解説集 ガジュマロ の池 (最新版)
/
印刷版
/
ウェブ版
/
最新版
印刷版は印刷物として生徒に配布されているものと同じです。
ウェブ版は書き込み用です。
https://www.mori7.com/mine/ike.php
最新版には印刷日(
2024-09-14 00:00:00)以降に
追加されたもの(グレーで表示)も掲載されています。
4.1週
●心、疑問を持つことの大切さ
書き方の流れ
第一段落(150〜200字)
状況実例と社会問題を書く。「現代の社会は、物質的なことが優先され、人間の心は二の次に考えられている。例えば……。心というものを軽視した今日の社会は問題だ。ではその原因は何だろうか」。
第二段落(150〜200字)
原因1。「第一に考えられる原因は、日本が戦後のモノ不足の時代から急速に立ち直ろうとしたという歴史的な背景である」と原因を書き、そのあと「例えば、私の父の世代は子供のころテレビがなかったと言う」と体験実例を中心とした実例。
第三段落(150〜200字)
原因2。「第二の原因としては、資本主義の世界では金銭的に換算される価値が優先されるという社会的な背景が挙げられる」と原因を書き、そのあと、「例えば、国連が実施した世界の青少年意識調査によると、日本の青少年の将来の夢は……」とできるだけ社会実例を中心とした実例。
第四段落(150〜200字)
反対意見への理解を入れながら、初めの問題提起に戻ってまとめる。「確かに、物質的な豊かさは人間生活の基礎としては重要である。しかし……は問題だ」。
小論文の課題は、自分の問題であるとともに日本の社会の問題としても考えていきましょう。
名言集に載っている名言は全部覚えておきましょう。また、本を読んでいい表現を見つけたら、自分でこの名言集に書き加えておいてください。
●「社会問題の主題」は、「……が問題だ」という書き方です。
●心、疑問を持つことの大切さ
構成図は、小3以上の生徒が書きます。小2以下の生徒は、絵をかいてから作文を始めるという課題になっているので、構成図は書かなくて結構です。
構成図を書くときに大事なことは、思いついたことを自由にどんどん書くことです。テーマからはずれていても、あまり重要でないことでも一向にかまいません。
たくさん書くことによって、考えが深まっていきます。したがって、構成図は、できるだけ枠(わく)を全部うめるようにしてください。しかし、全部埋まらなくてもかまいません。
枠と枠の間は→などで結びます。この矢印は、書いた順序があとからわかるようにするためです。作文に書く順序ということではありません。
構成用紙は、構成図の書き方に慣れるために使います。構成用紙を使わずに、白紙に自由に構成図を書いてもかまいません。
構成用紙を使って構成図を書きます。
| 頭の中にあるものをそのまま書くとき。
| 構成図で書くとき。
|
初めに絵をかきます。(絵はどこにかいてもいいです)
| 思いついた短文を書きます。(どこから始めてもいいです)
| 思いついたことを矢印でつなげていきます。
|
関係なさそうなことでも自由にどんどん書きます。
| 枠からはみだしてもかまいません。 | 全部うまったらできあがり。
|
▽構成図は、原稿用紙や普通の白紙に書いても結構です。
4.2週
●その昔、サングラスを(感)
サングラスの持つ、世間から隠れているという魅力にひかれるのは、私たちが世間のわずらわしさに疲れているからではないか、というのが筆者の主張です。
確かに、今の社会は、学校の成績や仕事のノルマなど、管理されていることがあまりに多いので、たまには管理されない自由な自分をサングラスによって取り戻したいと思うようになるのかもしれません。
このサングラスと同じ役割を果たしているのが、最近のインターネットや伝言ダイヤルの匿名性ということになるのかもしれません。
昔話は、そのまま「隠れ蓑」なども入れられそうですね。
●その昔、サングラスを(感)
