午後8時すぎに、小2のころのから生徒だったH君(慶応大)が、「今日、最終面接で合格しました」と報告に来てくれた。
早速、残っていたワインで乾杯(笑)。
会社の概要などを、「この分野ではシェアがトップで」などと、すっかりビジネスマン風に(スーツ姿で)説明してくれた。
「今日は、うちでお祝いでしょ」
と言ったら、
「いや、今日はカレーらしいので、何かほしいものがあったら、買ってこいということでした」
今、就職活動をがんばっている人たちは、いろいろ大変だと思います。
しかし、さまざまな紆余曲折はあっても、長い目でみれば、必ず明るい未来は待っています。
途中の過程はすべて面白いエピソードになると思って、明るい気持ちでがんばってやっていってください。
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海外赴任で、子供が小さいころ日本を離れる人は、日本語の教育が不安になると思います。
子供は、生活の中で言葉を学ぶので、幼児期は母親との対話が子供の言葉の生活の中心になります。ところが、学齢期になると、学校での友達との会話が言葉の生活の中心になり、次第に日本語を忘れていきます。しかも、この過渡期には、一時的に日本語も外国語もともに劣ってくるという時期があります。
しかし、この時期にうまくやれば、日本語も外国語も両方自由に使えるようになるバイリンガルのチャンスもあるのです。そのポイントは、母語である日本語を充実させることです。
「バイリンガル教育の方法」(中島和子著)の中に、面白い例が出ています。
「兄が小5、弟が小1の日本生まれの兄弟が、カナダのトロントに来て、同じ公立小学校に入学し、英語で授業を受けることになった。この場合、どちらの方が早く必要な英語力が身につくであろうか。……予想としては、『会話力』では弟が早く、『読解力』では兄の方が習得が早いであろうということであった」という話です。
結果は、兄の方が、会話力も読解力も早かったというのです。つまり、母語を通して言葉というものがしっかり身についていれば、外国語もその言葉の力の土台の上にマスターするのが早いということなのです。
だから、学校で、友達や先生と外国で話をした分、家庭での日本語の対話を充実させていけば、両方の言葉をマスターできるようになります。そのために、言葉の森の、長文音読、暗唱、作文、そして、その暗唱や作文をきっかけにした対話が役にたつと思います。
この構図は、外国語と日本語の関係以外にも、さまざまなことにあてはまります。例えば、漫画と読書の関係でも、大事なことは、漫画を読むか読まないかということではなく、いかに読書をしっかりするかということです。同様に、テレビやゲームと実際の体験の関係についても、大切なことはテレビやゲームをどれぐらいしているかということではなく、実際の体験をどれだけしているかということです。作文指導についても、間違いをいかに直すかではなく、よい文章にいかにたくさん触れさせるかということが大事です。
もちろん、弱点を放っておいていいのではありません。しかし、従になるものは尻尾です。主になるものは頭です。尻尾を押さえるのではなく、頭さえしっかり押さえていれば、尻尾はどちらに動いても、結局は頭の動きについていくことになるのです。
小学校からの英語教育についても同様です。大事なのは、英語をやるかやらないかということではなく、子供時代に日本語をしっかり学ぶということです。
海外にいる人は、海外生活を日本語がおろそかになる不安の面から考えるよりも、外国語も日本語も同時に学べるチャンスとして前向きに考えていくことが大事です。そのための要になるのは、家庭の外で外国語に接する以上に、家庭の中での日本語の密度を高めていくことです。
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子どもに日本「も」学ばせたい・・・そう思う日本人ママもたくさんいます。国際結婚で海外に住んではいても、日本語も母語として育てるためには、家庭の中での小さな積み重ねが大切です。
母国語の土台が必要というのはわかるのですが、
「兄の方が、会話力も読解力も早かったというのです。つまり、母語を通して言葉というものがしっかり身についていれば、外国語もその言葉の力の土台の上にマスターするのが早いということなのです。 」
すごく短絡的な感じがしてしまいます。
6歳と11歳では言葉の学び方は違ってくるだろうし、その子の性格にもよるかと…
これは、そういう調査結果が、ある程度再現性のある事実として報告されているということです。
小1~小3では外国語をマスターするのは早いが、その分母語である日本語が十分に成長しない、小4~小6では最初は外国語をマスターするのに苦労をするが、母語である日本語が既に確立しているので途中から上達が早くなるということです。
だから、海外にこの時期の子供を連れて赴任される方は、事前に子供の言語教育について十分に作戦を考えておく必要があると思います。この点で、あてになるような話は、公の機関からは出ていないのではないかと思います。
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読書を家庭学習の中に取り入れるためには、次のようなことが大事です。
第1に、毎日必ず10ページ以上読むなどという基準を決めておきます。
第2に、夕食後などの決まった時間を、読書の時間にあてるようにします。
第3に、できるだけ家族全員で読書に取り組むようにします。
第4に、そのために小学校低学年(できれば1年生)からの習慣化が重要になります。
読書のある生活をしていると、だんだん読書の結果を記録したいという気持ちが出てきます。
