作文教育の目標は、正しく分かりやすく書くという基礎力をつけることだけにあるのではありません。また、入試に合格する作文小論文を書くということのためだけにあるのでもありません。作文によって創造性を育てることにあります。
創造性が、三角形の高さだとすると、その底辺は材料の豊富さです。作文を支える材料は、読むこと(読解)によってもたらされます。
読解教育も、現在、速く正しく読むという目標と、受験の国語で高得点を取るという二つの目標に分化しているように見えます。
速く正しく読むことは読解の基礎力をつける点で大切ですが、速読力だけを独自に追求するような読む力では、ある程度の読解力までしか育ちません。内容を消化しつつ読む場合のスピードは文章の難しさにもよりますが大体2000字が限度ですから、5000字や1万字も読むような速読力は、読解力とは関係のない別の能力です。
受験の国語力は、ある程度までは読解力を反映していますが、難度が増すにつれて読解力よりもクイズを解く力が必要になってきます。つまり、読解力の低い子に低い点数をつけることはできますが、読解力の高い子には高いなりの評価を出すことができません。そのために、国語の難問は、悪文をもとにした悪問になりがちなのです。国語の勉強をしすぎると作文が下手になるのはこのためです。
読解力の本質は、向上です。それは、知識を向上させることから始まり、ものの見方や考え方を向上させ、自分自身を向上させることにつながります。読むことが、ただ単に一時的な知識を増やすだけであれば、文章を読むことは辞書を引くことと変わりません。
読むことによって、知識や思考の枠組みが向上するからこそ、最初の読み方よりも後からの読み方の方が、読む深さが増すのです。同じ文章を同じように読み、その文章をもとにした国語問題で同じような点数を取っていても、実はその文章を読み取る深さは人によって違います。
この読み取りの深さを評価する方法は、それを作文の材料としてどのように生かせるかということです。それは、作文に留まらず、自分の人生や身の回りの状況にどのように生かせるかということにもつながっていきます。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
社会に出てから使える能力は、単純にその人がもともと持っている能力の総和ではありません。
その人が既に持っている能力を前提として、それらをそのときどきの目標に向けて、創造的に組み合わせる能力こそが社会で生かせる能力です。
通常、学校ではそのような能力の教育はなされません。学校の目的は、能力を伸ばすことですから、そのためには自由に選択できる手段を制限して、限られた細い水路の中で、特定の能力だけを伸ばす訓練をする必要があるからです。例えば、社会に跳び箱のような障害物があった場合、それをうまく跳び越す人ももちろんいるでしょうが、中には迂回したり、跳び箱そのものを片付けたり、はしごをかけて跳び越えたりする人もいます。それらすべてその人にとっての創造的な解決策なのです。
では、この創造的な能力はどこで身につくのでしょうか。それは、主に遊びの中でです。遊びには、目標はあっても手段の制限はありません。この遊びの中で子供たちは、自分の持っている能力を最大限に生かすための創造性を学んでいくのです。
この遊びによる創造性と同じ役割を果たす勉強が作文です。
作文の中で身につく能力は確かにあります。それは、一定の時間に目標とする字数を正確にわかりやすく書く力です。しかし、作文の本当の目標はその先にあります。それは、自分が今持っている材料(実例、語彙、思考力)を有効に組み合わせてよりよい文章を書くという能力です。
作文を書く面白さは、実はここにあります。書くことによって、新しいものの見方、新しい表現の仕方、個性、感動、共感、ユーモアなどを美的に創造するというのが作文の目的です。
現在の作文教育は、正しくわかりやすく書くという初歩的な段階の指導と、作文小論文入試に合格するために書くという受験対策的な指導とに分化しています。しかし、作文教育の本道は、創造性を育てる作文という第三の道にあるのです。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
