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解説集 ジンチョウゲ の池 (印刷版 /印刷版 /ウェブ版 /最新版
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7.1週 
●流行と古典、ゼネラリストスペシャリスト
●長文実例……長文集のほかのページから似た例を探して書く練習です。長文を何度もしっかり読んでいないとできません。データ実例、昔話実例などとセットになっていますから、どちらかができればいいです。例えば、「データ実例・長文実例」の場合は、データ実例が入っているか、長文実例が入っているかどちらかでいいです。どこの長文からの引用かわかるようにできるだけ「長文○○によると」のように書いておいてください。
 
 現代社会では、流行に追われて古典を軽視する風潮と、逆に古典にこだわり時代の流れを軽視する風潮とがあります。
 具体的な例を通して、問題提起をしていきましょう。
Re: ●流行と古典、ゼネラリストスペシャリスト
・「流行と古典」
「予測問題の主題」の例:現代では、人々が日々新しい流行を追い求め、目新しいもの、珍しいものをもてはやしてはすぐに飽きてしまうことの繰り返しである。このままでは、日本の伝統的なものが軽視され、廃れていってしまうことが問題だ。
第2段落:原因(常に流行を作り出し、消費に結びつけようとする商業主義。刺激的なもので人々を引きつけようとするマスコミ。それに乗りやすい大衆、など)もしくは対策1。「体験実例」も入れましょう。
第3段落:対策もしくは対策2。教育の過程で古典に触れる機会を増やす、流行に踊らされない価値観を養う、など。
第4段落:「反対意見への理解」「自作名言」を入れてまとめましょう。
・「ゼネラリスト、スペシャリスト」
「予測問題の主題」の例:これまでの日本社会では、それぞれの分野におけるスペシャリストを養成することが主眼とされていたため、いわゆる「専門バカ」が増加した。このままでは、広い視野を持ったゼネラリストが育たなくなってしまうことが問題だ。
(もちろんこれは、「日本ではどの教科もまんべんなく点が取れるゼネラリストが多く、真の意味でのスペシャリストが育たなくなってしまうことが問題だ。」という逆の意見で書くこともできます。)
第2段落:原因(戦後、欧米の技術レベルに追いつくためには、スペシャリストの養成が必須であった。経済が右肩上がりに成長している高度成長期には、たくさんのスペシャリストが必要とされた。など)もしくは対策1。「体験実例」も入れましょう。
第3段落:対策もしくは対策2。学歴によらず人間性を評価する方法を確立すること、起業促進(クロスオーバー的分野で活躍する人材を育てる)、など。「社会実例」としては、例えば薬害エイズや石綿問題、C型肝炎問題も、企業の利益や国の都合だけではなく、真に安全性を社会に問える人がいれば防げたかもしれない。または、一部企業で始まっている、出身大学を問わない採用など。
第4段落:「反対意見への理解」「自作名言」を入れてまとめましょう。
構成図の書き方
 構成図は自由に書いてください。思いついたことを矢印でつなぎながら書いていくと、書きたいことがはっきりしてきます。

頭の中にあるものをそのまま書くとき。
構成図で書くとき。
初めに絵をかくといいでしょう。
思いついた短文を書きます。
矢印でつなげて書いていきます。
関係なさそうなことでもどんどん書きます。
はみだしてもかまいません。
大体うまったらできあがり。



