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解説集 レンギョウ の池 (印刷版 /印刷版 /ウェブ版 /最新版
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1.1週 
●内申点、本当の豊かさ
 公立の中学では、中学での成績や態度が高校入試の参考になります。大学入試でも、高校での成績を参考に推薦を決めるところが多数あります。本番の試験だけでの一発勝負の方が公平だと考える人もいますし、ふだんこつこつ努力してきた人を評価すべきだと考える人もいます。内申点の是非を自分の生き方に結びつけて考えてみましょう。
 中3 1.1週のヒント ●内申点
 第一段落は、身近な実例。「人間は、普段から真面目にこつこつやっておき、いざというときに余裕を持って対処できるように生きていくべきだ。」又は「人間は、ふだんはのんびりやっておき、いざというときに全力を出せるように生きていくべきだ。」

 第二段落はその方法。「いざというときに全力を出すために、第一に、ふだんは幅広い教養を身につけるようにしておくことだ。私も、テストのない日はのんびり本を読んだり休んだりして英気を養うようにしている。」

 第三段落は第二の方法。「また、社会の仕組みとして、あまりに早めに細かいところで人間を評価しないようにすることだ。エジソンや信長が、普通の小学生と同じように評価されていたら、ただの落ちこぼれになっていた可能性も高い。(伝記実例)」

 第四段落は反対理解。「確かに、普段からの努力も大切だ。しかし……、『飽きるということも、一つの能力のあらわれである』という言葉がある。普段からこつこつやり過ぎると本番で全力を出せないこともある。だから……。」
 
構成図の書き方
 構成用紙は、構成図の書き方に慣れるために使います。構成用紙を使わずに、白紙に自由に構成図を書いてもかまいません。
構成用紙を使って構成図を書きます。
頭の中にあるものをそのまま書くとき。
構成図で書くとき。
初めに絵をかきます。(絵はどこにかいてもいいです)
思いついた短文を書きます。(どこから始めてもいいです)
思いついたことを矢印でつなげていきます。
関係なさそうなことでも自由にどんどん書きます。
枠からはみだしてもかまいません。全部うまったらできあがり。

 


1.2週 
●農業は、きわめて恣意的な営みで(感)
 内容:農業は自然界にある植物を人間の管理下におこうとする営みである。しかし、人間はまだ自然を十分にコントロールできていない。自然の合意を得られた分をいただくぐらいしかできないのである。

 解説:登山家も初心者のころは、「今度はエベレストを征服するぞ」などと言うそうですが、だんだん年期を積んでくると、征服するなどというおこがましいことは言えなくなるそうです。人間が自然を加工して住みよい世界を作ってきたことは確かですが、まだ自然には人間の知恵を大きく超えたものがあります。自然に対しては、もっと謙虚に、そして気長に取り組んでいくことが大切なのでしょう。最近のバイオテクノロジーの話などと関連させて考えることもできそうです。
中3 1.2週のヒント ●農業は、きわめて恣意的な営みで(感)

 第一段落は要約。続けて生き方の主題の意見。「私は自然に対して謙虚な気持ちを忘れずに生きていきたい。」
 
 第二段落は、方法1と体験実例。「そのためには、第一に、自然の恐ろしさを認識することである。」体験実例は、人から聞いた話、テレビで見た話などでもいいです。
 植物や動物を育てたことのある人は、生き物の不思議な力に驚いたことがあるでしょう。人間ができるのは、水をやったり餌をやったりすることだけで、人間の科学の力ではまだ光合成の仕組みの真似をすることさえもできません。
 
 第三段落は、方法2と伝記実例。「そのためには、第二に、幼いころからもっと自然に親しめるような機会をふやしていくことである。伝記によると、ファーブルは幼いころから虫が好きで、時間が経つのも忘れ、草むらにしゃがんで虫の観察をしていたらしい。ファーブルのように幼いころから自然に親しみ、自然を知ることができれば自然に対して謙虚な気持ちを持ち続けることができるのではないだろうか。」
 
