解説集 ビワ の池 (最新版)
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7.1週
●手助けはよいか、テストはよいか
◎長文実例……長文集のほかのページから似た例を探して書く練習です。長文を何度もしっかり読んでいないとできません。データ実例、昔話実例などとセットになっていますから、どちらかができればいいです。例えば、「データ実例・長文実例」の場合は、データ実例が入っているか、長文実例が入っているかどちらかでいいです。どこの長文からの引用かわかるようにできるだけ「長文○○によると」のように書いておいてください。
手助けが必要なときもありますが、あまり手助けをしてしまうと、その人の自分でやりとげる喜びを奪ってしまうことにもなります。
手助けのよい面(A)と悪い面(B)を考えて、その二つの意見を総合化してまとめてみましょう。
●手助けはよいか、テストはよいか
今学期は、字数の目標が800字になっています。
各段落それぞれ200字くらいで書いていかれるようにがんばりましょう。
今回は長文の感想文ではないので、第一段落では手助けに関する簡単な状況説明をします。手助けをしてもらった、あるいは誰かの手助けをしてあげたという自分の体験談を書いていくとよいでしょう。
第二段落は、意見A。手助けは良いという意見です。困っている人の手助けをしてあげるのは人間として当然の行為です。また、自分が困っているときに手助けをしてもらえると嬉しいものですよね。そんな体験実例を書いてみましょう。
第三段落は、意見B。一方、手助けが邪魔になってしまうこともあります。小さな子供が一生懸命何かをしているときに、手を貸してしまったらその子供は自分で何かを成し遂げたという達成感を味わうことができなくなってしまうでしょう。人には、手助けをしてもらいたくないときもあるはずです。
第四段落は、総合化した意見C。「確かに手助けには良い面も悪い面もある。しかし、いちばん大切なことは、『大切なのは、健康らしい外見ではなく、健康自身である。』という名言もあるように、手助けするにしてもしないにしてもそれが見せかけの優しさではなく、そこに本当に相手に対する思いやりがあるかどうかということである。」
構成図の書き方
●手助けはよいか、テストはよいか
手助けが、その人のやる気や自立心の妨げになっている身近な例として、考えてみました。
夏休みの自由研究で、一生けんめい手作りの工作を、子供が考えつき、創ろうとしているとき、親が手出し口出しすると、確かに見栄えは良いけれど、どこか子供らしさの抜けた作品に仕上がってしまいます。適度なアドバイスは大切だけれど、必要以上に手助けをすると、依頼心が強い子供になってしまいます。
他にも、シャツのボタン掛けや、部屋の整理整頓、リンゴの皮むきに挑戦しようとしているのに、「怪我すると危ないから!! 」と、途中から親がやってしまったりするとか……、こういう親切心から出た行為は、子供のチャレンジ精神の芽を摘み取ってしまいかねませんね。^^; (^_^;)
7.2週
●ただ、ひとつ留意しなくては(感)
(1)日本では、犬をワンワンと呼ぶように赤ちゃん言葉が多い。(2)フランスでは、赤ちゃん言葉はほとんどない。(3)日本では家族の呼び方についても子供中心である。(4)日本式の文化は、日本の子供の性格形成に大きな役割を果たしていると思われる。
意見:子供中心の日本文化のよい面を書いていこう。反対理解は、日本人の「甘え」の原因になっている面もあるというところで考えられるかな。
名言:「人はその制服のとおりの人間になる」。つまり、家族みんなから「おばあちゃん、おばあちゃん」と呼ばれていると、だんだんおばあちゃんらしくなる。子供にとっても、子供中心の文化は、子供の性格形成に大きな影響を及ぼしそう。「子供は大人を小さくしたものではなく……」。つまり、フランスなどでは、子供を一種の小さな大人として扱うが、日本では、子供は大人と違う子供として扱うというふうにも考えられる。自立心が育ちにくいというマイナス面はあるけど、その分、幸福な子供時代を送れそうだね。