世間では単線的な学力観が根強くあります。例えば国語の成績で言えば、学力の高い方から順に5・4・3・2・1という成績がついていくという考え方です。この考え方は、子供が小学校から高校に通っているころには、そのまま子供社会の現実とほぼ一致します。したがって、子供が小学生から高校生にかけての親も、学力は高い方から低い方にピラミッドのような構造で成り立っているという考え方をしがちです。その考え方はもちろん間違っていません。問題は、そのピラミッドのような構造がそのまま社会に出てからも続いていくように考えがちな点にあります。
ピラミッドの上にいる子は、そのまま将来もその位置が約束されたかのように感じ、ピラミッドの中間にいる子は、そのまま将来もその位置に甘んじなければならないように感じてしまうのです。
ところが、実際の社会を見てみると、そのようなピラミッドとは違った構造があることに気づきます。世の中には、多種多様の職業があり、IT産業で働く人もいれば、八百屋さんで働く人もいます。歌を歌うことを仕事にしている人もいれば、会計の記帳を仕事にしている人もいます。それぞれ自分の置かれた立場で、自分の持ち味を生かして仕事をしているのです。
学校時代が、学力を育てるための時代だとすれば、社会は、その学力を生かす時代です。高い学力があることは、広い底辺を持つという点で有利なことですが、それだけでは学力を生かしたことにはなりません。学力を生かすとは、既にある学力を前提にして、それを創造的に組み合わせるということです。この創造性こそが、社会に出てから重要な能力なのです。
ピアニストの舘野泉(たてのいずみ)氏は、脳溢血で右手の自由を失います。しかし、彼は左手だけで弾ける曲があることを発見します。過去の時代にもやはり、舘野氏のように病気や事故で片手を失ったピアニストたちがいたのです。彼らは、不足している片手の能力を嘆くのではなく、今自分が使えるもう一つの片手の能力を生かすことで音楽活動を続けようとしました。
今自分が使えるものを生かす。これが作文的な勉強です。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
森リンの得点で、作文検定の合格級の目安がわかるようにしました。
また、これまでの、強力語彙、重量語彙、素材語彙という言葉を、それぞれ、思考力、知識力、表現力に改めました。
例えば、次のような点数の作文があったとします(小6の生徒が7月に書いた作文です)
総合 73 点(上位1%)
字数 70.7 点 1197 字
思考力(強力語彙) 63.3 点 20 個
知識力(重量語彙) 54.7 点 32 種
表現力(素材語彙) 59.2 点 89 種
得点の表を見ると、次のようなことがわかります。
・この作文は総合70点以上なので、5級(中2相当)の実力があります。
・字数は68点以上(3級)なので、長く書けています。
・思考力は63.3点以上(5級)なので、説明や意見がよく書けています。
・しかし、思考力に比べて知識力が51.3点以上(7級)なので、難しい言葉や漢字をもっと使っていくといいでしょう。
・表現力は57.3点以上(6級)なので、実例の幅を広げるか多様な表現を工夫していくかすると更にいい作文になるでしょう。
以上のように、シンプルですが、今後の勉強の方向がわかりやすくなりました。
【総評】 点数はそれぞれの級の合格ラインの目安です。
級 | 12級 | 11級 | 10級 | 9級 | 8級 | 7級 | 6級 | 5級 | 4級 | 3級 |
総合 | 11点〜 | 18点〜 | 28点〜 | 35点〜 | 44点〜 | 52点〜 | 61点〜 | 70点〜 | 74点〜 | 77点〜 |
相当学年 | 小1 | 小2 | 小3 | 小4 | 小5 | 小6 | 中1 | 中2 | 中3 | 高1 |
字数点 | 21.6点〜 | 27.8点〜 | 35.3点〜 | 40点〜 | 46点〜 | 51.3点〜 | 57.3点〜 | 63.3点〜 | 66点〜 | 68点〜 |
思考力 | 30点〜 | 30点〜 | 35.3点〜 | 40点〜 | 46点〜 | 51.3点〜 | 57.3点〜 | 63.3点〜 | 66点〜 | 68点〜 |
知識力 | 33.5点〜 | 33.5点〜 | 35.3点〜 | 40点〜 | 46点〜 | 51.3点〜 | 57.3点〜 | 63.3点〜 | 66点〜 | 68点〜 |
表現力 | 22.1点〜 | 27.8点〜 | 35.3点〜 | 40点〜 | 46点〜 | 51.3点〜 | 57.3点〜 | 63.3点〜 | 66点〜 | 68点〜 |
■思考力:意見や説明を書く力
■知識力:難しい言葉や漢字を使う力
■表現力:多様な実例や表現を書く力 |
(スペースの関係で準2級以上は省略しています)
