解説集 ヤマブキ の池 (印刷版)
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4.1週
●長所と短所、あだなはよいか
書き方の流れ
第一段落(150〜200字)
長所と短所にまつわる身近な実例を書く。
第二段落(150〜200字)
意見A。「確かに長所を伸ばすことは大切だ」と一方の意見を書き、その裏づけとなる実例を書く。例えば、「私も、得意な教科の○○を伸ばすことによって、勉強全体が順調に進むようになった」など。ここはできるだけ体験実例で。
第三段落(150〜200字)
意見B。「しかし、短所を直すことが大事だという考えもある」ともう一方の意見を書き、その裏づけとなる実例を書く。例えば、「小野道風という人は、自分の下手な字を直そうとして……」など。ここは、できるだけ社会実例で。
第四段落(150〜200字)
意見C(総合化の主題)。AとBの二つの意見を総合化して、より高い次元でまとめる。例えば「長所を伸ばすことも短所を直すことも大切だ。しかし、最も大切なことは、自分自身を向上させるという目的である。長所を伸ばすか短所を直すかということはそのための方法である」という具合に。そのあと、名言を入れてまとめる。
体験実例は、自分の体験をもとに書いていきましょう。社会実例は、自分の体験以外の話で、新聞や本に出ていた話などを入れていきましょう。
名言集に載っている名言は全部覚えておきましょう。また、本を読んでいい表現を見つけたら、自分でこの名言集に書き加えておいてください。
●「総合化の主題」は「AもBもよいが、いちばん大事なのはCである」という書き方です。
●長所と短所、あだなはよいか
構成図は、小3以上の生徒が書きます。小2以下の生徒は、絵をかいてから作文を始めるという課題になっているので、構成図は書かなくて結構です。
構成図を書くときに大事なことは、思いついたことを自由にどんどん書くことです。テーマからはずれていても、あまり重要でないことでも一向にかまいません。
たくさん書くことによって、考えが深まっていきます。したがって、構成図は、できるだけ枠(わく)を全部うめるようにしてください。しかし、全部埋まらなくてもかまいません。
枠と枠の間は→などで結びます。この矢印は、書いた順序があとからわかるようにするためです。作文に書く順序ということではありません。
構成用紙は、構成図の書き方に慣れるために使います。構成用紙を使わずに、白紙に自由に構成図を書いてもかまいません。
構成図を書きます。
| 頭の中にあるものをそのまま書くとき。
| 構成図で書くとき。
|
初めに絵をかきます。(絵はどこにかいてもいいです)
| 思いついた短文を書きます。(どこから始めてもいいです)
| 思いついたことを矢印でつなげていきます。
|
関係なさそうなことでも自由にどんどん書きます。
| 枠からはみだしてもかまいません。 | 全部うまったらできあがり。
|
▽構成図は、原稿用紙や普通の白紙に書いても結構です。
4.2週
●「ふしぎ」と言えば(感)
「私」という存在の「ふしぎ」というのがテーマです。ふだんの生活の中で大切に考えているものは、例えば、学校の成績にしてもお年玉の金額にしてもその多くは数量に換算できるものです。つまり、「私」という固有の存在に結びついたものではなく、ほかのだれでもいいだれかにたまたま割り振られた成績であったりお小遣いの額であったりすると言ってもいいでしょう。
「自分の生涯そのものが世界のなかでほかにはない唯一の物語である」ということを自覚する機会は、生活のあわただしさに追われているとなかなか持つことはできません。児童文学の魅力とは、こういう私という存在のふしぎを自覚させてくれるところにあるのかもしれません。
話を児童文学から広げて、映画やテレビドラマなどから受けた感動というところで書いてもいいと思います。物語から感銘を受けるのは、そこに自分の人生に結びつく何かがあると感じるからです。昔話の実例も、自分が感銘を受けた本や映画を入れて書いていってもいいと思います。先生(森川林)は、この長文を読んで、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」を連想したけど、みんなはどんな本を思い出すかな。
●「ふしぎ」と言えば(感)