 第四段落は、反対理解と名言の引用。「確かに、ときには人間が自然を管理することも必要だ。しかし、「寒さにふるえた者ほど、太陽の暖かさを感じる。」という名言もあるように、私は自然に対する謙虚な気持ちを忘れずに生きていきたい。」生き方という言葉は括弧書きで書いてもいいです。例えば、「自然に対して謙虚な気持ちを持ち続けたい(生き方)」など。
 
 

1.3週 
●われわれ自身は必ずしも意識して(感)
 内容:ひとつの言語を習得して身につけるということは、その言語圏の文化の価値体系を身につけることである。しかし、われわれはそれに必ずしも気づいていない。

 解説:「スミマセン」という言葉は、よく使われます。「ありがとう」と「ごめんなさい」の二つのニュアンスが合体した表現というのはどこでも使えて便利ですね。「これ、やっといてあげたよ」「あ、すいません」。「このプレゼント、君にあげよう」「あ、すいません」。「ところで、煙草、すうかい」「あ、すいません」「どっちだ」なんてね。

 こういう「スミマセン」というような言葉を使って暮らしていると、だんだん、周りの人に迷惑をかけないように謙虚に控えめに生きていくのが美徳だという日本的な価値観を知らず知らずに身につけていくのかもしれません。似たような表現に、「これ、つまらないものですが…」というのもありますね。

 「どうも、どうも。いやあ、ちょっとそこまで」なども日本的な表現で、この言葉を使っていると、あいまいにお茶を濁しておくのが立派な大人で、白黒をはっきりさせるのは野暮だという気になってくるでしょう。

 自分の使っている言葉がどういう価値観に基づいているかということはなかなか自覚できませんが、世界には異なる言語=価値観を持っている人がいるのだということを折りに触れて考えてみることが大切なのでしょう。
中3 1.3週のヒント ●われわれ自身は必ずしも意識して(感)
 
 第一段落は、要約と意見。「言葉の背後には、その言語圏の文化がある。日本語を使うとき、私たちは自然と日本的な文化を通して物事を見ることになる。そのことを深く自覚していく必要がある。例えば、日本には「『これはつまらないものですが』という言い方がある。謙虚なことはいいことだが、もっと自分に自信を持った生き方をしていきたい。」
 
 第二段落は、そのための方法。「そのためには、第一に、失敗や批判を恐れないことだ。謙虚さの背後には、批判を恐れる気持ちがある。何事に対しても、私は全力でがんばったと言えるようにしていきたい。」
 
 第三段落は、方法2。「また、もう一つには、積極的に海外の人と交流する中で、日本文化の狭い枠にとらわれない考え方を身につけていくことだ。伝記によれば、福沢諭吉は、学校の中での生徒の先生に対する形式ばったあいさつを省略するなど、合理的な考えを持っていた。これも書物を通して外国の物の見方に触れたからであろう。」
 
 第四段落は、反対理解と意見。「確かに、それぞれの文化の個性を守ることは大事だ。しかし、それが無自覚に行われているのであってはならない。『自分が考えるとおりに生きなければならない。そうでないと、ついには自分が生きたとおりに考えるようになってしまう』という言葉がある。日本の文化の中で生きていると、自然に日本的な考えが当たり前だと思ってしまう。もっと大きな視野で自分を見直すことが必要である。」
 
 
●われわれ自身は必ずしも意識して(感)
 「海外の人と積極的に交流することで、広い視野を身につける」というところでの伝記実例。
 江戸時代、遭難したことによって、偶然アメリカに渡ったジョン万次郎は、初めて世界地図を目にして日本の小ささに驚いたと言われています。彼は、英語だけでなく、民主主義や男女平等の考え方までも学んだそうです。その頃の日本人には考えられないことですね。
 日本に帰ったジョン万次郎は、坂本龍馬にも強い影響を与えたと言われています。まさに、幕末の陰の立て役者。彼が積極的にアメリカの考え方を学んだことで、広い視野で物事を考えられるようになったのは言うまでもないことですね。

