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解説集 ミズキ の池 (最新版 /印刷版 /ウェブ版 /最新版
印刷版は印刷物として生徒に配布されているものと同じです。ウェブ版は書き込み用です。 https://www.mori7.com/mine/ike.php
最新版には印刷日(2024-09-14 00:00:00)以降に追加されたもの(グレーで表示)も掲載されています。

7.1週 
●テストはよいか、うれしかったプレゼント
◎長文実例……長文集のほかのページから似た例を探して書く練習です。長文を何度もしっかり読んでいないとできません。データ実例、昔話実例などとセットになっていますから、どちらかができればいいです。例えば、「データ実例・長文実例」の場合は、データ実例が入っているか、長文実例が入っているかどちらかでいいです。どこの長文からの引用かわかるようにできるだけ「長文○○によると」のように書いておいてください。

 「わあ、もうすぐテストだ。いやだなあ」とよく言いますが、テストというのは、本当にいやなものなのでしょうか。
(1)テストの実例をもとに、「テストはいいものだと思う」という意見を書いていくといいでしょう。(反対でもいいです)
(2)その理由は第一に、テストは……だからだ。(理由1)
(3)また第二にテストは……だからだ。(理由2)
(4)確かにテストには……というマイナス面もあるが、しかし……
 名言の引用も工夫してみましょう。
●テストはよいか、うれしかったプレゼント
 今回は長文の感想文ではないので、第一段落では簡単な状況説明のあと「テストは良いものだと思う。」と意見化します。状況説明は、「私の学校では、つい最近期末テストがあった。……」などのように自らの体験談などを簡単に書いていくとよいでしょう。

 第二段落は、その理由1。「テストがないと集中して勉強しないからだ。」もちろん、中にはテストなどなくてもただ勉強が好きだから勉強するという人もいるかもしれませんが、ほとんどの人の場合、テストがなかったら、なかなか集中して勉強しようという気持ちにはなれないでしょう。

 第三段落は、理由2。「また第二の理由としては、テストがあると勉強の成果がわかりやすいからだ。」テストを受けてみて初めて、自分の弱点がわかるということもあると思います。自分では気づかなかった間違いに気づくこともあるでしょう。もちろん、いい成績を取れば励みになりますね。

 第四段落は、反対理解と名言の引用。「確かに、テストのためだけに勉強するというのはいいこととは言えないし、テストの結果がすべてではない。しかし、『悪いことそのものがあるのではない。時と場合によって悪いことがあるのである。』という名言があるようにテストの良い面をうまく利用していくことが大切だと思う。」
●テストはよいか、うれしかったプレゼント
 今学期は、字数の目標が800字になっています。
 各段落それぞれ200字くらいで書いていかれるようにがんばりましょう。
 ●印の項目は変わっていません。作文の中に入らないキーワードは、ただし書として入れておきましょう。
構成図の書き方
 構成図は自由に書いてください。思いついたことを矢印でつなぎながら書いていくと、書きたいことがはっきりしてきます。

頭の中にあるものをそのまま書くとき。
構成図で書くとき。
初めに絵をかくといいでしょう。
思いついた短文を書きます。
矢印でつなげて書いていきます。
関係なさそうなことでもどんどん書きます。
はみだしてもかまいません。
大体うまったらできあがり。

●テストはよいか、うれしかったプレゼント
 「テストは悪い」ということで書く場合も当然あると思います。そのときに考えられる理由とは……
●テストの点数では評価できないことがあるからだ。……人間の本当の価値はテストの点数だけでは表せません。テストの点には表れない、人間の個性を大事にしたいですね。
●テストのためだけに知識を詰め込むことは本当の勉強とは言えないからだ。……テスト前だけ勉強して、テストが終わってしまったらすぐに忘れてしまう、そんな経験はありませんか?
●テストの結果だけにとらわれてしまいがちだからだ。……一生懸命勉強したのに結果が出なくて、その教科に苦手意識を持ってしまうということはありそうですね。

