3月4週の清書をもとしにした森リン大賞です。
学年は、旧学年になっています。
3月の森リン大賞(中3の部36人中)
触れ合い
ゆうちゃり~
今の社会では、他人とのつながりがかなり薄いものになっていると思う。つい最近まで、僕の団地には新しい住民がいろいろと来たが、同じ地区になったのでよろしくと言いに来るだけの人が大半で、今ではどんな人だったかさえ忘れている。また、隣に誰が住んでいて、その人がどんな人なのかさえも知らなかったりする。このように、「核家族」という言葉があるぐらい、みんながそれぞれ独立して暮らしている。そのことはもちろん良いことなのだろうが、自分の周りの人のことをほとんど知らないままでよいのだろうか。いや、そうではない。「遠くの親類より、近くの他人」というように、近所で協力することはとても大切だ。だから僕は、今、失いかけている人間的コミュニケーションを大切にしていきたいと思う。
そのための方法として第一に、人との触れ合いを大切にしていくことである。僕は、春休み中に一週間、フランスに旅行で行っていた。今回は個人ではなく、ある会社のツアーに参加した。人数は二十人と少数だが、なかなかツアー内で家族や友達以外と話さなかった。みんな家族や友達と同じ場所にかたまっていて、話しにくい雰囲気にもなっていた。そうこうするうちに、四日目に入り、昼食の時になってようやく他の人に対する壁がとれたのであろう、周りの人たちと話をするようになった。僕はその話し声を聞きながら食事をしていたが、とても楽しい気持ちになった。その時、初めて人との触れ合いがすばらしいものであるとわかった。その後の観光は、その日以前よりも楽しいものとなった。みんなが黙っていても観光することはもちろん、まだ自分の知らない世界に出会えるので楽しいが、道中やレストランで他の人と話をすることによって、より楽しくなるのだ。そのことが今回の旅行でわかった。フランス滞在最後の日の自由行動の時、ツアーの人たち数人と一緒にルーブル美術館に行き、とても楽しかった。このように、人と触れ合うことによって、一緒のことをしているという連帯感が生まれて、一緒にしていることがより楽しくなるだろう。修学旅行はまさにそうした一つの良い例だ。
また第二の方法として、社会自体も機械に頼らず、人間どうしの触れ合いを重視していくことである。ファーブルは、子供の頃から自然に対してとても興味があった。ある時、ファーブルは学校からの帰り道の途中に、鳥の巣を見つけた。そして、その中にあった卵を一つ手に持って帰っている時に、神父に声をかけられた。彼は、神父に何を持っているかを問われて、鳥の卵と答えた。その時神父は、「その卵のお母さんは、卵を捜しているだろうな。たまごをあたためて、小鳥にかえすことは母鳥にしかできない。きみはそのたまごを小鳥にすることができるのかい?」とファーブルに言い、ファーブルに自然に接するときの意識を示した。このような穏やかな口調で言われたから彼は素直に受け入れられたが、もし神父が機械的に、母が怒るような口調で言っていても効果はあまりなかっただろう。このように、人との触れ合いでは、相手のことを慮ることができ、その人に最適な接し方ができるのだ。
確かに、大量生産や大量販売は、豊かな社会を生み出した。今となっては、社会を根本的に支えるものとなっている。しかし、人間的コミュニケーションも、社会が豊かになるにつれてなくなってきている。しかし、コミュニケーションは社会を支える最も大きな根のような存在で、これをもう一度見直すべきだ。また、「経験は、最良の教師である」という言葉があるように、人との触れ合いの中で得るものは貴重なもので、とても多くのものを得られる。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
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1位 | ●触れ合い | ゆうちゃり~ | 88 | 1495 | 58 | 78 | 85 | 89 |
2位 | ●今日では、道徳的共同体を | チョビ | 88 | 1174 | 64 | 77 | 79 | 84 |