サングラスに替わる「かくれみの」として、今は「マスク」があるそうです。花粉症、インフルエンザの予防にマスクをかけているのは、それほど不自然でもない。そして、「友達の話にうまく笑えない時、マスクをしていれば顔が隠れる」のだそうです。若い時は自意識過剰になりがちなものです。しかし、このような神経を使う生活をのがれるためには、どうしたらよいでしょうか。この点を原因から考えていくとよいでしょう。
★その昔、サングラスを(感)
主題を「対人関係をわずらわしいと感じるような社会は問題だ」としてみましょう。
背景として挙げられるのが、まず「バーチャルな世界で対人関係を築けるような環境」。インターネットの普及により、匿名でのコミュニケーションが当たり前になっている現代。確かに面白みもあるのですが、顔を見せなくてもコミュニケーションがとれることが当たり前になっているので、リアルでの対人関係をわずらわしく感じてしまう……というような展開で書けそう。
もう一つの背景は、「生活形態の変化」。核家族化、そして、大規模な集合住宅の増加により、「孤」であることが当たり前の生活になっているということ。「孤」に慣れている人が、いきなりたくさんの人と関わろうとするのは難しいですよね。
人は一人では生きられません。対人関係を大事にして、多くの人と関わってこそ、人間として大きく成長できるのではないでしょうか。
4.3週
●現在『子供』の問題が(感)
問題のある子供がいた場合、専門家は専門的な知識によって、「それは学習障害です」とか「それは自閉症です」などとレッテルをはって済ませてしまいがちです。しかし、肝心の子供を救うのは、そういう専門家の知識ではなく、生身の人間の接触であることが多いものです。
学校でも、ベテランで知識や経験の豊富な先生のじょうずな授業よりも、新任の先生の試行錯誤の熱心さの方が、子供に与える影響は大きいということをよく聞きます。みなさんにもそういう経験はありませんか。
子供の問題にかぎらず、広く人間の問題としても考えられそうです。
話はやや飛躍しますが、先生(森川林)がファイナルファンタジー4に熱中していたころ(笑)、最後のゼロムスとの戦いの場面で、倒れた主人公セシルに、仲間の祈りの声がとどく場面があります。「パロムが祈った」「ポロムが祈った」などその祈りの声が次々に届くと、なんと倒れたセシルがもう一度立ち上がってしまうのです。あれは感動的でした。
昔話では、王子様の口づけで目覚めるお姫様とか、お姫様の愛情でカエルから人間に戻る王子様とか、人間の熱意がものごとを動かす例がいくつかあると思います。
●現在『子供』の問題が(感)
第一段落は、要約と社会問題の主題。
「人間の触れ合いよりも、専門的な知識を過大評価する社会に問題がある。」
第二段落は、原因1と体験実例。
「その原因は第一に、専門が細分化されすぎたためだ。小学校までは、理科と社会という二つの教科だったものが、高校生になると同じ理科でも、物理、化学、生物と分けられてしまった。そのため、勉強の量が増えて困っている。(笑)」
第三段落は、原因2とユーモア表現(前掲)。
「またもう一つの原因は、権威や肩書きを重んじる日本の社会の伝統だ。」
第四段落は、自作名言と社会問題の主題。
「人間は、知識によって救われるのではなく、同じ人間どうしの共感によって救われるのだ。」
5.1週
●固有名詞が(感)
内容:固有名詞は、言語が社会的なものであることを示している。子どもが社会生活を始めると固有名詞を通じて、自分がその社会に所属するという意識を植え付けられる。固有名詞は、自分が自分であるとともに、他方でどこかに所属するものであることを示す原理を持っている。その意味で固有名詞は政治的である。
解説:エスキモーは、今はイヌイットと呼ばれています。これは、エスキモーという言葉がもともとアメリカ先住民の間で使われていた「生肉を食べる連中」という蔑称だったからです。イヌイットは「イヌック(人の意味)」の複数形です。固有名詞を使うとき、どの固有名詞を選ぶかで、おのずから政治的な位置が決まってきます。
みなさんも自分の名前に誇りを持っているでしょう。ですから「あ、そこのどこのだれだかわからないけど、馬の骨君、ちょっと」と言われるよりも「○○君、ちょっと」と固有名詞で呼ばれたほうが嬉しいのです。