2.1週 
●現代はアイデンティティ不定の(感)
 内容:現代はアイデンティティ不定の時代である。それは第一に、近代以前は大人になることが共同体の一員に属することを意味し、元服のような単純な境目があったが、近代は大人になる過程を学校教育という長いプロセスに変えたからである。また第二に、近代以前は、子供期というものは存在せず、子供はそのまま社会の集団に参加していたが、近代以降は豊かな生産力を背景にした家庭の自立に伴い、子供が社会から隔離されて家庭内で育てられるようになったからである。

 解説:最近の成人式は、式の途中でお喋りをするわ、携帯電話をするわで、主催者側も大変なようです。成人式と言っても、大学生のうちはまだ親のすねをかじっている身ですから、自分が一人の自立した人間として社会に参加していると自覚できるのは、就職をして給料をもらったり、結婚して子供が産まれたりしてからになるのでしょう。しかし、最近は、定職を持たない人もいますし、子供が産まれても育児の自覚のない人も増えてきたようです。

 親や家庭の庇護から離れることはだれでも不安を持つものです。しかし、近代以前は、「よし、今日からは男一匹(もちろん女の人も)、誰にも頼らずに生きていくぞ」という決心をする機会が社会の中にありました。

 アイデンティティ不定の時代にアイデンティティを持って生きていくためにはどうしたらよいか、ということを主題にして、複数の方法を考えていきましょう。第一の方法は自分の心構えなどから、第二の方法は社会や教育のあり方などからと構成に広がりを持たせるように考えてみましょう。
 中3 2.1週のヒント ●現代はアイデンティティ不定の(感)
 意見は、いろいろに考えられますが、「社会の中で自分の役割を果たすことによってアイデンティティを持てるような人間になろう」ということで考えると書きやすいでしょう。もっと噛みくだいて言うと、「いつまでも子供でいずに、早く大人になろう」ということです。
 第一段落は、要約と意見。
 第二段落は、方法と体験実例。「そのためには、実際の社会を体験することだ。私も、この前、ボランティア活動を行ったが、自分の役割がみんなから期待されているということは、貴重な体験だった。」
 第三段落は、方法2と伝記実例。「また、社会も、いつまでも若者を子供扱いせず、重要な役割にどんどんつけていくことだ。エジソンは、子供のころから列車の中で新聞を作って売る仕事をするなど、自立心が旺盛だった。それも、そういう自立を促す社会の雰囲気があったからだろう。」
 第四段落は、反対理解と名言の引用と意見。「確かに、世の中が複雑になると、子供という期間が長くなる傾向はある。しかし、『トランプが生きているのは、それが実際のプレーに使われているときである』という言葉もある。実際の社会で役立つ人間になるようにがんばりたい。」
 
 
●現代はアイデンティティ不定の(感)
 若者をどんどん重要な役割に登用する、という観点で考える場合、伝記実例では、ちょっと新しいですが、ケネディの例も使えそう。
アメリカ合衆国第35代大統領であるジョン・F・ケネディは、なんと43歳の若さで当選。今の日本では考えられないことです。就任当時、鳩山さんは62歳。麻生さんは68歳。福田さんは、なんと71歳……(^^;)。(昔は、今と比べると若い人が登用されていたようですが。初代総理大臣伊藤博文は44歳の若さで総理大臣になっています)
 政治の世界では43歳というのはまだまだ若手。アメリカには、実力のある人なら年齢を問わず登用すべきという考えが日本よりも強いからでしょう。

2.2週 
●私の英語力はほとんど(感)
 内容:大学生のときの英語の授業で、アメリカ人講師の笑顔に違和感を持った。後年アメリカに行き、彼らの笑顔が意識的なものだと知った。笑顔は、異質な人が共存する社会でのコミュニケーションのルールなのだった。

