「FREE(フリー 無料からお金を生み出す新戦略)」(クリス・アンダーソン著)と「FREE(フリー)経済学入門」(苫米地英人著)を読みました。
インターネットが登場してから、フリーという概念が、社会のすみずみにまで影響を及ぼすようになってきました。
言葉の森でも、自社で作ったさまざまなソフトやプログラムをフリーにしています。読解マラソン集、課題集、項目表、ふりがな作成ソフト、森リン採点ソフトなどです。インターネットの時代には、教材は、万有引力の法則に従うかのように限りなく無料に近づく傾向にあるのです。
このフリーの教材を、今後オープンソースとして、多くの人の参加によって充実したものにしていきたいと思っています。具体的には、読解マラソン集の長文や、読解問題などを、Wikipediaのようにオープンに作っていくことです。
このようなフリーの時代に、何がフリーでないものとして残るのでしょうか。誰でも気がつくように最後に残るのは、人間どうしの触れ合いです。それは、一つにはその人らしい個性であり、もう一つは関わった時間です。
作文指導で、小学校のころに教えた子供が、中学、高校と勉強を続けていくことがあります。そのときに、先生と生徒の間にできる人間関係がフリーにはならないもです。
また、フリーの時代には、プロとアマチュアの差が限りなく小さくなっていきます。ジャーナリズムの分野でも、専業の記者と単なる読者という関係から、だれでも副業的に記者と読書を兼ねるような状態になっていきます。
教育の分野でも同じように、今後、専業の先生と単なる生徒(保護者)という関係から、だれでも副業的に先生と生徒(保護者)を兼ねるような状態が生まれてくると思います。
フリーの時代には、単に知識を教わるだけでなく、教わった知識を生かして自分も知識を新たに発信するという流れが生まれてきます。このときの動機は、コミュニティーの一員としての貢献、成長、助け合いなどの気持ちです。そして、その場合のコミュニティーの人数は、150人程度と言われています。
これからの勉強は、この顔の見える人数のコミュニティで、発表と触れ合いのあるものになっていくと思います。
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例年、今ごろになると、学校の読書感想文の宿題にどう対応したらいいかという相談が来ます。
小学校4年生までは、読書感想文を書かせることに教育的意義はほとんどないと思います。それなのに、なぜ感想文の宿題を出すかというと、単に惰性で出しているにすぎません。
言葉の森では、小学校5年生以降に本格的に感想文の勉強をするための準備として、小学校3年生から感想文の指導をしています。しかし、それは、あくまでも小5の勉強につなげるための準備であって、小学校3,4年生で上手な感想文を書かせることを第一の目的にしているのではありません。
言葉の森では、小学校1、2年生でも、感想文の課題を選択することができるようになっていますが、よほどのことがないかぎり低学年の子が感想文を書くことはおすすめしていません。
学校で、感想文の指導をすることに意義があるというなら、どうして授業の中でそういう指導をしないのでしょうか。授業の中で指導することができないから、家庭での宿題として出しているだけだと思います。
読書の意義は、文章を通してその本の世界を経験することにあります。そのためには、まず本を読むということがいちばんです。小学校低中学年で、苦労して感想文を書く時間があったら、その分、自分の好きな本をたくさん読んでいる方がずっといいのです。
少なくとも、小2までの感想文は、たとえ宿題として出されていても、子供には書かせない方がいいと思います。小2までの子に感想文を書かせるというのは、ほとんど意味がありません。小学校低学年で感想文のコンクールに入選するような文章は、ほぼ例外なく親や先生の手が入っています。
感想文が、勉強としての意味を持つのは、小学校5年生からです。このころになると、物事を構成的に考える力がつき、本のテーマを一般化して考える力がついてきます。したがって、小5以降の感想文の書き方は、似た例を通して、一般化した感想を書いていくことです。
言葉の森の生徒は、普段の感想文の課題のときに、このような書き方を練習しているので、これまでの感想文で上手に書けたものを参考にして、学校の宿題の感想文を書いていくといいと思います。
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社会人になると、無駄のない能率的な行動が要求されるようになります。そういう状態に慣れると、つい子供に対しても能率を要求してしまいます。