第一段落は、身近な実例。「『私』は、身長は○センチで体重は○キログラム。学校の成績は○ぐらいで、先日の偏差値は○だった。しかし、このようなことがいくらわかっても、『私』自身を説明したことにはならない。『私』はかけがえのないたった一つの存在である。……」
第二段落は、意見A。「確かに、客観的な指標は大切だ。そのことによって人間には目標ができるし、努力もできる。例えば、私はこの前の○○のテストが○点だった。だから、今度は……」
第三段落は、意見B。「しかし、同時に、人間には他人との比較では測れないものがある。私には夢がある。それは、ほかの人から見ればあまりに空想的で子供っぽいと思われるものかもしれない。しかし、その夢があるから、自分が生きている意味がある気がする。世界で初めて飛行機を飛ばしたライト兄弟も……」
第四段落は、まとめ。「このように、人間には、他人との比較の中で評価される自分と、自分自身の物語の中でわかる自分とがある。大事なことは、その二つのバランスをとって現実の社会をたくましく生きていくことではないだろうか。……」
●「ふしぎ」と言えば(感)
次のようなとらえかたもできます。
「意見A」「大人」として生きることは大切だ。
実例・部活などで、「先輩」という立場になったときは、後輩に指導したり、励ましたり、また細かいきまりを教えたりして、自分のわがままをおさえる必要がある。社会の一員として、正しい行いを身につけることも必要だ。
「意見B」しかし、子どものときからの自分の夢や心をわすれないことも大切だ。
今することばかりにふりまわされていると、つかれてしまったり、自分が本当にやりたいことを忘れてしまう。
「総合化の主題」子どものころからの夢を、大人として獲得した社会を生きる知恵や力でかなえていくことが大切。
4.3週
●ラレルは、四つの仕事を(感)
言葉は効率のよさを求めて歴史とともに変わっていきます。その変化の背後には、多くの人の支持があります。普段の生活でも「見れる」「食べれる」「来れる」という言葉はごく普通に使われています。長文の筆者は、言葉の本質は保守的なものだという考えから、「見られる」「食べられる」「来られる」という正しい言葉を使おうと主張しています。言葉にかぎらず、新しいものと古いものの対立はほかにもいろいろありそうです。
昔話などの似た話は「ラレルという言葉」という取り上げられた題材に近いところでさがそうとしても見つかりません。「新しいものと古いものの対立」という、より抽象化された主題に近いところでさがしていくのがコツです。そうすると、古いものを捨てようとした「○○○○山」などの話が思いつきそうでしょう。童話では新美南吉の「おじいさんのランプ」なども似ていますね。
●ラレルは、四つの仕事を(感)
第一段落は要約。
第二段落は、意見A。「古くて正しいものには良さがある。」古くから伝わる習慣を守ることなどが例として挙げられそうです。
第三段落は、意見B。「一方、新しく便利なものにも良さがある。」実例としては携帯電話やメールなど手軽に使えるものが挙げられそうです。
第四段落は、総合化した意見C。「確かに古いものにも新しいものにもそれぞれ良さがある。しかし、いちばん大切なことは、『トランプが生きているのは、それが実際のプレーに使われているときである。』という名言があるように、そのものの持ち味を最大限に生かす使い方をすることである。
●ラレルは、四つの仕事を(感)
第一段落は、言葉にまつわる身近な実例。「日本語の敬語は、日本人にとってもわかりにくいところがある。間違えやすいのが『いただく』と『めしあがる』だ。このほかにも……」など。
第二段落は、意見Aと実例。「確かに、古くからある正しい日本語を守っていくという考えもわかる。これは言葉に限らず、文化全体についても言える。例えば、日本には年長者を敬うという文化がある。合理的に考えれば実力で評価した方がよい場合でも、多くの場合、実力よりも年齢を優先する。それは……」など。
第三段落は、意見Bと実例。「しかし、新しい便利な考え方もどんどん採用していくという意見にも一理ある。『見れる』『食べれる』という言葉を多くの人が使っているのであれば、それをそのまま正しい日本語と見なすというのも一つの考えだ。これは、もちろん、言葉以外の文化についても言える。例えば……」など。