学校などではよく、読んだ冊数のグラフを書くことがあります。また、読書ノートに読んだ本を記録するという方法もよく行われています。
しかし、冊数のグラフをつけると、数をこなすことが目的化してしまいがちです。そうすると、本を楽しむというよりも、本を退治するような感じで読むようになることもあります。
また、読書ノートは、書名、著者名、読んだ月日などを記録しますが、そういうわかりきった記録は、面倒で面白くないものです。また、読書ノートに本の感想を書くという場合、その感想はありきたりのものになりがちです。その結果、やはり感想を書くことも億劫になってきます。
なぜ、面白くないかという言えば、そこに創造性がないからです。創造性ががないといことは、つまり自分らしさが打ち出せないということです。
そこで、言葉の森では、通学教室で読書ノートの指導をする際に、読んだところまでで四行詩を書いてくることにしました。
四行詩のよい点は、簡単に書けることです。本の中で自分が気に入ったところを四行に分けて書いていけばいいのですから、簡単に書こうと思えば、20字程度の短い文を四行に分けて書くだけでも四行詩ができます。しかし、ほとんどの子は、なるほどいい表現だと思うところを四行で書いてきます。更に、自分の考えなども入れて、作品としての完成度の高い四行詩を書く子もいます。
四行詩は、このように、記録が残り、楽に書け、個性を発揮でき、表現の練習にもなるという利点があります。
四行詩に慣れてくると、本の感想だけでなく、日常生活でふと思ったことなども四行詩で書くことができるようになります。
この四行詩をもっと勉強の中に生かしていきたいと思っています。
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これまで、音声入力を通学教室の中学生以上の生徒を中心に行っていました。しかし、教室では、周囲にほかの生徒がいるので、やりにくい面がありました。周りに遠慮して、中途半端な音声入力になってしまうことが多いのです。そこで、音声入力は、むしろ通信生の方がやりやすいのではないかと考えました。
必要な機器は、ICレコーダーです。楽天で売られているものを見ると、5000円から1万円のものが多いようですが、最も安いもので3000円程度のものが何種類かありました。このICレコーダーに直接音声を入れてもいいのですが、画面を見ながら操作できるように片耳用のヘッドセットも買っておくと便利です。これも楽天で300円程度で売られています。
試しに、この文章も、その3000円のICレコーダーと300円のヘッドセットで書いてみました。この機種の弱点は、1分間操作をしないと省電力モードに戻ってしまい、再生するファイルを選びなおさないといけなくなることです。しかし、これも、1分以内にテキスト化すればいいだけですから、それほど大きな問題ではありません。もっと高級な機種を使えばそういう問題はありませんが、最初は安いもので練習しておくといいと思います。
参考までに、私が使っているものは、オリンパスのボイストレックV-61で2万円です。このほかに、iPodをボイスレコーダーとして使えるようにするマイクが千円程度で売られているようです。
音声入力手順は、次のとおりです。
1、まず最初に構成図を書きます。この場合、単語よりもできるだけ短文で書いた方があとで文章化しやすくなります。
2、構成図を書き終えたら、全体を眺めて順番を考えていきます。別の色のペンで、書く順番に矢印をつけなおしたり、一部を省略をしたり、新たに追加をしたりします。また、このときに段落の印をつけておいてもいいと思います。
3、全体像がわかったら、一挙に音声入力で書き上げます。音声入力は、1文ずつ区切って入れます。1文を入れたらいったん録音を停止して、また次の1文を入れるという入れ方です。また、「えーと」などと途中で考えずに、文の最後まで一息で入れます。その方が、あとで文章化するときに、スムーズな文章になります。
1200字程度の文章を書く場合、慣れてくれば、構成図を書くのに7、8分、音声入力をするのに7、8分というところです。音声入力した原稿をテキスト化する作業は、タイピングのスピードによっても左右されますが、速ければ15分程度でしょう。
作文というものは、書くときの勢いが必要なので、途中で止めてほかのことをしたあと、また続きを書くということができません。そのため、作文を書くときには、1、2時間の時間的な余裕が必要になります。
ところが、構成図と音声入力という形で書くのであれば、10分もあればひとまとまりの作業ができます。そして、音声入力されたものをテキスト化するときも、細切れの時間を使うことができます。既に音声入力で全文ができているので、あとはそれをテキスト化するだけだからです。まるまる1時間はないとできない勉強と、10分程度の細切れの時間を組み合わせればできる勉強とでは、やりやすさが大きく違ってきます。
例えば、テスト前で時間がとれないときは、先生の説明を聞いたあと、とりあえず15分で構成図と音声入力だけを済ませておき、テストが終わってからその音声をテキスト化するというような使い方もできます。
音声入力に慣れることによって、直接書く文章も、早くスムーズに書けるようになってきます。作文を書く時間がなかなかとれないという中学生、高校生のみなさんは、この音声入力を試してみてください。
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作文力は、国語力の頂点なので、国語に必要な要素はすべて作文の中に含まれます。漢字力も、読解力も、表現力も、作文の中に表れます。しかし、それは、作文を書くことによって漢字力や読解力がつくということではありません。作文を見ることによって、漢字力も読解力もわかるということです。読解力は、作文を書くだけで身につくわけではありませんが、言葉の森の作文指導では、暗唱の自習や感想文の指導などがあるので、それらの読む練習によって読解力がつくようになっています。