3位 | ●バラがバラらしく生きるには | きへあ | 87 | 1292 | 69 | 61 | 77 | 83 |
4位 | ●清書 | まじめさん | 86 | 1143 | 69 | 60 | 77 | 87 |
5位 | ●清書 | MAXやまびこ | 84 | 1228 | 57 | 96 | 94 | 84 |
6位 | ●本当の豊かさを求めて | ゆりん | 84 | 1316 | 53 | 66 | 80 | 93 |
7位 | ●記念を残す | メグ | 82 | 1463 | 48 | 61 | 77 | 89 |
8位 | ●共同体的に生きる | ちこちこ | 81 | 1063 | 54 | 71 | 85 | 84 |
9位 | ●私の記念日 | うずら | 79 | 1272 | 48 | 85 | 101 | 89 |
3月の森リン大賞(高1高2高3社の部121人中)
物・他者との関わり
PINK
現代の日本人は、他者との接触を好まない。むしろ自分だけの世界で好き勝手やるほうが楽でいい、と感じている若者も少なくない。自分の殻にこもり、外界からの接点をほぼシャットアウトしてしまうことを選ぶ傾向が強いのではないだろうか。それらの現象には、人やものと出会い、触れ、感じる機会の減少が主な原因であると考えられる。私達の生きる時代に存在している道具類を改めて見直すことなど専ら無くなってしまった今日の社会は、道具と人間の関わりをますます浅くしてしまっている。我々は、もっと物との接点を増やしていくべきだ。
そのための方法として第一に、自分の手によって作る、つまり『手作り』の価値を見直すことだ。何でも店へ行ってお金を出せば買える時代になった現代にい生きる私たちは、なにか自分で、あるいは知り合いの人が手作りで作ったものと接する機会も少ないのではないだろうか。最近『家庭菜園』という言葉を聞くようになったが、このようにスーパーで気軽に購入できるハーブなどの野菜を自宅の庭・プランターで育てることで、自然のモノとの触れ合いを体験できる。かつて我々の祖先は、あらゆる道具を使って獲物を捕まえたり、またその仕掛けを作ったりと、自らの力で生きている実感を常に感じられる生活をしていた。もう少し現代に近い例を上げれば、今のように鉛筆を電動鉛筆削り器に突っ込んで尖らせるのではなく、ナイフなどの鋭利な刃物で削っていた頃があったそうだ。ナイフの使い方や力の入れ加減など、人間の感覚を使って理解することが多くあったはずであろうが、機械化されたことによって、便利になった代わりにモノと我々の生活との関わりが薄くなっていったとも考えられる。物を作った人との関係さえも見えづらい今日こそ、手作りの良さを再認識すべきなのだ。
また第二の方法として、学校教育では受身の授業のみならず、生徒同士が関わりを持てるような授業を展開していくべきだ。同学年の友達と話し合いなどをしていくうちに、一体感や連帯意識も生まれ、他人への無意識も改善されていくのではないのだろうか。教師と生徒の関係にしても、教師が一方的に何か喋って、生徒はそれを聞くか書くかするだけでは信頼どころかコミュニケーションをとる意識も無くなるだろう。江戸時代の寺子屋は、先生を慕う気持ちから多くの生徒が集まってきて、それがやがて『寺小屋』という名の学校となった(歴史実例)。学校は、人対人の環境を有意義に利用して、他者との関わり・出会いの経験を積む場所でなくてはならないのだ。
確かに、現代の社会では情報を効率よく処理するのも重要だ。だがしかし、そのベースに人や物との関わりがなくてはならない。情報の背後に潜む実体があるからこそ情報に価値がついてくるのだ。人間はたった一人で生きていくものではなく、様々なものと関わっていくことで初めて生きていける。(自作名言)我々は、人や物と接することで生きる実感を感じられる生活をしていくべきだ。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
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1位 | ●物・他者との関わり | PINK | 92 | 1233 | 69 | 87 | 92 | 83 |