●ただ、ひとつ留意しなくては(感)
第一段落は要約。
第二段落は、意見A。「日本人のように子供の目線に合わせた子育ての仕方はよい。」親が子供の目の高さに合わせて接すると、子供は安心してたっぷりと親に甘えることができます。愛情をたっぷり受けて育った子供は、他人に対する思いやりを身につけることができるでしょう。
第三段落は、意見B。「しかし、フランスのように子供を小さな大人として扱う子育ての仕方にもよさがある。」子供を小さな大人として扱うと、子供は幼いうちからマナーやけじめというものを身につけることができます。子供の自立心を育てるためには厳しさも必要ですね。
第四段落は、総合化した意見C。「確かに子供の目線に合わせた子育てにも、子供を小さな大人として扱う子育てにもそれぞれよさがある。しかし、いちばん大切なことは、『「ロバが旅に出たところで、馬になって帰って来るわけではない。』という名言があるように、自分の手で愛情を持って子供を育てることだ。」
Re: ●ただ、ひとつ留意しなくては(感)
生まれた時のお宮参りから始まって、七五三など、子供の成長の儀式にはいろいろなものがあります。日本では昔から、「七歳までは神の内」とされ、小さな子供は社会の一員ではなく、まだ神の領域に属しているものと考えられていました。これは、子供の死亡率が高かったこととも関係がありますが、「神の内」であるから、日本は小さな子供のすることには寛大、という面があります。「子供のすることだから」ですまされてしまう。悪くいえば子供に甘いのですね。「七歳の祝い」は、子供が無事にここまで大きくなったお祝い(つまり、もうそれほど簡単には死なないだろうという安心)であり、ここからは人間社会の一員として、立派な大人になれるよう教育されていくことを示しています。
その点、最初から社会のマナーを学ばせようという欧米とは、考え方が異なっています。
★ただ、ひとつ留意しなくては(感)
第二・第三段落 体験実例、社会実例
子供の目線に合わせた子育ての例として、日本では、寝室は子供がある程度大きくなるまで「川の字」に寝る(両親の間に子供が寝る)が、よくあるやり方でした。また、食事のメニューも子供が好きなものが中心になったり、外食の際も子供が好きな料理が食べられるところという基準でお店を選ぶことがあります。
一方、欧米では乳幼児の頃から寝室は親と子で別で、親は夫婦としての行動を大切にし、二人で出かけることも珍しくはなく、子供はベビーシッターに見てもらうそうです。
このように、育てられ方が違うと、人格形成にも大きく影響するでしょうし、親子や家族の関係も日本と欧米では違う捉え方や感じ方をしているかもしれませんね。
7.3週
●ユージーン(感)
中学2年生は、複数の意見と総合化の主題の勉強です。この書き方は難しいので、わかりにくいときは教室に電話をして聞いてください。
長文の内容:ユージーンの街では障害者も対等に扱われた。障害者は、障害者として保護されるよりも、傷つくことも含めて自ら経験することを望んでいる。障害者の自由度は、社会の障害者に対する位置づけで決まる。
似た話:中学2年生のみなさんも、「これは君たちにはまだ難しいから、易しいのでやっていいよ」と言われるより、「難しくて失敗するかもしれないけどがんばろう」と一人前に扱われる方がうれしいでしょう。
最近の本で「五体不満足」などを読んだ人もいるかもしれません。
昔話は、桃太郎などが使えるかもしれません。7.2週の長文で、日本人は子どもに合わせて「わんわんでちゅよー」などと喋るが、欧米では子どもに対しても大人と同じように「これは犬です」と話すという文章がありました。この例は長文実例として使えそうですね。
