受験生の読解力、表現力を評価するのに、作文や感想文を書かせるよりもいい方法があります。それが聞く力のテストです。
なぜそれがいいかというと、第一に、問題作成が簡単だからです。第二に、評価の仕方もきわめてシンプルだからです。そして第三に、受験生の読解力、表現力が作文の試験よりもはっきり表れるからです。
教室で先生が生徒に課題のヒントを説明するとき、先生の話に応答して、自分でもいろいろと話す子がいます。こういう子は、よく理解している子です。更に、応答は特にしなくても、先生に聞いた説明を作文の中にうまく盛り込んで書く子がいます。こういう子も、よく理解している子です。
ですから、言葉の森の電話指導で、先生の説明を聞き、その説明を生かして作文を書ける子は、それだけで十分な実力があります。
受験に臨む生徒の中には、「先生から聞いて書くのではなく、自分の力で書かないと本当に実力があるかどうかわからない」と言う人がいます。しかし、実際は聞いて書けるというだけで十分です。聞いて理解して書ければ、それが実力なのです。
この仕組みを逆に読解力と表現力の試験の問題作りに生かすことができます。その方法は、まず、説明文の文章を放送などで流します(1200字の文章であれば3分ぐらい)。受験生はそれをメモをとりながら聞きます。そのあと、聞いたとおりをそのまま文章として書き出します。これで、受験生の文章理解力と文章表現力の両方の実力がわかります。
ここでわかる実力よりも更に難しい、構成力、実例力、表現力、意見力などは、入試で評価しなくても、入学後の指導で実力をつけることができます。入試で評価するのは、高度な作文力ではなく、この基礎的な読解力、表現力だけで十分です。聞いたことをメモして書き出せれば、それがその子の国語の実力になります。評価は単純に、どれだけの字数まで書けたかということで見ることができます。
今後、以上のような試験が出てくるとなると、その対策でいちばん大事なのは、メモのとり方に慣れておくことです。
家庭での勉強法は、簡単です。お父さん又はお母さんが、国語の入試問題の説明文を読んであげ、子供はメモをとりながらその話を聞きます。そのあと、そのメモを見ながら自分がどんな話を聞いたかを口頭で説明します。
文章は、読んで理解するよりも、聞いて理解する方が、読解力の実力の差がはっきり出ます。日本語は、同音異義語が多いため、読むときはそれを漢字という表意文字でカバーしながら理解しているからです。
ですから、家庭で子供の読解力をつけるいちばん簡単な方法は、親子が楽しく会話をすることです。そして、その対応の際に、お父さんやお母さんが、少し意識して心持ち難しい言葉を、できるだけ長い文で話すようにするといいのです。
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言葉の森が作文教室を開いてからしばらくたったころ、大学入試でも小論の試験を行うところが出てきました。
そして、教えている生徒の中に、高校生になって、受験する大学に小論文の試験があるという子も出てきたので、入試向けの指導もするようになりました。
言葉の森の前身は、もともと、マスコミを受験する大学生を対象に作文の書き方を教える教室だったので、試験に合格するような文章を書くということについては既に実績があったのです。
そのころの受験コースの課題は、志望する大学や学部の傾向に合わせて、言葉の森の課題長文の中から問題を組み合わせて作っていました。ですから、受験コースは当時無料のサービスでした。
その後、高校入試の推薦小論文や、公立中高一貫校の作文試験が行われるようになりました。そのころ、作文試験に対応している教室は、言葉の森以外にはなかったので、それぞれの入試に対応した作文の課題をオリジナルに作っていました。
やがて、作文試験を行う学校が増えるとともに受験希望者も増えてきたので、教室全体の制度として対応できるように、受験コースのオプション追加料金を2100円としました。その後、過去の入試問題も入手できるようになってきたので、問題作成の手間はだいぶ軽減されるようになりました。
言葉の森の受験作文コースには、これまでの蓄積に基づくいろいろなノウハウがあるので、言葉の森で勉強すると、たぶんほかのどこで勉強するよりもよく書けるようになります。受験した子のほとんどすべてが、「作文の試験だけは納得いくものが書けた」と言います。それぐらい、わかりやすくレベルの高い指導をしています。
