も、表現力も、作文の中に表れます。しかし、それは、作文を書くことによって漢字力や読解力がつくということではありません。作文を見ることによって、漢字力も読解力もわかるということです。読解力は、作文を書くだけで身につくわけではありませんが、言葉の森の作文指導では、暗唱の自習や感想文の指導などがあるので、それらの読む練習によって読解力がつくようになっています。
作文によって身につくものは、第1に表現することの喜びです。日本には、万葉集文化、日記文化などの、発表する文化や記録する文化がありました。ブログの発信数でも、日本では世界で最も盛んな国のひとつになっています。作文を書くこと自体がひとつの喜びになるという文化がが日本にはあるのです。
作文によって身につくものの第2は、構成力です。自分の考えをまとめる力と言ってもよいでしょう。構成力がつくと、本を読むときもその内容を構造的に読み取ることができます。会議などで話を聞くときも、多数の意見を構造的に整理することができます。作文力があると、会議の司会も上手に進行できるようになります。
第3は、文章を速く長く上手に書く力です。これは、作文の試験などに生かせるとともに、将来社会に出て文章によって人に何かを伝えるときに役立つ力です。文章を書くことに慣れていると、書くことが苦にならないばかりでなく、書くことによって他の人の考えにも影響を及ぼすこともできます。
第4は、創造する力です。OECDの学力調査で、日本の子供は、自由記述に弱いという結果が出ました。答えのはっきりした正誤問題はできるが、答えのはっきりしていないものを自分なりに考えて表現する力が弱いということです。作文を書くというのは、未知のものに形を与えてゆく作業です。この創造力が、作文によって身につくものの中で最も大事なものと言ってもよいかもしれません。
創造力を育てるという点から考えると、作文は、構成図を使って考えを深めるというところに、ひとつの重要な本質があることがわかります。構成図で考えた内容を文章に書き表すために作文があるというふうに考えることができます。また、構成図を書く際の発想を豊かにするために暗唱の練習があり、書くための材料となる生きた知識を増やすために、付箋読書や問題集読書や四行詩があります。そして、その作文を速く書き上げるために、音声入力などの技術があるという関係になっています。
言葉の森の作文は、国語の成績を上げることや、作文試験に合格することにも役立ちますが、それ以上に、創造力をつけることに役立つ作文なのです。
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上の4つの力はどれも社会に出て必要なことだと思いますが、表現することの喜びを知ってほしいと親として願っています。私の業界(内科医です)では競争社会が続くのはせいぜい30歳くらいまででそれ以降は自分の満足するコースを自分でみつけていかなくてはいけません。目標を見失って意欲をなくしてしまう同級生もいます。どのようなコースにすすんだとしても、自分の意見を表現し、それを認めてもらえる居場所を持つことが満足につながるように考えます。
コメントありがとうございます。
そうですね。いちばん大事なのは、書きたいことがある、言いたいことがある、したいことがある、ということなのでしょうね。
毎朝、起きるのがうれしくてたまらないという人生を送るのが理想なのだと思います。
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読書という勉強は、だれでも自分に合ったものができます。易しい本から難しい本まで、多様な本を自分の興味に合わせて自由にに選ぶことができます。この読書によって、国語力がつきます。
読解力の土台は、読「感」力です。文章を知的に理解するための前提は、その文章を感情を込めて読み取れることです。文章を読んでその内容を素直に感じることができるためには、読むことが自分の手足を動かすことのように自由にできなければなりません。魚が水の中で泳ぐときに、水の存在を意識しないように、読書をしているときに言葉の存在を意識しないから、読んだものに感情を移入することができるのです。
そういう読む力は、どこでつくのでしょうか。それは、読んだ量に比例して身につきます。ピアノや水泳のような技能の習得でも、いろいろな技術を学ぶ以前に、まずその練習に時間をかけることが習得の条件になります。
読書の場合も、読んだ時間に比例して読書力の裾野が広がります。この広がった裾野の上に、難読(難しい本を読む)という高い山頂を形成することができます。易しい本を自由に読む力があるから、難しい本も読むことができるようになるのです。
では、その裾野を広げるための方法は何でしょうか。よく、幼児期からの読み聞かせが大事だと言います。しかし、それ以上に大事なのが、小中高それぞれの時代に日常生活の中で読書の時間を作ることです。
生活の中での読書の時間として自然にできるのが、夕食後です。食後、又は夕方の勉強のあと、読書をして、その本が面白ければ寝るときまで読んでいるというのが、読書のある生活の姿です。
小学生の場合、こういう習慣がつくのは、小学校1年生のときです。小学1年生のときに、毎日、夕方に読書の時間があるという生活をしていれば、その習慣はずっと続きます。
その読書によって国語力がつき、その国語力によって学力全体がついてきます。勉強は、学校でするものであると同時に、それ以上に家庭の生活の中でするものなのです。
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ファクスで四行詩を送ってきてくれたみなさんの作品の中から、いくつかを紹介します。
4行ですから、いずれも100字に満たない作品ですが、中には思いがけず新しい発見や創造の世界が生まれているものもあります。
P331 名古屋市 NA
トキやイリオモテヤマネコを復活させても
人間は自然を戻せない。
なぜだろう?