7.2週 
●最近、と言っても(感)
 外国文化に対する憧れというものは、今でも根強くあります。それは、欧米に追いつくことを目標にした明治以来の日本人の考えが、今でも連綿と生きつづけているからでしょう。しかし、外国文化のまねをする言っても、鼻の穴に骨をさしたり、たき火の周りを槍を持って踊ったりするような外国文化ではなく、西洋の外国文化に限られているということが特徴です。
 ファーストフードで、「チーズバーガーをひとつ、持ちかえりたいんですけど……」と注文すると、店員は「テイクアウトで、ワン、チーズバーガー」なんて言うでしょう。カタカナで言った方が、外国から来た食べ物はおいしそうな気がするからです(ほんとかいな)。
 しかし、日本人がこのように一方で西洋文化を貪欲に吸収しながら、他方で日本文化をしっかり守っているということが、ほかの国の人から見ると不思議に映るようです。西郷隆盛は外では洋服と靴でしたが、うちの中では和服と下駄で暮らしていました。私たちも外ではハンバーガーを歩きながら食べるようなことをしていても、うちの中では靴を脱いでこたつにはいって朝ご飯は味噌汁と納豆でというような生活をしていると思います。
 このように、日本文化がその独自性を守りながら外国文化を吸収する際に役立ったもののひとつが、漢字の持つ造語力だったということです。
 社会実例は、こんなふうに。「チルチルとミチルが探しにいった青い鳥は、自分のうちにいた。私たちもいたずらに外国に理想を求めるのではなく、自国のよさを見直してみることが必要なのではないか」。
 名言は、どういう意見を書くかによって決まってきます。書きやすい対比は「自国の文化を大切にすることと他国の文化を学ぶこと」でしょう。「自国に対する賞賛が他国に対する軽蔑によって支えられているのであってはならない」などが使えそうですが、できるだけ自分で探してみましょう。
●最近、と言っても(感)
 第一段落は、長文の要約をします。「ある言語がそれまで接触のなかった別の言語と接触するようになると、そこに相互の交流が生じ、双方の言語の中に相手の言語によるいろいろな変化の起こる。 」「いま日本語は、日本の国際化という大変動の中で、外国語、特に英語という強大な言語からの広汎(こうはん)で、しかもほとんど一方的な干渉にさらされている。」「日本があらゆる点で西洋の文化文明を取り入れたにもかかわらず、日本は結局雑種文化の国になることなく、世界に類例の少ない併存文化の国になった。」「それを可能にした要因の一つは、日本に漢字という便利な言語手段がすでにあったことなのである。」それに続いて「意見」を書きます。「私たちは、日本文化のように、自分なりに消化して、物事を取り入れていくべきだ。」
 第二段落は、理由のその一を書きます。「異質なものをとりいれる意欲がないと、進歩がないからだ。」そして、自分自身の体験談を書いていきましょう。新しいものが出て流行り始めると、どうしたって手に入れてためしたくなりますね。そんな好奇心が時代を新しくしていきます。また、意見の対立は議論やけんかの元ですが、相手の意見のいいところを汲み取ることで、成長するともいえますね。
第三段落は、理由のそのニを書きます。「自国のよさを見つめなおし、守っていくことも大切だからだ。」日本の年間海外旅行者数は1500万人を突破。行きたい旅行先は、1位 オーストラリア 57.2% 2位 ハワイ 48.4% 3位 カナダ 47.6% 4位 スイス 45.6% と、外国が続いている。(データ)このように海外志向が大きいにもかかわらず、「和風」ということにも新しい人気が生まれています。
第四段落は、反対意見に理解を示しながら、自分の意見を主張します。「確かに、純粋な文化を守ることも大切だ。しかし「自国に対する賞賛が他国に対する軽蔑によって支えられているのであってはならない。」という名言もあるように、私たちは自国の文化の方法で消化したうえで、異質な文化を吸収していくべきである。
●最近、と言っても(感)
 第一段落の要約のあと、「自分なりに消化してから何かを取り入れるのは良いことだ。」と意見化します。

 第二段落は、その理由1。「そのままの形でただ取り入れるだけでは、自分らしさがなくなってしまうからだ。」など。他人の意見をそのまま取り入れたり、他人のやり方をそのまままねしたりするのでは、自分の意見や個性というものがなくなってしまいます。たとえば、誰かのファッションがかわいいからと言って、そのまままねをするのでは自分をアピールすることができませんね。

 第三段落は、理由2。「また第二の理由としては、他によいものがあってもまったく取り入れないのでは自分自身を成長させることができないからだ。」など。自分とは違う他人の意見や他人のやり方などを知ることは、自分を成長させる第一歩です。自分にないものをうまく取り入れていくことができれば自分を高めていくことができるはずです。スポーツにしても勉強にしても他人の助言を受け入れることは大切ですね。

 第四段落は、反対理解と名言の引用。「確かに、自分のやり方を押し通すこともときには大切だ。しかし、『自分の心のうちに持っていないものは何一つ自分の財産ではない』という名言があるように自分なりに消化してから何かを取り入れ、自分を高めていくいことが必要だと思う。」