 解説:笑顔のほかに、挨拶や言葉づかいや服装などもコミュニケーションのルールと言えそうです。中3の人の中には、受験のときの面接の仕方などを練習した人もいると思いますが、知らない人と初めて話すような場では、互いに誤解を招かないようなルールが必要です。面接の会場に、セーターにサンダルばきであくびをしながら入って「ん? なんでも聞いてちょうだい」などと言う人はいません。大事なのは中身ですが、入れ物がそれなりにしっかりしていないと、中身まで見てもらえません。

 意見は、「ルールを大切に」ということで考えることもできますが、反対に「無理をせずありのままの自分で」ということで考えてもいいでしょう。
中3 2.2週のヒント ●私の英語力はほとんど(感)
 第一段落は要約のあと、「笑顔を大切にして生きよう」又は、「人にどう思われるかは気にせずに自分らしく生きよう」
 第二段落は、その方法と体験実例。「まず大事なのは、相手に対する思いやりの気持ちを持つことだ。私の母は、いつもにこにこ笑っているので、私も笑顔が自然に身についた。」
 第三段落は、方法2と伝記実例。「第二に、小さいころからできるだけ多くの人とコミュニケーションをとることだ。徳川家康は、小さいころから人質になって苦労をしたので、人情の機微がよくわかったと言われている(伝記)。」
 第四段落は、反対理解と名言の引用。「確かに、ほかの人にどう思われるかを気にするよりも自分らしく生きた方がいいという考えもわかる。しかし、「上手なプレーをしたときよりも、悪いプレーをしたときの態度が大切である」という言葉がある。調子の悪いときに笑顔になれるかどうかがその人の器を決めるだろう。」
 
 
●私の英語力はほとんど(感)
 「自分らしく生きていきたい」と考えた場合、その方法は、まず「他人の意見に流されず、自分の意見をしっかり持つことだ」などのように考えられそう。また、第二の方法は社会環境がどうあるべきか、ということで考えてみましょう。「異なるものを受け入れることができる社会を作っていくことだ」。言葉の違い、文化の違い、人種の違い、色々な違いがありますが、その違いを楽しむ余裕を持ちたいですね。伝記実例は、人種差別の撤廃に尽力したキング牧師などの例が挙げられそう。