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
夏休み集中受講では大変お世話になりました。
3月に、「新中2男子の母」でコメントしたものです。
7月にお試し学習2回のあと、8月の学習4回を1日から連日で
やっていただきました。イレギュラーな受講でご迷惑をおかけしました。
パソコンおたくの息子は、パソコンで入力できること
森リンがすぐに採点してくれることが気に入り、
大の苦手の国語なのに、喜んで文章を作っていました。
森リンはとても息子に合っているシステムのようです。
普段の勉強では集中力がなく、20分やると休憩してしまい
長続きしなかったのに、言葉の森の課題をしているときは
気がつくと1時間2時間と集中していました。 文章を
作り出すことは、たびたび休憩しながらではできないのですね。
昨日は、森リンが出してくれた、上位1%に大喜びでした。
最終回の今日は、「今日は会心の出来とはいえない。得点は
低いだろう」と申しております。
が?たった今送信したところ、78点、上位1%が出てしまったそうです。 (森川林先生、プログラム採点甘くないですか?笑)
学期中は、補習とサークルで平日の帰りが遅く、夏休み集中受講という形になりました。 また時間を見つけて受講したく思います。 どうぞよろしくお願いいたします。
コメントありがとうございました。
ちょうど中学2年生のころは文章を書くことがいちばん苦手になる時期だと言われています。年齢的に、読む力と書く力の発達がアンバランスになるからです。
しかし、森リンのように評価に客観性があると、文章を書く子とに一定の目標ができるので、取り組みやすくなるようです。
ニコンデジタル君は、思考力の点数が高かったので、考える力は十分にあると思います。
4回目の文章は字数も1200字以上で、とてもよく書けていました。
コメントありがとうございました。
ちょうど中学2年生のころは文章を書くことがいちばん苦手になる時期だと言われています。年齢的に、読む力と書く力の発達がアンバランスになるからです。
しかし、森リンのように評価に客観性があると、文章を書く子とに一定の目標ができるので、取り組みやすくなるようです。
ニコンデジタル君は、思考力の点数が高かったので、考える力は十分にあると思います。
4回目の文章は字数も1200字以上で、とてもよく書けていました。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
グーグル以前の検索エンジンは、あるページに含まれるキーワードを合算しただけでした。グーグルはこれに対して、そのページに対するリンク数という考え方を打ち出しました。
しかし、グーグルの評価が、単純に被リンク数を加算するだけなら、相互リンクを増やしたサイトがトップに立つはずです。しかし、必ずしもそうならないのは、被リンクの質を評価に付け加えているからです。これは、評価の高いところからリンクを受けているサイトは、高評価にするというだけではありません。評価の低いサイトからリンクを受けているサイトは、減点にするということも行っているはずです。この裏技破りによって、グーグルの評価は妥当性を維持しつづけているのです。
森リンの評価も、これに似ています。
森リン以前の文章評価は、おおまかに言えば、ある文章の中にあるプラスの要素を合算しただけでした。例えば、句読点の数が妥当であるとか、高度な語彙が多く使われているとか、接続語の数が多いとかいう要素にそれぞれ配点を割り当てて合算していました。評価の正確さを追求すると、要素の数を増やしていかなければなりません。そして、評価の仕組みは、作った人にもわかりにくいブラックボックスになっていきました。
森リンの評価は、もっとシンプルです。更に、そのシンプルさに加えて、語彙間のバランスを評価の中に組み入れています。このバランスの評価が、いわゆる裏技に対応する仕組みになっています。
グーグルは、検索のアルゴリズムを基本的に公開しています。しかし、裏技に対抗するアルゴリズムまでは公開していません。もしそこまで公開すれば、検索の妥当性という本来の目標を離れて、裏技への対応のいたちごっこが始まってしまうからです。
グーグルがアルゴリズムを公開しているのは、それを公開することによって、よりよりサイト作りの指針が提供できると考えているからだと思います。
森リンも同様に、作文の勉強にプラスになる指針作りのために、アルゴリズムを公開していきたいと思っています。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