しかし、大人にとって必要なものと、成長期の子供にとって必要なものは、おのずから異なります。大人にとって大事なのは、結果であり勝敗です。子供にとって大事なことは、結果ではなく過程であり、勝敗ではなく向上や成長なのです。
そのことが最も特徴的に表れるのが遊びです。
子供たちは、大人から見れば意味のないものによく熱中します。例えば、電車の名前を覚える、酒瓶のふたを集める、秘密基地を作る、などです。大人の能率から考えれば、電車の名前を覚えるよりも県庁所在地でも覚えていた方が役に立つと言いたいところです。ところが、大事なのは結果ではありません。
一見無駄に見えることに熱中しているときに、子供は、集中力や持続力や自主性や思考力を育てているのです。言わば、将来大きな木になるために、地中に深く根を張っている最中なのです。
無駄を排して見た目の結果を重視するのは、子供のエネルギーを、根を張ることよりも花を咲かせることに向けてしまうことにつながります。
不思議なことに、社会に出てから活躍している人の多くは、子供のころ、朝から晩まで熱中して遊んだという経験を持っています。決して、子供のころからこつこつと倦(う)まず弛(たゆ)まず同じペースで努力して大人になったというのではありません。
しかし、現代は、子供が熱中して遊びに没頭できる機会が少ないのも事実です。子供が地域で遊べるような環境を作ることも、これからの教育の重要な役割になってくると思います。
親が心がける第一のことは、まず小学校低中学年のころに勉強をさせすぎないということです。勉強は必要ですが、学年が上がるにつれて徐々に増やしていくものです。そのうちに、中3や高3の受験期になれば、子供は親が止めても朝から晩まで勉強するようになります。そういう時期になるまでは、ほどほどにやっておくぐらいがいいのです。
第二は、親はいつも、子供が楽しく笑顔でいられるように心がけることです。真面目な親ほど、小言を言ったり叱ったり注意したりすることによって子供が成長するように考えがちですが、子供は楽しく笑っているときにいちばんよく成長します。
子供の教育にとって大事なことは、大人の生活とは違ってある種の強制と無駄であり、その具体的な形が読書と遊びということになります。更に、その読書と遊びを補強するものが、親の笑顔に支えられた明るい家庭生活なのです。
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6月の暗唱用長文でふりがなのミスがありました。訂正して読んでくださるようお願いします。<(_ _)>
○小2 6月の4番目の文章
▲洗濯物(せんたくぶつ)→◎洗濯物(せんたくもの)
○小3 6月の7番目の文章
▲クワ畑(はたけ)→◎クワ畑(ばたけ)
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自由は、人間の本質的な欲求です。強制を喜ぶような人はいません。
また、無駄のない能率のよさは、社会人にとって必須の能力です。能率の悪いことが評価されるような場所はありません。
しかし、こういう大人の社会に長いこと属していると、成長期の子供にも同じような物差を適用してしまいがちです。
その一つが、強制と自由についてです。自由を肯定するあまり、教育における強制の持つ意義を過小評価してしまうのです。
大人は、自由に九九が言えます。日常生活の中で掛け算を自分の手足のように自由に使って生活しています。しかし、それは小学2年生のころに、九九を覚えさせられるという強制があったからできることです。
日常のしつけも同様です。あいさつをする、靴をそろえる、イスをしまう、姿勢をよくする、ていねいな言葉をつかう、などは、自然に身につくものではありません。
日本の文化に属していると、強制という意識はあまりありませんが、やはり文化的な強制によって初めてそのようなしつけが身についたのです。
この自由と強制の問題が、現在、特徴的に表れているのが読書の分野です。それは、読書については、かつてあったような文化的、社会的な強制の環境が大きく変化しているからです。
今の大人が子供の時代には、家庭での娯楽は、読書やテレビぐらいしかありませんでした。読書以外の娯楽が乏しいという環境に強制されて、本を読む力を身につけていったのです。
しかし、大人になったころには、自分が強制的な環境で本を読むようになったことを忘れて自由に好きな本を読むという結果だけを読書と考えてしまうようになります。
そのため、つい子供にも、読書は自分の好きなものを自由に読むべきだと考えてしまうのです。
現代の社会は、テレビ、ケータイ、ゲーム、インターネットなど、読書以外の娯楽が豊富です。また、読書のような体裁を伴った、ビジュアルな絵だけで大体の理解ができる学習漫画のようなものも増えています。この豊富な娯楽の環境で、大人のレベルと同じように自由に任せていれば、読書の習慣は決して自然には身につきません。