7.2週 
●一九七九年一月一七日から(感)
 点数で評価されることによって励みが出たり目標ができたりするという面もありますが、逆に点数自体が目的のようになってしまうこともあります。自分の体験も入れながら、今日の社会の問題として考えていきましょう。点数をつけることの弊害、点数をつけないことの弊害、どちらからも問題を考えられると思います。
Re: ●一九七九年一月一七日から(感)
 要約の後の「予測問題の主題」は、A氏、B氏どちらの立場に共感できるかによって、2通りの意見が考えられます。
・A氏のように、「競争原理は必要なものである。」との立場なら……
「現代では、かつての受験戦争、詰め込み教育への反省・反動から、「ゆとり教育」が実施され、教育現場からも無用な競争は排除するという姿勢が見られる。しかし、「ゆとり教育」が学力低下を招き、かえって塾通いを増加させるなど、弊害も見られた。また、行きすぎた競争原理の否定は運動会での「手つなぎゴール」、水泳記録会の廃止など、かえって子供達のやる気を殺ぐ結果にもなっている。このままでは、いい意味での自由競争も否定することで、全体的な意欲の低下、レベルの低下、努力放棄を招いてしまうのではないか。」
 先日、イタリアで活躍している日本人カーデザイナーの紹介番組をテレビで見ました。その人がアメリカでデザインを学び修行していた時、徹底的に作品を批判され、書き直しを命じられ、とても辛い日々を送っていたそうです。それを乗り越えて自分がチーフになった時、彼は「後輩達に、自分のようなつらい思いをさせたくない」との一心から、その部署では人間関係をよくし、個々の意見を尊重し、自主性を重んじ、……という方針で仕事を進めたそうです。その結果、職場は和気藹々、とても居心地のよいものになりましたが、なぜか革新的なデザイン、素晴らしい作品はあまり出ず、結局業績も不振で何人かのデザイナーをリストラしなければならなくなったそうです。彼はその反省を元に、今では大変厳しい批評とメンバー間での過酷な競争方式を採用し、高名なデザイナー集団のリーダーを務めています。
・B氏のように、「行きすぎた競争原理はよくない。」との立場なら……
「現代では、「ゆとり教育」も実施されてはきたが、なお全てを点数で測ろうとする評価方法が主流を占めているのが実情だ。筆記テストによる評価は、学力の一面であって、ましてや人間性を評価できるものではない。このような評価法を使い続けていくなら、ますます余裕のない、殺伐とした世の中になってしまうのではないか。」
 2006年6月に奈良で起こった高校生による自宅への放火殺人事件も、学校でよい成績をとってほしい、いい学校へ行かせたい、社会的地位の高い職業についてほしい、という親による過度の期待が子供を追い詰めた1つの極端な例です。競争にもいい面は確かにあるけれど、それが幸福の唯一の尺度となり、敗者を救済するシステムがなければ、いわゆる「落ちこぼれ」が増え、その人達が人格まで否定されてしまうという極端なことになりかねません。
 どちらの主題でも、第2・第3段落は「その原因と対策(もしくは対策の1と2)」「体験実例」「社会実例」、第4段落は「反対意見への理解」「自作名言」を入れてまとめます。

7.3週 
●中国には数限りなく(感)
 アジアの熱さがテーマです。アジアの国々は、今急速に工業化、近代化を進めています。経済発展にくたびれはじめた日本が一休みしようとしているのとは対照的な社会です。アジアからの大学留学生の多くは、「日本の大学生は遊んでばかりいる」という印象を持つようです。これから発展しようとする社会と発展が一段落した社会との熱さの違いも反映しているのでしょう。
 この状況を、将来予測できる問題として提起していきましょう。アジアの問題でも、日本の問題でもいいです。第一段落で問題提起をしたあと、第二段落はその背景、第三段落は今後の対策と進めてみましょう。
 長文実例は、7.2週の競争の是非などが入れられそうです。
●中国には数限りなく(感)
 高度成長の波が一段落し、一種の飽和状態にある日本。このまま日本が成長を止め、発展しない状態に陥るというところに問題があると考えます。
 背景としては、物質的にも精神的にも充足して、飢餓感のない状態にあるということが挙げられるでしょう。
 そんなぬるま湯のような状態からどのように抜け出したら良いか。一昔前の日本のように、世界を引っぱっていく存在になろうとする情熱をもっと若者に持たせなければならない、ということが一案として考えられそうです。「一番になりたい」「より上を目指したい」という上昇志向の若者を育てるためにはどうしたらいいか、というところで実例を考えていきましょう。
★中国には数限りなく(感)
 現在(2017年)この課題に取り組む人の多くは2000年生まれだと思います。2000年から現在に至る日本の経済状況は、低迷・停滞していると言わざるを得ません。
 そんな状況を反映してか、内閣府の「特集 今を生きる若者の意識~国際比較からみえてくるもの~」http://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h26gaiyou/tokushu.html
は、諸外国と比べた日本の若者の自己肯定感の低さを示しています。また、意欲の低さ~「諸外国と比べて,うまくいくかわからないことに対し意欲的に取り組むという意識が低く,つまらない,やる気が出ないと感じる若者が多い。」ことも問題になりそうです。問題とその背景は、これらのことから考えてみましょう。
 対策としては、日本の技術力の高さなど、自国の優れているところに目を向けることで、使命感や生きがいを持てるようにすること。たとえば、環境保全の技術において、日本は世界に貢献できるものを持っています。https://www.jbic.go.jp/wp-content/uploads/today_ja/2010/08/2563/jtd_2010073.pdf
それらに目を向けることで、技術によって日本のみならず世界に貢献できるのだという自信に繋がるのではないでしょうか。