生活が困る事にだれも賛成しないからだ
P338 名古屋市 NA
私が子供の時、
三月は
冬の終わりに近いと
どれだけ感じた事だろう。
P181 ナエトル・ヨッシー
里山とは、「里山」という山ではなく、
人と自然が交錯するころ、
自然と人間のせめぎあいの産物、
という意味深いものである。
P188 ナエトル・ヨッシー
かつて胡瓜は夏の季語であった。
しかし今一年中食べられる胡瓜は
他の季節の季語となるばかりでなく
季節を感じないと思われている。
P196 ナエトル・ヨッシー
科学は、
科学者の好奇心や偶然の発見などで進歩し、
技術は、
経済や人間社会の必要によって発展する。
P197 ナエトル・ヨッシー
景観は、生活者によって作られ維持されて
きたものだから誇りと愛着がある。ゆえに、
生活者が誇りと愛情をもって育てなければ、
来訪者を感動させることはできない。
では、おまけに、私の四行詩(笑)。
なぜ、四行詩か 森川林
文章を読んだあと、問題を解くことも、要約することもできる。
しかし、植物が日の光を受けて花を咲かせるように、
人間の自然にいちばん近いのは、
何かを吸収したら、自分も表現したいと思うことだろう。
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小学校低中学年のころは、教える内容については、親が圧倒的に豊富な知識を持っています。計算練習も、漢字練習も、親はすっかり教える内容を熟知しています。
だから、教えることそのものには問題がありません。大事なのは、その教え方です。なぜなら、子供は、勉強の知識を学ぶよりも、親の教え方を無意識のうちに学ぶからです。
どの親も、子供が将来だれからも好かれるようになってほしいと思っています。勉強ができるが嫌われる子よりも、勉強が多少できなくてもみんなから好かれる子になる方がよい、もちろん、できれば両方できた方がよい、とだれもが思っています。
しかし、好かれ方を教えるような教材はありません。子供は、親の人間関係から、自分の人間関係を学びます。
ここで、褒めることと叱ることが重要になってきます。
例えば、子供が簡単な勉強なのになかなかできないときです。実は、こういうことは普通によくあります。算数の問題でも、昨日教えたばかりのことが今日できない。今日教えたことが、また明日もできない、ということはだれにも普通にあることです。親は、自分も子供のころ、そのように何度も間違えながら学んだことを忘れているだけなのです。
このときの対応で、「どうして、こんな簡単なこともできないの」と言うか、優しくにっこり笑って、「じゃあ、もう一回説明するよ」と言うかによって、子供の将来の人間関係が形成されていきます。子供が成長したときに、相手のちょっとしたミスにも嫌な顔をするか、明るく笑って済ませられるかの差が生まれてくるのです。
同じように、子供がよくできたときにも、親の対応の仕方が大事になります。例えば、子供がよい点数を取ってきたときに、親がそれをからかってしまうということはよくあります。親は、つい、「珍しい」「まぐれでしょう」「雪が降るかも」などというひねった褒め方をしがちです。しかし、これはシンプルに、「わあ、すごい」「よかったね」だけにしておいた方がよいのです。こういう褒め方の差も、子供の将来の人間関係の形成に影響します。
人間は、よそ行きの場面では、みんないい顔をしています。しかし、自分よりも弱い立場の人に接するときに、その人の地の人柄がつい出てきます。
しかし、無意識に身についたものは、本人が自覚して直すまで、かなり遠回りをしなければなりません。
勉強の教え方は、勉強の内容よりもずっと大事なのです。
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昨日、中2のK君が、高校入試の問題集読書をもとに四行詩を書いてファクスで送ってきてくれました。
同じように四行詩を書いている人の参考になると思いますので、その中からいくつかを掲載します。
P361
僕たちは今、