また、読書には、年齢による発展段階があります。幼児期に読み聞かせをたっぷりしたからといって、その後、小中高と自動的に本を読むようになるわけではありません。それぞれの学年で少しずつ難しい本もよむように読書の質が発展していくのです。
こう考えると、読書については、しつけと同じようにある程度の強制が必要なのだということがわかります。しつけは見た目でわかりますが、読書力の有無は見た目ではわからないので、しつけ以上に意識的な強制が必要になってくるのです。
強制という言葉はあまり印象がよくありませんが、実際にやることは次のようなことです。
毎日、夕方の勉強が終わったら、最後に必ず本を10ページ以上読むことを生活の習慣にするということです(読む力のある子はページ数を増やしてもかまいません)。そして、夕方の時間があまりとれないときでも、宿題や習い事の時間よりも読書の時間をまず優先して確保するということです。
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言葉の森の通学教室のある港南台で、ミニチュア・シュナウザーのユメ(メス1歳)という犬を飼っています。生徒が900字の暗唱ができたとき、その賞状を渡すために、ユメが賞状を運んできます。と言いたいところですが、まだあまりうまくいっていません。賞状の入れ物をそのまま別のところに持っていって、中に入っているお菓子を食べようとするからです。▼・ェ・▼/
ユメはいたずら好きで、普段も、やんちゃな顔をしてスリッパをくわえて、「あそぼうよ」という雰囲気で人を呼びます。
このユメを見ていて、ふと、犬のような肉食獣がいたから、生物はここまで進化してきたのではないかと思いました。もし、地球が、草食動物のウサギやシカばかりであったら、争いのない平和な星にはなりますが、生き物は今のようには進化していなかったでしょう。犬のような肉食の動物がいたからこそ、外の世界に働きかけるという生物の積極性が出てきたのです。
手塚治虫は、「ジャングル大帝レオ」の中で、肉食をやめて平和を志向するライオンを描きました。これは手塚治虫のヒューマニズムでしたが、もしアフリカにいるライオンなどの肉食動物が最初からみんな草食であったら、アフリカの草原は、コアラのような動物ばかりで占められていたでしょう。 ▽(・o・)▽
日本人の多くは、相手の善意を信じる国民性を持っています。しかし、世界の標準は性悪説です。そういう性悪説の人々によって人間の社会は進化してきました。
アダム・スミスは、個人の利益が全体の利益に通じるという神の手の世界を発見しました。ドーキンスは、愛や自己犠牲の中にも、実は利己的な遺伝子の意図が働いているという説を提唱しました。これらの西欧的な世界観は、日本人には違和感を感じるものです。
しかし、現実は、エゴイズムに基づいた性悪説が、現代の社会の根底に流れています。
人類は、たぶんこれからもっと進化して、今の社会を克服していくでしょう。しかし、ミネルバのフクロウという認識は、現実の世界が夕暮れになってからでなければ飛び立ちません。今、大事なことは、性悪説の理論に対して性善説の理論を対置させようとすることではなく、性善説が成り立つような社会を作っていくことだと思います。
さて、では、肉食獣や性悪説が果たしてきた役割は、どのように考えられるのでしょうか。
肉食やエゴイズムを否定するのではなく、もちろんそのまま肯定するのでもなく、それらを歴史的な役割として評価していくことが大切です。
生物も人間も、肉食や争いを通して進化してきました。しかし、それは、肉食や争いが生き物の本質であったり、それらが生き物の目的であったりするのではありません。より大きな目的を実現するための自分たちが向上する手段として、そのような否定的な契機が必要であったということなのです。
このことを教育にあてはめてみると、次のようなことが言えます。人間の本質として大事なことはあるが、その本質とは往々にして異なる形で、子供の成長にとって必要なことがある、ということです。
その代表的なものは、一つは強制であり、もう一つは無駄ではないかと思います。(つづく)
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ここ1、2日、ホームページの記事が滞っていました。
7月からの新学期の教材発送をするために、2日間ほど、課題の手直しなどで時間がとれなかったためです。
そこで、今日は、その教材印刷の話を。
言葉の森の教材の作り方には、特徴があります。