2位 | ●日本人の個性 | いすも | 88 | 1288 | 72 | 72 | 75 | 90 |
3位 | ●自分を広げたその先に | くま王子 | 86 | 1312 | 67 | 59 | 74 | 83 |
4位 | ●国際理解 | LOLLIPOP | 86 | 1387 | 61 | 67 | 72 | 87 |
5位 | ●接点と拒絶 | いさせ | 85 | 1333 | 73 | 69 | 72 | 86 |
6位 | ●夢を持つとき | いへゆ | 85 | 1205 | 59 | 64 | 67 | 90 |
7位 | ●新しい価値観 | ピカチュウ | 83 | 1176 | 57 | 81 | 99 | 83 |
8位 | ●人と物との関わり | まいう | 82 | 1493 | 58 | 102 | 110 | 89 |
言葉の森で勉強をしていると、国語の学力がつきます。しかし、それは成績が上がることと同じではありません。成績を上げるには、上げるための勉強が必要です。それが、選択式の場合は、問題を解いて理詰めに説明する勉強で、記述式の場合は、指定の字数で時間内に書き上げる練習です。しかし、それらは、いずれも2、3時間もあればすぐにできます。そのような短時間でなぜ成績が上がるかというと、それまでに国語の学力がついているからです。
次のような子がいました。小学校から言葉の森で勉強をしていて、中学受験をし、高校入試がないので中高と普通に勉強をしていた子です。高3になったときに、試しにセンター試験の国語の過去問を解いてもらいました。すると、意外なことに得点が高くありません。
センター試験の平均点は60点ぐらいと言われていますが、その平均点と同じぐらいの成績です。そこで、小一時間かけて1問ずつ「なぜこの問題のこちらが答えになるのか」ということを理詰めで説明していきました。すると、次の週から、国語の成績はほぼ満点です。理系の志望の子なのに、国語の成績がいちばんいいという結果になってしまいました。
なぜ、成績がすぐに上がったかというと、それまでに国語の学力がついていたからです。だから、同じように理詰めの説明をしても、それほど成績が上がらない子もいます。それは、その子の国語の学力が育っていないからです。言葉の森の課題の長文を読んで、内容を消化して、作文を書くという力がまだないということです。
ここでわかるのは、国語の学力とは、読む力、書く力であって、国語の成績とは、問題を解く力であるということです。国語の学力があれば、国語の成績はすぐに上がります。そして、社会に出て役に立つのは、国語の成績ではなく、国語の学力です。大学入試の英語の学力も、半分は国語の読解力です。
塾や予備校で勉強するのは、問題を解く勉強です。受験には時間制限があるので、時間内に解く練習はもちろん必要ですが、それよりも大事なのは、それまでに国語の学力をつけておくことです。長文を読み、自分なりに考えて、それを作文に書くという勉強の意義はここにあるのです。
3月の清書の森リン大賞を発表します。
学年は、旧学年です。
※ 1位の作品は優れていましたが、要約の部分がやや多く含まれていたので、代表作品としては掲載しませんでした。
次回から、清書にする際は、要約は省略するか、自分の言葉に直して説明する形にしておいてください。(^o^)/
3月の森リン大賞(中1の部77人中)
復活本因坊
本因坊
ビーッ。校舎内でチャイムが鳴る。去年の今頃私は中学入試を受けていた。今までの勉強の総決算なので頑張らなければならない。いや、頑張らねば受験に合格はしない。しかし、受験当日校舎内で聞いたこのチャイムは、私の緊張感を一気に加速させるものだった。緊張感が全く無いのも駄目だが、過剰な緊張感もまた良くない。心地よい程度の緊張感は少なくとも必要である。では、この受験日、私はどのくらい緊張して受けていたのだろうか。後々、当日握手をした塾の室長に尋ねてみると、予想通りいうかあまり良くない答えが返ってきた。とても緊張していてガチガチだったということだ。話がずれてしまったが、「心地良い緊張感」というものは心身に好影響を与える。