7.3週 
●人間は他の人間と(感)
 中学1年生は、是非の主題(よいか悪いかをはっきりさせた意見)と複数の理由の勉強です。「古い時代のように、親子が同じような生き方をしているために断絶のない安定した社会もよいかもしれないが、私は、たとえ親子の断絶や問題があっても、社会が進歩していくことがよいと思う」というような書き方で意見を書いていきましょう。(もちろん逆の意見でもいいです)。
 第一段落は要約と自分の意見、第二段落はその理由(1)、第三段落は理由(2)、第四段落は名言の引用と意見、という書き方です。第三段落に、データの実例や、長文集のほかのページからの実例を入れていきましょう。長文実例は、7.2週の「レストランで、水のことをウォーターと言う」などの例が使えそうです。使い方は自分で考えてみてね。
 親子の関係が「問題」化しているのが現代です。
 原始時代は、お父さんが男の子にイノシシの捕らえ方を教え、お母さんが女の子に木の実の集め方を教えるような社会が何万年も続きました。そういう社会では、親子の関係は「問題」にはなりませんでした。お父さんはおじいさんから教わったと同じことをその子供に伝えていったからです。おじいさんの時代のイノシシはキバしかなかったけど、お父さんの時代のイノシシは新しくカギヅメという武器を持つようになっていた、などということはもちろんありませんでした。
 今の社会は違います。お父さんやお母さんが子供時代に見たことも聞いたこともないものが次々に現れてくるからです。「何? ウォークマン。あれは、耳が悪くなるらしいぞ」「何? ファミコン。あれは目が悪くなるらしいぞ」「何? PHS。あれは、電磁波が出るらしいぞ」「何? インターネット。あれはウィルスがこわいらしいぞ」と次々と押し寄せる新しいものに対処するだけでも大人は精一杯です。
 確かに、こういう時代でも、老人の知恵が役に立たなくなったわけではありません。新しいものばかりに目をむけていると、「姥捨て山」の昔話と同じようになってしまうかもしれません。
 しかし、時代はどんどん新しくなっていきます。「脱皮できない蛇は滅びる(ニーチェ)」という言葉があるように、変化の激しい時代には、親も子も新しい関係を作るために脱皮し続けなければならないのかもしれません。
●人間は他の人間と(感)
 第一段落は、長文の要約をします。「人間は他の人間と自由にまじわることができる。自由な人間関係のなかで、ひとつの例外が血縁の関係、とりわけ親子の関係である。しかし、現代、親子という関係が「問題」化してきた。変化する社会のなかで親と子の経験がまったく異質化してしまった。社会が進歩し、変化するかぎり、親子のあいだには、大きな落差がつくられていく。安定した関係はグラつき、親子のあいだには一種の緊張関係がうまれてゆく。」そして意見をあげます。「私たちは社会の変化を受け入れ、新しい親子関係をつくっていくべきだ。」
 第二段落は、理由のその一を書きます。「適応力がないと、新しい時代についていけないからだ。」そして、自分自身の体験談を書いていきましょう。外来語がどんどん日本語になってきています。また、情報化社会ゆえの新しい用語が使われます。舌を噛みそうだからといって、毛嫌いばかりしていられませんよね。メールを電子による手紙、メル友を電子メールの文通相手とかいっていたのでは、ますます舌を噛みそうです。
 第三段落は、理由のそのニを書きます。「よいものは、自然と残っていくからだ。」時代が目覚しく動くと、全てが変わっていくように思いがちですが、よいもの普遍的なものは残ります。温故知新といいますよね。昔の人の知恵は、どんな新しい技術よりも頼りになることがあります。難しい学問をしている子どもが、親の言う素朴な教えに感銘することは、たくさんあるのです。
 第四段落は、反対意見に理解を示しながら、自分の意見を主張します。「確かに、昔のように親子が同じことを伝えていく方が、安定はある。しかし「脱皮できない蛇は滅びる(ニーチェ)」という名言もあるように、私たちは進化し続ける時代の中で、新しい親子のあり方を模索していくべきだ。」
●人間は他の人間と(感)
●是非の主題
親子の関係ということに関して自分の考えを述べていきましょう。
例えば、
 子どもが親のようになるよう育つ社会がいい
 子どもは親と別のものとして育つ社会がいい
 親の文化や価値観を受け継いで生きたい
 自分なりの文化や価値観を大切にしていきたい
●人間は他の人間と(感)
○参考までに〜社会の変化と人間関係
 社会のあり方が変化すると、人間関係のあり方も変化することは避けられないものです。(是非の主題)
 たとえば、あるとき大学に進学する人が増えました。地方から都市に出て、大学に通います。いろんなことを勉強し、地元の生活と違う都市の生活になれて生きます。
 そのときに大きな問題になったのが、両親を尊敬できないという悩みでした。これは一種の社会現象になったのです。
 新しい世代の彼らは、生活の仕方も考え方も違う。しかも両親を尊敬できない。子どもを産んだあと、「さてどうやって育てようか」となったわけです。
 その後、彼らが産んだ子たちが成長し、今度は女性が結婚や出産後も働くことが多くなってきました。親の世代ではまだまだ子育てに専念する女性が多かった時代。彼らは「働きながらどうやって子どもを育てよう」「二人や三人はとても無理だわ」と悩みました。
 近ごろは保育所の整備など、働きながら子育てができる環境が整いました。最近のアンケート調査では、子どもをたくさん産みたいという人は働いている女性に多いのです。保育所で子どもの世話をしてくれるから子育てのストレスが減り、また、自分が兄弟が少なかった経験から「子どもがたくさんほしい」と思うようです。
 こうして、社会のあり方は時代とともに変わり、人間関係(親子関係)も、私たちの考え方も変わります。それは避けられないものでしょう。
 なぜか? 人間は自分を取り巻く様々な条件に従わざるを得ないからです。都会で生活しているのに、農村地方の生活に憧れて実践しようとしても無理でしょ?(理由1)
 そして、人間と人間のつながりは永遠に広がっているものですね。親子関係は社会とつながっているのです。だから親子関係も社会のあり方に順応させないと、世渡り上手になれませんね(苦笑)。(理由2)
★人間は他の人間と(感)
 第一段落 要約の後、是非の主題は「親子のコミュニケーションを大切にするべきだ。」という意見を述べます。
 第二段落 複数の理由一 「コミュニケーションが不十分だと、親子の断絶が大きくなるからだ。」お父さんやお母さんが子どもの頃にはなかった遊びや、携帯電話・スマホの普及によって、放っておくと親子の断絶はますます大きくなってしまいます。時代が違うから仕方がない、忙しくて十分な会話の時間がない、などの理由で十分にコミュニケーションを取らないままでいると、家族であっても互いに何を考えているのかわからない冷たい関係になってしまうのではないでしょうか。
 第三段落 複数の理由二「コミュニケーションを取ることで、愛情を伝え合うことができるからだ。」身近な存在だから、わかっているはずだから、と思っていても、十分なコミュニケーションがなければ、愛情は相手に伝わらないかもしれません。とはいえ、愛の名を借りてはいても、押しつけがましいものだと子供の心には届きませんね。
 第四段落 反対意見への理解「確かに親子はべったりと依存しあうのではなく自立した関係であるのが望ましい。」名言は「子供は大人を小さくしたものではなく、それ独自の価値を持っている。」が使えそう。この名言にもあるように、親は子供の価値を認めつつ、コミュニケーションを大切にするべきだ。」と是非の主題でまとめましょう。
Re: ★人間は他の人間と(感)
 体験実例は、自分の家庭で家族はどのようにコミュニケーションを取っているかを、振り返って書いてみましょう。家族がそろって食事をする機会は、週に何回くらいありますか? 家族そろって出かけたり、スポーツを楽しんだりすることはありますか?

