私の母は、優しい人でした。母に怒られたり叱られたりしたという記憶がありません。
小学生のとき、学校をちょっとさぼりたいときがあり、「今日は頭が痛い気がする」と言うと、すぐに熱を測ってくれて、ほとんど平熱なのに、「うーん、ちょっと熱があるから風邪気味かもしれないね。じゃあ、学校休もうか」「うん」ということも何度かありました。
海辺の街で、言葉づかいの悪い友達が多かったので、たまに家の中で、「ばか」とか「てめえ」などと言うと、悲しそうな顔をして、「そういう言葉はつかうんじゃないよ」と優しく言いました。学校の成績がいいと普通に喜んでくれましたが、成績が悪いとか何が悪いとかいうことで注意されたことがありませんでした。
かくれんぼをして地べたに寝ころんで服を泥だらけにして帰っても、何も言わずに洗濯をしてくれました。山で遊びまわり、服にアメリカセンダングサの種をいっぱいつけて帰ってきても、静かにその取りにくい種を取ってくれました。
小学校のころ、夏休みの最後の日の夜になって、工作の宿題を作っていないことに気づき、そのことを母に言うと、「じゃあ、お母さんが作っといてあげる。いいから、寝なさい」と言ってくれました。さすがに夜中に気になってそっと隣りの部屋をのぞくと、母がボール紙と糸巻きでおもちゃのエレベータを作っていました。
そういう子供時代をすごしたので、母親というのは優しいものだと思っていました。
ところが、言葉の森で、子供たちに作文を書かせるとき、子供と話していて、「お母さん、優しいでしょ」と聞くと、10人中10人が、「ううん。怖い」と言います(笑)。
なぜ母親が怖くなったかというと、日本の社会に、学歴主義の広がりという変化があったからだと思います。
私が子供のころ、学歴というものはそれほど重視されていませんでした。みんな、生活に追われてそれどころではなかったのだと思います。
しかし、その後、学歴で社会の入口が決まる傾向が出てくると、古い体質の組織では、入口に応じて出口も決まるような傾向になり、学歴で人生設計が大きく左右されるようになりました。
だから、そういう社会で子供のことを考えれば、親が学歴に力を入れるのは当然です。現代の母親は、子供のためを思って怖い母親になっているのです。
しかし、子供時代に叱られながら厳しく育つと、頭脳があまり成長しません。
大学入試は、小中のころの成績よりも高校時代の成績と関連が高く、高校時代の成績は本人の意欲と結びついています。その意欲のもとになるのは、幸福な子供時代の蓄積です。
また、人生に対する基本的な幸福感や、社会に対する根本的な信頼感や愛情も、ひとえに母親の優しさによっていると思います。
母親がたまに怖いのはやむをえない面もありますが、できれば怖い役は父親に任せて、母親はできるだけ優しい存在であってほしいと思います。そして、その方が、長い目で見て子供のことを考えてあげたことになるのです。
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若い世代ほど非寛容に感じる。
選択肢の制限と堕落した快楽が人心を荒廃させている。
若いお母さんは、自分も塾世代なので、勉強を競争のようにとらえてしまう人が多いのだと思います。
殴る脅す以外の怒り方しか知らない男も増えている気がする
母親が周りを頼れないと追い詰められて誉めるも叱るも1人でこなしているような印象を受ける
男女共に子育てのノウハウや必要な教育が増えすぎているのでは
匿名さん、そのとおりですね。
勉強よりも、子育ての仕方を学ぶ必要があると思います。
言いことおっしゃいますねぇ。
よくぞ言ってくださいました。
全く同感です。
素敵なお母さんが増える世の中になってほしいです。
花の家さん、ありがとうございます。
私の親も怖くて、友達も親とか家族関係で困っています。
そして、その友達が病んでしまいました、。「やっぱり、私は生まれてこなかったら良かった」とか、「もっと才能があれば愛してくれた、、」とか愛して欲しかったが為に自分を追い込んでしまっていました、、
そんな人が少しでも減ればなと思っています。
わんをさん、こんにちは。
親も、初めて親をやっているので、試行錯誤なのです。だから、大きい気持ちで、そういう親も許して認めてあげるといいと思います。
やがて、親も成長していくと思います。
通りすがりに失礼します。
私自身、鬼母です。優しい母になりたいです。
「子育ての仕方を学ぶ必要がある」とのコメントは、その通りだと思います。ただ、これは学校で学ぶものでもなく、皆ぶっつけ本番でいきなり親になるので、子育てはとても難しいです。
「女性が輝く社会」というフレーズのもと、母親は、家事育児だけでなく、仕事もして「キラキラ」しなさい、という社会の圧力もあり、ニコニコ笑顔でゆったり子育てをするのはとても難しい社会なのではないかと思います。
成績が悪ければ母親のせい、素行が悪ければ母親のせい…。しっかり育てないと、と思うと、厳しく叱ってしまうことも多いです。
どのような心構えで子育てをしたらよいか、教えていただけないでしょうか?(そういう講座があれば需要があるのでは?)