まず、第一の理由は緊張によって頑張るという気持ちを最大限に持っていった上で一息つくと、今までの高緊張もあって、とてもリラックス出来る。しかし、自分の中ではリラックスしているように感じていても、実は丁度良い緊張になっているのだ。結局私は志望校には失敗したのだが、一応難関校と呼ばれる中学に進学することが出来た。落ちた学校の時より、合格した学校の方が、リラックスしていたそうだ。このように、「心地良い緊張感」が大切なのだ。つまり、極端なリラックスや緊張はよくないというわけだ。
次に、第二の理由は、皆がある程度の緊張感を持って仕事や勉学に励めば、もっと皆が努力できる環境を作れるはず、ということだ。ここでも、先程と同様のことがいえるわけだ。あまりに皆が無緊張で生活をすれば、生活が困難になる人口が増加する。そして、国のGDPも低下し、外国からの信用も損なわれる。そして、国の根本から崩壊する。逆に、極度に緊張すると、緊張によって人々の間にどんどんストレスが溜まり、ぎすぎすした社会構造が完成する。高度経済成長によって世界第二位の経済大国までに上り詰めた日本だが、まだ高度経済成長期のようなことをしていたら、これからの日本は無い。今、中国という更なる経済大国が出現したが、そのことからも、これからは日本は急激な成長によって国の安泰を図るのではなく、今ある環境を最大限活用する方法を考えるべきなのだ。これからは体ではなく頭を使う時代だ。そう、日本は今大きな分岐点に差し掛かっているのだ。この中で、緊張国かリラックス国か、普通の国か、どこを我々は目指すべきなのか。それを考えるべきなのだ。
やはり、「心地良い緊張感」は皆が最も普通だが楽しく日常生活を送るためのひとつの方法だ。しかし、方法なのだがとても大切なことに間違いは無い。確かに、就職など緊張しなければならない部分も多少はある。しかし毎日緊張していては、身も心も耐え切れない。何度も述べてきたが、やはり、「心地良い緊張感」というのは、我々にとって無くてはならない生活のうちの片腕を担っていると感じた。心地よい緊張感で難関校受験は合格した。これからは、進学した学校の受験日をリラックス記念デー、合格発表日を成功記念日として自分の中で決め、リラックス記念デーは一息つく日、成功記念日は何か失敗してもくじけずに頑張ろうとする日として、永遠に自分の中で持っていたい。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
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1位 | ●言葉の美 | なまず大使 | 89 | 1328 | 62 | 77 | 79 | 89 |
2位 | ●復活本因坊 | 本因坊 | 88 | 1314 | 66 | 104 | 100 | 86 |
3位 | ●狂気の大切さ | たけたけ | 88 | 1300 | 59 | 70 | 82 | 83 |
4位 | ●狂気の必要性 | ピプリー | 88 | 1258 | 58 | 73 | 81 | 87 |
5位 | ●狂気と理性 | パダワン | 87 | 1305 | 58 | 69 | 83 | 92 |
6位 | ●日本風コミュニケーション | えらる | 86 | 1129 | 57 | 71 | 79 | 92 |
7位 | ●狂気とは? | きこつ | 86 | 1161 | 58 | 69 | 79 | 90 |
8位 | ●狂気 | シャミ | 86 | 1555 | 57 | 65 | 75 | 84 |
9位 | ●たしかにブレーズ・パスカルは(感) | ドラエモン | 83 | 1261 | 53 | 67 | 84 | 90 |
10位 | ●冷静な感情を狂わす熱情 | きとみ | 81 | 1844 | 59 | 69 | 93 | 89 |
※ 1位の作品は優れていましたが、字数が3000字以上と多かったため、代表作品としては掲載しませんでした。
3月の森リン大賞(中2の部78人中)