8.1週 
●作曲に集中しているとき(感)
 著者は、音楽は生き物だと述べています。詩や彫刻などの芸術も、詩人や芸術家が作るものではなく、逆に生き物である詩や彫刻が、詩人や彫刻家との協同作業で姿を現わすと言えるのかもしれません。「自然から学ぶことはあまりに多い」という部分を主題にして、人為的なものと自然なものの対比をしていくといいでしょう。
 人為と自然の対比を具体的に言うと、造花の花と自然の花、エアコンの風と自然の風、テレビで見る自然と本物の自然など、いろいろ考えられます。
 ただし、このように主題を自分なりに作り直すと、長文からずれてしまうおそれも出てきます。結びの部分では長文に戻りながらまとめてみましょう。 名言は「カメラマンはレンズのほこりを払う前に目のほこりを払わねばならない」など。ことわざでは、「やはり野におけ蓮花草」なども使えるかな。
 長文実例は、7.3週の「現代社会では、おむつのあて方や授乳の仕方などまでが、経験ではなく育児書をひもといて……」というような例が使えそう。
●作曲に集中しているとき(感)
 第一段落は要約を書きます。「作曲に集中しているとき、不意に、音楽というものが、自分の知力や感覚では、捉えようもない(神秘的な)ものに思われることがある。」「音楽という有機的な流れの中では、その(ひとつの和音の)響きは千変万化するもので、その表情の豊かさは、まるで、生きたもののようである。」「作曲は音と人間との協同作業(コラボレーション)だと思うから、作曲家は音に傲慢であってはならないだろう。」続いて意見をあげます。「私たちは自然から多くを学ぶべきだ。」
 第二段落は、理由のその一を書きます。「自然のもののよさがたくさんあるからだ。」そして、自分自身の体験談を書いていきましょう。人為的なもの(科学文明)と自然のものの対比を考えてみましょう。映像で見る自然と実際の大自然、エアコンの風と自然の風。管理栽培された野菜と旬の露地野菜。いろいろあります。やはり、自然の大きな力にはかないません。
 第三段落は、理由のそのニを書きます。「自分自身を謙虚に見つめなおせるからだ。」科学文明が発達して何でも便利に手軽に出来るようになると、ついつい人間は万能だといった傲慢な気持ちになります。キャンプなどに行って、自然任せの生活をすると、すがすがしい気分になれるのは、自然のやり方に従っている安心感なのかもしれません。
 第四段落は、反対意見に理解を示しながら、自分の意見を主張します。「確かに、自分自身の技術を向上させる努力も必要だ。しかし「カメラマンはレンズのほこりを払う前に目のほこりを払わねばならない」という名言もあるように、私たちは何かをつくろうとする時に、謙虚さを持ち、まず自然の中から学ぼうとする気持ちを忘れてはならない。
●作曲に集中しているとき(感)
理由と実例のヒント
(1)自然のものには味があるからだ。
たとえば、涼しくするためだけならクーラーは便利ですが、自然の風にはクーラーの涼しさにはない趣があります。アスファルトの道と土の道を比べてみても同じことが言えるでしょう。人工のだしを使った料理と自然のだしを使った料理を比べてみることもできそうです。
(2)人工のものには、自然のもののような深みがないからだ。
たとえば、造花と自然の花の色合いを比べてみると、自然の花の方に深みがあることがよくわかります。造花は、最初のうちはきれいに見えても次第に飽きてしまうものです。自然の花は、見るたびに新鮮で、私たちの気持ちを和ませてくれます。人工素材の家具と自然の木を使った家具とを比べてみても同じことが言えますね。
★作曲に集中しているとき(感)
 第一段落 是非の主題の例「私たちはもっと自然に親しむべきだ。」
 第二段落 理由の一と体験実例 「自然に触れると元気になるからだ。」夏休みは、山や川や海などに出かけて、自然の中でゆったりと時間を過ごす機会も多いと思います。自然の中でしかできない遊びをして楽しんだり、リフレッシュしたりした体験を書きましょう。
 第三段落 理由の二と実例 「自然のものには良さがあるからだ。」どこかに出かけることだけが、自然に親しむことではありません。身近にも草花、昆虫などの小さな生き物がいますし、空はいつもそこにあります。自然を意識することで、人間も自然の一部なのだと実感できるかもしれませんね。
 第四段落 反対意見への理解を示します。たとえば、「現代人の生活は多忙で、自然に親しむゆとりを見つけるのは難しい。」名言の木などから名言を引用し、是非の主題を確認してまとめましょう。名言は、たとえば「時間を作る第一の方法は、急ぐことではなく、どこに時間を使うか考えることである。」が使えそうです。