優しい母になるために大事なことは、決心です。
それ以外の方法はありません。
どんなにくたびれていても、イライラすることがあっても、時間がなくても、「明るくやろう。子供に優しく接しよう。楽しい人生を生きよう」と決心すればいいのです。
この言葉がわかる人は、苦労したことのある人だと思います。「そんなこと言われても……」と思う人は、まだ苦労していない人だと思います(笑)。
すべては決心だと思ってがんばってください。
森川林様、お返事をありがとうございます。
なるほど、その通りかもしれませんね。私は「優しい母になりたい」と本心では思っていないのかもしれません。いろいろな考え方があると思うので、私もよく考えてみます。
優しい、怖いはあくまで主観である。優しい、怖いには定義はない。統計的に優しい母親が減って、怖い母親が増えたというデータがあるわけでもない。傾向というのは実に曖昧なもので、量的なデータがなければ主観を述べることは出来ても、事実を述べることは出来ない。
怖い父親が減って、子どもに優しい父親が増えているのだろうか?怖い父親が減って、子どもに感心がなく、自分の好きなことばかりに注意をむける勝手な父親が増えているのではなかろうか?
そもそも怖い父親というのは、子どものために優しくなる決心がなく苦労したことがないから怖いのではなかろうか?
性認識についてこれだけ叫ばれるようになってきた現代社会で、どうして”母親”だけが優しくあれねばならないのだろうか?
人は皆、優しいに越したことはない。人が優しくなるために、苦労を重ねて決心する必要があるのであればそれで良い。優しくなる努力には無駄なものはないと思われる。
我が家は
鬼の様な母と、仏の様に優しく聡い父がいます。
父は単身赴任中なので家には普段、母と私のみです。
やはり我が家の母も口を開けば勉強。勉強。勉強。
そこから喧嘩に発展し、
終いにはいつも父が仲裁をしてくれます。
私からすると、
まさに今の母は
私の天敵と言いますか、家に帰りたくなくなる原因です。
いつから「優しいおかあさん」はいなくなってしまったのでしょうか...。
子供と同じように、親も未熟な親からだんだん成長していくのです。
だから、親を恨むのではなく、それを反面教師として、自分は子供に優しく接しようと思っていくことです。
大事なことは、自分が成長することです。
私の母も優しい母です、でも、どんどん厳しくなっていくんでしょうね(笑)
親は最初は愛情から厳しくなるのですが、そのうちに厳しくなることそのものが習慣になってしまうのです。
うちはお母さんが怖いけど僕の将来の為だと思って素直に聞いています。
怖いお母さんと言うか易しすぎるお母さんも何だかな…という感じです。
お母さんこわい勉強いやだえいごもうききたくない
英語なんて、もうやらなくていい時代になります。
大事なのは、母語で考える力です。母語の日本語の力までしか英語力は伸びません。
日本語がしっかりできていれば、それで十分です。
英語に熱心な大人は、英語に劣等感を持っている人か、たまたま英語が得意になった人だけです。
ネコさん、大丈夫ですか。私も二人の女の子の母ですが、NHKラジオの小学生英語を一緒に聞いています。面白くてみんなで笑ってしまいます。お母さんと一緒に何かできるといいですね。海に行って石拾いとか、森の中を散歩したり。でも、なかなか機会がないですよね。夜、おうちの周りを一緒に歩くのはどうですか。懐中電灯を持って行くと楽しいですよ。
養老孟司さんが人間の世界の他に、自然界との接点を持っておくと、そこに逃げることができる、と書いていました。葉っぱひとつ触るだけでも、エスケープできます。ネコさんの心が守られますように。
ネコさん、大丈夫ですか。私も二人の女の子の母ですが、NHKラジオの小学生英語を一緒に聞いています。面白くてみんなで笑ってしまいます。お母さんと一緒に何かできるといいですね。海に行って石拾いとか、森の中を散歩したり。でも、なかなか機会がないですよね。夜、おうちの周りを一緒に歩くのはどうですか。懐中電灯を持って行くと楽しいですよ。
養老孟司さんが人間の世界の他に、自然界との接点を持っておくと、そこに逃げることができる、と書いていました。葉っぱひとつ触るだけでも、エスケープできます。ネコさんの心が守られますように。
私のお母さんは、自分がイライラしているとすぐものに当たったり、八つ当たりしてきます。あたしかお父さんがなんかするからなんですけどねwでも、怒鳴りすぎな気がするんですよね…私字が汚いんですけど、それでさえ「クソが」とか、「お前が全部悪いんだからな」とかいってくるんですよ…お母さんだって字が汚いのに全然直さないし、あたしに助けて貰ったのも結構あったのになんにも感謝してくれない…大体こういうお母さんは色んなことに熱心な人とか、すぐ夢中になる人なんですよ…でもあたしのお母さんなんも熱心じゃないし、嫌いなものからすぐ逃げる人なんですよ…あたし親に刃向かったことがなくて、何も出来ないんですよ…基本言いなりで、お母さんが言ったこと全てやんなきゃなんですよ…だるとか言うと切れるんですよ絶対…もうどうしたらいいか…