人間は、始めは自分の名前だけしか固有名詞を持っていませんが、やがて○○市に住む○○会社の社員で○○大学を出て○○さんと結婚した……と多くの固有名詞を持つようになります。それは、自分が所属によって次第に限定されていく過程だとも言えるでしょう。
「旅の恥はかきすて」と言うように、固有名詞を持たないところでは、人は自由な感覚を味わうことができます。しかし、固有名詞を持たない状態を長く続けることは人間にとって耐え難いものです。
現代社会の問題は、固有名詞で管理されることへの問題(学校で生徒に名札をつけさせたり、国民一人ひとりに番号をふるなどの例)として考えてもいいでしょうし、逆に固有名詞を尊重しない社会の問題として考えてもいいでしょう。
★固有名詞が(感)
第一段落は、要約と社会問題の主題。
「固有名詞で管理されることは問題だ。」
第二段落は、原因1と体験実例。
「その原因は第一に、管理社会が進み個人が個人として尊重されなくなってきたためだ。」生徒に名札をつけさせない学校でも、担任の先生はもちろん教科担当の先生も、時間がたてば(どのくらいかかるかは、人によってまちまちですが)名前を覚えてくれた、という経験はありませんか。自分の名前を覚えてもらったとわかると、嬉しいし親しみが増したりします。名札があると、そういう信頼関係を作るのにかえって邪魔になりそうです。
第三段落は、原因2と社会実例
「またもう一つの原因は、犯罪防止を名目として監視を強化しようとする社会の風潮だ。」地域を明るく住みやすいところにするには、住人同士が挨拶を交わし、不審な人や言動に目配りをするような、顔と顔の繋がりがある社会にすることだと言われます。が、「目配り」が「監視」になってしまうと、個人のプライバシーが大切にされない息苦しい社会になってしまいます。近年、防犯カメラが至るところに設置されるようになり、それが犯罪防止や犯人の特定に功を奏している一方で、犯罪とは関わりのない個人の私的な生活も、監視下に置かれているとはいえないでしょうか。
第四段落は、自作名言と社会問題の主題。
「○○はAではなくBだ。」という形で書いてみましょう。「固有名詞は、管理のためのものではなく、個人の尊厳を確認するためのものだ。」
5.2週
●魏志倭人伝によると(感)
解説:時は時計の針で表される単なる座標なのではなく、それ自体が生きたひとつの「もの」なのだ、というのがテーマです。かけがえのない時は、人によって違います。現代の社会では、決められた定刻どおりに事を進ませるのでなければ文明人とは呼べません。もし電車やバスの運転手が、「夕焼けがあまりにもきれいだから今日の運転はやめよう」などと言ったら乗客は怒り出すでしょう。(インドでは、牛が動くまでバスを停めておくこともあるらしいのですが)
小学校の勉強などを見ていても、せっかく熱中している図工を一時間で仕上げて、次は算数などという勉強の仕方が多いと思います。子供は、座標としての時ではなく生きた時を生きているので、こういうこまぎれの時間割に慣れるまでが大変です。
時計を持たない動物は、おなかがすいたら食べて眠くなったら寝ています。ロビンソンクルーソーは、漂流してたどり着いた島で、まず日付がわかるようにカレンダーを作りました。ここが人間の大人と動物の違うところです。子供はまだ動物に似ているので、大人からいつも「早くしなさい」「次はこれをしなさい」「その次はさっさとあれをしなさい」と言われ続けています。ピーターパンやドラえもんなどは、時間を座標としてとらえず生きたものとしてとらえる子供の世界の感覚をよく表しています。
Re: ●魏志倭人伝によると(感)
長文中に出てきた持衰に象徴される「時の持続、出発地の時間の持続」は、現代でも「験(げん)かつぎ」という形で、我々の心の中に生きているのかもしれません。よくある例では、高校野球で、勝ち続けるように汚れたユニホームを洗わない、などというのは、まさに持衰の例に近いものでしょうか。他にも、必ず左足から靴を履くとか、もっと平たくはおまじないなども、時計で計れる時を越えて、思いや願いの持続を求める心の表れでしょう。