「あそび」とは本当に「遊ぶこと」なのか
ファラオ
学童のあそびには多くの想像力や抽象思考力がはいってくるからきわめて多彩なものになる。すでに三歳ごろからみとめられたことではあるが、低学年ではとくに「何々ごっこ」がさかんになる。それは対人関係の基盤をつくる力を持っているであろう。またボールあそびなどというものは、もっと幼いときから「心身の機能をはたらかせるもの」として行われているのである。そして子供は「お話」をきくのが大きな喜びで、主人公の喜びや悲しみに一喜一憂する。こうした新鮮な感受性と、奔放な空想力を発達させるために、学校の国語教育や作文の授業はきわめて大切な役割を持っているにちがいない。
確かに子供時代の遊びから学ぶ事は多い。まずは「仲間関係」。これは生きていく上で一番大切な要素を持っている。集団で何かを話し合ったり、決めたりすることは大人になっても必要となってくると思う。私はどちらかというと、おままごとより男子と遊んでいる方が多く、かなり珍しい目で見られていたのを思えている。「ウルトラマンごっこ」--今はウルトラマンなど興味ゼロなのだが、ハマっていたようだ。しかしその中で学んだ事はたくさんある。先に述べたように、一緒に話し合って何役か決めたり、少し見方を変えて言うとどういう人が悪い人なのかという事なのだ。ウルトラマンの世界で言えば街を壊したり人をさらったりするいわゆる「かいじゅう」である。そのかいじゅうを倒す勇者がウルトラマンで、激しい戦いを征している。
さて、今の世の中に視点を戻してみよう。私にとって一番の敵は「地球温暖化」であり、それはまさに地球を壊している。そしてそれを救わなければいけないのが私たち人間である。日々この戦いの様子が放映されている。このように子供時代の遊びは何らかの形で役だっているのだ。
しかし、きちんとした勉強も大切である。昔話に、「つるときつね」がある。きつねが皿にスープを入れてつるにごちそうしたら、次の日につるが仕返しとして花瓶にスープを入れてきつねにごちそうした。まさに「バカだな」と言いたくなる話である。極端にいえば、きつねがつるの体の特徴について知らなかったと解釈できるだろう。いわゆる「勉強不足」である。やはり勉強は生きていくためには避けて通れないものである。私は次の四月で中学三年生となり、受験生になる。毎日毎日塾の宿題に追われていて、時には日付が変わるまで目をこすりながら宿題をやる事がある。しかし、その大変な中で勉強の楽しさ的なものを感じている。その理由を簡単に言うと、「宿題のための勉強ではなく、自分の将来のための勉強」という事に気付き始めたからだろう。特に英語は自分の将来にかかっていると思う。言語というものは難しいものである。しかし、今頑張ることで道がひらけるのだから、全力で努めていきたいと思っている。
確かに、子供時代の遊びも勉強も大切だ。しかし一番大切な事は、「子供は大人を小さくしたものではなく、それ独自の価値を持っている。」という名言があるように、子供時代にしか味わえない事をたくさん経験しておくことである。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
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1位 | ●もったいの教え | おむふ | 86 | 3099 | 68 | 114 | 119 | 89 |
2位 | ●「あそび」とは本当に「遊ぶこと」なのか | ファラオ | 86 | 1276 | 56 | 70 | 83 | 87 |
3位 | ●遊びから学ぶ社会の常識 | ポチト | 85 | 1418 | 57 | 69 | 88 | 84 |
4位 | ●勉強も大切だけど遊びも大切に | のここ | 85 | 1211 | 57 | 58 | 72 | 87 |
5位 | ●勉強と遊び | 音楽大好き少年 | 83 | 1059 | 62 | 78 | 88 | 80 |
6位 | ●新と旧 | 疾風 | 83 | 1157 | 54 | 57 | 71 | 93 |
7位 | ●今という現実を受け止める | 嵐ちゃん | 83 | 1769 | 57 | 55 | 71 | 89 |