娘の友達から怖がられている母 20240507
▽
娘は中3。私は自称甘い母親です。世の中の厳しい先輩ママたちからしたら、もう甘々だと自認しています。しかし、娘のお友達からは怖がられており、私と目を合わせようともしません。思い当たる事があるとすれば家庭内のルールが守られずにスマホを没収したり、自室でのスマホ利用を禁止したり、スマホの利用時間を1日1.5時間までの制限をかけていたり、InstagramとTikTokは禁止、門限を日没までに設定していることや、外泊を禁止している事を娘が友人に話していることで誤解?されているのではないかということです。私、厳しいですか?学校校則で禁止されている外泊をしたり、夜9時頃まで連絡なしで外でふらふらしている子供を注意しない母親の方が虐待に近いと思いますが。ちなみに娘のお友達のお母さん方は放任主義が多いようで、スマホの利用時間の制限もかけず、夜中も使い放題で子供は寝不足になったり、成績も下位で既に理解が追いつかないので勉強嫌いが加速しています。娘は学校での問題行動はなく、成績も中の上で楽しく学校に通っています。怖いってなんでしょう?厳しいとは違うんでしょうか。私としては中学生で厳しくしておかなければいつ厳しくするの?って感じです。高校生からは徐々に自由度を上げていかなければならないので、成人して社会に騙されない大人に育てるには厳しさは必要だと思っています。本題ですが、優しい母が減って怖い母親が増えたのは、自立した大人に育て上げるために教えなければならない事が山ほどあるのに上手に教えきれないから言葉が汚くなったりイライラして態度が悪くなってしまう母親が増えたということではないかと思います。
娘さんの友達から怖がられているというお母さん、コメントありがとうございました。
父と母の分担が理想だと思います。
父が厳しくて、母が優しいのがいいのだと思います。
というのも、母の厳しさは、目先の小さいことをひっきりなしに言うような厳しさになることが多いからです。
もちろん、父も、仕事的な厳しさで子供のすべてを管理するような厳しさになることがあるので、どちらもどちらですが。
子供が納得して自覚することが大事で、時々脱線はしても、基本は自分を律していけるという状態になればいいのだと思います。
yoridorimidori 20240603
▽
私の母は、もう中学2年生なのに、スマホをもたせてくれません。また、ゲームも一度もやったことがありません。やるのは勉強のみ…まあそのおかげで学年一位になれたんだけど。私は、早く親から独立したいです。怒るときの親は、怖く暴力をふるってくるのです。もうやだ
森リン先生の投稿をみて、母は甘やかしていいんだと、初めて気付かされました。
子供は得てして、正しくないことをするので、それをいつも全~部叱っていましたが、叱っても繰り返すときはもっと叱っていました気づけばしかってばかり。でも投稿をみて、母は、ある程度は大目に見る・寄り添って見逃す
叱らずに注意に止めて=許す、のもアリなんだと、びっくりしました。
優しい母になろうと思います。これから実践しようと思います。
すごくためになる記事でした、有り難う御座いました。
あきろあさん、コメントありがとうございます。
子供は、もともとよくなろうとする力があるので、それを見守っていればいいということです。
たまに、どうしても叱る必要がある場合は、お父さんに登場してもらえばいいと思います。(笑)
それも、一生に一度あるかないかというぐらいです。
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欠点直し優先ということに関連して、学習障害ということを取り上げます。
学習障害という言葉は、一種の流行語のような感じがするほどよく使われています。子供の実際の姿を見れば、さまざまな長所が見られるはずですが、学習障害という言葉は、その子供の学習能力のごく一部の不得手な面だけを取り上げて、「ここに欠点がある」というレッテルを貼っているだけという場合がかなりあると思います。
これまでも、何人かの保護者の方から、「うちの子は学習障害で……」という相談を受けたことがあります。しかし、どの子も全く問題なく、むしろその学年の平均よりもよく書けるようになる子が多かったのです。
中には、「学校の先生に、普通の学級ではついていけないから特殊学級に行くようにと勧められたが……」という相談もありました。しかし、その子は、体験学習のあと、すぐにその学年の子が書く作文をよりもずっと充実した作文を毎週楽しく書くようになりました。