2.3週 
●大相撲をはじめて見にいったとき(感)
 内容:大相撲を見にいったとき、観客がざわついているのに驚いた。居ずまいをただして見るという態度は芸術がそれ自体自律した普遍的な価値を持つという考え方から生まれた。この考えから、コンサートホールのような演奏者と観客を隔離し、観客相互を隔離する装置が作られた。一九六〇年代になると、この「芸術鑑賞」に対する批判として、観客を演劇の中に巻き込むような実験が行われるようになった。
 解説:クラッシック音楽をコンサートホールなどで聴く場合、観客は静かにしていなければなりません。せんべいをボリボリ食べながらクラッシックを聴くような人はいません。しかし、こういう聴取態度は、歴史的に形成されてきたものです。この「由らしむべし知らしむべからず」に似た権威主義的な芸術観に対する反抗が、観客を演奏の中に巻き込むような新しい芸術運動として生まれてきたのでしょう。
 学校の授業にあてはめると、生徒が静かにかしこまって聴くハイレベルな講義がクラッシックの演奏のようなもので、生徒がどんどん参加できる、楽しいが行き当たりばったりの授業が実験演劇のようなものだと言えるでしょう。
 今は文化活動のさまざまな分野で、観客の参加を促すような試みが行なわれています。博物館の展示も、昔はガラスごしにただ見るだけでしたが、今は観客が手に取ったり動かしたりできるものが増えています。横浜洋光台の子供科学館でも、小学校低学年の子は展示品を見るより、ジャングルジムのような場所で鬼ごっこをするのに一生懸命です。
 この観客参加の姿勢が、マイナスの方向に向かうと、清水市の成人式のように、式の最中に携帯電話をしたり立ち歩いたりする成人が多いことに市長が怒り、翌年の成人式を廃止すると発言するような事態になるのでしょう。いま大学でも授業中の私語が多いために講義が聴けないというところが増えているようです。小中学校でも、先生の話を聴いているのは一番前の席の数人だけというクラスがあります。長文にある18世紀の演奏会のように、式場やクラスが社交の場になっているのです。
 しかし、その一方で、観客参加がまだ不十分な分野が数多くあります。公園などは、もっと市民が自由に参加できるものにしてほしい分野ですが、木に登ってはいけません、犬を放し飼いにしてはいけません、芝生に入ってはいけません、ボール投げをしてはいけません、秘密基地をつくってはいけません、などと観客の参加を拒否するような看板がよく立っています。確かに、公園のあちこちに秘密基地を作られたら困りますが・・・・・・。
 観客参加のマイナス面を反対意見への理解として考えながら、観客参加の方向が時代の流れだということで意見を書いていくといいでしょう。
中3 2.3週のヒント 大相撲をはじめて見にいったとき(感)
 第一段落は、要約と意見。「私も将来、演奏をしたり展示をしたり公園を作ったりするときに、常に観客の参加を考えていきたい(生き方)。」
 第二段落は、方法1と体験実例。「そのためには、第一に、参加による混乱を恐れないことである(方法)。私たちも、修学旅行の計画に企画段階から生徒が参加する形で行った。いろいろな回り道があったが、自分たちで決めたという充実感があった。」
 第三段落は、方法2と伝記実例。「第二には、上に立つ人が何でも自分でやりすぎないことである。明治維新が成功したのは、西郷隆盛や勝海舟という、それまでの権威にとらわれない若い人たちが活躍することができたからである(伝記)。」
 第四段落は、反対理解と名言。「確かに、静かに聴取する演奏会のような場があってもよい。しかし、これからは観客参加を考えていく必要がある。家の批評ができるのは、建築家ではなくそこに住む人なのである(名言)。」

3.1週 
●今日では、道徳的共同体を(感)
 内容:今日の社会は、法的社会である。しかし、共同体意識は、今も人々の間に生き続けている。孔子は、葉で、自分の父親の犯罪を証言した正直な息子を批判した。法がしだいに 社会的に認知されつつあった春秋時代に、共同体的原理を体現したのが孔子であった。

 解説:法的社会と道徳的共同体社会の対立がテーマになっています。例えば友達が万引をする現場を見たとき、それを先生に告げるというのが法的な発想でしょう。先生に問い詰められてもあくまでも友達をかばうというのが道徳的な発想でしょう(どこが道徳的じゃ)。

 狭い変化のない社会では、道徳的共同体的意識が生きています。小さな村の選挙では、政策で人を選ぶのではなく、「この前、○○をもらったから、今度は、選挙で一票入れといてやろう」というような発想で投票する人がかなりいます。みなさんのクラスでの学級会でも、「あなたの考えのほうがまちがっていると思うけど、友達だからあなたのほうに手を挙げておいたわよ」などという友情がよく見られると思います。日本は、世界の中でも共同体的意識の強い国でしょう。

 これに対して、アメリカは法的意識の強い国です。多種多様な民族が同居している社会では、それぞれの民族によって道徳的習慣が違いますから、おのずからどの民族にも共通に理解できる法的な基準が中心になります。この法的社会が行き過ぎると、「自分の頭が悪いのは親の育て方が悪かったからで、親を裁判で訴える」という子や、「子供が事故を起こして親が弁償したが、その子供を裁判で訴える」という親が現われてきます。本当にあった話だそうです。

