受験勉強は、夏休みで決まると言っても言い過ぎではありません。なぜかというと、夏休みは朝から晩まで勉強ができるからです。この長時間収集して何日間も継続して勉強できるという環境が、成績を急上昇させる力になります。
と言っても、人間の集中できる時間は限られていますから、中学3年生でしたら、1日7時間(朝3時間、午後3時間、夜1時間)の勉強ができれば十分です。しかし、1日7時間を40日間続けるというのは、中学3年生ではかなり大変だと思います。
夏休みは、塾の夏期講習に行く人も多いと思いますが、塾や予備校での勉強の弱点は、志望校の傾向にも関係なく、自分のわかっていることわからないことにも関係なく、みんなが同じように授業を聴かなければならないことです。つまり、勉強の無駄が多いということです。塾で授業を聴いている時間は、自分で勉強している時間の半分か3分の2ぐらいの密度だと考えておくとよいと思います。
ですから、塾に通う時間とは別に、自分なりに勉強する時間も確保しておくことが大事です。ただし、小学6年生は、まだ自分で勉強の計画は立てられませんから、親がリードするのでない限り塾に通って塾中心の勉強になるのはやむをえないと思います。
大学受験生は、志望する大学と学部によって勉強の仕方がかなり違ってきますから、自分流の勉強の仕方をすることが最も大事になります。日本の大学入試はガラパゴス化しているため、塾や予備校によって至れり尽くせりメニューが用意されています。そういうメニューに乗って勉強して首尾よく合格してしまうと、かえって自分で試行錯誤して勉強するという力が育ちません。できるだけ自分なりの工夫をして勉強をしていく必要があります。
高校入試は受験勉強の傾向が似ているため、中学3年生の塾での勉強は比較的能率よくできますが、この場合でも、自分の得手不得手に対応した自分なりの勉強時間を確保しておくことが大事です。
中学3年生の自分なりの勉強は、次のようになります。
英語は、中1から中3までの教科書を1ページにつき30回ぐらい音読して暗唱と暗写ができるようにしておくことです。また、前年度の英語の全国入試問題集を1冊買って、英語の長文を読むスピードに慣れておくことです。
数学は、自分にとってはやや難しいぐらいの1冊の問題集を、100%1問も残らずできるようにしておくことです。特に大きく差がつくのは、中3の終わりごろに学習する図形の問題です。図形の問題は、できるできないの差がはっきりしています。図形問題を解くセンスは、できなかった問題を100%できるようになるまで何度も繰り返し解くことで身につきます。決して才能の問題ではなく、単純な反復ができるかどうかの問題です。
国語は、問題集読書で力をつけるとととに、志望校の過去問を答えを書き込みながら解いて難易度をつかんでおきます。この難易度を把握しているといないとでは、点数がかなり変わってきます。
理科や社会は、志望校の過去問を答えを書き込みながら解いてみて傾向をつかみます。そのあと、同じように参考書や問題集も答えを書き込みながら何度もくりかえし読むことが勉強の中心になります。大事なことは、じっくり解いたりじっくり書いたりすることではなく、何度も繰り返し読むということです。
以上のやり方は、基本的には小6の人にも高3の人にもあてはまります。
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公立中高一貫校の志望校別の受験コースは、受験の5ヶ月前から始まります。2月の試験の場合は、9月ごろからスタートできます。
公立中高一貫校を志望する場合、夏休み中は、志望校の過去問や、言葉の森の毎週の長文や、日々のニュースなどをもとに、家族の対話に力を入れていくとよいと思います。ただし、子供の話を聞くというよりも、親が自分の体験や意見をどんどん話してあげて、子供の考える材料を増やしていくというのが勉強の中心になります。
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小6かりくの母です。
いつも娘がお世話になっています。
最近学校で行われた、授業参観での娘の授業態度で気になったのですが、一見聞いているようで、実は授業を集中して聞いていない気がしました。
いくら家で親がうるさく言って勉強させても、うっかりミスがなくならなかったり、テストで見落としが多く、いまひとつ良い点がとれない理由は、ここにあるのではとおもいます。
それに今後このことでとても困るのではないかと不安に思っています。
親がいくら言っても本人の自覚がなければ治らないと思います。
そこでお願いなのですが、毎日の暗唱分を、
「いかに学校で授業中、先生の目を姿勢よくきちんと見て、話を集中して聞くことが大切なのか」
を徹底的に説いた文章をうちの子に出して頂けないでしょうか?子どもが自覚を促す文章です。
勝手なお願いなのですが一度ご検討いただけませんか?