結局、どの子も、先生や親から、「欠点がある」ということだけを見られていたために、本人も自分自身を欠点の面からしか見られないようになっていただけなのです。一体、だれがその「学習障害」とか「特殊学級」とかいうことを決めていたのか、と言いたいところです。
このように、「学習障害」という言葉の多くは、子供を見るときに、まず欠点から見るという発想によって生まれたものです。
今ある長所を見ていけば、どんな子も大きな可能性に満ちています。たとえ今、どんなにやる気がないように見えたり、学力が思わしくなかったり、いたずらばかりしているように見えたりしても、少し想像力を働かせてみれば、その子が将来立派な社会人になって活躍する姿が目に浮かぶはずです。
だから、今ある欠点だけを見て、その欠点を直すことだけ考えるのは、単に大人の想像力の不足なのです。
現代は、人間の想念力が強くなっている時代です。親や先生が、その子を「だめな子だ」とか「○○障害がある」とか見れば、子供はそういう方向に育ちます。悪いところを見れば、子供は素直なので、その悪い方向に成長します。しかし、親や先生がその子のよいところを見れば、子供は素直にそのよい方向に向かって成長していくのです。
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体験学習のお母さんから、「もっと厳しく注意してほしい」という要望をときどき受けます。しかし、それは、無条件にお断りしています(笑)。
厳しく注意すればよくなるという発想に、実はもっと大きな問題があるのです。
注意したり直したりして作文がうまくなるのであれば、すぐにみんな作文が上手になっています。しかし、作文指導に熱心な先生に教わると、注意したり直したりする指導が増える結果、作文が嫌いになる子が多くなるのです。
作文を書くときに、「間違った書き方をして叱られたい」と思いながら書く子はいません。みなそれぞれ一生懸命に書いています。
提出するときも、「さあ、今日は何を注意されるかなあ」と期待しながら出す子はいません。やはり、いいところを見て褒められたいと思いながら作文を出すのです。
だから、基本は褒めることです。注意したり叱ったりするのは、意識的にさぼっているときだけです。
では、欠点はどうしたら直るのでしょうか。
第一は、読む力をつけることです。読む力が十分につけば、欠点は一言の注意で直ります。
第二に、そのために、長続きすることを優先し、楽しく勉強することです。
したがって、家庭でお母さんがすることは、間違いを注意することではなく、いつもよいところを見て褒めて、そのかわり、毎日の読む勉強としての暗唱や読書は妥協せずに続けることです。
この逆の人、つまり、毎日の暗唱や読書の自習はせずに、作文の欠点だけを直すというやり方をする人が多いのです。
子供が小学校低学年のときは、だれでも親の言うことを素直に聞きます。その時期に、親が勉強をやらせすぎると、大きくなって子供は親の言うことを聞かなくなります。
子供が素直に言うことを聞く年齢であればあるほど、勉強に関しては甘く、しつけに関してだけ厳しくという姿勢が大事です。(ただし、その場合のしつけも、最小限のものです。例えば、あいさつをする、返事は「はい」と言う、くつをそろえる、イスをしまう、食事中はテレビを見ない、何でも正直に言う、などそれぞれの家庭でルールとして決めたことだけです)
このやり方で子育てをすれば、親はいつもにこにこしていられるし、子供はいつも楽しく生活ができるのです。
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この3月に、小学5年生以上の希望する生徒に問題集読書の見本を送り、問題集読書の体験をしていただきました。
今回は、問題集を各自で用意していただく形で、本格的に問題集読書をスタートします。現在、約50名の人が問題集読書の自習に登録しています。「手引」と「分冊の表紙」は、8月1週までに登録した人にお送りする予定です。
▽問題集読書の登録ページ(問題集読書の自習オプションは無料。問題集は各自でご用意ください)
https://www.mori7.com/mori/mdds.php
問題集は、言葉の森でまとめて注文したためか、アマゾン書店で品切れが続いていますが、楽天ブックスでは在庫があるようです。
(2010年7月28日9:48現在)
▽楽天ブックスの「中学入学試験問題集」
http://tinyurl.com/27mg3kc
問題集読書は、小学生は毎日6ページ、中学生高校生は毎日4ページ、問題集の問題文を読書代わりに読んでいくという勉強です。読みながら、印象に残ったところに傍線を引いていきます。そして、傍線を引いた箇所をもとに四行詩を書いて先生に提出します。
四行詩は、文章の一部の抜き書きでも、自分の感想のようなものでも、どちらでもかまいません。抜き書きならば簡単にできますが、簡単なわりに、ほとんどの子はいい四行詩を書いてきます。ここで書いた、ちょっと背伸びをした表現が、やがて自分で書く作文にも生かされていくようになると思います。