8.1週 
●実は現在インターネットの(感)
 インターネットでは、資本主義化の力と贈与交換化の力とが争っています。ウィンドウズに対抗するOS(オペレーティングシステム)であるLinux(リナックス、リヌクス、ライナックスなどいろいろな読み方があります)が今急速に普及しつつあるのは、その一つの象徴でしょう。Linuxは、企業の力によってではなく全世界のボランティアの力によって発達したOSです。開発の責任者もいなければ開発に伴う報酬もない世界で、ウィンドウズに匹敵するほどのソフトウェアに発達したということは、これまでの価値観の延長では説明できないことです。
 しかし、このだれでも参加できる自由でオープンなボランティアの世界は、その当初の自由さを維持するために、次第に仲間うちの閉鎖されたものを志向せざるを得ないという逆説も秘めています。
 インターネットにおける贈与交換の世界が将来どういう問題を生み出すか、そしてその対策は何か、ということを自分なりに考えて書いていきましょう。
 長文実例は、7.2週の競争原理の是非が使えそう。
●実は現在インターネットの(感)
 「贈与交換」という基本理念にとらわれるあまり、結果的にインターネットが閉鎖的なものになっていく、というところに問題があると考えます。
 背景として挙げられるのは、インターネットならではの匿名性が挙げられるでしょう。インターネット先進国である韓国で、ネットの誹謗中傷を苦にした芸能人の自殺が相次いだ、という話がありました。匿名性を悪用し、風説を流布させるインターネットの怖さは、日本でも話題に上っています。
 対策としては考えられるのは、インターネットを仮想空間として扱うことを止めてしまう(笑)こと。……というと、ちょっと大げさにすぎるでしょうか。

8.2週 
●荒木博之のあげた(感)
 日本人の集団主義は、欧米の個人主義と対比するかたちで、「個人の自立」の欠如したものだとこれまで考えられていました。しかし、日本人に特有な集団への同調は、実は個人の事情よりも集団への配慮を優先する自主的な同調だったのではないか、というのが長文の主旨です。
 小学校の低学年では、「みなさーん、わかりましたか」と先生が言うと、わかっている子もわかっていない子も一斉に声をそろえて「はーい」という光景が見られます。こういう同調の儀式は、日本の社会のいろいろな場面で見られます。日本では、一人だけ「いや、私はそう思いません」と言うのはすごく勇気の要ることなのです。
 国際化の時代の中でこういう日本社会が生み出す今後の問題を予測してみましょう。また、逆に、欧米風の個人の意見のぶつかり合いでなんでも解決していこうとするやり方を今後の問題として予測してもいいでしょう。日本の、みんな一斉に「ハーイ」という社会が、実は見直されてくるかもしれません。
 長文実例は、7.1週の競争と協力の例が使えそうです。