ロボット検索よりも人間の登録の方が信頼できるという考えをくつがえしたのがグーグルです。グーグルは、日本ではまだヤフーよりも知名度が低い検索エンジンですが、世界的にはトップシェアです。そのグーグルが開発した方法が、被リンク数でした。
グーグル以前の検索ロボットは、あるページ内に含まれるキーワード数を中心にページの評価を行っていました。しかし、このやり方では、すぐに裏技が使えてしまいます。サイト運営者がページ内のキーワードを意識的に増やせば、ロボットの評価も上がっていくからです。つまり、内容は変わらないのに、評価だけが上がるという操作が可能になってしまうのです。
これに対してグーグルの評価は、あるページに対するリンクの数でそのページを評価します。このやり方は比較的裏技の使いにくいものでした。グーグルの評価に対応するために、さまざまなサイトが相互リンクなどの試みを行いました。グーグルへの対策は、今もいろいろな試みが続けられています。しかし、全体的に見て、グーグルの検索結果はほかの検索エンジンと比べて妥当性が高いと多くの人が認めています。
なぜでしょうか。グーグルの評価の妥当性が高いのは、被リンク数を評価する方法自体にあるのではありません。被リンク数を評価する方法が、裏技を破りやすい点にあるのです。つまり、検索エンジン対策として行われるテクニックに対して、そのテクニックを上回るアルゴリズムを作りやすいというところにグーグルの優位性があったのです。
これと同じことが、森リン以前の文章評価ソフトと、森リンとの違いについても言えます。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
文章の自動採点ソフトは、日本ではまだアレルギー反応があります。
海の向こうのアメリカでも、最初に自動採点ソフトが登場したときは、「ソフトに人間の書いた文章が採点されてたまるか」という反応があったようです。しかし、人間が採点するプラスマイナスとソフトが採点するプラスマイナスを勘案した結果、公立高校の卒業試験に自動採点が使われるようになりました。
日本でも、やがて文章の自動採点ソフトのプラス面とマイナス面が冷静に評価されて、いろいろな試験に利用されるようになると思います。しかし、今はまだ、そういうソフトがあること自体知らない人がほとんどです。
さて、ここで、文章自動採点ソフトと、グーグルなどの検索ロボットとの類似性について考えました。
検索ロボットは、インターネット自体が新しい媒体だったということもあって、スムーズに社会に受け入れられました。それでも、最初のころは、ロボットによる検索よりも人間の手による分類の方があてになるという意識がありました。なぜかというと、最初の頃のロボット検索は、かなり大雑把なものだったからです。例えば、あるページに対象となるキーワードが多数埋め込まれていると、それだけで上位に表示されました。アルゴリズムが単純であれば、裏技も簡単です。内容のないページにキーワードだけをたくさん埋め込むようなサイトが出てきて、ロボット検索は信頼性が低いと思われるようになりました。
文章の自動採点ソフトも、今はまだこのロボット検索の初期段階のところにあります。
しかし、このあと、ロボット検索は大きく変化していきます。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
川崎製鉄の付属川鉄総合病院は、私が二人の赤ちゃんを産んだ病院である。
当時私は千葉市園生町のあやめ台団地に住んでいた。蘇我にある病院までは遠かったが、友人の村上さんの紹介でこの病院にお世話になっていた。
結婚して八年目にして最初の子が生まれた。娘の亨子である。親族の誰もが待ちに待った赤ちゃんで、それは何に例えようもない無上の喜びであった。
病室は六床の部屋で、六人分の喜びで満ちており、入れ替わり立ち替わり親族や友人らのお見舞いに互いに遠慮のない談笑が絶えなかった。
ところが、私たちが有頂天になっているとき、私の隣の若いお母さんには、一人の見舞客も居ないと気がついた。新しい命を祝うはずの父親も彼女の両親も来ていなかった。そういえば、彼女は朝の挨拶ぐらいの会話で他の同室のママたちとはあまり交じっていなかった。喜びを分かち合えないことは寂しいことであった。
出産して三日目ぐらいだったろうか、私たちの病室にナースステーションから「○○さん、至急母子手帳を持ってきてください」とアナウンスがあった。