言葉の森の生徒が、中学生や高校生になるまで勉強して、大学生や社会人になったときに、言葉の森で勉強していた成果を実感することがあります。
一つは、文章を書く際に抵抗がなく、レポートなどが楽に書けるということです。
もう一つは、言葉の森で感想文を書くために読んだ多くの長文を覚えていて、それが何かの折にときどき出てくるということです。テレビや漫画の軽い文化が多い中で、真面目で硬い、しかしセンスのよい文章を読んだことが大きな蓄積になっているのです。
問題集読書は、この優れた文章を読む機会を更に拡大させるものになると思います。
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日本の経済が持ち直してきたと言われます。もともとリーマンショックによって世界経済が落ち込んだのは、それまで旺盛だったアメリカの需要が急速に収縮したからです。しかし、その後アメリカに代わるものとして中国の市場が成長しました。日本の景気回復も、中国の市場に依存したものです。
しかし、その内実は、日本ではもはやあまり売れなくなったものを中国の市場に供給したり、日本ではもはやあまり人が集まらなくなった観光地に中国人の観光客を呼び入れたりしているようなものではないでしょうか。
中国の13億という人口に目を奪われて、「そこに市場があるから売る」という対応をしていれば、その市場はやがて中国自身の生産によってカバーされるようになるでしょう。したがって、中国市場による景気の一時的な回復は、長期的には日本経済のより大きな後退を引き起こすと思われます。
日本は、中国という市場に頼るのではなく、日本の内部でより高度な市場を創造していく必要があります。
世界のインフラ整備に需要を見出すという考えももちろんありますが、その需要は、期間は長いもののやはり一時的な需要です。日本経済の本質的な発展のためには、永続的な需要を作り出す必要があります。
医療、介護、福祉など後ろ向きの産業に需要を見出すことは、経済の発展に結びつきません。少子高齢化社会の先進国という特徴は、経済的なものではなく主に文化的なものにとどまるでしょう。
新しい高度な市場とは、外需としては研究開発産業、内需としては教育文化産業になると思います。
研究と教育の分野に新産業を創造するためには、意識的な呼び水が必要です。その呼び水とは、投資を先行させてバブルを作り出すことです。
オランダのチューリップバブルは、植物の生産という希少性の維持しにくい分野で起こったために数年間で破綻しました。その後のイギリスの南海泡沫事件、フランスのミシシッピー計画のバブルは、いずれも約束された果実が手に入らないことが明らかになって破綻しました。
日本の土地バブルやアメリカの住宅バブルは、実物の資産である土地や住宅に裏付けられていましたが、その土地や住宅がそれ自体新たな果実を生み出すものでないことがわかることによって破綻しました。
アメリカのITバブルは、マネーゲームで巨大化して破綻しましたが、それは単なるバブル崩壊ではなくIT産業における生産性の向上という果実をアメリカと世界にもたらしました。
今の日本に求められているものは、教育、研究、文化、芸術の分野で、将来大きな果実をもたらす可能性のあるものに向かって、政策的なバブルを作り出していくことです。世界経済の収縮に対抗するためには、途上国の発展に期待するのではなく、先進国が創造的なバブルを作り出し、新「米百俵」政策を打ち出していくことだと思います。
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作文でも感想文でも、なかなか書き出せないとか、長く書けないとかいう場合の原因は、材料不足にあります。
その証拠に、楽しい出来事があったときは、ほとんどの子供は長い作文を書いてきます。
逆に、楽しい出来事でも、長く書けないのは、「明日の○○が楽しみ」という未来のことを書く作文です。これは、出来事がまだ始まっていないので、書きたい気持ちは十分にあっても、書くための材料がないからです。こういう未来のことを作文に書く場合は、去年の似た話などを思い出して書くというのがコツです。
さて、作文が長く書けないときは、構成図を使って書くと、長く書けるようになります(言葉の森では、小3から構成図を使って書く練習をしています)。しかし、作文が長く書けない子は、構成図もなかなか書けないという面があります。
では、構成図をうまく書くためにはどうしたらいいのでしょうか。
実は、構成図という名前にやや問題があって、子供は、作文と同じようによく考えて書かないといけないという気持ちを持ちがちです。しかし、そうではなく、構成図は脱線してもいいので、思いついたことを次々と書いていくことが大事です。