8.3週 
●第一に、歴史においては(感)
 内容:歴史における事実とは、自然科学における事実とは異なり、記録者によって加工され、歴史家の認識の不完全性によって制約された事実である。歴史は時代とともに書き換えられる。
 解説:例えば、太平洋戦争に対する評価は、戦争中の「聖戦」から、戦後の「侵略戦争」へ、そして最近人によっては「防衛のためのやむをえざる戦争」へと何度か書き換えられています。もちろんこれからも書き換えられるでしょう。明智光秀の評価や田沼意次の評価も、論者によって百八十度違う考え方が提示されています。これは新たに資料が発見されたというところから変わるだけでなく、歴史家のものの見方が変わることによって変わる場合もかなりあります。
 歴史を学ぶ際には、「イイクニ作ろう鎌倉幕府」のようなことばかり覚えるのではなく、今学んでいる歴史が、新しい歴史観によって今後書きかえられる可能性のある歴史だと考えていく視点が大切です。
 日本では戦前、国土が狭く資源の少ないことが国の弱点であると考えられてきました。しかし、今はその国土の狭さが高密度のネットワーク社会を生み、資源の少なさが国内資源の制約なしに世界から自由に資源を輸入できる体制のもとになったと評価されています。もし、日本の国土が北はアリューシャン列島から南はミクロネシアの島々まで広がっていたとしたら、宅急便の全国サービスは大幅に遅れたでしょうし、日本の国から大量の石油が出るような状態だったら新しいクリーンなエネルギーの開発は今よりもずっと遅れていたでしょう。
 歴史学という分野だけに限定せず、大きくものの見方の問題として考えていきましょう。ものごとは固定的に見るのではなく、発展の過程として見ることが大切です。子供の成長でも、そのときだけの固定した時点で考えるのであれば、けがも病気も失敗もしないにこしたことはありません。しかし、将来大人へと成長するためのひとつの発展途上の過程として子供時代を見るならば、けがや病気や失敗は、むしろうまくしておいた方がいいとも言えるものです。
●第一に、歴史においては(感)
 第一段落は、状況実例。「歴史は、自然科学のような事実ではなく、歴史家の主観によって書き換えられる事実である。例えば、太平洋戦争も……。歴史を固定した事実のように見る見方があるのは問題だ。」
 第二段落は、その対策。「対策の一つは、異なる歴史観があることを知る機会を作ることだ。歴史というほど大きなことではないが、私も他の人との見方の違いを知って視野が広くなった思い出がある。それは……。」
 第三段落は、対策2。「また、もう一つの対策として、誤解を恐れずに、自分の見方を表明できる場を作ることも必要だ。その点、インターネットは、……。」
 第四段落は、反対理解とまとめ。「確かに、客観的な事実にもとづくことは大切だ。しかし、歴史は単なる事実の積み重ねではなく……」
●第一に、歴史においては(感)
 「歴史を固定された事実としてとらえてしまう」背景として挙げられるのは、教育環境が挙げられるでしょう。歴史の授業では、一方向から捉えた史実しか扱わないことが多いですね。昔、台湾の小学校を訪れたときに、社会科の教科書を見せてもらう機会があったのですが、太平洋戦争のことが、日本で教えてもらったこととあまりに違う書かれ方をしているのに驚いたことがあります。一つの出来事を色々な方向から見られる視野の広さを養う必要があるのではないでしょうか。

9.1週 
●現代の科学技術の(感)
 内容:通信手段の発達が、他の世界を身近にしたが、そこで接する他の世界は、他の世界のコピーである。
 解説:日本では、クーラーのきいた部屋で麦茶を飲みながら、「いやあ、やっぱり甲子園のグラウンドは暑いだろうなあ」と言っていられます。しかし、そこで見る暑さは頭で理解した暑さであって、決して体験した暑さではありません。甲子園でしたらまだ想像力が働きますが、これがボルネオのジャングルとかケニアの草原などになると、実感のもとになる体験自体がありません。映像で身近に見られるからついわかった気になるというのは、実は危ういわかり方なのかもしれません。
 しかも、情報メディアを通して得られる情報は、受け手にわかりやすいように加工されているおそれもあります。テレビで放映されるある地方の景色は、その地方の中でも最もその地方らしいところに絞られています。そのことがかえってその地方の本当の姿を見えにくくさせているかもしれませんが、受け手にはその情報が加工されているという意識はありません。
●現代の科学技術の(感)
 一段落、予測問題の主題。「実体験が伴わないまま、与えられた情報だけを信じ、知識や思想が偏るとしたら問題だ」。
 二段落、その背景。一例として、インターネットをはじめとする、様々な通信手段の発達により、家にいながらにして疑似体験ができる環境にあることが挙げられそう。
 三段落、対策。単純ですが、情報には、全て「他人の視点」というフィルターがかけられているということを認識するべきだということが言えそう。私たちが映像を目にするとき、その映像はあらかじめ、メディアの都合によって切り貼りされていたり、場合によってはねじ曲げられている可能性もあるということを認識しておかなければならないということですね。
 四段落、情報化社会のメリットについても理解を示しつつ、情報化社会が抱える問題について再度考えてみましょう。