○○さんとは、隣の無口なママのことである。
その彼女が、私に「今、何手帳を持ってくるようにといってましたか」と聞くので、
「母子手帳と言ってましたよ」そういうと、「そんなのないんだけど」と不安そうにして持ち物のなかを探っている。
「ははこ手帳ならあるんだけど」
「そう、ははこと書いて〝ぼし手帳〟と読むのよ」
私はこのとき三二歳、彼女は十代の終わりか、二十代のはじめだろうか。何しろ私たちと世代が違う感じであった。
〝ぼし〟を〝ははこ〟と読む彼女はまだ大人になりきって居ないのだろうかとも想像した。
今頃何故母子手帳が必要なのだろうかと思ったが、私はそれ以上考えもしなかった。
出産後の母親の体力の回復のため赤ちゃんは別室の乳児室に預けられていた。授乳時間になると、私たちが授乳室に行き、赤ちゃんを胸に抱き授乳する。ぐいぐいと飲む赤ちゃんもいれば、私の赤ちゃんは吸う力が弱いようで、なかなか飲んでくれない。私のような新米の母親はなんとか乳首にくらいついて欲しいと思うのだが、うまくいかない。第二子、第三子というベテランのお母さんは心配ないと励ましてくれる。
赤ちゃんの顔だけを見て何とか飲ませようと必死の母親にとって、一人彼女がいないことに気がついたのは、これで授乳時間終わりというような時であった。
病室に戻ると、彼女が一人ぽつねんと窓の外を眺めていた。眺めていると言うよりも、ただ虚ろに視線を外に向けているだけで、焦点を定めているようには思えなかった。その姿は不安とさびしさのようなものに満ちあふれているように見受けられた。私たちに気がつくと、涙をふいているようでもあった。声をかけることをはばかれるようなそんな雰囲気でもあった。
その日、私の両親が、お乳が出るようにとブドウをたくさん持って見舞いに来てくれた。 同室のお母さんたちに一房ずつ配った。みなさんがこうして見舞い品を分け合っていた。
だれもが、お裾分けを喜んで納めていたが、彼女だけは違った。かたくなに遠慮していた。
でも、私が無理強いしたとは思わないが、それならと受け取ってくれたので、人の好意を受けてくれたことが私は嬉しかった。そして応えてくれるかどうか不安であったが、思い切って、授乳室に来なかったことについて聞いてみた。
すると彼女は、寂しげに、
「あかちゃんの心臓の動きが悪いから、手術をするんだって」
それは、彼女には青天の霹靂であったろう。陣痛の苦しみ痛みを乗り越えて得たはずの新しい命の心臓に欠陥があるなどと宣告されたら、もし私だったらと思うと他人事ではない。彼女の涙がわかった。この母親になったばかりの若いママにこんなに重い十字架を背負わされたのだから。
「ご主人に話したの」と聞くと、
「あいつとは別れた」と、声を落とした。
男と別れ、女ひとりたくましく子育てをしながら大地を行く気持ちでいたのだろう。
しかし、この不安をともにするべきパートナーが居ないとは、彼女の小さい胸に、か弱い肩に、どれほどの重荷だろうかと、私は胸が痛くなった。
その翌日であったろうか。私たちが授乳室に行っているときに、彼女はひとり退院して行った。
私たちの有頂天のにぎわいは、彼女にはどれほどうとましかったのだろうか。
彼女が去った後のサイドテーブルには、ブドウが一房そのまま残っていた。
今年、娘は四十二歳。結婚して四歳の男の子の母親となっている。
娘の節目、節目に、彼女のあのぽつねんとした寂しげな姿を思い出していた。
赤ちゃんは手術によって命が助かったろうか。助かっていれば娘と同じ四十二歳である。
あの悲しいお母さんは、大地に根を下ろしてしっかりと歩いて居て欲しいと願っている。
どうしているだろうかと、忘れられない一人となっている。
無料での作文自動採点はなくなったのですか。是非再開してください。
森リンの自動採点が停止状態ですみません。
実はサーバーの引っ越しに伴い、森リンを入れ直したのですが、文字化けの部分が直らないのです。
夏休み中に直したいとは思っているのですが……。
私は興味のある職種が2つあります。
1つ目はエンジニアです。私は7月頃に行われた職業体験で車屋へ行ってきました。父が車関係の仕事をしているので小さい頃から車に興味がありました。職業体験の仕事内容は車の整備を中心に行いました。その中で更にエンジニアという機械関係の職種に興味がわきました。
2つ目は宇宙関係の仕事です。小学校三年生の頃の担任の先生がとても宇宙好きな先生でした。その先生は授業中、休み時間などいつでも宇宙の話をしてくださいました。そんな話を聞いているうちに宇宙に興味が出てきました。その後もインターネットを使って調べ、小学校の卒業文集にも書きました。