短文と短文の間は矢印で結んでいきますが、その矢印は、作文に書く順序ではなく、自分が思いついた順序があとでわかるようにするための矢印です。
構成図は、ブレイン・ストーミングのような雰囲気で気軽に自由に書いていくものなのです。
ときどき、構成図がなかなか埋まらない子がいます。「先生、ここまでしか書けない」と、途中で投げ出します。そういう子は、大抵の場合、「作文用紙に直接書いた方が簡単だ」と言います。
言葉の森の構成図は、作文の設計図のようによく考えて書くものではなく、材料になりそうなものをとりあえず全部自由に並べてみるというものです。
構成図が埋まらない子は、先生の横に座らせて、子供と話をしながら、先生が枠をどんどん埋めていくようにします。気軽に書くのが大事なので、先生が、「それからどうしたの」と聞いたときに、子供が「えーと、忘れちゃった」と言えば、構成図に、「えーと、忘れた」などと入れます。そこで、子供が「ははは」と笑えば、その「ははは」も書いてしまいます。このような感じでやっていくと、楽しくお喋りをしながら、ものの10分もかからずに構成図を全部埋めることができます。
構成図の枠が全部埋まってから、「はい、これで作文を書いてごらん」と言うと、ほとんどの子は普段よりも長い作文を、ずっと早い時間で書き上げてきます。つまり、材料があれば、作文は書けるということなのです。
このように構成図の書き方がわかった子は、次の回からは、自分で構成図を全部埋めてくるようになります。
構成図がすばやく全部埋められるようになったら、「それから」「それで」と時間の順序で埋めていくのではなく、ある場面だけを詳しく書き出していくとか、「前の話」「似た話」「聞いた話」などに話題を変えて書くなど、構成図を立体的に埋めていく指導をすることができるようになります。
構成図の書き方を、大人が子供につきっきりで教える時間は一見長くかかるように見えますが、一回教えれば、その次からはほとんどの子が自分の力でできるようになります。
家庭で勉強していて、作文が長く書けないとか、構成図がなかなか埋まらないとかいう場合は、一度、お父さんやお母さんが一緒に構成図を埋めて、「構成図は気軽に何でも書いていい」という感覚を伝えてあげてくださるといいと思います。
▽構成図の書き方
https://www.mori7.com/mori/mori/kouseizu.html
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長い文章を暗唱をしていると、途中から眠くなります。特に眠くなるのは、だんだん暗唱ができるようになってきたときです。暗唱のし始めや、暗唱がすっかりできるようになったあとは眠くはなりませんが、暗唱がもう少しでできるようになるというころが、いちばん頭脳に負荷がかかるようです。
脳の研究によると、音読は脳を活性化させるそうです。また、すっかり覚えた文章を音読しているときは、逆に脳はリラックスするそうです。ここから考えると、暗唱ができるようになる直前は、脳が、活性化でもリラックスでもない一種独特な状態になるときのようです。
その独特な状態とは、文章が身体化する過程という状態です。50字程度の短い文章は、文節でいうと7文節以内であることが多いので、短期記憶で処理できます。しかし、300字から900字の長い文章は、身体の外部にあるもので、それを内部に取り入れるためには、普通は、文章を部分的に理解していくしか方法がありません。暗唱は、この長い文章を部分的に理解して消化する方法ではなく、長い文章のまま丸ごと自分の内部に取り入れようとする方法です。
言葉は普通、道具として使われているので、言うときは言っておしまい、聞くときは聞いておしまい、という使われ方をします。例えば、犬がいることを相手に伝えようすれば、「犬がいる」といえばそれで済みます。また、相手から、「犬がいる」という言葉を聞いて理解できればそれで言葉の役割は終了します。長い文章の場合も、この小さい単位の部分的な理解を次々と連続させていくだけです。
しかし、暗唱は、このような道具的な使い方ではなく、言い続ける、聞き続けるという行為を反復することですから、この反復を繰り返す中で言葉が道具以外のものに変化します。言い続けることで言葉が身体化し、聞き続けることで言葉が世界化すると言ってもいいでしょう。
視覚や聴覚は、生まれつき身体化しています。これに対して、視覚や聴覚を補う眼鏡や補聴器は道具ですから、必要に応じて簡単に取り外すことができます。言葉は、眼鏡や補聴器ほど簡単につけたり取り外したりすることはできませんが、視覚や聴覚ほど身体化していない道具です。
視覚や聴覚は、身体の一部になっているので情動と直接的に結びついています。しかし、言葉と情動の結びつき方は間接的です。だから、映像や音楽は、だれにとっても同じように感情的な影響を与えますが、言葉は受け取る人の言葉の身体化の度合いによって感情への影響度が異なります。
