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解説集 ハギ の池 (印刷版 /印刷版 /ウェブ版 /最新版
印刷版は印刷物として生徒に配布されているものと同じです。ウェブ版は書き込み用です。 https://www.mori7.com/mine/ike.php
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4.1週 
●私の目標、さようなら○○さん(先生)
 今年度の目標は何かな。前の学年でどんなことがあったかを思い出しながら新しい学年の目標を書いてみましょう。

 「私の目標」「私の夢」など、未来の話を作文に書くときは、自分の思ったことを書くだけでは具体的に長く書くことはなかなかできません。どうしてそういう目標や夢を持つようになったかという過去にあった出来事を通して書くのがコツです。

 結びの感想は、「○○というものは、(人間にとって)……である」と大きく一般化してまとめていきましょう。

 お父さんやお母さんに聞いた話などを書いて、構成に広がりを持たせていきましょう。

●書き出しの工夫……「いつ、どこで何がありました」と書き出す前に、そのときの会話や色や音を書く練習です。慣れないうちは理屈でいくら説明しても、子供にとってはむずかしく感じるようですので、はじめは無理矢理でも「『やったあ。』と、ぼくは言いました。今日は遠足です」のように書いてしまいます。最初の二、三回は、とってつけたような書き出しになってもかまいません。何度か書いていると、自然に文章になじむような書き方ができるようになってきます。

●たとえ……「まるでトマトみたいに赤い」「まるで雪のようにつめたい」というように「まるで〜みたい」「まるで〜のよう」という形をつかってたとえを入れてみましょう。

●ユーモア表現……作文の中に、おもしろい表現を入れていきましょう。おもしろい表現というのは、ダジャレでもかまいません。「ぼくは、どぶにドブンと落ちました」というような書き方です。これは、小学校低中学年で「絵をかく」という項目があるのと同じ意味で、表現を楽しむ姿勢を身につけるためです。

●一般化……作文の結びに大きくとらえた感想を書く練習です。実際の出来事や体験をもとに、「人間にとって、○○○とは……である。」というようにまとめます。

●字数……新年度になって、項目がむずかしくなった学年が多いので、字数は前の学期よりも少なくしています。
●私の目標、さようなら○○さん(先生)
 構成図は、小3以上の生徒が書きます。小2以下の生徒は、絵をかいてから作文を始めるという課題になっているので、構成図は書かなくて結構です。
 構成図を書くときに大事なことは、思いついたことを自由にどんどん書くことです。テーマからはずれていても、あまり重要でないことでも一向にかまいません。
 たくさん書くことによって、考えが深まっていきます。したがって、構成図は、できるだけ枠(わく)を全部うめるようにしてください。しかし、全部埋まらなくてもかまいません。
 枠と枠の間は→などで結びます。この矢印は、書いた順序があとからわかるようにするためです。作文に書く順序ということではありません。
 構成用紙は、構成図の書き方に慣れるために使います。構成用紙を使わずに、白紙に自由に構成図を書いてもかまいません。
 

構成用紙を使って構成図を書きます。
頭の中にあるものをそのまま書くとき。
構成図で書くとき。
初めに絵をかきます。(絵はどこにかいてもいいです)
思いついた短文を書きます。(どこから始めてもいいです)
思いついたことを矢印でつなげていきます。
関係なさそうなことでも自由にどんどん書きます。
枠からはみだしてもかまいません。全部うまったらできあがり。

 


▽構成図は、原稿用紙や普通の白紙に書いても結構です。


4.2週 
●里山を歩いていると(感)
 美しく維持されている里山は、そこに住む人たちの手間ひまによって支えられています。みなさんも山や海などに遊びに行ったとき、「ゴミはもちかえりましょう」とか「とっていいのは写真だけ、のこしていいのは足あとだけ」などという看板が立てられているのを見たことがあるでしょう。こういう看板が立っているということは、ゴミを山のなかに捨てていったり、きれいな花を根こそぎとっていったりする人がたくさんいるからなのでしょうね。

 野生動物の住まいを分断しない緑のコリドーというのは、人間と自然のこれからの関係を作っていくうえでとても大切な考えです。山の中の道路を走っていると、「タヌキに注意」とか「シカに注意」とか「ライオンに注意」などという標識が出てくることがあるでしょう。タヌキのポン太君が向こうの山のポン子ちゃんに会いにくときに、自動車道路を横切らなくてもすむような配慮を人間がしてあげることが必要なのですね。