第四段落は、総合化の意見。「したがって、いちばん大事なことは、古くて正しいものがよいか、新しくて便利なものがよいかということを評論家的に考えることではない。言葉や文化は生きているのだから、どういう文化を作っていくかということは、自分たちがどういう社会を作っていきたいかということである。大事なことは、これらの問題を自分たちの問題として考えていくことである」など。
5.1週
●島国言語の特色のひとつは(感)
内容:島国言語の特色のひとつは、相手に対する思いやりが行き届いていることである。島国言語のもうひとつの特質は、話の通じがたいへんよいということである。日本では、普通は家族の間で行われるような言語活動の様式が社会に広く認められる。そのため、大陸言語に比べると、日本語は冗語性が少ない。
解説:島国言語は、通人どうしの言葉です。京都では早く帰ってほしい客に「まぁ、おあがりやして、ぶぶづけ(お茶づけ)でもいっぱいよばれておくれやす。」と言うのだそうですが、ここで本気にして「そりゃ、どうも」と上がり込んでしまうと、「やぼなお人やわ」と言われてしまいます。(しかし、この話は全国的にあまりに有名になってしまったので、京都の人に言わせると、「いまどき、そんなん言う人なんか、おらしまへん」だそうです。この島国言語のよさは、互いに相手の思いやりを前提にして話をしていることです。また、みなさんにも経験があると思いますが、仲間うちだけで通用するような省略した言葉を使って話すと不思議と連帯感がわくことがあるでしょう。
しかし、国際社会では、この島国言語のような話し方をしていたのでは正しい意思疎通はできません。日本では、「前向きに善処します」というのは、やんわりとした断りの言葉ですが、欧米ではそれはそのまま「実行の約束」と考えられます。ここで、日本人はうそつきだと思われるようなことがよくあるそうです。
これらふたつの意見をそれぞれ第二段落、第三段落で書き、第四段落で総合化してみましょう。総合化は、「場に応じて使い分ける判断力」あたりになりそうかなあ。
一条天皇の皇后定子(ていし)に仕えた清少納言は、ある冬の日に、「少納言よ、香炉峰の雪、いかならむ」と言われ、白居易の「香炉峰の雪は簾(すだれ)をかかげてみる」の詩句を思い出し、さっと簾を上げてみせました。このあたりは通人の世界ですね。
●島国言語の特色のひとつは(感)
第一段落は要約。
第二段落は、意見A。「島国言語は相手に対する思いやりが前提となっていて、短い言葉でも通じ合えるという良さがある。」友達との会話では、省略して話をすることも多いですね。友達同士でしか通じない言葉を使って話をすることもあるでしょう。
第三段落は、意見B。「しかし、正しい意思疎通をするためには大陸言語の方が適している。」島国言語に頼っていると誤解を招くこともあります。例えば国際社会において島国言語を使うと意思の疎通がうまくできなくなり、さまざまな誤解を招きそうですね。
第四段落は、総合化した意見C。「確かに島国言語にも大陸言語にもそれぞれ良さがある。しかし、いちばん大切なことは、『トランプが生きているのは、それが実際のプレーに使われているときである。』という名言があるように、それぞれの言語の特徴に合った使い方をすることである。」
5.2週
●こればかりは自分で(感)
シンプルな生活で生きるほうが心豊かに生きられるというのがテーマです。自動ドアとか自動販売機とか、考えてみると、なくても別に不自由しないものが身の回りにたくさんありそうですね。
イソップ童話に「シカとライオン」の話があります。立派な角を自慢し、細い脚を嘆いていたシカがライオンに追われ、やぶの中で角が枝にからんで動けなくなってしまうという話です。知っているかな。
手に触れるものを何でも金に変えることを望んだ王様もいました。逆に貧しい人たちに自分の目の宝石などを次々に与えていった王子の像もありました。
昔話や童話をよく知らないという人は、毎度おなじみの「桃太郎」や「浦島太郎」でがんばってみましょう。犬やサルやキジがわずかなきび団子で桃太郎の味方になったのは、きび団子というモノそのものの価値でなく、やはり桃太郎の心意気に引かれたからでしょう。竜宮城でのタイやヒラメの舞踊りも過ぎ去ってみれば空しいものだというふうに引用することもできそうです。
●こればかりは自分で(感)
第一段落は要約。