この言葉を身体化する過程が、暗唱です。言葉が単なる道具ではなく、身体の一部になるにつれて、言葉の感受性や吸収力が増していきます。これは、あらゆる道具に共通する性質で、道具が反復によって身体の一部になると、その道具による表現力が増すだけでなく、その道具の対象となる世界に対する感受力も増してくるからです。
絵筆が体の一部になっている人は、世界を見るときも、その絵筆の表現力に応じて世界をより絵画的に見ることができます。音楽でも詩でもスポーツでも同じです。表現力が高まり、道具が身体化する度合いに応じて、表現の対象に対する感受性が増してきます。
言葉の吸収力が増すと、本を読んだ場合でも、その本の内容がより早く深く自分の内部に消化されるようになります。暗唱は、単独でも効果がありますが、毎日の読書と結びつくことによって更に大きな効果が発揮できるようになるのです。
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6月の清書をもとにした森リン大賞です。
中学3年生以上のみなさんは、いずれもよく考えて書いています。
受験勉強の時期に入って多忙な人も多いと思いますが、これからもよい本を読んで、考える材料を増やしていってください。
6月の森リン大賞(中3の部61人中)
光と影
おむふ
ハレー彗星はいわずとしれた名高い彗星である。古くは紀元前239年に中国で観測されていた。この観測記述をはじめとしてバビロニアの粘土板、日本書紀にもハレー彗星の記録はあり、新約聖書のベツレヘムの星だと説く神学者もいる。この彗星の周期性を見出したのはイギリスのエドモンド・ハレーである。そしてこの彗星は人類史に多大なる影響を与えたものでもあるのだ。先述したように地上のあらゆる文献に記録されている上、世界規模のパニックをもたらしたものでもある。
1910年のことである。この年はハレー彗星が地球に接近していたときであった。そしてこの接近に世界中は慌てふためいたのだ。太古の古文書に「彗星は不吉の前兆」としているものもある。こうしたことが関与して世界各地にあらゆる噂がとびかった。日本ではハレー彗星接近の際、地球上の空気が一時的に失われるという噂が一部でささやかれた。そのため自転車のチューブを大量購入して、チューブ内の空気を吸気として酸素枯渇に備えるもの、全財産を遊びにつぎ込むもの、水を張った桶で息を止める訓練をしたものまでいたそうだ。ローマではローマ法王庁で「贖罪券」を発行したところ希望者が殺到し、入手することができなかったものがあまりの悲しみ故に自殺するという事例もある。こうしたように世界中が大喧騒となったこの年だが彗星による特殊なことはなにひとつ起こらず、安泰にこの年は終焉を遂げた。 天文学が未発達であった時代であるから十二分に起こりうる騒動であったといえるだろう。しかしこの騒動の根源にあるものを考えると捨て置けない問題でもある。
人々は非常にメディアなどの報道に惑わされる。かくいう私もニュースなどを目にしている際、特に頭を働かせることもなく全ての情報を鵜呑みにしている傾向にある。先のハレー彗星の報道の要因とはなにか。多くの人が唱えることとしてメディアのいたずらな報道が要因の一つであるそうだ。ハレー彗星に関する誤った知識はメディアによるものが数多い。そうとも、メディアは我々を惑乱させる元凶でもある。ことに我々は視覚的な情報に対して弱い。ニュースの映像を見てしまうとあたかもそれが事件の全てだと錯覚してしまう。ニュースも結局は断片的な映像しか報道しておらず、編集により視聴者に事件本来の姿とは全く違う印象を与えることもできるのだ。 こうした事実を知ったからにはなんらかの対策を取らねばなるまい。1910年のようなかくも恐ろしい事態をさけるにはどうすべきか。この事態の根源にある誤った情報に溺れないようにするにはどうあるべきか。それを考慮していく。
第一に「自我をしっかりと確立する」ということが挙げられる。 ゲド戦記という小説にこういう一節がある。「川にもてあそばれ、その流れにたゆとう棒切れになりたくなかったら、人は自ら川にならねばならぬ。」この川とは氾濫する情報であり、棒切れとはまさに現在の我々ではなかろうか。そしてこの台詞は我らの行くべき道を示している。そうとも、ただ情報を避けようとしていてはなんら意味はない。周囲を影響するほどの強い自我を確立すればいいのだ。人は何故、情報に惑乱させられるのか。その理由のひとつに自分のしっかりとした考えを持っていないということが挙げられる。どう判断すべきか、どうあるべきか、そういった考えが確立していないとニュースの情報を鵜呑みにしてしまう。こういった映像があるから、これは真実だといった按配で安易に判断する。それではいけない。真に自分が信じるものがあれば情報にも踊らされないだろう。