名言と意見:「人は食べるために生きるのではなく、生きるために食べるのである」「私たちの人生は私たちが費やしただけの価値がある」などが使えそうです。弱者の立場になって親切にしてあげることももちろん大切ですが、本当に相手を一人の人間として尊重するのであれば、時には厳しいことも言って相手を対等の存在と見て接することが大事なのでしょうね。
●ユージーン(感)
第一段落は、長文の要約を書きます。150文字程度で考えましょう。
ユージーンは、街のなかに障害者がいることで、人の流れが変わらない街だった。そして、障害者と自然にむきあう街だった。イギリスの児童文学作家、ローズマリ・サトクリフの自伝、「思い出の青い丘」には、「ほかの子どもにはできるある種のことが自分にはできないことが、観念的にしか理解されていない」子どもの時期から、障害のもつ社会的な意味、自分とふつうの人々とを隔てる微妙な壁に気づき、それが人生に与える影響、「孤独」を知るまでが、語られている。傷つこうが、自分の責任で「苦境に直面する」、それを彼女は「傷つけられる権利」と呼んだ。この「経験を積み重ねてゆく自由を持つ権利」を守っていかなければならない。
第二段落では、意見の第一として意見Aを書きます。「私たちは、障害を持つ人に手を差し伸べていくべきだ。」という意見を出しましょう。実例となる自分の体験をあげます。車椅子の補助体験をしたり、目の不自由な人の体験をしてみたりする活動があります。そういったことで、自分たちに出来る小さなボランティアを広げていこうとする試みがありますね。声をかけるのは勇気がいりますが、誰かの役に立てた経験をあげてみましょう。
第三段落では、意見の第二として、反対の立場の意見Bを書きます。「しかし、障害を持つ人たちが、自らの力でやり遂げようとする意思を尊重することも大切だ。」昔話の「桃太郎」でも、大事に育てた桃太郎を「鬼退治」という難題に立ち向かわせた。このように「出来ないだろうから」といって守ってあげるより、「苦難に立ち向かう自由」を与えてあげることが大切ですね。
第四段落では、いままでにあげた二つの意見それぞれに理解を示しながら、さらに上の発想Cをしてまとめていきます。「大事なことはAかBかではなくCである。」としていくのです。これを「総合化のまとめ」といいます。
確かに、弱者に手を差し伸べることも、自らやろうとする意思を尊重することも大切だ。しかしもっと大切なことは「私たちの人生は私たちが費やしただけの価値がある。」という言葉があるように、対等な立場でみんなが一つの人生を歩んでいくのだという姿勢だと思う。
●ユージーン(感)
テーマに関する実例
・バリアフリー社会:この世の中の社会はいわゆる「健常者」が基準になっている。ものの捉え方一つとっても、マナーや一般常識でも、それは例外ではない。私が自転車を乗っているとき、前に歩いていた女性二人に道をあけてもらおうと「ちりんちりん」鳴らした。でも彼女は気づかない。「すいませーん」と大きな声をかけてみた。それでもだめ。道路が広くなったところで追い抜かしざまに振り返ると、手話で話していた。耳が聞こえない人たちである。私は自転車にフラッシュがついていたらいいのにと思った。もし私が耳が聞こえなかったら…。想像力、創造力をはたらかせて、自分の立場から少しでも動いてものを見ることは、「健常者」でない人々を理解することに欠かせない。そしてバリアフリー社会にするためには、行政の「とりあえずバリアフリー化整備」でできた役に立たない(しかも税金の無駄!)インフラ整備などなくなり、どんな人でも暮らしやすい社会になるのでは? そしてこれは「健常者」という枠をつきやぶって、民族、国、文化、宗教などさまざまな人間の相互理解につながるかもしれない!?