第二段落は、意見A。「便利で快適な生活はよい。」科学の発達により、私たちの生活は便利になり、私たちは快適に生活できるようになりました。スイッチ一つで涼しくなったり、暖かくなったり。いつでもどこでも遠くにいる友人と話をすることもできます。
第三段落は、意見B。「しかし、機械化されていないシンプルな生活もよい。」本当に機械化する必要があるかどうか疑うようなものまで機械化されているのが現状です。そのために失われているものもあります。本当に必要なものだけを身の回りに置いて、自然をありのままに受け止め、シンプルに生活することによって見えてくるものがありそうですね。
第四段落は、総合化した意見C。「確かに機械化された便利で快適な生活にも素朴でシンプルな生活にもそれぞれよさがある。しかし、いちばん大切なことは、『私たちの人生は、私たちが費やしただけの価値がある。』という名言があるように、自分の満足のいく生き方を常に模索しながら生きていくことである。」
Re: ●こればかりは自分で(感)
第3段落、「シンプルな生活もよい。」の「社会実例」。以前、「銭形金太郎」というテレビ番組がありました。これは、日本各地にいる「ビンボーさん」を訪ね、その生活を紹介するというバラエティー番組です。当然、様々な理由で収入が少なく、(自らすすんで)極貧の生活をしている人々が出てきます。家を全部自分で造ったり、野草を食べたり、ビルの屋上を間借りしていたり、と、変わった人々の様々なビンボー生活が紹介されました。無人島や山奥で自給自足するビンボーさんの生活を見て、私達は「なんて変わった人だろう」と思うと同時に、どこかうらやましく思うのはなぜでしょうか。
昔、「ボロは着てても心は錦〜」などという歌や、「名もなく貧しく美しく」というタイトルの映画もありました。(古すぎ)
みなさんがよく知っている昔話のいいおじいさんやおばあさんは、たいてい、貧しいが心の美しい人たちですね。
こんな例を入れてみてください。
5.3週
●父が父でなくなっている(感)
父親の役割とは、子供に文化や社会規範を伝えることだ、というのテーマです。価値観を伝える父親像というのは、現代では少なくなりましたが、歴史を見ると、父親というのはいつも無理を承知でやせ我慢という役割を果たしていたようです。
昔話ではありませんが、有名なのは「巨人の星」の父親、星一徹です。大リーガー養成ギブスなどは一徹の価値観をよく表しています。桃太郎が鬼退治に行くことをおじいさんとおばあさんに告げたとき、おじいさん(父親の役)とおばあさん(母親の役)がそれぞれどんなことを桃太郎に言ったか想像してみてもおもしろいと思います。おばあさんは、「そんなところにわざわざ行かなくても、ここで楽しくくらしていれば」と引き止めたでしょうが、おじいさんは、「どんなに苦しくても見事に鬼を退治するまでは戻ってくるな」などと言ったかなあ……。
●父が父でなくなっている(感)
第一段落は要約。
第二段落は、意見A。昔気質の頑固で厳しい父親は良いという意見です。厳しい強い父親に育てられた子供は、小さい頃から父という壁にぶつかり、はねとばされているので、いざ一人で社会という壁に立ち向かったときも、少しはねとばされたくらいではへこたれません。
第三段落は、意見B。一方、ものわかりのよい友達のような父親にも良さがあります。何でも気軽に話すことができ、気軽に相談に乗ってもらえるような父親、子供と同じ目の高さで話をしてくれる父親は子供にとっては理想の父親かもしれません。
第四段落は、総合化した意見C。「確かに頑固な父親にもものわかりのよい父親にもそれぞれ良さがある。しかし、いちばん大切なことは、『他人から尊重されるためには、まず自分で自分を尊重出来なければならない。』という名言もあるように父親が自分自身に自信を持っていることである。」
●父が父でなくなっている(感)
君のお父さんはどちらのタイプかな? 頑固で厳しいお父さんかな? それとも優しくて友達のようなお父さんかな? 頑固で厳しいお父さんは面倒な部分もありますが(笑)、頼りがいがあるし、ポリシーがあるという点は格好いい! 優しくて友達のようなお父さんには、対等に意見を言い合えるから、風通しの良い関係が作れる……。どちらのタイプにも良さがあります。お父さんの尊敬できる点を実例と合わせて述べていくといいですね。実例はできるだけ具体的に!