 ことわざは、自然を汚さないようにということで「立つ鳥あとを濁さず」、自然のものは自然の中で生かしていくことが大切だという意味で「やはり野におけれんげ草」などが使えそう。
●里山を歩いていると(感)
「ゴミを捨てるな」などの立て札は、里山だけではなく、川などにも立っていると思います。実は、川は山から海へ街の中まで来るということで、緑のコリドーならぬ、「青いコリドー」と言えるかもしれませんね。せっかくのコリドーですが、青くなくて黒くにごっていたり、自然の力がこわれて、魚や鳥がいなくなっているところもあると思います。学校や町によっては、年に1回川のごみを拾うという活動をやっているところがあるかもしれません。そのようなところを実例にしてもいいでしょう。
★里山を歩いていると(感)
 第一段落 要約
 本文中から大切なところを選び、文末を常体に変え、文と文がうまくつながるように直して書きましょう。たとえば~里山をきれいに維持している村の人びとにとって、ハイカーのマナーの悪さは目にあまる。里山には治山、治水という機能がある。都市に暮らす人びとが、大切な里山を維持してもらえるように相応の負担をするべきではないか。開発が進む里山では、新しい道路がつくられ、野生動物たちが訪れる林が分断されることが多くなり、野生動物の交通事故がめだってふえている。野生動物たちのために、緑のコリドー(回廊)をつくる工夫が必要だ。
 第二段落 体験実例
 家族で、あるいは校外学習で里山を訪れた体験のほか、町の中で野生動物に出くわした体験があったら書いてみましょう。アライグマの一家やタヌキなどを、住宅地の道路などで見かけて驚いたことはありませんか。食糧不足のせいか、そういった野生動物が食べ物を求めて人家近くに暮らしていることがあります。また、もともと身近な小鳥として親しまれているスズメは、近年数がとても少なくなったそうです。みなさんの家の近くでも、スズメの数は減っているでしょうか。
 第三段落 前の話聞いた話
 野生動物と人が出くわした話では、クマが人里に下りてきたリ、人を襲ったりしてて問題になった事件がありましたね。開発が進んだために里山がなくなり、クマたちが飢えてしまったことなどが原因と考えられます。聞いた話は、お父さんやお母さんから、子供の頃里山で遊んだ話や、身近にいた野生動物の話などを聞いてみましょう。第二・三段落で、たとえかユーモア表現を工夫して書きましょう。
 第四段落 一般化の主題
「里山は人間にとって…」「自然保護は人間にとって…」などの言葉で、大きくとらえた感想を書いて感想文をしめくくりましょう。

4.3週 
●読書の楽しみは(感)
 読書の楽しみは、ひとりでいくらでもできる楽しみです。テレビの場合は、「それでは、続きはまた来週(^o^)/ 」と、いいところでコマーシャルになってしまうことがあります。また、見たい番組があるのにその時間にいないときはビデオで録画しておかなければなりません。海や山に遊びに行くときに、テレビをかついで行くわけにはいきません。それに対して、本はいつでも好きなところで好きなだけ読むことができます。こらこら、だれだ、そこで漫画読んでいるのは。

 みなさんも、電車で遠くまででかけるときは、退屈しないように漫画や本を持っていくことがあるでしょう。熱中できる本があれば、時間などすぐにたってしまいます。逆に漫画も本も持たない長時間の旅行は、退屈な時間を持て余してしまいます。

 先生のうちでも、夏休みなどに車で遠出をすると、はじめのうちは新鮮な気持ちで、はしゃいでいますが、そのうち退屈してきて「ねえ、まだ着かないの?」「ねえ、まだなの?」「ねえ、……」「うるさいわね! まだだって言っているでしょ!」とお母さんの雷が落ちてくることがあります。車の中での歌やクイズやしりとりにもあきてくると、「しょうがない。近くにセブンイレブンかローソンがあったら、マンガでも買ってこよう。お父さんはビールな(おいおい)」とマンガで退屈をしのぐということがあります。(長文の内容に比べてかなり軽い似た話になってしまいましたが)

 おもしろい本に出合うと、途中でとまらなくなってしまうこともよくあります。先生もずっと前、夜寝る前に読み出した本がおもしろくて止まらなくなってそのまま朝まで読みつづけてしまいました。こういうことがあるから、みなさんの自習でも、読書は最初にするのではなく最後にするのがいいのですね。自習の最初に読書をすると、今日も読書でおしまい、あしたも読書でおしまいということになりかねません。