8.2週 
●吉川(きつかわ)のパスは(感)
 部活と勉強(受験)の両立というテーマで考えてもいいですし、自分の利益とチーム全体の利益というテーマで考えてもいいでしょう。運動部に入っている人は、うちに帰ってきたらくたびれてすぐにバタンキュー。勉強する時間がとれないと悩んでいる人も多いかもしれませんね。
 自分の考えを貫くことが大切だという主題で考えると、友達に悪いことを誘われたけど断わったなどという実例が考えられそうです。
 自分の利益とチーム全体の利益のどちらを優先するかということで考えてもいいと思います。昔、東京オリンピックで活躍した「東洋の魔女」という女子バレーボールチームがありました(年がわかるなあ)。鬼の大松監督のもと、彼女たちはおしゃれも恋も犠牲にしてひたすら金メダルのために練習をしました。それも、価値あるひとつの生き方だったでしょう。
 長文実例は、7.3週の「現代社会では、親が子に経験や教訓を伝えられない」などが使えそうです。 名言は、「人間は求めているかぎり……」「始めることも大切だが……」「弱い人は率直では……」など。自分で探してみましょう。
●吉川(きつかわ)のパスは(感)
 第一段落の要約のあと、「自分の信念を貫き通すことは良いことだ。」と意見化します。

 第二段落は、その理由1。「自分の信念を貫けば後悔しないからだ。」など。他人に流されずに自分で決めたことならたとえ失敗しても後悔しないでしょう。レストランで他の人がみな同じものを頼んでいるからと言って自分も同じものを頼んでしまうより、自分が本当に食べたいと思っているものを頼んだ方が後悔しないでしょう。(実例は、もちろん、食ベ物以外のことでもOKです。(笑))