反対意見への理解:もちろん何かを目指すとき、一つの考え(上の考えなど)にみんなが集結しないと物事は進まない。しかし、日本の政党政治のように、ひかれた線路からはみ出すものを異端者として排除することは、本末転倒になってしまう。
●ユージーン(感)
ローズマリー・サトクリフの本を読んだことがありますか?特に初期の作品は、ローマ時代のローマやイギリスの歴史を題材にしていて、主人公は体にハンディのある少年が多く、半分実話のようで、とてもおもしろいです。『太陽の戦士』『ともしびをかかげて』『王のしるし』などは、岩波少年文庫のソフトカバー本になっています。とても男性的な書き方で、体に不自由のある方とは思えません。そうした点からも、人間の精神は、身体的不自由とはかかわりないことがわかります。
8.1週
●「食べられる」か(感)
「食べれる」「見れる」はそれぞれ下一段活用と上一段活用なので、正しくは「食べられる」と「見られる」ですが、「食べられる」と言うと「わあ、怪獣に食べられちゃう」というような言い方を連想してしまいますし、「見られる」と言うと「わあ、ズボンが破れているの見られちゃった」というような言い方を連想してしまいます。そのため、今では「食べれる」「見れる」の方が優勢になりつつあります。
著者は、この「ら抜き言葉」の是非を論じてはいません。(社説なので、あまり偏ったことは書けない)。幅広い論議が必要だと結んでいます。しかし、みなさんが感想文を書くときに「幅広い論議が必要だ」を主題にすると、意見の焦点がぼやけてしまいます。主題は「新しいもの」と「古いもの」の対比で考えていくといいでしょう。それは「新しい、使いやすい、かっこいい、しかし間違っているもの」と「古い、使いにくい、かっこわるい、しかし正しいもの」との対比だと考えてもいいでしょう。ルーズソックス、茶髪、ピアスなど具体的に考えるとわかりやすいと思います。
しかし、具体的に論じていると長文の主題とずれてくることもあります。結びでは必ず長文の述べている題材に関連させてまとめましょう。
名言は、「脱皮できない蛇は滅びる(ニーチェ)」。昔話実例は、「姥捨て山」。長文実例は、7.2週の「日本の赤ちゃん言葉にある『マンマ』『ブーブー』『ワンワン』」などがうまく使えるかな。昔話実例か長文実例かのどちらかを入れてみましょう。
●「食べられる」か(感)
第一段落は、長文の要約を書きます。200文字程度で考えましょう。
第二段落では、意見の第一として肯定的な意見Aを書きます。「新しいものが出てくるのは当然だ。」という意見を出しましょう。体験で考えられることといえば、「赤ちゃん言葉」でばぶばぶいっていた自分も、今はちゃんと大人の言葉を話しています。心配せず、ながれに任せておけばよいという考え方です。時代はどんどん新しいものを生み出します。そのたびにそれを表現する新語が生まれても不思議ではありませんね。
第三段落では、意見の第二として、反対の立場の意見Bを書きます。「しかし、古いものも大切だという考え方もある。」文化とは、一朝一夕に出来上がるものではありませんね。良いものは守っていかなければなりません。昔話の実例は「姥捨て山」長文は7.2週の「フランスの美しい言葉を残す試み」の例が使えそうです。
第四段落では、いままでにあげた二つの意見それぞれに理解を示しながら、さらに上の発想Cをしてまとめていきます。「大事なことはAかBかではなくCである。」としていくのです。これを「総合化のまとめ」といいます。
確かに、新しいものを取り入れていくことも、古い良いものを大切にしていくこと、どちらも大切だ。しかしもっと大事なことは「できあがった規則をなんとか守ろうとすることよりも、実態に合わせて規則を変えていくことが、真に規則を生かす道である。」という言葉があるように、言語を使う人間の意識の高さである。
8.2週
●子供のころに道に(感)
内容:普段の散歩道で風景が変わっていたために道に迷った。動物は、無意識のうちに道筋や情報を蓄積しているので、道に迷いにくい。人間は、他人の地理的な情報を地図として利用できる。地図などのように人間の作り出した情報は、行動の助けになるが、使い方が身についていないと役に立たないこともある。