 読んだ本が身についていないと、「論語読みの論語知らず」となってしまいますが、「玉みがかざれば器(き)をなさず」というように、もともといい素質を持っている人でも、本を読んだりいろいろな経験を積んだりして自分をみがいていかなければ、その素質を生かすことはできません。若いときに、いい本をたくさん読んでいきましょう。
●読書の楽しみは(感)
 第一段落は要約です。要約は、三文抜き書きと同じようなものと考えておけばいいです。長文の中から大事なところを三つか四つ選び、それらがうまくつながるように文を直して書いていきましょう。

 第二段落は、似た例です。自分の読書体験について書いていきます。テレビと読書、映画と読書を比べて書いていくのもよいでしょう。「ハリー・ポッター」を本で読むのと映画で見るのとではどちらの方がよいと思いますか。

 第三段落も、似た例です。時間が経つのも忘れて夢中で本を読んだ、読書に熱中していて電車を乗り越してしまったなどという話が書けるとよいのですが……。

 第四段落は、「人間にとって読書とは、……」と大きく考えてまとめてみましょう。【例】「人間にとって読書とは、人生を二倍にも三倍にも広げてくれるものだ。」

5.1週 
●集めているもの、大笑いしたこと
 小学校中学年から高学年にかけては、ものを集めたくなる時期にあたるようです。カード、切手、レゴブロック、さけぶた(酒蓋)など、みなさんも集めたことがあるでしょう。
 先生(森川林)のうちの子供も、小学生のころ、よくさけぶたを集めていました。「『いいちこ』はたくさんあるんだけど、この『菊正宗』が珍しいんだよなあ。『月桂冠』は、もう持っているし」とかなんとかよくわけのわからんことを言っていました。
 いまは中学生になって、トレーディングカード集めに熱中しています。「『生ける屍(しかばね)』が、まだないんだよなあ。『セラの天使』はかなり強いんだけど」など、これもあいかわらずよくわからんことを言っています。
 動物もものを集めるようです。カラスが光るものを集めたり、リスやハムスターが食べ物を集めたりするのを聞いたり見たりした人もいるでしょう。先生のうちの犬も、この前、家族の靴下を集めて靴下の中で眠っていました。
●集めているもの、大笑いしたこと
 みなさんも何かを集めた経験があると思いますが、集めるものも年齢や時代によって変わるようです。昔集めていたものと今集めているものを比べたり、お父さんやお母さんが子供のころに集めていたものについて聞いたりすると書きやすいでしょう。
 書き出しは、会話や音などで書き始めましょう。そして、自分が集めているものについて具体的にくわしく書いていきます。
 昔集めていたものの話やほかの人の話なども書いてみましょう。みなさんの周りにおもしろいものを集めている友達はいないかな?
 結びは、ことわざを引用し、「人間にとってものを集めるということは……」などと大きく考えてまとめます。【例】「人間にとって何かを集めるということは、自分を表現するための一つの手段なのかもしれない。」ことわざは、「塵も積もれば山となる」、「百里の道も一歩から」、「蓼食う虫も好きずき」などが使えそうです。

5.2週 
●少年のころの桜は(感)
 桜の花の散る様子を「私だったらこう表す」と書いてもいいでしょう。言葉に言い表せないものの例を自分なりに考えてみてもおもしろいと思います。

 日本語の特徴は、豊かな擬態語擬声語を持っていることです。「風が吹く」という同じことがらを表すときでも、さわさわ吹く、そよそよ吹く、ビュービュー吹く、といろいろな言い表わし方ができます。同じように笑い方でも、「わはは」「おほほ」「えへへ」「うふふ」「いっひっひ」(おいおいブキミだぞ)といろいろなニュアンスがあります。お父さんが「おほほ」と笑ったらおかしいし、お母さんが「ふははははは」と大魔王のように笑ったらこれもおかしいでしょ。その場面にふさわしい細かいニュアンスの違いがあるのが日本語の特徴です。