しかし、受験コースは教える講師の負担も大きいので、大学入試や就職試験の場合は、言葉の森の元生徒だったなどの特別の事情がないかぎり、お断りせざるを得ません。ただし、単なるお断りでは申し訳ないので、質問の広場などで極力アドバイスをするようにしています。
言葉の森では、優れた作文・小論文を書く指導をすることについては自信がありますが、問題は、採点する学校の方が、多数の受験生の充実した作文を十分には読みきれないだろうという心配があることです。
だから、受験作文指導では、本当は実力をつけることで十分なのですが、ある程度合格するポイントに絞った指導をしています。その指導のポイントというのは、平凡ですが、
(1)誤字が一つもないこと。もちろん習った漢字は使っていること
(2)できるだけ指定の字数いっぱいまで書くこと
(3)その学年相応よりもやや難しい語彙を自然に使うこと
(4)感動のある実例を書くこと(しかし、本当のことだけを書きます)
(5)きらりと光る表現を入れること
これらの、いい表現、いい実例、いい意見、いい語彙を使えるようになるためには、正攻法の勉強が大切です。それは、そういうものを意識的に入れて書く練習をすることに尽きます。
作文というのはどれぐらいで上手になるかというと、指導を始めてすぐに上手になる面ももちろんありますが、高校生の場合は、毎週作文を書いて1年たったころになると、「自分でも上手になった気がする」と言うようになります。つまり、自分でも自覚できるぐらい上手になるのが1年ということです。
言葉の森では、合格するポイントに沿った指導をしているので、ときどき実力としては不十分だと思われるのに合格する生徒もいます。
学校側が正しく受験生の実力を評価するにはどうしたらいいかというと、時間はかかりますがいちばん確実なのは、作文試験の課題を複数にすることです。1題の作文試験では出来不出来の誤差が出ますが、2題、3題と書いていけば、ほぼ正確にその受験生の実力がわかります。
しかし、最近、それよりももっとよい方法があると思いました。(つづく)
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世界経済は、大きな曲がり角に来ています。その状況を一言で言えば、返済が不可能なほどにふくらんだ借金をいったんハイパーインフレや徳政令で吹き飛ばさないかぎり、新しい時代は始まらないという状態になっているということです。
しかし、その新しい時代の見通しは、もうついています。それは、人間の実際のニーズに裏打ちされた生産活動が行われる社会です。
実際のニーズの根本には、食料やエネルギーという第一次産業があるのは当然ですが、それと同時に、工業やサービス業も、人間の実際のニーズに支えられていれば、未来の社会を支える産業になります。そうならない産業は、だれも必要性を感じていない軍需産業、本来少なくなるのが望ましい医療産業、あまったマネーを操作しているだけの金融産業などです。
では、日本の未来の産業は何になるのでしょうか。
日本は、これまで製造業立国を国是としてきました。しかし、その条件は大きく変化しつつあります。それは、中国の台頭、フロンティアの不在、電子化の流れなどが起きてきたからです。
まず第一は、中国が新たな製造業の生産国として登場してきたことです。今はまだ、中国の製造業は、いくつかの弱点を持っています。それは、比較的安い人権費に支えられてきたこと、品質にまだ信頼性がないこと、高度な技術に関してはまだ日本より遅れていること、などです。しかし、実はこの弱点は、高度経済成長前の日本の製造業が、アメリカなどの製造業と比べて指摘されていたことと同じです。
中国の製造業の有利な点は、国内やアフリカなどの途上国に巨大な市場を持っていること、現代の最新の設備で生産できる体制を整えていることです。
したがって、日本の成長を支えてきた製造業の多くは、今後、中国に追いつき追い越されていくと思います。
第二は、製造業の新しいフロンティアが乏しくなっていることです。自動車や家電製品などの耐久消費財は、日本ではほとんどの家庭に既に行きわたっているので、買い替えの需要しか生まれません。
また、これらの耐久消費財の分野で製品の高度化を目指すといっても、その程度はわずかです。例えば、より高級なテレビ、よりハイグレードな自動車などというニーズは、経済を新たに牽引する力を持っていません。日本人が、製造業に対して魅力を感じるようなニーズが現代ではなくなっているのです。