体験実例だけでなく、社会実例も考えてみましょう。ここ最近増加しているいわゆるニート。ニートが増えてきた背景には、優しくて叱ったりしない、物わかりのよいお父さんが増えているから、という展開もおもしろいかもしれませんね。
6.1週
●ノンフィクションの書き手は(感)
内容:フィクションの書き手は、「真実に近づくために創作する」と言う。しかし、ノンフィクションは、創作しないという約束の上に成り立っている。ノンフィクションのライターにできることは、事実の断片を収集することである。ノンフィクションとは、事実の断片による、事実に関するひとつの仮説である。
解説:事実をありのままに伝えるノンフィクションと、真実により近づくために創作するフィクションのそれぞれの役割を考えてみましょう。
昔、ある新聞カメラマンが、沖縄のサンゴ礁がダイバーたちによって荒らされているという報道をするために、自分でわざわざサンゴに落書きをしてそれを報道したことがありました。これは単なるウソの報道とも言えますが、カメラマンの意識の中には、「真実に近づくためには、多少の脚色も必要」という考えがあったのでしょう。もし、これがウソだとわからなければ、サンゴ礁を守ろうという大きな世論が作られたかもしれません。しかし、事実に基づかない報道で世論を形成することが、果たして本当に望ましいことだったのでしょうか。
「嘘も方便」ということわざがありますが、このことわざの中には、相手に対する思いやりという真実があれば、嘘をつくこともやむをえない、という考え方があります。二つの意見を比較して、総合化してまとめてみましょう。
●ノンフィクションの書き手は(感)
第一段落は、長文の要約を書きます。150文字程度で考えましょう。
第二段落では、意見の第一として意見Aを書きます。「事実をありのままに伝えることは大切だ。」という意見を出しましょう。報道の場では、真実か否かということが大切になってきます。情報の開示といった言葉もよく耳にしますね。しかし、たとえ「百聞は一見にしかず」といわれる映像のメディアでも、どこをどれだけどう映すかによって、真実と離れないとも限りません。写真で見たときと実際の人物がぜんぜん違ってたりして、びっくり(がっくり?)することもありますね。そのくらい、難しい問題です、といった体験をあげよう。
第三段落では、意見の第二として、反対の立場の意見Bを書きます。「創作を加えてより真実に近づくという考え方もある。」言いたいことをより強く相手に伝えるためには、多少の表現の付け足しはあっていいでしょう。みなさんも、作文に書くとき、気持ちの表現の部分で創作はありますね。江戸時代、町人の心中事件やあだ討ちを題材にした浮世草子なるよみものや、劇がもてはやされました。人々は、実際にあった悲恋やあだ討ちをさらに誇張した作品でこそ、涙を流して共感したのです。「赤穂浪士」は今でも名作です。
第四段落では、いままでにあげた二つの意見それぞれに理解を示しながら、さらに上の発想Cをしてまとめていきます。「大事なことはAかBかではなくCである。」としていくのです。これを「総合化のまとめ」といいます。
確かに、真実をありのままに伝えることも、創作を加えてより真実に近づく方法もどちらも大切だ。しかしもっと大事なことは「カメラマンは、レンズのほこりを払うまえに目のほこりを払わねばならない。」という言葉があるように、相手に伝えるという行為に責任を持っていくことである。
Re: ●ノンフィクションの書き手は(感)
第3段落、もう一つの意見を、「しかし、時と場合によっては、多少の脚色が許される場合もある。」とすることもできます。この場合の実例。
たとえば、余命幾ばくもない重い病気の時、それをそのまま患者に伝えることは果たしてよいことでしょうか? もちろんそれでよりよく余生を全うすることができる人もいるでしょう。しかし、人によっては、その事実に耐えられないかも。もちろんそれはケース・バイ・ケースということになるでしょう。
O・ヘンリーの有名な小説、『最後の一葉』も使えそうです。……窓から見えるツタの葉が全て落ちたら、自分も死ぬと思い込んでいる病気の女性のために、老画家が生涯の最後に残した絵(偽物の葉)だった。
時に創作は、実物よりも力を持ちます。
●ノンフィクションの書き手は(感)
第一段落は、課題文の要約、又は、身近な実例。