 日本では、最近「身内に手心を加える」ことが事件になっています。アメリカの基準から見れば、日本は法的に遅れている社会ということになります。しかし同時に日本人の心の中には、身内をかばうのは当然という感覚があることも事実です。全体のバランスとしては、日本人は法的なほうにもっとウェイトを置くぐらいでちょうどいいのかもしれません。


 
中3年 3.1週 ●今日では、道徳的共同体を(感)
 第一段落は要約と意見(生き方の主題)。「共同体的な生き方をしたい。」(まんまや)
 
 第二段落はその方法と体験実例。「そのためには第一に、法律よりも人間を見ることだ。私もこの前週番のとき、遅刻をした友達がいたが、知り合いなので見逃がしてあげた(いいのか)。」
 
 第三段落は方法2と伝記実例。「また、法律を執行する人の人間性も必要だ。伝記によると、大岡越前守(おおおかえちぜんのかみ)は、子供を争う二人の母親に、「子供を引っ張って自分の元に引き寄せた方が本当の母である」と言い、痛がる子供の声に思わず手を放した母を本当の母と認定した。」
 
 第四段落は、反対理解と名言の引用。「確かに、法律に基づかない運営は不明朗なものになることが多い。しかし、私たちはもっと共同体的な考え方を再評価すべきだ。家の批評ができるのは、建築家ではなくそこに住む人である(名言)。」
 
 

3.2週 
●イロリの社交は、家族結合の(感)
 内容:イロリの社交は、家族結合の社交であった。ひとつの火を通じて心がかよいあう。そういう不思議な力を火はもっていた。火が人間を接近させ、親密さを強める効果をもっていることをわれわれは直観的に知っている。火の共有による親密な人間関係に関して、日本文化はいろんな工夫を凝らしてきた。人間は実用性を超えて、火を人間関係調整の手段としても展開させてきたのであつた。

 解説:冬になると、家族みんなで鍋をつついて食事をとるという家庭も多いでしょう。夏になると、河原でバーベキューパーティーをするというところもあるでしょう。火を囲んで話をすると、お互いにぐっと近しい関係になった気がします。文化祭のあと、校庭で火を囲んだ体験を思い出す人もいるかもしれません。水くさい関係というのは、火を囲んだ関係の反対です。(ホントかいな)

 人間は「1+1=2」という合理的な関係だけで生きているわけではありません。食事もただ食べればいいというだけで、家族が一人一人ばらばらに、自分の好きなときにレンジでチンという食べ方をしていたのでは味気ないでしょう。やはり、みんなで食卓を囲んで食べるところに味わいがあります。

 火を囲むという、一見合理的には説明のつかない人間の心を大切にするような生き方をしていきたい、というかたちで意見を考えていくといいでしょう。
●イロリの社交は、家族結合の(感)
 第一段落は要約と生き方の主題。「火は人間の心を和ませてくれる。私たちはこのような非合理的な気持ちも大切にして生きていくべきではないか。」

 第二段落はその方法と体験実例。「そのためには第一に、自分の心の声に耳を傾けることである(方法)。私も、ものを買うときは直感で感じのいいものを選ぶことが多い。値段や理屈で選ぶとあとから後悔することがあるが、感覚で選ぶと飽きが来ない。」

 第三段落は、方法2と伝記実例。「また、社会の仕組みも、非合理なものを大事にするような余裕のあるものにするべきだ。この長文にもあるように、ルーズベルトは暖炉の近くでアメリカ国民に語りかけた(伝記)。日本の首相も、囲炉裏を囲んで国民に語りかけると受けるかもしれない(笑)。」