 ことわざは、いろいろな表現があるがちょうどぴったりのがないという意味で「帯に短し、たすきに長し」。的確な表現を考えようとして言葉は豊かになってきたという意味で「窮すれば通ず」など。
●少年のころの桜は(感)
 第一段落は要約です。「(桜の)散り初めのころのある日、枝を離れた花びらを見ていて、これが地面に達するまでのあいだの状態を、ぴたりと表す言葉がないのに気がついた。」「桜の花びらと、からまつの葉と、自然はついに言語の及びえないものなのであろうか。」「もし日本語にそれ(を言い表す言葉)がなければ、それは日本語の語彙の貧弱を意味する。」といったところがポイントになりそう。

 第二段落と第三段落は、似た例です。言葉に表せないような体験をしたこと、ふと言葉にしようと思ったら何と表現していいかわからなくなったことなど、言葉の限界を感じたというような話が書けるといいですね。この長文と同じように、自然の一場面について考えてもいいし、感動のあまり言葉を失ったなどという話を書いてもいいでしょう。言葉にできないような深い感動を味わったことはないかな?
 また、桜の花の散り始めのようすを表す言葉についていろいろ考えてみることもできそうです。

 第四段落は、ことわざを引用し、「人間にとって言葉とは、……」などと大きく考えてまとめます。ことわざは、『帯に短し、たすきに長し』などが使えそうです。
【例】「『帯に短し、たすきに長し』ということわざのようにぴったりの言葉を見つけることがむずかしい場面は多い。人間にとって言葉とは、決して万能な道具ではないのだ。」
Re: ●少年のころの桜は(感)
 「言葉の使い方で悩んだ例」としての「体験実例」は、たとえば、学校の国語の時間に、俳句を作ってみたことはありませんか? 俳句は、「五・七・五」と、たったこれだけの文字を使って作る詩です。こんなに短い文字の中に、言いたいことを入れるのは、とても難しいですね。どんな言葉が一番いいのか、悩むところです。また、短歌(五・七・五・七・七)や、普通の詩でもいいです。作ってみたことがなくても、読んだことがあれば、それについて書いてもいいですね。

 それから、言葉について考えてみるとき、「ぼく(わたし)が一番初めに覚えた言葉は何だった?」とお母さんに聞いてみましょう。その一番初めの言葉から、今使っている言葉まで、ずいぶんたくさんの言葉を覚えて、いろいろなことを表現できるようになってきましたね。そんなことを書いてみるのもおもしろいでしょう。
★少年のころの桜は(感)
 長文は桜が散るありさまを表わす言葉をあれこれ考えたということが書かれているので、似た話は桜の花にまつわる体験や思い出を書くのもいいですね。
 「桜前線」という言葉が天気予報でよく使われるように、お花見は日本の国民的行事のようです。家族や友達とお花見をしたこと、また特に出かけなくても、公園や学校の桜を見て楽しんだことを書いてみましょう。雨や風で桜が散るのを心配したかもしれませんね。桜が散る様子や自分の心の動きを表わす言葉を、いろいろ考えてみましょう。

5.3週 
●日本語は、いままで(感)
 日本語は敬語の使い方や漢字の多さなど、外国人が学ぶには難しい、という例を考えてみましょう。

 自分のことを表わすのに、英語だと、「I(アイ)」だけですが、日本語では「わたし」「ぼく」「おれ」「おいら」「わし」「うち」「わて」「せっしゃ」「おいどん」「そうでごわす」などといろいろな言い表し方があります(ひとつちがうだろ)。こんなところに、日本語が国際化されていない姿が表れていそうですね。