作文によって身につくものは、第1に表現することの喜びです。日本には、万葉集文化、日記文化などの、発表する文化や記録する文化がありました。ブログの発信数でも、日本では世界で最も盛んな国のひとつになっています。作文を書くこと自体がひとつの喜びになるという文化がが日本にはあるのです。
作文によって身につくものの第2は、構成力です。自分の考えをまとめる力と言ってもよいでしょう。構成力がつくと、本を読むときもその内容を構造的に読み取ることができます。会議などで話を聞くときも、多数の意見を構造的に整理することができます。作文力があると、会議の司会も上手に進行できるようになります。
第3は、文章を速く長く上手に書く力です。これは、作文の試験などに生かせるとともに、将来社会に出て文章によって人に何かを伝えるときに役立つ力です。文章を書くことに慣れていると、書くことが苦にならないばかりでなく、書くことによって他の人の考えにも影響を及ぼすこともできます。
第4は、創造する力です。OECDの学力調査で、日本の子供は、自由記述に弱いという結果が出ました。答えのはっきりした正誤問題はできるが、答えのはっきりしていないものを自分なりに考えて表現する力が弱いということです。作文を書くというのは、未知のものに形を与えてゆく作業です。この創造力が、作文によって身につくものの中で最も大事なものと言ってもよいかもしれません。
創造力を育てるという点から考えると、作文は、構成図を使って考えを深めるというところに、ひとつの重要な本質があることがわかります。構成図で考えた内容を文章に書き表すために作文があるというふうに考えることができます。また、構成図を書く際の発想を豊かにするために暗唱の練習があり、書くための材料となる生きた知識を増やすために、付箋読書や問題集読書や四行詩があります。そして、その作文を速く書き上げるために、音声入力などの技術があるという関係になっています。
言葉の森の作文は、国語の成績を上げることや、作文試験に合格することにも役立ちますが、それ以上に、創造力をつけることに役立つ作文なのです。
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上の4つの力はどれも社会に出て必要なことだと思いますが、表現することの喜びを知ってほしいと親として願っています。私の業界(内科医です)では競争社会が続くのはせいぜい30歳くらいまででそれ以降は自分の満足するコースを自分でみつけていかなくてはいけません。目標を見失って意欲をなくしてしまう同級生もいます。どのようなコースにすすんだとしても、自分の意見を表現し、それを認めてもらえる居場所を持つことが満足につながるように考えます。
コメントありがとうございます。
そうですね。いちばん大事なのは、書きたいことがある、言いたいことがある、したいことがある、ということなのでしょうね。
毎朝、起きるのがうれしくてたまらないという人生を送るのが理想なのだと思います。
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読書という勉強は、だれでも自分に合ったものができます。易しい本から難しい本まで、多様な本を自分の興味に合わせて自由にに選ぶことができます。この読書によって、国語力がつきます。
読解力の土台は、読「感」力です。文章を知的に理解するための前提は、その文章を感情を込めて読み取れることです。文章を読んでその内容を素直に感じることができるためには、読むことが自分の手足を動かすことのように自由にできなければなりません。魚が水の中で泳ぐときに、水の存在を意識しないように、読書をしているときに言葉の存在を意識しないから、読んだものに感情を移入することができるのです。
そういう読む力は、どこでつくのでしょうか。それは、読んだ量に比例して身につきます。ピアノや水泳のような技能の習得でも、いろいろな技術を学ぶ以前に、まずその練習に時間をかけることが習得の条件になります。
読書の場合も、読んだ時間に比例して読書力の裾野が広がります。この広がった裾野の上に、難読(難しい本を読む)という高い山頂を形成することができます。易しい本を自由に読む力があるから、難しい本も読むことができるようになるのです。
では、その裾野を広げるための方法は何でしょうか。よく、幼児期からの読み聞かせが大事だと言います。しかし、それ以上に大事なのが、小中高それぞれの時代に日常生活の中で読書の時間を作ることです。
生活の中での読書の時間として自然にできるのが、夕食後です。食後、又は夕方の勉強のあと、読書をして、その本が面白ければ寝るときまで読んでいるというのが、読書のある生活の姿です。
小学生の場合、こういう習慣がつくのは、小学校1年生のときです。小学1年生のときに、毎日、夕方に読書の時間があるという生活をしていれば、その習慣はずっと続きます。
その読書によって国語力がつき、その国語力によって学力全体がついてきます。勉強は、学校でするものであると同時に、それ以上に家庭の生活の中でするものなのです。
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ファクスで四行詩を送ってきてくれたみなさんの作品の中から、いくつかを紹介します。
4行ですから、いずれも100字に満たない作品ですが、中には思いがけず新しい発見や創造の世界が生まれているものもあります。
P331 名古屋市 NA
トキやイリオモテヤマネコを復活させても
人間は自然を戻せない。
なぜだろう?