亡き人たちが作った社会に生きている。
先人の知恵を利用して、
日々を過ごしていこう。
P366ー367
エッセイの筆者は「嘘」はつかないはずだ。
小説では、宇宙のように広々とした
「創造」を著すことができる。
いくらでもジョークが記される。
P369
「ビリッ」
今日もどこかで
障子は破れている。
僕の家の障子は、ときどき張りかえられる。
そして、今日、さくらんぼさんも、問題集読書の四行詩のファクスを送ってきてくれました。
本の読み方とスローリーディングの実践
スローリーディングはゆっくり読むこと
本を価値あるものにするかは、読み方次第
旅行は、魅力を堪能できたかに意味がある
読書は発想を転換しなければならない
魂のみなもとへ―時と哲学のデュオ
好きなのはきれいな水で汚い水はきらいだ
波は、倦きることなく、寄せては返す
見るほうが倦きてくる
人間の忍耐心は自然の忍耐心にかなわない
食卓の向こう側 生ごみは問う
自然の摂理を無視した給餌は論外
有機物を活用して食物に変える産業
私たちは、社会貢献しているのに評価が低い
結果で過程を見ない社会が変わってほしい
ほかの生徒のみなさんも、四行詩が書けたら、できれば今週いっぱいまでにファクスで送ってください。
ファクスは、 0120-72-3987 (電話の番号と少し違います)
問題集読書と四行詩の自習は、7月ごろから本格的にスタートする予定です。
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日本文化の特徴を一言で言えば、勇気と知性と愛において日本独特の性格があることです。もちろん、世界の他の国々も、それぞれの国なりの勇気と知性と愛の文化を持っています。しかし、日本は、ほかの国にはないような特徴を持っているのです
勇気については、「葉隠」にあるように、死をも恐れない無私の勇気が特徴です。なぜ、無私の勇気を持つことができるかというと、日本人は、自分個人を超えた家族や郷土や国家を自分と一体のものと考えることができるからです。
知性については、日本語の特色が色濃く反映されています。ひとつは、日本語は語尾のニュアンスが豊富なので、聞き取るときに微妙な感受性を必要とします。これが日本人の注意力や集中力という、わずかな差異も識別する精度の高い知性を育てました。もうひとつは、漢字かな混じり文という特色から来るものです。物事を視覚的にとらえる言語によって、時系列的な論理ではなく、空間的創造的な論理を得意とする知性が育ちました。日本文化における知性は、日本語の特徴と深く結びついています。
愛については、特定のものに対する愛というよりも、自然や他人に対する一体感という広い愛の意識が特徴です。だから、日本人は、他人に対しても、動植物に対しても、もちろん外国人に対しても、自分と同じ魂を持ったものだという感覚を持って接することができます。
勇気と愛という特徴がなぜ生まれたかというと、日本という国が民族の興亡をほとんど経験しなかったからです。日本は歴史上のほとんどの時代を同じ民族で平和のうちに経過してきました。それは、例えば天皇制が世界最長の歴史を持つというところにも現れています。民族どうしの興亡のない平和な国では、民族の精神年齢が成熟する傾向があります。これが、無私の勇気と、自分以外のものに対する一体感という日本文化の特徴を育てていったのです。
興亡の激しい若い文化では、言葉や理屈が優先され、個人の意識が前面に出てきます。日本では、言葉を超えたものを大切にし、全体の調和を先に考える文化があります。それは、日本人の魂が成熟しているためです。若い文化では、競争が活力の源になりますが、成熟した文化の活力は、助け合いの中から生まれてきます。
したがって、日本文化を今後発展させていくためには、日本語を大切にするとともに、言葉を超えたものにたいする尊敬の念を大事にしていく必要があると思います。