似た例:地図を見て目的地に着いた、時刻表を見て電車に乗った、辞書を見てわからない言葉を調べた、などの例が考えられます。自分の実感や経験だけでわからないことは世の中には多いようです。7.3週の長文にあるユージーンでの著者の体験も、文章として書かれていなければ、ほかの人には伝わらなかったでしょう。8.3週の長文の「目あきのおごり」なども使えそうです。
意見:「他人の情報を利用することの大切さ」というところで考えると意見が書きやすいでしょう。自分の力だけで試行錯誤を繰り返して目的地に到達することも大切ですが、地図や参考書を頼りに能率のよい行動をしていくことも大切です。しかし、もちろん他人の情報に頼りすぎると、地図を読み違えてしまう結果にもなります。勉強の仕方などでも、ほかの人のやり方を参考にしつつ、自分のやり方を大事にするということが必要なのでしょう。
名言:名言は、逆の意味で書いてありますが「読書とは自分の頭で考えることではなく、他人の頭で考えることである」など。また、「助けにも妨げにもなる」というところで、「理想に到達するための手段はまた、理想への到達を阻む障害でもある」から、使い方をうまく身につけることが必要だ、とまとめることができます。
●子供のころに道に(感)
第一段落は、長文の要約を書きます。200文字程度で考えましょう。
子供のころに、道に迷わなかったのは、地図を使わなかったからではないだろうか。動物は地図を持たない代わりに、習慣によって獲得した目的地までの道筋や情報を、無意識のうちに蓄積しており、その情報に忠実に行動する限り、動物は迷いにくい。人間は、地図という文化をもったことによって、かえって迷う可能性が高くなった。人間の作り出した情報は、行動の助けになるものであると同時に、反面、使い方がきちんと身についていない限り、逆の結果につながる危険すらある。
第二段落では、意見の第一として肯定的な意見Aを書きます。「他人の情報を利用することは大切だ。」という意見を出しましょう。実例となる自分の体験をあげます。勉強のとき辞書や辞典をひいて、答えをさがしたこと。旅行で、時刻表やガイドブックをうまく使いこなしたこと。先輩の受験体験記を読んで、自分の計画をたてたこと。いろいろありますね。ほかの人の体験を借りることで、速く正確な判断が出来ます。
第三段落では、意見の第二として、反対の立場の意見Bを書きます。「しかし、自分の経験から得た知恵を生かすことも大切だ。」遠回りのようでも、自分で試行錯誤しながら答えを出していくことも大切です。喜びも大きいし、記憶に残ります。また、応用力や忍耐力も身につきますね。
第四段落では、いままでにあげた二つの意見それぞれに理解を示しながら、さらに上の発想Cをしてまとめていきます。「大事なことはAかBかではなくCである。」としていくのです。これを「総合化のまとめ」といいます。
確かに、他人の情報を活用していくことも、自分の体験で方法を見出すことも、どちらも大切だ。しかしもっと大事なことは「理想に到達するための手段はまた、理想への到達を阻む障害でもある。」という言葉があるように、その方法をうまく利用していくことである。
8.3週
●数年前、私は西アフリカの(感)
普通、「目あき」という言葉に対応するものは「めくら」という言葉です。しかし、日本のマスコミ界では、次のような言葉はその言葉に該当する人を傷つけるという理由から、別の表現で言い換えるように工夫しています。 めくら→目の不自由な人、びっこ→足の不自由な人。
この長文で、「目あき」に対応する言葉として「盲人」が使われているのは、以上のような事情からです。