私は「このどちらかの職業を選びなさい」と言われても選びきれません。そこで「ものづくり」と「宇宙」を組み合わせた宇宙開発技術者という職業に目を向けました。宇宙開発技術者とはロケットや人工衛星を始めとする機器を製造したり宇宙や地球環境の観測に携わることのできる職業です。
その中でも私は人工衛星の開発に携わりたいです。JAXAのプロジェクトの一つに「超低高度軌道を利用する最初の地球観測衛星」というものがあります。簡単に説明すると人工衛星を地上600~800kmで飛ばしていたのを地上180~300kmで飛ばすというプロジェクトです。こうすることにより人工衛星を作る際にかかるコストを軽減することができます。
もしかすると私が就職する頃にはこのプロジェクトは完全に達成されているかも知れません。その場合私はその人工衛星を活用した取り組みをしていきたいと考えています。
今私が考えているのは電子マップのグレードアップです。例えば山に遭難した、運転中に道が複雑でどこを曲がればいいかわからない。といったトラブルが今現在発生しています。これを高度な人工衛星の技術を使って解決したいです。そして一人でもマップを使用する際に不便さを感じないようなものを作っていきたいです。
今、僕が重要な悩みを抱えているのは、誰でもあるかもしれないが、僕は特にそうなってしまっている. 夢中になっているときに周りが見えない癖だ。まあ大丈夫だろうと言われたがこの癖のせいで道で迷子になってしまうことがあった。この重大な悩みネタがあるせいで、この卒業文集で書くぐらいすごい悩みになってしまったのだ。もし仮に、今回は軽めの迷子で良かったが、そのせいで帰り道がわからなくなると、本当に最悪だ。スマホがあるとナビで帰れるかもしれないが、最近だとナビはあくまでも機械だからバグってしまって、間違う可能性だってある。だから、自分はこの夢中になってしまったらすべてを忘れてしまう癖を忘れたいが、本当に癖になってしまうので、中学生になったら、極力この癖に向き合って、改善していきたいと思っている。
あ君へ
人間には個性がある。
その個性を活かすことが大事。
夢中になって他のことを忘れるという個性を活かす仕事をする方向で考えてみよう。
学校の評価は、当面関係なしで。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
文章を書く人の方が読む人よりも相対的に増えつつある。これが現代の特徴です。
これは、文章の読み手と書き手の関係にとどまるものではありません。あらゆる商品がやがてこういう運命になりつつあるのです。
労働についても同じです。
「売る」立場と「買う」立場とどちらが楽しいでしょうか。
文化祭や地域のお祭りを見るとわかるように、売る立場の人は買う立場の人よりもずっと大変な仕事をしているのに生き生きとしています。「まったくこんなことやっていられないよ」などと言いながらうれしそうに焼き鳥などを売っています。(おまえのことだろ^^;)買う立場の人はのんびりとお金を出して買うだけですから楽なはずなのに、売る人ほど生き生きとはしていません。
ソフトなども同じです。便利なソフトを使う人よりも、そのソフトを苦労して作る人の方が生き生きとしています。作る人は見返りがほとんどなくても平気で朝から晩まで仕事をします。使うよりも作る方が楽しいからです。しかし、給料をもらって「作らされる」人は過労で倒れます。「作る」と「作らされる」ではプラスとマイナスぐらいの違いがあるからです。
起業が一種のブームになっていますが、これは決して一過性のものではありません。時代的な流れとして、自分で仕事をしたいという人が増えているのです。
教育は時代を反映します。
読む人が大多数である時代に必要な力は読解力でした。しかし、書く人が読む人よりも増えつつある時代に必要な力は作文力です。
ところが、作文力を評価する本格的な方法はまだありません。森リンぐらいです。(ここに来た(笑))
ほかの教科でも事情は同じです。今の学校の授業は、自分で起業したい人を育てる内容ではありません。従順で有能な労働者を育てるためのカリキュラムになっています。もちろんそれが悪いわけではありませんが、人間の本来の教育に対する要求と微妙にずれた内容となっています。この教育もやがて大きく変わっていくでしょう。
次回は、森リンの今後について
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。