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漢字の勉強については、読みと書きは別のものだと考えておく必要があります。読みは、主に読書量に比例しています。書きは、勉強量に比例しています。漢字の書き取りができていないのは、単に書き取りの勉強をしていないからというだけです。
漢字についての大きな問題は、知らないとか書けないとかいうことよりも、勘違いして覚えているので、何を勘違いしているのかわからないというところにあります。
漢字の書き取りができない原因は何かというと、勉強不足だと書きました。しかし、学校で真面目に勉強しているだけでは不十分です。学校では、集団指導なので、個人差のある生徒を一斉に教えます。すると、書き取りのような時間を取る勉強は、練習量をカバーすることができなくなります。これは、やむをえないことだと思います。
学校は、テストをして評価することが中心になるので、先生は、「漢字の勉強は家庭でするものだ」と思っています。一方、家庭では、勉強の中身は学校に任せているので、親は、「漢字は学校で習うものだ」と思っています。その結果、子供は、漢字の勉強をしなくてもすむようになるのです
漢字の書き取りは、家庭でやるものだと決めておくことが大切です。これは、計算練習でも同じです。漢字の書き取りと、計算練習と、読書の三つは、家庭でするものだと考えておくことです。
では、漢字はどう勉強したらいいのでしょうか。
まず、市販の問題集で漢字の書き取りのテストをします。そして、できなかった漢字をピックアップします。中学生や高校生の場合でも、小学3年生あたりの漢字からやり直す必要があります。実は、高校生の小論文の誤字で最も多いのが、小学校中高学年のころに習った漢字なのです。難しい漢字はしっかり書けるのに、小学校の中高学年で習った易しい漢字を間違えて覚えている人がかなりいます。
次に、できなかった漢字を覚える練習です。これも、市販の問題集を利用して、(1)教科書体の字の形をよく見ながら、(2)書き順に注意して、(3)ノートに繰り返し書く、という練習をします。
1ページ120マスの漢字練習帳や作文練習帳があります。文字の形を覚えるためには、このようにある程度大きいマスのノートの方がいいと思います。このノートに、間違えた漢字を繰り返し書いていきます。1日の勉強時間は5分から10分です。漢字の覚え方には、いろいろな方法がありますが、基本は反復練習です。
江戸時代の寺子屋では、漢字の書き取りをどのように練習していたのでしょうか。先生が書いた手本を、筆で何回もなぞり、紙が真っ黒になるまで練習をしました。このやり方で、上手な字の書き方と書き順を同時に覚えました。この方法は、頭で覚える方法ではなく手で覚える方法ですから、江戸時代の人たちは、漢字をスポーツや音楽のようなものとして習得していったのです。
ところで、書き取りの基礎には読み取りがあります。読んだことのない文字を書くのは、象形文字の練習をするようなものです。本をたくさん読んで、日常生活で漢字に接している子は、書き取りの練習をするときも覚えるのが早くなります。ですから、家庭では、漢字の練習をするとともに、読書の練習も並行して進めていく必要があります。
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とてもいいコメントです。私はタイ人ですが 今でも日本語を勉強し続けております。私として漢字は文法の勉強より難しい勉強ですので 少なくとも一日中に日本語の文書や雑誌などをある程度 読んでわからない漢字を見つけたらそれを持ち、辞書を引いてその文字を毎日覚えております。それでは またコメントさせて頂きます。宜しくお願いいたします。
コメント、ありがとうございます。
漢字圏でない国の人が漢字を勉強するのは大変だと思います。
今のパソコン時代には、読みさえできれば、書きは機械がカバーしてくれますから、読むことを中心に勉強していくといいと思います。
いつか、日本においでのときは、教室にお立ち寄りください。ヽ(`○´)/
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