第二段落は、意見Aと実例。「ノンフィクションで事実をありのままに伝えることは大切だ。例えば、先日、友達が『すごく大きい魚をつった』と両手を広げて言ってきた。『え? そんなに大きいの』と聞くと、『いや、これぐらいだったかな』と、だんだん手の幅が狭くなっていき、最終的に15センチぐらいの魚だとわかったことがある。そのとき、私は……。」
第三段落は、意見Bと実例。「しかし、フィクションで創作することが大切なこともある。例えば、昔、『走れメロス』という話を読んだことがある。これは、もちろん実際にあった話ではなく、作者が作ったものだ。しかし、この話によって、私は友情というものについて深く考えさせられた。つまり、……。」
第四段落は、総合化のまとめ。「だから、大事なことは、ノンフィクションがいいかフィクションがいいかということではない。問題はどちらの方法がいいかというところにあるのではなく、何を伝えたいのかという目的である。その目的によって方法もまた異なってくるのである。」
★ノンフィクションの書き手は(感)
山田太一さんの「生身の他者や目の前の現実では人間のほんとうの姿が描けないから、フィクションがあるんです」という言葉は、ノンフィクションの限界を示していると言えるでしょう。フィクションでなければ伝わらない真実もありますね。
6.2週
●百年以上家具を(感)
安っぽい工業製品ではなく百年使える家具のような「木」の生き方に学ぼうというテーマです。短期的な視野でなく長期的な視野を、と考えてもいいですし、使い捨てで環境破壊を引き起こすものでなく環境と調和するものを、と考えてもいいでしょう。
昔話は、「金の卵を産むニワトリ」「サルカニ合戦(柿の種とおむすび)」などが思いつきそう。
●百年以上家具を(感)
第一段落は要約。
第二段落は、意見A。長い歴史が刻まれた古いものには温かみが感じられて良いという意見です。家にある古いものをさがしてみましょう。昔からある家具、置物などは、歴史の重みがあり、独特の味わいを出しています。古いものには、新しいものにはない良さがあります。
第三段落は、意見B。一方、新しいものにも良さがあります。携帯電話にしても、CDプレーヤーにしても新しいものの方が使いやすく、便利になっています。人々が新しいものに関心を持つのは、そのデザインや機能などに魅力があるからでしょう。
第四段落は、総合化した意見C。「確かに古いものにも新しいものにもそれぞれ良さがある。しかし、いちばん大切なことは、『大切なのは、健康らしい外見ではなく、健康自身である。』という名言もあるように見かけに惑わされず、それぞれの持つ本当の良さを見る目を養うことである。」
●百年以上家具を(感)
第一段落は、説明。「私の家にあるテーブルは、百年とまでは行かないが、私が子供のころからずっと使っているものだ。それは……」など。
第二段落は、古いものや自然のもののよい面。「古くからある自然のものを大事にしようという意見がある。例えば、日本に納豆や味噌などの文化があるが……」など。
第三段落は、新しいものや人工的なもののよい面。「しかし、新しい科学を生かそうという意見もある。例えば、コンピュータの発達によって、これまで人間が手作業で行っていたことが……」など。
第四段落は、総合化のまとめ。「だから、いちばん大切なことは、自然と人工とどちらがよいかということではなく、どういう生活が人間にとってプラスになるのかを考えることである。例えば、……」など。
6.3週
●「科学における発想と論理」(感)
科学の本などを読んだり数学の証明問題を解いたりしていると、世の中にある知識はすべて「AがBだから、CがDとなって……」と論理的な思索の結果生まれてきたような印象を持ちがちですが、偉大な発明や発見のほとんどは偶然の思い付きによるもののようです。ニュートンの万有引力の発見も、X線の発見も、狂犬病ワクチンの発明も、どれも偶然見つけられたものばかりです。
結果という外側だけを見ていると、外側がすべてであるかのように思いがちですが、実はその内側に見えない本当のきっかけがあるということです。論理よりも直観、数値よりも実感というふうに主題化してもいいでしょう。
似た例を探してみると「孔雀の真似をしたカラス」などが使えそう。また、「花咲かじいさん」が飼っていたシロを使って自分も大判小判を掘り当てようとした欲張りじいさん。「こぶとりじいさん」の真似をしてこぶを二つももらってしまったよくばりじいさん、なども考えられそうです。