生活が困る事にだれも賛成しないからだ
P338 名古屋市 NA
私が子供の時、
三月は
冬の終わりに近いと
どれだけ感じた事だろう。
P181 ナエトル・ヨッシー
里山とは、「里山」という山ではなく、
人と自然が交錯するころ、
自然と人間のせめぎあいの産物、
という意味深いものである。
P188 ナエトル・ヨッシー
かつて胡瓜は夏の季語であった。
しかし今一年中食べられる胡瓜は
他の季節の季語となるばかりでなく
季節を感じないと思われている。
P196 ナエトル・ヨッシー
科学は、
科学者の好奇心や偶然の発見などで進歩し、
技術は、
経済や人間社会の必要によって発展する。
P197 ナエトル・ヨッシー
景観は、生活者によって作られ維持されて
きたものだから誇りと愛着がある。ゆえに、
生活者が誇りと愛情をもって育てなければ、
来訪者を感動させることはできない。
では、おまけに、私の四行詩(笑)。
なぜ、四行詩か 森川林
文章を読んだあと、問題を解くことも、要約することもできる。
しかし、植物が日の光を受けて花を咲かせるように、
人間の自然にいちばん近いのは、
何かを吸収したら、自分も表現したいと思うことだろう。
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小学校低中学年のころは、教える内容については、親が圧倒的に豊富な知識を持っています。計算練習も、漢字練習も、親はすっかり教える内容を熟知しています。
だから、教えることそのものには問題がありません。大事なのは、その教え方です。なぜなら、子供は、勉強の知識を学ぶよりも、親の教え方を無意識のうちに学ぶからです。
どの親も、子供が将来だれからも好かれるようになってほしいと思っています。勉強ができるが嫌われる子よりも、勉強が多少できなくてもみんなから好かれる子になる方がよい、もちろん、できれば両方できた方がよい、とだれもが思っています。
しかし、好かれ方を教えるような教材はありません。子供は、親の人間関係から、自分の人間関係を学びます。
ここで、褒めることと叱ることが重要になってきます。
例えば、子供が簡単な勉強なのになかなかできないときです。実は、こういうことは普通によくあります。算数の問題でも、昨日教えたばかりのことが今日できない。今日教えたことが、また明日もできない、ということはだれにも普通にあることです。親は、自分も子供のころ、そのように何度も間違えながら学んだことを忘れているだけなのです。
このときの対応で、「どうして、こんな簡単なこともできないの」と言うか、優しくにっこり笑って、「じゃあ、もう一回説明するよ」と言うかによって、子供の将来の人間関係が形成されていきます。子供が成長したときに、相手のちょっとしたミスにも嫌な顔をするか、明るく笑って済ませられるかの差が生まれてくるのです。
同じように、子供がよくできたときにも、親の対応の仕方が大事になります。例えば、子供がよい点数を取ってきたときに、親がそれをからかってしまうということはよくあります。親は、つい、「珍しい」「まぐれでしょう」「雪が降るかも」などというひねった褒め方をしがちです。しかし、これはシンプルに、「わあ、すごい」「よかったね」だけにしておいた方がよいのです。こういう褒め方の差も、子供の将来の人間関係の形成に影響します。
人間は、よそ行きの場面では、みんないい顔をしています。しかし、自分よりも弱い立場の人に接するときに、その人の地の人柄がつい出てきます。
しかし、無意識に身についたものは、本人が自覚して直すまで、かなり遠回りをしなければなりません。
勉強の教え方は、勉強の内容よりもずっと大事なのです。
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