先のハレー彗星の話に一旦戻る。1910年の時点で彗星の尾には“シアン化合物”が含まれていることが知られていた(これは真実)。特にこの毒物が地球に害をもたらすということをフランスの科学者、カミ―ユ・フラマリンが唱えていた。大衆はこれに惑わされたともいえよう。確かな事実もあり、科学者も説もある。ハレー彗星はまさに吉兆だ。こう大衆は思ってしまったのだ。しかし心に信ずる一つのことを確立する。それを前提とした上で物事に接する。こうしていればこれを全て鵜呑みにせず多少なりとも騒動を軽減できたかもしれない。現に「“私は学問のみ信ずる”」といったある学者はハレー彗星の騒動の中で平然と「不吉の前触れなど迷信だ」と述べてさほどこの騒動の影響は受けなかったそうだ。“自我を精錬して立てる”これぞ真の道だろう。
また、第二に「与えられた情報を否定的に考えてみる」ということがある。「人を見たら泥棒と思え」ならぬ、「情報を仕入れたら虚言と思え」だ。情報をまず崩していこうと考えてゆくのだ。例えればこういった具合だ。自分の前に家があったとしよう。だが肯定的には考えない。疑ってみるのだ。これはハリボテかもしれない、ダンボール製の偽物かもしれぬ、いや小さな虫が集まって家に見えているのかもしれぬ、蜃気楼、もしや私は錯視をしているのでは・・・。こうしてみると情報がかなり広く多面的に見えてくるのだ。自分で情報のあらゆる組成を想像するといいだろう。次第に隠れていた陰の面がちらほらと姿を見せてくる。これもまた情報を対処する一つの方法だろう。
確かにメディアの情報は利便性に満ちている。情報も新鮮であり、分かりやすい。だが、物事とは複雑であり、多面体でもある。メディアも参考として見てはどうだろうか。眼前にある情報の陰になにがあるか。それをまず考える。そうした生き方こそ人間たるものがあるべき姿なのだ。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●光と影 | おむふ | 87 | 2269 | 66 | 91 | 103 | 77 |
2位 | ●大切なこと | おのそ | 86 | 1560 | 64 | 73 | 72 | 86 |
3位 | ●情報をうまく使うこと | 嵐ちゃん | 80 | 1625 | 48 | 67 | 81 | 87 |
4位 | ●Are you ready to receive the i | arugebak | 78 | 2919 | 56 | 84 | 101 | 86 |
5位 | ●直感と論理 | 音楽大好き少年 | 78 | 908 | 46 | 67 | 72 | 93 |
6位 | ●情報のウラ | ポンピー | 77 | 1126 | 51 | 71 | 92 | 80 |
7位 | ●比喩はいかに大切か | なゆか | 77 | 893 | 53 | 58 | 68 | 87 |
8位 | ●絶滅(清書) | なりし | 76 | 693 | 51 | 66 | 72 | 90 |
9位 | ●真実 | 疾風 | 76 | 776 | 56 | 60 | 62 | 97 |
10位 | ●三分の一の授業 | トウモロコシ | 76 | 2876 | 38 | 48 | 49 | 83 |
★1位、2位の作品とも、要約の部分が多かったので、代表作品としては表示しませんでした。次回から、清書の場合、要約は省略するか、自分なりの説明に書き換えておいてください。
6月の森リン大賞(高1高2高3社の部143人中)
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●姿勢と品格 | いさせ | 88 | 1733 | 64 | 85 | 92 | 86 |
2位 | ●百年と十年 | きへあ | 86 | 1135 | 69 | 64 | 87 | 86 |
3位 | ●身体と心 | さくら | 86 | 1129 | 59 | 76 | 82 | 87 |
4位 | ●文化の吸収 | ゆうちゃり~ | 86 | 1179 | 51 | 70 | 74 | 96 |
5位 | ●自立できない人間 | いすも | 83 | 1233 | 48 | 64 | 75 | 90 |
6位 | ●「知る」ことの重要性 | ちこちこ | 82 | 981 | 54 | 91 | 87 | 92 |
7位 | ●人間の生涯は物事を 清書 | きれあ | 82 | 1101 | 64 | 58 | 65 | 90 |
8位 | ●身体と精神(清書) | PINK | 81 | 1073 | 53 | 84 | 94 | 96 |
9位 | ●現実的な分析 | いへゆ | 81 | 864 | 61 | 67 | 74 | 97 |
10位 | ●余裕とは何か | さきか | 81 | 1040 | 59 | 60 | 68 | 86 |
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