 あまり簡単にしすぎると、「角を矯めて牛を殺す」となりかねませんが、今後の国際化を考えると「小の虫を殺して大の虫を生かす」も必要かもしれません。
●日本語は、いままで(感)
 第一段落は要約です。文体を常体にそろえましょう。
 第二段落は、似たような自分の体験を書きます。日本語は難しいなあ、ややこしいなあと思ったことはありませんか。同じことを伝えようとしても、相手が誰か、場所がどこか、自分の機嫌? によっても表現がかわりますね。言い方が悪くて大失敗することってありますよね。
 第三段落は、聞いた話・前の話を書きます。ご両親やおじいちゃんおばあちゃんの言ってることで、意味の分からなかった経験はないでしょうか?(大人の話でわからなかったという意味ではありませんよ)昔の言い方は、今の人にはわからないね。また、住んでいる場所の方言で、わかりにくいものもあります。
 第四段落は、まとめです。日本語が国際社会に受け入れられるためには、大きな整備が必要なことがわかりました。守るためにはそのまま残すだけではいけないのですね。「小の虫を殺して大の虫を生かす」のことわざのように、切り捨てていく部分も必要です。大切な日本語を正しく受け継いでいきたいですね。
●日本語は、いままで(感)
・似た話
日本語のむずかしさにもいろいろありますね。どれも、日本語を学ぶ外国人にはやっかいな問題です。下の例などを外国人の視点で考えてみると書きやすそうです。
?方言 自分が方言をつかっていれば、特にこの話は書きやすそう。
?外来語 突然変な外来語を使われて困ったことはありませんか。モチベーションだの、スケーラビリティだの。しかも、このままでは外国人にも通じないんですよね。
?今時の流行語
だからー、いまどき−ケータイって言われて携帯電話のことだって思わない人なんていないってー。
?その他
「コーヒーに砂糖入れていい?」「いいよ。」「はいどうぞ。」「なんで砂糖いれるんだよ。」「入れていいって言ったじゃない。」「いらないって意味のいいだよ。」「もうコーヒーなんていれない!」(我が家の会話ではありません)
Re: ●日本語は、いままで(感)
「日本語の難しさ」がテーマですが、まだ他の外国語を習ったことがない皆さんには、「似た話」をさがすのが難しいですね。なかなか思いつかない時は、たとえば、「敬語」にしぼって考えるのもいいかもしれません。友達どうしで話すような言葉で、いつでも話せたら、どんなに楽でしょうね。でも、先生に「紙、ないよ」とか、家に来たお客さんに「こっちへ来て。」などというわけにはいきませんよね。それぞれ、「紙がありません。」とか「こちらへどうぞ。」などと言わなければなりません。長文にもありましたが、日本語は、相手が目上の人かどうか、また大切にしなければならない人かどうかで、言い方だけでなく、使う言葉まで変わってくるのですね。皆さんも、お父さんやお母さんに、「何よ、その言い方は!」としかられたことがあるでしょう。そんな体験を書いてみましょう。
●日本語は、いままで(感)
 日本語で複雑だなあと思うのは数え方。
 人間なら「人」、動物だと「匹」や「頭」。他にも、魚は「尾」で数えることが多いですし、鳥は「羽」で数えます。ご飯は「膳」で数えます。他にも、たくさん数える単位があって、自然に使っている日本人はすごいなあと思います。こんなに数え方が複雑な国は他にはないと思います。

6.1週 
●家族の長所、楽しい先生
 家族みんなの長所を見つけるのは意外と難しいものです。
 今まで短所と思っていたことも、見方を変えると長所になるということがあります。例えば、いつもうるさいと思っていたお母さんも、実は私たちのことを心配しているからうるさいんだ、という具合に。でも、やっぱりうるさいよね。(笑)
●家族の長所、楽しい先生
 身近にいる人の長所を見つけることは意外とむずかしいものかもしれませんが、いつもは小言ばかり言っているお母さんが実は優しくて力持ち(笑)、寝坊ばかりしているお父さんが実はいざというときには頼りになるなど、家族の長所を見つけて書いてみましょう。いじわるばかりするお兄さんやお姉さんが本当は優しい、いたずらばかりしている弟や妹も寝顔はかわいいなどという話でもいいです。
 書き出しは誰かの会話などで書き始め、家族の長所がわかるようなエピソードを書いていくとよいでしょう。
 結びは、ことわざを引用し、「人間にとって家族とは……」、「人間にとって長所とは……」などと大きく考えてまとめます。【例】「人間にとって家族とはお互いの短所を補い合い、長所を伸ばし合うものだ。」「『長所は短所』ということわざもあるように、長所は短所の裏返しだが、同様に短所も長所の裏返しなのだ。(一般化)」