それは、たぶんそのときの授業があまり面白くなかったからだと思います。
また、うっかりミスや見落としがあるというのは、愛嬌です。
小学校6年生のころから、そんなにしっかりやっていては、あとが続きません。
本当の勉強は、本人が勉強を自覚したときから始まりますから、それまではきれいな花を咲かせようとするよりも、大きく根を張る時期と考えておくとよいと思います。
大きく根を張るためには、お母さんのおおらかな接し方が必要です。
今度、うっかりミスがあったときは、そのミスを叱らずに、「人間には少しぐらい失敗があった方が魅力的なんだから、このぐらいはかえっていいのよ」と励ましてあげるといいと思います。
あまり、答えになっていませんが。(^^ゞ
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現代の教育の前提に、個人の努力によって個人の利益を手に入れるという考え方があります。
勉強をして、いい成績を取り、いい学校に入り、いい報酬を手に入れることが、教育の成果だと考えられています。そのために、競争に勝つという発想が生まれます。
その根底にあるのは、個人の利益が全体の利益につながるという前提に基づいた個人主義的な考え方です。
日本で初めて個人主義の教育を説いた福沢諭吉の立身出世主義は、当時の社会風潮に対する建設的なアンチテーゼ(反論)でした。つまり、当時の、国内だけに埋没し自己の修養のためのカビの生えた四書五経を学ぶ旧態依然の教育に対して、開明的な個人主義に基づいて西洋の学問を吸収する自立した個人を目指す教育を提案したのです。
しかし、現在、この福沢諭吉の理想は矮小化された形で受け継がれ、小中学生における競争による教育を肯定する風潮を生み出しています。
競争が必要なのは、学校や教員であって生徒ではありません。
呉善花(オ・ソンファ)さんは「私を劇的に変えた日本の美風」(李白社)という著書の中で、日本の文化における、「ありがとう」という言葉の多さ、「おかげさまで」という発想、一生を修行と考えるアマチュアリズムなどの特徴を挙げています。
日本人は、修行というものを、だれでも手順を踏んで学べばそれなりの境地に達することができ、進歩は一生続くものであり、時に個人の才能による成果があったとしてもそれは「おかげさま」であり、社会に還元されるべきものだと考えていました。
一方、これまでの教育は、個人が特殊なノウハウを手に入れて、他人との競争に勝ち、個人の努力に応じた利益を手に入れるという個人主義的な文化を背景にして成り立っていました。
これからの教育は、だれでも同じように進歩できる方法で、だれもが同じように向上し、個人の才能によって得た利益は、相互に社会に還元し合うという発想で行われていくようになると思います。
このような人間観、社会観に基づいた教育は、個人主義に対する集団主義の教育と考えられるかもしれません。しかし、これを、集団への埋没というマイナス面を持った集団主義ではなく、新しい集団主義、敢えて名前をつければ貢献主義の教育と考えていくべきです。
それは、個人の個性を尊重し、個人が才能を発揮することを促しはするが、その個性的な才能から生まれた利益は個人が所有するのではなく、社会の他の人々と分かち合うという考えです。
優秀な子がいた場合、これまで大人はその子に対して、その優秀さを生かしていい地位につき、自分だけ得をしろというような言い方をしてきました。これからは、そうではなく、その優秀さを生かして社会に恩返ししろというアドバイスをしていくようになると思います。
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