 第三段落は、理由2。「また第二の理由としては、他人に合わせていると自分らしさがなくなってしまうからである。」など。部活動を選択する際など、他の人が入るから私も入るというような選択の仕方だと自分らしい個性というものがなくなってしまいます。自分の意志をしっかり持ち、それを貫くことによって自分らしさが生まれるとも言えるでしょう。

 第四段落は、反対理解と名言の引用。「確かに他者と協調することも大切だ。しかし、『自分が考えるとおりに生きなければならない。そうでないと、ついには自分が生きたとおりに考えるようになってしまう。』という名言があるように、自分の意志を曲げず、信念を貫き通す方が後悔しない、自分らしい人生を送ることができると思う。」

8.3週 
●いったい臆病とは(感)
 友達を作るためには自分に劣等感を持たないことと温かい空気を持つことが大切という話です。 意見文としては、「確かに謙虚さは必要だが、自分に自信を持つことも大切だ」というところで考えるといいでしょう。
 社会実例は、頭が切れる冷たく厳しい人よりも、のんびりしていて心の温かい人の方が、多くの人に支持されてうまくいったという話などがありそう。また、自分に劣等感を持たないという例では、「シンデレラ」などもあてはまりそうです。「どうせ、私なんか」と思わずに、「私もお城に行ってみたい」という彼女の前向きな姿勢が幸運を呼んだのでしょう。
 名言は、いろいろありそうです。自分で考えてみましょう。
●いったい臆病とは(感)
 第一段落 人間は理由のない不安や恐怖から臆病になっている。自意識過剰といってもよいが、自分の容貌や性格が他人に快感を与えないと思いこみ、人の前に出ても、そのことばかり気をとられていると、それが固いカラになって、自分の持っているさまざまな美点までを被(おお)いかくして、ますます自分を人に好かれない人間にしてしまう。友達ができないという理由のなかでいちばん大きいものは、この劣等感、もしくはこの臆病さではないかと思われる。他人から尊重されるには、まず自分で自分を尊重することが第一である。 無益な劣等感を棄(す)て、自分は何を無償で人に与えることができるかを考えるとき、よき友達はおのずから作られるにちがいない。
意見として「自分に自信を持つことは大切だ。」とあげてみましょう。
 第二段落は、理由のその一を書きます。「劣等感を持っていると他人を不快にするからだ。」そして、自分自身の体験談を書いていきましょう。自分の友人のことで考えてみましょう。「あれもこれもだめだ。」とやたらと愚痴っぽい人には近づきたくないでしょう? 自分まで暗くなってしまいそう。
 第三段落は、理由のその二を書きます。「自信の中から、他人に与えることのできるあたたかさが生まれるからだ。」自分の実力に自信があってはじめて、無償で人に与えるという温かい空気をつくりだすことができます。先週の長文で受験のために退部したメンバがもっと自分に自信があったら、どんなことになっていたでしょうか。
 第四段落は、反対意見に理解を示しながら、自分の意見を主張します。「確かに、自分の力を過信して尊大な態度になるのはよくない。しかし「他人から尊重されるためには、まず自分で自分を尊重できなければならない。」という名言もあるように、私たちは、自分に自信を持ち信念を持った生き方をすることで、よい人間関係を築いていけるはずだ。」
★いったい臆病とは(感)
 「自分に自信をもつべきだ」。第一の理由として挙げられれるのは、まず「自分に自信を持つことで、より積極的に人と関われるからだ」。新しい学校で、または新しいクラスで、なじみのない中に自分がぽつんといる状態を考えたとき、周りの人がみんな自分よりも頭がよさそうに見えたり、スポーツができそうに見えたり……そういうひけめを感じている状態では、なかなか自分から積極的に友達を作ろうという心境にはならないですよね(笑)。
 第二の理由は、「自信を持つことで、自然に人を引き付けられるからだ」。イチロー選手、田中将大投手、錦織圭選手……世界を股にかけて活躍しているには、カリスマ性があります。多くの人がその言動に注目しますね。学校生活においても、人を引き付ける人物というのは、やはり、魅力のある人。その魅力は、やはり自信から生まれるものなのでしょう。