6.2週 
●「ガッツがある」とか(感)
 自動車のハンドルにも人間の生活にも「遊び」や「余裕」が必要だというのが主題です。「ものをおいしく食べるにはおなかをすかせたらいい」というのは、経験したことのある人も多いことでしょう。大学へ入ったものの何をしたらよいかわからない幼稚な大学生というところは、お父さんやお母さんの会話で話題になることがあるかもしれませんね。
 自動車のハンドルの遊びというのは、お父さんやお母さんに聞いてみましょう。ハンドルに遊びがないと、ちょっとハンドルを動かしただけで車が急カーブを切るようになってしまうのでかえって危ないのです。でも、逆に遊びがありすぎると、いくらハンドルを回しても車が曲がらない……あ、ハンドルがはずれていた、なんてことはありませんが。
●「ガッツがある」とか(感)
 第一段落は要約です。「「一心不乱」はすばらしいのですが、「盲目的ないちず」が困るのです。」「自動車のハンドルにも、「遊び」があります。あの遊びがなかったら、ずいぶん運転しにくくなるでしょうし、第一、危険です。」「無理やり、知識を頭の中へ詰め込まれた結果、人間本来の好奇心がすっかり消えてしまったのです。」といったところがポイントになりそう。長文は敬体ですが、常体に直してまとめていきましょう。

 第二段落と第三段落は、似た例です。何事にも余裕が大切という話を書いてみましょう。勉強が嫌いな人はもちろん、勉強が好きな人でも何時間も勉強し続けたら疲れてしまって、逆効果になるでしょう。適度な休憩を取りながら勉強をした方が効率的に勉強ができます。また、気分転換をした方がさらにやる気が出るということもあるでしょう。何かを食べておいしいと感じるのもおなかがすいているときです。いくらおいしいものでも食べ続けていたらおいしく感じなくなるでしょう。スポーツにしても芸術にしても、心に余裕のある方がうまくいくものです。

 第四段落は、ことわざを引用し、「人間にとって余裕とは……」などと大きく考えてまとめます。ことわざは、『過ぎたるは及ばざるがごとし』などが使えそうです。何事もただがむしゃらにやればよいというわけではありませんね。
●「ガッツがある」とか(感)
●似た話
何事にも遊び(余裕)が必要という話から…
「学校の勉強とは関係ないけど、興味のあること、好きなこと」または「好きな遊び」を考えてみましょう。
・電車や鉄道が大好き。東海道線の駅の名前なら全部言える。
・虫や動物を飼うこと。
・絵を描くこと。
・踊ること。
・スポーツ。
・テレビゲーム。
★「ガッツがある」とか(感)
 似た話の例は「想像がさらに深まれば、『思いやり』となって、人間関係を創造するのです。」ということから、考えてもいいですね。「逆境のときの友が真の友」ということわざがあります。物事が思うようにいかないで、悩んだり落ち込んだりしているときに、友達が思いやりを持って接してくれたので友情が深まった(またはその逆の場合)を書いてみましょう。

6.3週 
●先日、日本産トキの(感)
 ロスアンゼルスでは、カマキリをつかまえることが禁止されています。数が少なくなったのでカマキリが絶滅しないようにしているのです。「えー、うっそー」と思わず言ってしまいそうな話ですね。でも、日本でも、カマキリ以外のほかの虫や鳥や生き物で、昔に比べて数が激減しているものがあります。
 お父さんやお母さんに、昔と今とで、身近に見られる虫の種類がどんなにちがってきたか聞いてみましょう。お父さんなどは、「昔は、オニヤンマもいたし、コウモリもいたし……」と、いろいろな話をしてくれると思います。(以上前号)
 先生(森川林)の兄が子供のころ、カマキリの卵を見つけてきて、それを引き出しの中にしまっておいたことがあります。しまったことをすっかりわすれて、しばらくしてから引き出しを開けたら、中からカマキリの子供たちが雲がわくようにどっと出てきました。あとは部屋中カマキリだらけで表に出すのが大変。日本ではまだしばらくはカマキリは絶滅しそうにありません。みなさんもカマキリの卵を引き出しにしまってわすれることのないようにね。
●先日、日本産トキの(感)
 第一段落は要約です。「トキのように絶滅寸前にまで追いこまれた動物や、その数を激減させている植物を救おうと努力する姿は、「人間の良識」と評される。その通りと思う半面、偽善ではとのむなしい思いが残る。」「身近な動物の中にも、姿を見ることがまれになったものが少なくない。」「アメリカが自然保護で先進国となった一因として、他国より早く自然を破壊したことも考えられる。」といったところがポイントになりそう。

 第二段落と第三段落は、似た例です。昔はもっと身近なところで見られたのに今ではほとんど見られなくなった動植物のこと、絶滅寸前の動植物について調べた話などが書けそうです。昔は庭先でも見られたホタルも今では生息している場所が限られています。しかもそこではホタルよりもホタルを見に来た人の数の方が多いくらいです。(笑) また、自然が少なくなったというような話でもいいでしょう。昔、シロツメクサを摘んで遊んだ空き地に、今ではマンションが建っているなどといった話です。