8位 | ●広い世界、広い考え | いちごサクラ | 83 | 1239 | 56 | 58 | 67 | 92 |
9位 | ●子ども時代を大切に | うさちゃん | 82 | 1145 | 56 | 89 | 101 | 89 |
10位 | ●共生社会のために | サニー | 82 | 991 | 53 | 73 | 80 | 86 |
最初から話が飛びますが、量子の世界では、観察する人が観察される対象を変容させると言われています。意識が物質に影響を及ぼすということです。
「レモン」という言葉を聞くと唾液が出るという仕組みは、意識が物質に影響する一つの例ですが、実はこういう簡単なことが、現在の科学ではまだよくわかっていません。
しかし、実感として、意識は、ある範囲での物質的現象に影響を与えるということは、多くの人が感じています。
昔、不治の病と言われたような病気も、明るい気持ちで漫才などを聞いていると快方に向かうというのが、真面目な研究として行われています。
自分の意識が自分の身体に影響を及ぼすのと同じように、自分の意識は他人の意識にも影響を与えます。
例えば、家庭で両親のどちらかが子供を叱ると、もう一方の親も子供を叱りたい気持ちになってきます。気分が伝染するのです。そういうときこそ、もう一方の親は優しく明るくカバーしてあげることが大切です。
ある物や、ある人は、客観的に存在するだけでなく、意識ある存在から「見なされて」存在するという面を持っています。
量子の世界で、エンタングルメントという現象があります。量子レベルの一つの小さな粒子が二つに分かれると、その二つはどんなに距離が離れていても、まるで一つであるかのようにふるまうというのです。これは、光速よりも速いものはないという原理と矛盾するようですが、そうではありません。離れた二つの粒子は、実は二つの粒子ではなく、一つのものの二つの現れに過ぎないと見なされているのです。
このことは、褒めることにもつながります。(やっとつながった)
子供が悪いことをしたり、又は悪い成績を取ってきたりしたときに、親が、「やっぱりこの子はダメなんだ」と思えば、その意識は量子レベルでその子の未来を変えます。
集団の中であくびが伝染するように、「ダメなんだ」という意識が、子供の意識にも伝染していくのです。すると、肝心な場面で、子供は、「やっばり、自分はダメなのかもしれない」と思うようになります。
オリンピックのような大舞台では、普段よりもよい記録を出せる人と、普段の実力が発揮できない人とがいます。その差は、実は、子供時代にあって、叱られたり注意されたりしたことが多い子は、いざというときに実力を発揮できないというのです。肝心な場面のときほど、わずかな意識の差が大きく出てくるということです。
ですから、親の子供に対する見方は、常に、「この子は本当はよい子で、絶対に大丈夫」と思って見ることです。
しかし、人間は身体を持った存在なので、ただ見るだけでは不十分です。褒め方のコツは、できるところまでやらせて、「ほら、大丈夫でしょう」と言ってあげることです。
子供に苦手なことがあった場合、その苦手をそのままにして、親が、「大丈夫」といっても、その言葉には実感が伴いません。
例えば、暗唱の場合、100字の暗唱が大変であれば、50字までに絞って言えるようにするとか、30回でできない場合は、親がつきっきりで40回でも50回でもやらせて、最終的に「できた」と言えるところまで持っていき、「ほら、大丈夫でしょう」と言う、ということです。
作文が書けないときも同様です。字数の目標を、その子の学年の50倍ぐらい(小2なら100字、小4なら200字)にまで縮めて書かせるとか、それでも書けないときは、親が近くで文を言ってそれをそのまま書かせるという形で、何しろ書き上げさせるようにします。そして、「ほら、できたでしょう」と褒めれば、それが裏づけのある褒め方になります。
ダメな子というのは、一人もいません。みんな、大きな可能性を持っています。周りの大人がその子の明るい未来に目を向ければ、その子は自然にそういう未来に向かって成長していくのです。え