9.2週 
●後世から振り返ったとき(感)
 内容:「オウム」事件の背景には、近代社会の限度のない自己実現に疲れた現代人の姿がある。問題の解決は、自己実現ではなく、自己表現にある。人に表現があるかぎり、宗教的熱狂は必ずしも暴力を生まない。
 解説:江戸時代などの身分制社会では、人は生まれながらに自分の人生の限度を決められていました。そこでは、不自由ではあるが同時に他人との競争に焦る必要のない安定した社会が営まれていました。殿様の子は一生殿様で、農民は一生農民ですから、「自分は果たして何に向いているのだろうか」などと悩む必要はなかったのです。
 近代社会では、人間は法律に違反しないかぎり何をしようと自由だという建前で運営されています。すると、そういう社会で自分が満足した財産や地位を持てないのは、自分の努力が足りないか、社会が悪いかということになってきます。自由ではあるが、絶えず自己実現を要求される社会というのはくたびれる社会です。著者は、際限のない自己実現に追われる社会から、自己表現を奨励する社会への転換をと提案しています。絵を描いたり音楽を作ったりするのは、他人との比較で何かを達成する作業ではなく、そのこと自体が自分の満足につながる作業だからです。
●後世から振り返ったとき(感)
 一段落、予測問題の主題。「自己実現にとらわれるあまり、人間性が失われてしまうとしたら問題だ」。
 二段落、その背景。人間が自己実現に躍起になるのは、やはり豊かさを求めるから。この場合の豊かさは精神的な豊かさではなく、物質的に豊かになることを指します。財産や地位を得るために躍起にならなければならないのは、私たちが求める幸福の尺度がそこにあるからなのでしょう。
 三段落、対策。幸福を他者との比較の中に求めるのではなく、自分自身の内面に求めることで、満足を得ていくのが人間の真の姿であると展開できそう。
 四段落、人間が自己実現を求めたからこそ得られたものについて理解を示した上で、まとめていきましょう。

9.3週 
●環境サミット(感)
 内容:「地球にやさしく」は、先進国に都合のいい考え方にすぎない。発展途上国では自然のままでいいはずがない。自然に挑戦してきたからこそ豊かな生活ができるようになった。
 解説:著者ビートたけしさんの毒舌は、要約すると味がなくなってしまいますね。
 「環境か開発か」というのは、途上国の人にとっては大きな問題です。日本ではすでにほとんどの家庭に車があります。しかし、同じように中国の人たちがほとんどの家庭で車を持つようになったら、その排気ガスで日本の上空の大気は急速に汚染されると言われています。しかし、だからといって、「中国の人は車に乗らないで」などと言うことはできません。今の核拡散防止条約というのは、こういう論理に似ていて、「核兵器を持つのは今すでに持っている国だけにして、これから新しく持つのはだめ」という考え方です。持てる国の身勝手な論理を持たざる国に押し付けるべきではないというのが環境問題のひとつの重要な論点です。
 もうひとつの論点は、ムード的な自然保護に対する批判です。一時、泥つき野菜というのが流行ったことがあります。消費者が、きれいに洗ってある野菜よりも泥のついたままの野菜の方が自然らしくていいということで求めるようになったために、農家ではわざわざせっかくきれいにした野菜に泥をつけて出荷したという嘘のような話がありました。
 自然にまかせるのでもなく、自然をねじまげるのでもない、自然と調和する生き方が求められているようです。
★環境サミット(感)
 主題は、「先進国の勝手で発展途上国の開発を妨げるようになってしまっては問題だ」ということになるでしょうか。それに対しての対策として考えられるのは、まず「発展途上国の置かれている状況を個別に理解することだ」。としてみましょうか。発展途上国と一口に言っても、抱えている問題はそれぞれです。その状況をまず理解することによって、まず、やるべきことを整理できるということがあるでしょう。
 もう一つの対策として挙げられるのは、「先進国の持っている技術を発展途上国に生かしていくこと」。発展途上国の人たちが豊かに暮らしていくためには。やはり開発は欠かせません。そこで、先進国が持っている環境に優しい技術を出し惜しみすることなく、発展途上国に生かせないか考えていくことが必要です。ほかの長文でもやったと思いますが、自国の利益だけを優先するのではなく、全地球的な規模で物事を考えていくことが大事ですね。