第三は、製造業に押し寄せている電子化の波です。
例えば、自動車は、複雑な内燃機関を機械的に組み立てたものから、電気自動車のように電子化された部品を組み合わせたものになりつつあります。この電子化によって、日本の製造業が持っていた技術的な優位性は、今後次第に失われていくと考えられます。
これまでの物づくりのノウハウは、主に身体的ノウハウとも言えるもので、手や目の感覚を頼りに、人間が物と対話をしながら進めていく面がありました。
ところが電子化によって、この身体的ノウハウが、知識的ノウハウになってくると、人間と物との微妙な関わりは不要になり、ある組み合わせ方をすれば、だれが組み合わせても同じ動作をするというような物づくりが可能になります。
以上のような三つの面における情勢の変化を考えると、日本の産業の未来は、自ずから明らかになります。
第一は、中国が追いつけない技術を開発することです。第二は、製造業の新しいニーズを作り出すことです。第三は、電子化の前提となっている身体的知識を生かし電子化を先導することです。
このときに日本の新しい産業に要求される技術は、知識的技術ではなく身体的技術ですが、それは、ある一つの分野に専門化した単発的な技術ではありません。新しい素材、新しい技術、新しいニーズと組み合わさった創造性のある身体的技術なのです。
これをわかりやすい言葉で言えば、職人的な技能によって支えられた最先端の総合研究所のような技術と言うことができます。惑星探査機はやぶさや、宇宙帆船イカロスなどは、新ニーズ、新技術、新素材という条件に、日本独特の身体知を組み合わせた試みだと言ってもいいでしょう。
日本の製造業は、ICを生かした組み立て産業になるのではなく、創造的な身体知を生かしてICの新しい設計図を提案するような研究開発的製造業になる必要があります。
日本の未来の産業は、この研究開発産業であり、これが日本の外需を作り出します。従来の加工組立型の製造業は、次々と中国にシフトし、それに応じて日本は研究開発型の製造業になるというのが、日本と中国が共存する未来像です。
このときに、日本の国内の需要を支えるものは、身体知を中核に、幅広く最先端の知識や技術やニーズを学ぶという学習や修行の産業です。
古代ギリシアの主要な国内産業は、学問と芸術と政治でした。それと同じように、未来の日本の国内に向けた産業は学習と修行になり、国外に向けた産業は研究と開発になると考えられます。
もちろん、かつての古い製造業は衰退しつつありますが、今はまだ主要な産業です。また、今後、世界のインフラ整備のために、日本の鉄道技術や土木技術が脚光を浴びる時代も来るでしょう。
しかし、更にその先にある日本の未来像は、修行社会と研究産業であり、日本という国そのものがひとつの人類の巨大な総合研究所になる未来です。
子供たちの勉強も、この展望のもとに進めていく必要があります。それは、教科の枠を超えた幅広い知識、多様な知識を統合する創造性、社会に貢献しようとする倫理観を伴った勉強になると思います。
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江戸時代までの日本人の頭のよさを育ててきたものは、反復する勉強法と、明るい日常生活と、日本語でした。
現代の日本人を見ると、二通りの勉強をする子供がいるように思えます。
一人は、小学校低学年から成績をよくする勉強を忍耐強く行い、頭をよくすることを忘れて、やがて受験勉強の時期を迎えます。
もう一人は、小学校低学年から頭をよくする勉強や生活を楽しく行い、成績は平凡なまま、やがて受験勉強の時期を迎えます。
やがて、その二人が本気で受験勉強を始めるようになると、成績のよかった子の成績もそれなりに伸びますが、頭のよかった子の成績は半年ほどで急上昇します。その結果、それまでの何年間にもわたる成績の差が、受験期のわずか半年で逆転してしまうのです。
先生も親も本人も驚く、このような逆転というのは、実はかなりあります。
成績が急によくなる方向に逆転する子の共通点は、読書が好き、作文が得意、熱中できる趣味があること、などです。将来は、この特徴にもう一つ、言葉の森の暗唱をよくしていたというのが加わるようになると思います。
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