9.1週 
●私は二十年ほど前から(感)
 「人間は自らを飼育化し家畜化する。現代は、その家畜化がペット化にまで進んでいる」という話です。
 野蛮人の場合は、「おなかが空いたから食べようか」「眠くなったら寝ようか」という生活ですが、文明人の場合は、「おっ、もう12時だから昼ごはんにするか」「そろそろ10時だから寝ようか」と、社会のシステムに合わせて生活しています。どんなに暑い日でも「今日は、暑いから、学校にはフンドシ一丁で行くか」という人はいません。やはり普通の服を着て靴を履いてでかけます。しかし、こういうことが特に無理をせずに、社会から強制されているという意識なしに行われている、というのが家畜化の意味です。
 自己家畜化は、人間が社会生活を営む上で必要なものですが、これが極端になると、自分で自分の自由を縛るというストレスの多い生活を送ることになりそうです。時にはルールを無視して自由に生きてもいいのでしょう。
 長文実例は、8.2週「吉川のパスは」で、自分の思ったとおりに生きた著者の例などが入りそうです。名言は自分で探してみましょう。
●私は二十年ほど前から(感)
 第一段落の要約のあと、「ある程度の自己家畜化は必要だ。(是非)」と意見化します。「ときには、社会のシステムからはずれて自由に生活することもよい。」という意見でもいいです。大切なのは、どちらかに意見に決めて書いていくということです。

 第二段落は、その理由1。「規則正しい生活をすることによって、一日を有効に使うことができるからだ。」など。学校が休みの日は、寝坊して、あっという間に一日が終わってしまったということもあるでしょう。

 第三段落は、理由2。「また第二の理由としては、みんなが自由気ままにやっていたら社会の秩序が保てなくなるからだ。」など。お店などもその日の気分によって開店時間を決めていたら、利用する側はとても不便です。電車やバスも決められた時間どおりに運行しているからこそ便利なのです。

 第四段落は、反対理解と名言の引用。「確かに人間には自由も必要だ。しかし、『人はその制服のとおりの人間になる。』という名言があるように、私たちは社会のシステムに合わせて生活していくことで、社会の一員となれるのだ。」


9.2週 
●何ごとぞ花見る人の長刀(感)
 お花見に行ったことのある人は多いでしょう。このお花見というのは、日本独特の風習です。著者はここに「共通の対象を見ることによって成り立つ日本文化特有のコミュニケーションの方法」を見ています。え、せっかくの花見なんだからそんなに堅いことを言うなって。
 一緒に同じものを見ることでコミュニケーションが成り立つという場面を似た話として思い出してみましょう。「同じ釜の飯を食った仲」という言葉がありますが、中学生の女の子は(男の子も?)よく一緒につれだってトイレに行くことがあるでしょう。あれも日本独特のコミュニケーションなのかもしれませんね。(ほんとかいな)
 欧米では、デートをするときも、面と向かって「アイラブユー」などと言うのだと思いますが(欧米の人、そう?)、日本では、そういう正面からの対話はあまりせずに、並んで月を見ながら(おいおい平安時代じゃないぞ)、もとい並んでホラー映画を見ながら、「こわいね」「うん」などという対話の仕方が多いと思います。
 クラスの話し合いなどでも、面と向かって意見を述べ合って投票で決を採るというようなかたちで話が進むことは少なく、「ま、そんなところかな」「うん、そうだね」「じゃあ、みんなもよさそうだからそうしよう」というような進み方をすることが多いと思います。こういう日本的なコミュニケーションのよい面、悪い面ということで意見を考えてみましょう。
 名言には、「議会の目的は、議論を殴り合いの代用品にすることである」。日本では、殴り合いをしないような友達関係を作ることで、議論も殴り合いもしなくて済むようにしているのかもしれませんね。
●何ごとぞ花見る人の長刀(感)
●是非の主題

日本的コミュニケーションの良し悪しについて考えてみましょう。

「言葉にしなくてもわかりあえる」「あ・うんの呼吸」「心と心で通じ合う」という日本的コミュニケーションはできるようになればとても気持ちいいものだと思います。

一方で日本的コミュニケーションは単なる自己満足や大きな誤解を生むこともよくあります。好きだとはっきり言わないで態度だけで表していたらストーカーと間違えられた・・・とかありませんか。