★魏志倭人伝によると(感)
時を生きたひとつの「もの」と捉える感覚は、高度に文明化・情報化された現代の社会では、見失われがちなのではないでしょうか。現代人は、時間というのは過去から現在、そして未来へと直線的に流れる均質なものであるかのように感じています。けれども、そのような捉え方感じ方では、時間は無味乾燥なものになってしまい、生きたものが本来持っている豊かさや深さを失ってしまいます。近現代的な時間の捉え方の問題の原因を考え、失われた「時」の感覚を取り戻すことで、人間ももっと生き生きと生きられるのではないでしょうか。
第一段落 要約と社会問題の主題
「時間を、いつもどこでも同じ速さで流れるものであり、人生を展開するための単一の座標と捉えるのは問題だと思う。」
第二段落 複数の原因一と体験実例
「原因は第一に、現代の社会は定刻通りに物事を進めていくことで成り立っているからだ。」体験の例としては、学校のある日(平日)と、お休みの日の過ごし方を比べてみましょう。平日の朝は慌しく、時計とにらめっこし、朝ご飯もそこそこに駆け出す、という経験をしたことはありませんか。お休みの日なら、特に予定を決めずに、その日の気分でしたい時にしたいことができますね。朝昼一緒のご飯、ブランチを楽しんだり、時間のたつのを忘れて好きなことに没頭したり。そういう時、時間の流れは普段とは違うように感じられるでしょう。夢中になって時間のたつのを忘れた例を挙げてみましょう。
第三段落 複数の原因二と自然科学実例
「「原因は第二に、文明が進んだいわゆる先進諸国の時間感覚以外の時間の流れがあることを忘れているからだ。」自然科学実例として「ゾウの時間ネズミの時間」(本川達雄著)では、「動物によって『時間』というものもそれぞれ違う」ことが述べられています。著者は対談の中で「時間が体重の4分の1乗に比例する」といい、「体重が10倍になると時間は1.8倍になるんです。例えば、30gのハツカネズミと3tのゾウでは体重が10万倍違いますから、時間は18倍違い、ゾウはネズミに比べ時間が18倍ゆっくりだということになります。」と語っています。また、「八日目の蝉」というドラマ化・映画化された小説がありますが、蝉の生きて感じる八日間は、人間の感じる八日間では、時間の流れがまったく違っていそうですね。
第四段落 反対意見への理解と自作名言、社会問題の主題 「確かに、現代の社会では、定刻通りに事を進ませるのでなければ社会は機能しない。」「しかし、時間は単一の座標ではなく、生きるものである。(自作名言)」「時を生きたひとつの『もの』と捉える感覚を取り戻すことで、生の多様なあり方に開眼し、生き生きとした生を取り戻すべきだ。」
5.3週
●ロボットは人間か(感)
ロボットに心があるかどうかという話です。心とは相手の側にあるものではなく、相手に共感する自分の心によって生まれると著者は述べています。
この想像力が不足すると、実際の人間にも心を感じなくなってきます。ゲームのボタンを押すような感覚で簡単に暴力をふるうような人は、人間に対しても心を想像できなくなったのかもしれません。
しかし逆に、アニミズムが行きすぎると、感じなくていいものにまで心を感じてしまいます。新興宗教で手帳を買わせたり壷を買わせたりするところがありますが、それは手帳や壷にも心があると見てしまう人間の錯覚を利用したものなのでしょう。
どちらを今日の社会問題としても書けると思います。
第一段落は、状況実例と問題提起。「心は想像力によって生まれる。災害や戦禍などの困難な環境に置かれたとき、奪い合う社会と助け合う社会がある。奪い合う社会に欠けているものは、相手の心に対する想像力だ。その想像力が今の私たちに欠けてきているように思えるのはなぜだろうか。」など。