 第四段落は、ことわざを引用し、「人間にとって自然とは……」などと大きく考えてまとめます。ことわざは、『後悔先に立たず』などが使えそうです。絶滅してしまった動物はもう二度と姿を見せることはありません。自然を守るために私たち人間にできることを一つ一つ積み重ねていきたいですね。
●先日、日本産トキの(感)
<体験実例と一般化の主題>
・地方出身の友人が東京で生活し始めたとき、空気が乾燥していてつらいと言いました。友人は冬になるとひどい風邪やインフルエンザに悩まされていました。なぜでしょう? 東京には田がないからです。だから乾燥するのですね。
便利な都会。けれども人間の体には良くないのですね。排気ガスや二酸化炭素も緑がないので、そのまんまです。私の近所でも暖かくなると一日中、光化学スモッグ警報が出て、役所が「外出を控えてください」と毎日放送しています。
→人間にとって自然とは生きるための必需品である。
・アスファルトとコンクリートで覆われた都会。なんとカラスもいないのです。もちろんすずめもいません。鳩もいません。夏はセミもいません。飼っていたハムスターが死んでしまったとき、埋めてやろうと思って外に出たのですが、土がない! ハムスターの亡がらを手に呆然しました。けっきょく、片側3車線の大きな道路を渡った向こう側に小さな公園(というか路上生活者の住まい)を見つけ、公園のすみっこに穴を掘って埋めてあげました。ハムスターのお墓に手を合わせながら、こんな一般化の主題が頭に浮かびました。
→コンクリートは生き物を殺す。殺された生き物は土に返ることすらできない。
・私は都会に引っ越して、排気ガスでセキが三ヶ月もとまりませんでした。都会生活は二年ももたずに東京の郊外に引越しました。けれどもそこでは山を崩して住宅開発が盛んに行われていました。木々がなくなり、むきだしになった地面は乾くと風にのって砂となり街や家の中を砂だらけにします。せっかく緑豊かな郊外に引っ越しても、砂や土まみれ。けれども人間が住むために住宅を造らなければならないのです。かくいう私の家も山を壊して造られた家です。
→自然を破壊しながら人間は生活している。
・それでも私の家の周りはまだまだ緑が豊か。道を歩いているとクワガタものそのそ歩いています。子どもたちが公園でカマキリ虫をつかまえて喜んでいます。夏になると森に入ってしまうウグイスもまだ鳴いています。庭先にスイカをおいておけばカブトムシがやってきます。
けれども、そんな豊かな自然が味わえるのもあとどれくらいでしょうか。空き地が多い住宅街もどんどん家が建ち、車の通りも多くなりました。
→人間が増えれば動植物が減る。
○上記の三例から考えてみよう。人間にとって自然は必要なのに、人間の生活は自然を壊すことを避けられない。どうやったらこの矛盾を解決し、共存できるのかな。

・汐留めシオサイトの高層ビル群。海沿いに並ぶ高層ビル群が海風が陸地に吹き込むのを邪魔して、ここ数年で東京二十三区内(特に港区や品川区など)で気温が上がっています。
私たちが豊かな暮らしをするため、経済を活性化するためにどんどん建設されるビル。
そして、最近は郊外に住む人よりも都会のマンションに住む人が増えています。もちろんマンションもたくさん建てられています。土はアスファルトになっていきます。
緑や土がなくなるから気温があがります。
→都会の便利さは不便さと隣り合わせだ。豊かな生活って、なんだろう?
●先日、日本産トキの(感)
体験実例とまとめがむずかしいと思う人はこう考えてみたらどうでしょう。
自分が飼っているペットやこんちゅう。それから、身のまわりであたりまえに聞いている小鳥のさえずりやセミの声。そうしたものが絶滅してなくなってしまったら?
人間はなんてさびしくなるでしょう。
もちろん、一つの動物が絶滅してしまうと、「生態系(自然のつながり)」がくずれて、ドミノがたおれるように、人間もふくめてほかの動物もみんなだめになっていきますが。
3万7千種も絶滅しかかっている動物がいるのですから、あなたのまわりにふつうにいると思っている動物も、もしかしたら、絶滅しかかっているものかもしれませんよ。