 第四段落は、反対理解と名言の引用。「確かに、熱や光を取るという目的がはっきりしているときに、合理的にその目的にかなった手段を選択することは大切だ。しかし、私たちはもっと非合理的な気持ちも大事にしていくべきではないだろうか。」「雑草とは、まだ、その美点が発見されていない植物のことである」「非合理的なものの美点を私も発見したい。」
★イロリの社交は、家族結合の(感)
 第三段落 伝記実例
 長文の最後の段落には「茶の湯」のことが書かれています。茶の湯といえば、忘れてはならない名前は千利休ですね。戦国時代から安土桃山時代に活躍した茶人で、わび茶の完成者として知られています。
 
 一期一会という四字熟語は、千利休が弟子に言った言葉だそうです。人と人との出会いは一生に一度限りのものだから、大切にしなければならないといった意味で使われます。が、もともとは茶の湯で、茶会に臨む際に、その機会は二度と繰り返されることのない一生に一度の出会いだと心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くすべきだという心構えを表わしたものだそうです。
 火を間にして、火をうまく調節してほどよい加減を計りつつ、人と人との出会いやつながりを利休はとても大切にしたのですね。

3.3週 
●今、日本の都会では、路上で(感)
 内容:昔、訪問販売で詐欺にあったことがあった。日本では路上の販売はあまり見かけないが、路上販売や訪問販売にはリスクがつきものだ。スーダンの路上で煙草屋から一箱買おうとした。一度にたくさん買えば煙草屋も喜ぶだろうと思ったのだが、ほかの人の分がなくなるから全部は売れないと言われた。事情を知ったぼくは、一本だけ買った。いい気分だった。

 解説:路上の販売や訪問販売には詐欺に遭うなどのリスクがつきものです。しかし、それは逆に、買い手と売り手との間に生きた人間どうしのコミュニケーションがあるということです。いまは自動販売機や通信販売で人と対面しなくてもモノが買えるようになっていますが、これがもし、タバコ屋のおばさんのところからタバコを買うとしたら、「あんた、まだ中学生でしょ。タバコなんか買っちゃだめよ」と言われるかもしれません。売り手はただ売れればいいと考えているのではなく、相手の立場を考えてモノを売っています。

 日本の都会では、このような人間的なコミュニケーションが希薄になっています。バスの運転手によっては、人が停留所に向かって走っているのを知っているのに機械的にドアを閉めるようなことがよくあります。(いるでしょ)。その一方で、地域によっては、老人が手を挙げたらそこがバス停という人間味のある運行をしているところもあります。

 今学期の課題の人間の生き方に結びつけて考えられるかな。
●今、日本の都会では、路上で(感)
 第一段落は要約と生き方の主題。「私たちは人間的なコミュニケーションを大切にして生きていくべきではないか。」

 第二段落はその方法と体験実例。「そのためには第一に、人との触れ合いを大切にしていくことである(方法)。私も、部活動などで後輩に会うと、とにかく声をかけるようにしている。」

 第三段落は、方法2と伝記実例。「第二には、社会自体も機械に頼らず、人間どうしの触れ合いを重視したものしていくことである。エジソンは、蓄音機などを発明したことからもわかるように機械の力を充分に活用した人だったが、子供時代は、小学校の先生による機械的な指導で退学を余儀なくさせられた。そのエジソンの可能性を引き出したのが母親の人間性だった(伝記)。」

 第四段落は、反対理解と名言の引用。「確かに、大量生産や大量販売は、豊かな社会を生み出した。しかし、私たちは原点に戻って、社会の基盤となる人間のコミュニケーションということに目を向けるべきである。「経験は、最良の教師である」という言葉がある。人間が成長するための貴重な経験は、人間との触れ合いの中により多くあるのではないだろうか。」

●今、日本の都会では、路上で(感)
「伝記実例」としては、人と人とのコミュニケーションを中心に考えて、サリバン先生のおかげでコミュニケーション方法を学び、三重苦の障がいをのりこえて世界に平和を訴えられるまでになったヘレン・ケラーや、患者さんとコミュニケーションすることですばらしい看護婦となったナイチンゲール、貧しい人々の心をやすらげるためにつくしたマザー・テレサなどがあげられそうです。