第二段落は、原因1。「その原因は第一に、心の教育の伝統を忘れてしまったからではないか。戦後、道徳教育を押し付けないという言葉のもとに、心の問題は個人に属することと見なされてきた。しかし、人間は社会的動物である。親孝行の観念や弱い者への配慮などは、自然に生まれるものではなく、社会的に教えられることによって育つ。ところが……」など。
第三段落は、原因2。「第二の原因は、豊かな社会における使い捨て文化の中で、物を大事にする心が失われたためではないか。物にも心があると、昔の日本人は考えてきた。しかし……」など。
第四段落は、まとめ。「確かに、何を大事にするかという心の問題は、基本的には個人の価値観に属することだ。しかし、社会には共通の了解事項となっている文化がある。その了解事項の前提になっているものは、相手の心に対する想像力だ。私たちは……」。
Re: ●ロボットは人間か(感)
昨今、少年犯罪の増加、凶悪犯罪の低年齢化が言われています。これがゲームなどと直接関連があるかどうかというやや短絡的な議論の結論はともかく、ここでいう「他者への共感、想像力」が、今の子供達に欠けてきているのは確かなような気がします。犯罪を犯した子どもを評して、よく「普通の子」という言葉が使われますが、その犯罪への動機の曖昧さ、犯行の冷静さ、罪悪感の薄さなど、これが「普通の子」なら、子供全体が異人種になっているかのような錯覚に陥ります。もちろん、いい歳をした大人の犯罪も目を覆うものがありますから、問題は日本人全体に共通するものなのかもしれません。
「現代においては、他人の痛みを感じられない人間が増えていることが問題だ。」(社会問題の主題)。
複数の原因は、「現代社会では、他者とのかかわりが薄くなった。」……地域でのつながりが薄れている、子供が集団で遊ばなくなった(危険が増えたことも一因)、ゲームなどの普及、塾などおけいこで遊ぶ時間がない、etc。
「核家族化、少子化が進み、子供が必要以上に甘やかされ、過保護にされている。」……2004年の合計特殊出生率(1人の女性が一生に生む子どもの数)は1.29人。現代の子供は「6つのポケット」を持つという、すなわち、両親、それぞれの祖父母の計6つ。高価な子供服ブランドの成功、etc。
★ロボットは人間か(感)
背景として挙げられるのには、「匿名によるコミュニケーションの増加」があるのではないでしょうか。例えば、ツイッター。芸能人のあるつぶやきに過剰反応し、しつこくからむ人がいます。いわゆる「炎上」ですね。でも、そうやって炎上させる人の多くは、ツイッター上のハンドルネームだけで、身元を明らかにしてはいません。身元を隠せるということで、他人に対してより辛辣になれたり、暴言を吐いたりしやすくなるる……結果、他人を思いやることができなくなるのではないか……、そんな展開でも書けそうです。
6.1週
●能を見るとわかるが(感)
内容:能役者の体は、人間の自然の体を拒否している。型をくりかえしているうちに美を表現する力が生まれるというのが日本人の考え出した身体に対する思想である。この身体の思想は西欧近代の精神と肉体の二元論とは、全く対照的なものである。日本人は、精神と肉体が別の次元にあるのではなく、現実の肉体をこえてあらわれたもう一つの身体に精神性があると考えている。
解説:無理な姿勢は、私たちも日常生活でよくとっています。ごはんを食べるときの正座などは、考えてみるとかなり無理な姿勢です。しかし日本人は、この正座という無理な姿勢の中に精神性を見出しています。みなさんも、先生に「こら、ここでしばらく正座しとれ」などと言われたことがあるでしょう。このときに「先生、僕は心から反省しますから、そのかわり姿勢は楽な姿勢で寝ころんでいていいですか」などと質問する人はいません。日本人にとって、心は姿勢の中にあるもので、姿勢を抜きにした心というものはないからです。ここが、心と身体を区別する二元論とは異なるところです。
心を病んでいる人がいた場合、アメリカなどでは、精神分析で心そのものを対象として考えることが多いようですが、日本では、「上を向いて歩こうじゃないか」などと姿勢や動作から解決の糸口を見つけようとします。