例:「言葉に頼らない日本的コミュニケーションを大切にしたほうがいい」

「考えや気持ちをなるべくはっきり言葉にして表現したほうがいい」
●何ごとぞ花見る人の長刀(感)
▽第一段落  要約に続いて意見 「言葉に頼らない、日本的なコミュニケーションのとりかたはよい。」
▽第二段落 理由一  「年や性別にかかわらず、同じものを見て、同じことを理解しあえるからだ。」
その実例 日本人だからわかる、といった共通のことがある。たとえばお祭りの時にはみんな同じように楽しくわくわくした気分になる。
自分たちと世代の離れた人と言葉を交わさなくても、わかりあえる。
▽第三段落 理由二 「コミュニケーションをとることで、やさしい気持ちが生まれるからだ。」
その実例 言葉に頼らないコミュニケーションのとりかたは、はっきり言わない分、相手の解釈に任せる部分がある。それは、わかってもらえるはずだという理解のもとになりたっている。
お互いに、相手を信頼して思いやって、やさしい関係ができる。
▽第四段落 反対意見に理解を示しながら、名言を入れてまとめ。
「確かに、言葉ではっきり自分の意見を言うほうが誤解が生じにくい。しかし、『トランプが生きているのは、それが実際のプレーに使われているときである。』という名言があるように、言葉に頼らない共通理解をもとにした日本的なコミュニケーションのとりかたはよいと思う。」
★何ごとぞ花見る人の長刀(感)
 国際化社会で生きていくためには、「言葉で表現する欧米的なコミュニケーションは良い」という是非の主題でも書けそうですね。第一の理由としては、「言葉で表せば、誰にでもわかりやすいからだ」。日本人の「気持ちを察する」「言葉に出さない気持ちを推し量る」ということも確かに素晴らしいことではありますが、文化の違う外国人にそれが通用するかと言えば疑問です。たくさんの人とコミュニケーションをはかっていくためには、やはり言葉ではっきりと伝えなければなりません。第二の理由は、「言葉ではっきり伝えないと誤解が生まれる場合があるからだ」。ここでは、日本語独特のあいまいさが誤解を招いた例を書くととよいでしょう。

9.3週 
●衰弱したアイディンティティの(感)
 他者から位置づけられた「わたし」というものが確認できないとき、人は自分の存在の同一性を皮膚感覚の境界で回復しようとする、という話です。中学生は、この長文は少なくとも五回は読んでこないと、似た話を見つけて書くというのはむずかしいと思います。よく読んできてね。
 大人になるとだんだん生きることになれてきて、ほかの人から認められなくても「自分」というものを持つことができるようになります。また、小学生のころは、子供はお父さんやお母さんに認められて「自分」というものを持つことができます。しかし、中学生や高校生のころは、ちょうど自分を成長させている最中なので、いちばん「自分」というものを持ちにくい時期にあたるようです。
 「リレーで一位になった」とか「クラスで一人だけ百点をとった」とか「学校で一人だけ鉄棒のウルトラ回転前回りができる(そんな技あるか)」などのようにほめられるかたちで周りから「自分」を認められればいいのですが、そういうことはめったにあるわけではありません(一生ないかも(笑))。人間は無視されることにはたえられないので、よいことをして認められるあてのない子供は、ぐれて認められることで自分を回復しようとするのでしょう。
●衰弱したアイディンティティの(感)
 第一段落の要約のあと、「「自分は〜でない。」という否定的な形でアイデンティティを確立するよりも他者との関係からアイデンティティを確立する方が良いと思う。」と意見化します。
 第二段落は、その理由1。「他人との関係の中でアイデンティティを確立させようとすると自分に自信がつくからである。」自分を否定的にとらえるよりも、他人に認められたり、他人と励まし合ったりする方が自分に自信をつけることができます。スポーツでも勉強でも他人に認められるとうれしいですよね。
 第三段落は、理由2。「また第二の理由としては、他人との関係の中でアイデンティティを確立させようとすると自分が成長できるからである。」「自分は〜でない。」という否定的な形でアイデンティティを確立しようとすることは後ろ向きで、自分を成長させることができません。他者との関係の中で自分のよいところや自分らしさを見出していく方が自己の成長につながります。他人に認められたり、期待されたりするともっとがんばろうという気持ちになるものですよね。
 第四段落は、反対理解と名言の引用。「確かに、否定的な形でアイデンティティを確立する方が簡単である。しかし、『短所をなくすいちばんよい方法は、今ある長所を伸ばすことである。』という名言があるように他者との関係の中でアイデンティティを確立していく方が前向きで自分の良いところをさらに伸ばしていくことができると思う。」
●衰弱したアイディンティティの(感)
 自己確認の仕方ということで意見を書ければいちばん良いのですが、それがむずかしかったら、「自分を否定的に見るのではなく、自分に自信を持つことは大切だ。」というような意見で書いていってもよいでしょう。
 自分に自信がないと、何事にも消極的になってしまいますが、自信があると、積極的に物事に挑戦することができ、前向きな人生を送ることができます。また、困難に負けることなく、最後まで物事をやり遂げることのできるのも自分に自信のある人の方でしょう。
 確かに自信過剰はよくありませんが、自分に自信を持ち、前向きにがんばる気持ちが大切ですね。