中学2年生のみなさんが、この長文の感想文を書くときに、「目あき」に対応する言葉として、自然に「めくら」という言葉を使ってしまうことがあるかもしれません。そのこと自体は決して悪いことではありませんが、そういう言葉を差別表現だと感じる人がいるということを考えると、ここは長文にあるように「盲人」という言葉を使っていく方がいいかもしれません。もちろん、言葉の言い換えで実際の姿が変わるわけではありませんが、露骨な言い方に傷つく人がいるかもしれないという配慮として表現の仕方を考えていくということです。 内容:目明きは盲人よりも多くのものを見ていると思っているが、盲人は心の眼でより多くのものを見ることができる。私たちは、誤解を恐れるあまり、言葉を最も定義しやすい意味だけに限定してつかう。一見、荒唐無稽な神話や昔話には、大宇宙との対話を助ける心の眼のようなものがある。生態系にある無駄や無秩序の中には、調和していきるための叡智がある。
似た例:たとえば、「うらしま太郎が乙姫様からもらった玉手箱を開いておじいさんになる」という話などは、理屈っぽく考えれば、どうしてそんな箱をくれたのかということになります。同じく「犬とサルとキジが次々に桃太郎の家来になる」という話も、よく考えれば、そんな組み合わせは(サーカス団でもないかぎり)日常生活ではまず考えられません。ここに、理屈的な説明では割り切れない昔話の広さがあるとも言えるのでしょう。
意見:狭い理屈(自分の利益だけを考えるような立場)と、大きい調和(他人との調和を図ることが大きい目で自分の利益にもつながるという立場)の比較として考えるといいと思います。一見無駄に見えるものの中にある優しさというところで考えてもいいでしょう。たとえば、花の咲く役割は、「受粉させるために昆虫を引き寄せる」というのが普通の考えですが、そういう役割で限定するにはあまりにも多くの無駄があります。桜などは風媒花(風で受粉する花)なので、実は必要性だけで考えればあんなにきれいに咲く必要はありません。もしかしたら、人間にお花見をさせてくれるために咲いているのかも。名言:「雑草とは、まだ、その美点が発見されていない植物のことである」「存在するものには、よいとか悪いとか言う前にすべてそれなりの理由がある」など。
●数年前、私は西アフリカの(感)
第一段落は、長文の要約を書きます。150文字程度で考えましょう。目あきは、何でも見えるために、何でも解ると思っている。ところが目あきが見ているのは眼の前に見えるものばかりだ。私たち盲人は、目あきと較べるとたしかに何も見てないに等しい。私たちは眼は見えないその代償として、心の眼を与えられている。心の眼は耳・身体・足・鼻・その他諸々の器官を「見る」ために動員する。生態系には、荒唐無稽なこと、ばかばかしいこと、無駄なことが満ち満ちている。それは神話・昔話と同じことである。自然との調和こそ、我々人類が生存し続けるために避けることの出来ない原則になった。
第二段落では、意見の第一として意見Aを書きます。「快適に生きるためには自分の必要を考えていくことが大切だ。」という意見を出しましょう。実例となる自分の体験をあげます。たとえば、テスト勉強のためには、お稽古事も部活も何もかも(食事も?)排除して、一心に取り組みます。ゲームをするためなら万難を排してという人もいるでしょう。大きく考えれば、人間は快適な暮らしのために、かなりの自然を破壊して開発を進めてきました。
第三段落では、意見の第二として、反対の立場の意見Bを書きます。「しかし、一見して無駄なもの、無秩序なものもなくてはならないものだ。」人間は自然の中で生きています。考えてみれば自然の中には無駄なことが多いいですね。花はなぜ咲いているのか。みみずはなぜいるのか。(気味悪がられるため?)昔話の中にも、無駄に見える話が多いね。理屈で割り切れない話しが語り継がれてきた意味を考えてみよう。
第四段落では、いままでにあげた二つの意見それぞれに理解を示しながら、さらに上の発想Cをしてまとめていきます。「大事なことはAかBかではなくCである。」としていくのです。これを「総合化のまとめ」といいます。
確かに、自分に必要なものも、無駄なもの自然にあるもの、どちらも大切だ。しかしもっと大事なことは「存在するものには、よいとか悪いとか言う前にすべてそれなりの理由がある。」という言葉があるように、自己と相容れないものへの理解を深め、大きく調和して生きることである。
●数年前、私は西アフリカの(感)
世の中には、損得や利害のように黒か白かがはっきりわかるものもある。しかし、どちらとも言い切れないようなものの中に、実は人間にとって大切なものがある。