スポーツでも、欧米では、何しろボールにうまく当たればいいんだろうという練習の仕方が主流ですが、日本では、当たる当たらないよりもまず姿勢を整えるのが先だというところから練習を始めます。
身体の問題を軽視しがちな現代社会ということで問題を考えてみましょう。
Re: ●能を見るとわかるが(感)
例えば原因の一。「日本も近代になって西欧化し、それとともに精神的な論理重視の世の中になってきたから。」
西欧の精神と身体の二元論が最も顕著に表れているのが西洋医学でしょう。今では、日本でもこれが主流となっていますが、ここでは身体を各パーツに分けてメンテナンスする、という対症療法で考えます。ですから、診療も科ごとに分かれているのですね。
「鼻水が出るんです」「では鼻炎の薬を」「咳も出ます」「では咳止めも」「薬を飲むと胃が荒れて」「では胃薬も出しておきますね」「ストレスもあって胃が痛いようなんですが」「胃カメラの予約をしましょう。ストレスは、神経科に行ってくださいね」などということになります
東洋医学の考え方では、症状を全体的に見て、しかもその人の体質も考えて、総合的に治療することになります。しかし、時間もかかるし、今ある症状がすぐに消えるとは限りません。
例えば原因の二。「効率主義の世の中になり、すぐに成果が求められるから。」職人の世界は厳しい修行が必要で、どこも後継者不足に泣いています。たとえば尺八などでも、「首振り3年、音8年」などと言われます。それでも修行しようという若者が減ってきているのも事実です。
★能を見るとわかるが(感)
第一段落 社会問題の主題 「身体を機械のように扱い、軽視する風潮は問題だ。」
第二段落 複数の原因一 「身体と心を別次元のものとする二元論的な考え方が日本でも広まって、身体と心が相互に作用しあうことが忘れられたからだ。」
体験実例~部活で茶道を習った人は、能の身体の使い方に茶道と似たものを感じたかもしれませんね。茶道では、立ち方・座り方・お辞儀の仕方・歩き方・襖の開け閉めの仕方などが細かく決められています。型をしっかり学んで身に付け、その場にふさわしい振る舞いをすることで、心を表現できると考えられています。その根本にあるのは、おもてなしの心なのだそうですね。
第三段落 複数の原因二、自然科学実例 「身体の知恵を無視するようになったからだ。」身体には身体の知性があり、人間が意識してコントロールしなくても、呼吸や血液循環を初め、生体として十全に機能するためのしくみがちゃんと備わっています。おいしいから、デザートは別腹だからと言って、食べ過ぎてお腹を壊したり増えすぎた体重に悩んだりといったことは、身体の声にちゃんと耳を傾けていないから、かもしれませんね。また、自然科学の分野でも身体と心の密接な繋がりが認められ、犯罪捜査などにも使われてきました。「嘘発見器」の代表的なものとして、ポリグラフ検査があります。日本のポリグラフ検査の技法は、欧米の専門家が学びに来るほ ど鑑定精度が高いそうです。 具体的には、たとえばポリグラフ検査の際にYESとNOで答えられる複数の質問をして、犯人だけしか知らない事実に対して、脳がそれを認め身体が反応する(血圧が変化するなど)のを調べ、結果を分析して隠された真実を知ろうとします。嘘を「発見」するものではなく、嘘をつかない脳と身体に「記憶を訊ねる」検査なのだそうです。
第四段落 反対意見への理解、自作名言、社会問題の主題 「確かに、心にこそ人間は自分らしさを感じる。」「しかし、身体は心のための道具や機械ではなく、心と一体になって機能するものである。」最後に社会問題の主題を書いてまとめましょう。
6.2週
●コンピュータにかぎらず(感)
解説:コンピュータは、単なる道具である。道具に人間が合わせるのではなく、人間に道具が合わせるべきだ、というのが筆者の主張です。日ごろコンピュータに振り回されている人は大いに共感するでしょう。
こういう目で見てみると、世の中には、道具に人間が合わせている例がたくさんあります。自動車の運転で、運転手がいちいちブレーキを踏んだりハンドルを回したりするのなども、本当は車が自分で勝手にやってくれるようになればいいのです。そうすれば不注意による事故なども少なくなるでしょう。実はその研究はすでに実際に進んでいます。そのうち、人間のすることは目的地を車に告げてあとは寝ているだけということになるかもしれません。