一つは、教材をすべてHTMLで作っていることです。これは、クラウドな環境を意識したもので、全世界どこからでも、リアルタイムで生徒の使っている教材とまったく同じものが見られるようになっています。したがって、PDFのようなリアルタイム性のないものは使っていません。
しかし、HTMLは仕様がアバウトなので、ブラウザによって印刷画面がかなり違います。
いちばん困るのは日本語の縦書き表示のできないブラウザがあることで、マックのサファリ、ファイアーフォックス、オペラ、グーグルクロムなどは今でもだめですが、今後も改善される見通しはありません。日本人の参加の度合いが少ないのだと思います。
いちばんいいのは、日本人が日本語のブラウザを開発することですが、それがまだできない現在では当面、マイクロソフトのインターネットエクスプローラが基準のブラウザになります。IE8であれば、縦書き表示に対応しているので、世界中どこからでも、言葉の森の教材が印刷できます。
もう一つの特徴は、この教材を生徒別にプリンタで出力して教材を作っていることです。生徒の学年と進度によって課題の組み合わせが微妙に違うので、人間の手作業は行わず、すべてデータベースでコントロールしています。
1人約30ページの教材を、個人ごとにプリンタで出力してそれを製本するようにしています。全生徒の分約3万ページを京セラのプリンタでがんがん印刷します。
今回は、3台半のプリンタで、15日の午後1時から印刷を始め、夕方の8時ごろまで印刷しました。その後、いったん休憩して、翌朝午前1時ごろから印刷再開。途中でプリンタの予備のトナーがなくなるなどのハプニングがあったために、最終的に全部の印刷が完了したのは、朝の9時ごろでした。
3台半のプリンタが、のべ16時間フル回転なので、印刷しているところはまるで熱帯のジャングルのようでした。(エアコンを入れていなかったので^^;)
16日の午前10時ごろから、教材の封入を開始して、ようやくその日の午後2時ごろに、ヤマトによるメール便の発送に間に合いました。
生徒のみなさんの手元には、早ければ17日に、7月からの教材が届くと思います。
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現在、7月からの新学期の教材を作っています。7月からは、暗唱用の長文を毎週の課題の長文にも拡大します。具体的には、毎週の課題の長文に100字ごとの区切りを入れています。
これまでのような形で暗唱用の3つの長文を選択してもいいですし、課題の長文12週分の中から選択してもかまいません。
ただし、課題の長文は、説明文の文章が多いため、暗唱が難しくなると思います。
そこで、暗唱のコツを再度説明します。
暗唱は、覚えることを目的としません。繰り返し音読する結果として覚えることになるということです。
第一のコツは、暗唱用紙を使うことです。このやり方が、いちばんわかりやすいと思います。暗唱用紙を横に1回ずつ山折りするときに縦に谷折リをしておくと、形が固定するので、回数を数えやすくなります。
第二に読み方です。100字の暗唱は、ほぼノンストップで、句読点であまり区切らずに、早口で一息に、自分の耳に聞こえるぐらいの声を出して読みます。しかし、最初の数回はゆっくり読んでもいいので、できるだけ一文字も間違えないように読みます。最初に読み間違えると、その間違いが定着してしまうからです。
第三は、100字と次の100字の間のつなぎです。100字の文章は一息に歌のように読めるので、途中で詰まることはありませんが、次の100字の文章に移るときの出だしが思いつきにくいのです。事実文であれば、自然にストーリーがつながりますが、説明文はストーリーにはなりません。そこで、出だしの言葉をイメージ記憶で覚えて、自分でストーリー化します。このときに、ダジャレの感覚が必要になります。
以上のようなやり方ですっかり暗唱できるようになったら、早口ではなく普通の読み方で、イメージも使わずに読んでいくようにします。
1日10分の暗唱で、頭脳が活性化します。頭のラジオ体操のようなつもりでやっていくといいと思います。
よく、「数回で覚えてしまうので、そうしたら、もうそれ以上読まなくていいですか」という質問があります。
このように、覚えることが目的のようになってしまうと、文章が難しくなって覚えにくくなったときに、逆に暗唱ができなくなってしまいます。
この場合は、次のいずれかの方法で対応していってください。
(1)覚えられたかどうかに関わらず、決めた回数だけ読むようにする。
(2)当面は覚えたらよいとするが、文章が難しくなって覚えられなくなったときは、回数を決めた読み方に戻る。
(3)回数を少なくして決めなおす。
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