●「科学における発想と論理」(感)
第一段落は要約。
第二段落は、意見A。理屈に縛られない直感はすばらしいという意見です。偶然の発見やひらめきから偉大な発明が生まれたという話は数多くあります。身近なところでも、数学の難問が直感で解けたり、インスピレーションですばらしい詩が書けたなどということもあるかもしれません。理屈に縛られない、自由な発想、自由なインスピレーションの良さをもっと見直すべきだと言えるでしょう。
第三段落は、意見B。一方、論理的な思考も大切です。あたりまえのことですが、直感だけに頼っているわけにはいきません。物事を論理的に考え、できるだけ正確に、現実的に判断するということは基本です。数学の問題も論理的に考え、解答を導き出すまでの過程をしっかりと説明できた方が良いに決まっています。
第四段落は、総合化した意見C。「確かに直感にも論理的な思考にもどちらにも良さがある。しかし、いちばん大切なことは、『知識がはしごを作ったのではなく、二階にあがりたいという熱意がはしごを作ったのだ。』という名言もあるように熱意を持って物事に向かっていくことである。」
●「科学における発想と論理」(感)
<例えばこんな作文>
人間の生き方として一般化してもおもしろいですね。
私たちは落ち込んだりイライラしたりうきうきしたりしますね。
意見A:人間の感情や心理状態には理由がないことが多い。体験実例は、「なぜこんなことをするの?」と怒られたりしたことを書いてみましょう。「なんでって。別に」なのにね。人間って理由がないと不安なんですね。でも理由をいちいち考えていたら、何もできなくなる。「明日、遊園地に行きたいな。でも、なんで遊園地に行きたいんだろう。お金もかかるし、疲れると学校に行きたくなくなるし、ジェットコースターが故障するかもしれない」なんて考えていたら、遊園地に行く気がうせます。
意見B:理由もなくイライラして友人に八つ当たりしたりしたあと、「なんでだろう?」と考えることは大切ですね。例えばイライラして友だちにひどい言葉を投げつけた。あとで「作文がかけなくてイライラしていたんだなあ」(笑)と自分を分析すれば、友だちに「ごめんね」と言うことができるし、感情的な行動もセーブできるようになるかも!
総合化の意見:人間やこの世界はひらめき、偶然、直感などで動いています。それは大事にするべきですね。直感で動くことは、勇気のいる行動を実行に移す助けになります。でも、冷静に論理的に分析することで、感情にふりまわされず自分の人生を自分の考えで生きることができますね。自分の心の瞬間的な動きを大事にしつつも、客観的な眼差しも忘れないことが自分らしく生きるコツですね!
★「科学における発想と論理」(感)
「天才とは99パーセントの汗と1パーセントのひらめきである。」発明王、トーマス・エジソンが言った有名な言葉です。汗は努力という解釈ですね。フィラメントについては、さまざまの素材を選び、実験を重ね、いろいろ試して、ついに京都八幡(京都府八幡市松花堂庭園)の真竹を用いたカーボン電球1種類や、綿(コットン)を用いたカーボン電球などで、作り上げたといわれています。電球を完成させる過程で、発想を論理的にして、データを集めたようです。
また、ドライ・クリーニングの方法を世界ではじめて見つけたのも、さいしょは失敗からです。フランス・パリの仕たて屋、ジョリー・ベランさんが、一八四八年のある日、ベランさんはテーブルのランプをひっくり返してしまいました。ランプのオイルがテーブルにこぼれ、奥さんが洗濯したばかりのテーブルクロスを、ひどくよごしてしまい、 べランさんは、そのテーブルクロスを手にとって見てみると、オイルがこぼれた方がまっ白で、きれいになっていたのです。これはどういうことか。べランさんの頭に、ひらめくものがありました。「きっと、ランプオイルには、布をきれいにする力があるのだ。」 それからべランさんは、実験をくり返し、クリーニングの方法をマスターして、仕立て屋をやりながら、ドライ・クリーニングの仕事も受けてやるようになったそうです。 ドライ・クリーニングとは、水を使わないで、物質をとかす液体を使って洗濯する方法で、実に画期的な大きな発見をしました。科学における 発想と論理が一体化した実例として使えそうですね。