昔話で、ベッドの長さに合わせて人間を切って寝かせたという人の話を知っているかな。知らない場合は、桃太郎(よく登場しますが)。村を荒らしまわっている鬼という環境に合わせていたのがそれまでの村人でした。桃太郎は、環境に人間が合わせるのではなく、人間が自分たちの住みやすいように環境を変えていくべきだと考えて、鬼退治に出かけたのです。環境を道具と言いかえれば、あてはまりそうでしょ。
以前、中国で、毛沢東が「中国語をローマ字にしよう」と大胆な提案したことがありました。その理由は、ワープロなどが使いにくいからというものでした。しかし、当時の中国の科学者たちが、「人間が技術に奉仕するのではなく技術が人間に奉仕すべきである」と反論してその話はすぐに取り止めになりました。
★コンピュータにかぎらず(感)
主題は単純に「道具に振り回されている現代人に問題がある」とすればよいですね。では、その背景は何か。第一の背景は「技術革新のスピードに人間が追いつかないこと」。次から次へと新製品が出て来る電化製品。どんどん新機能がついてきますが、そういう最新機器の性能を100%使いこなしている人は果たしているのでしょうか。
第二の背景には、「あまりにも技術に人間が頼りすぎてしまっていること」。スマホは大変便利ですが、「これ一台で何でもできる」と頼りすぎるあまりに、例えば故障したり、紛失したりしたときに、何もできなくなってしまうことがあります。先生もつい最近、スマホを変えましたが、旧スマホに写真、電話帳、スケジュール帳などが入っていたために、データ移行するのがとても大変でした。幸い、データはうまく移せましたが、なんらかのトラブルでデータが失われてしまったらお手上げだなあと思いました。普段、普通に使っている電子機器が突然機能しなくなったら、生活自体に支障が出てしまう……そんな頼り方はやはりよくないですね。
6.3週
●井戸端園の(感)
お茶は、花に栄養をまわさないことによって葉に栄養を蓄積するような仕組みにしているようです。チューリップでも、いい球根をとるためには、花が咲いたとたんに花のところだけ切りとってしまわなければなりません。
話は飛躍しますが、人間でもあまり若いうちから花を咲かせてしまうと肝心の蓄積が足りなくなるということが考えられそうです。
昔話の「ウサギとカメ」なども、似た例として考えられそうですね。
Re: ●井戸端園の(感)
「親木と皮一枚でつながって栄養を補給してもらいながら、枝葉を茂らせていく」取り木の方法は、人間の子供が成長し、やがては親から離れて独立していく方法と、なんとよく似ているのでしょう。ですが、今ではニートや引きこもり、パラサイトシングル(「今が楽だから、結婚なんてしなくてもいいや」=「花なんて咲かせなくても、十分茂れるからいいや」)、果ては結婚しても実家に入り浸り?! など、完全には親元から独立できない若者が増えているようです。ここを「社会問題の主題」とすると書きやすいでしょう。
「現代社会では、茶の木と同じように、恵まれた環境で苦労せず、自立もしない「栄養生長」状態の若者が増えていることが問題だ。」
原因としては、いろいろ考えられます。子供が少なくなって、養うのも楽だし親も手放したがらない。少子化もその一因でしょう。合計特殊出生率(一人の女性が一生に産む子どもの数の平均)は、2005年にはとうとう1.25まで減少しています。さらに、日本社会がある程度裕福になり、いつまでも子供を食べさせていける余裕が出てきたことも考えられるでしょう。さらにはマネーゲームが盛んになり、地道に働かなくてもお金を手にすることができるようになったことや、リストラや中高年の自殺が増え、若者が労働意欲を持てなくなっていることなども考えられるでしょう。
「反対意見への理解」は、「確かに、親の援助により何かに熱中できる時期を持つことは大切だ。」など。