第一段落は、説明。「世の中には、いい悪いがはっきりしているものがある。例えば、益虫と害虫。しかし、どちらとも言えない虫も、実は、生態系の中で重要な役割を果たしていることがある」など。
第二段落は、意見A。「確かに、白か黒かがはっきりしていることは大事だ。日本人は返事があいまいだとよく言われるが、物事を決めるときには自分の立場をはっきりさせる必要がある。私もこの前……」など。
第三段落は、意見B。「しかし、はっきり言い切れないものの中に実は重要な面が隠されているということもある。例えば、勉強は役に立つ、遊びは役に立たないと一般に思われているが、何でもない遊びの中に、実は人間の成長にとってプラスになるものもあるはずだ。例えば……」など。
第四段落は、まとめ。「だから、目に見える世界と見えない世界のどちらがいいかということではない。いちばん大切なのは、その二つの世界をうまく生かして、自分を成長させていくことだ」など。
9.1週
●視覚系は(感)
視覚系は絶対座標を持たない、という話です。ものの大きさは、その絶対的な大きさではなく、相対的な大きさで認識されます。人間の脳がたとえば太陽の大きさを絶対的なものとして見ることができるとしたら、夕焼けを見るたびに、「ああ、今日も1億4900万キロメートル向こうの西の空に、直径140万キロメートルの太陽が沈んでいくなあ」と思わなければなりません。広い宇宙には、こういう認識の仕方をする生物がいるかもしれませんが、地球上ではたぶんいないでしょう。
人間の認識が相対的なのは、その方が処理する情報量が格段に少なくて済むからです。
みなさんが例えば好きな服を選ぶ場合も、Aの服の好みは65%で、Bの服の好みは78%だからBの服にしよう、などとは考えません。AとBを比べてみて、「あ、Bのほうがいいや」という選び方をするはずです。
おはしで何かをつまむ場合も、右斜め前方80センチメートルのところに直径1センチの煮豆が一つあるから箸を左30度に直進させて、というロボットのような認識の仕方はしません。実際に箸を伸ばしてみてずれたら調整して目的のものをつまむという行動の仕方をします。
こう考えると、正しい意見などというものも、自分ひとりで考えて絶対的な基準を見つけようとするよりも、ほかの人との話し合いの中で必要な修正を加えながら考えていったほうがいいと言えそうです。旧ソ連の計画経済が破綻したのは、消費生活のように個人の好みが複雑に絡んでいるものに対して市場の自由な調整を生かさなかったからだったと言われています。
「視覚系は相対的だ」という話から進めて、人間の認識や行動における相対性の重要さということで考えていくと意見化しやすいでしょう。
長文実例は、8.2週の「子供のころに道に」の地図の話などが使えそうです。
●視覚系は(感)
第一段落は、長文の要約を書きます。150文字程度で考えましょう。
形は物の方にあり、形は物の属性だという。もう一つの見方では、形は頭の中にある。目がなかったら、物は見えない。この二つのどちらが正しいかは、考えてもムダらしい。形については、右の二つの面、つまり自分と相手とをともに考慮する必要がある。目はたいへん有効な感覚器だが物の大きさがわからない。 大きさを知るという単純なことができないので、人の世ではモノサシを売っているのである。視覚系は、その中に絶対座標を持ち込むようには、進化してこなかった。逆に、われわれが「比例」とか「相似」を考えることができるのは、本来、視覚系にそういう性質が存在するからであろう。
第二段落では、意見の第一として意見Aを書きます。「確かに相対的ということは、私たちにとって便利だ。」という意見を出しましょう。実例となる自分の体験をあげます。たとえば、勉強をするとき、テストの順位などで自分の位置をはかります。そのとき、○○君よりよかったから、といって安心したりします。また奮起したり。何かを買うときも、あそこの店の値段より安いから、といって買うチャンスを決めますね。そしてそれは、流動的なものです。
第三段落では、意見の第二として、反対の立場の意見Bを書きます。「しかし、人生には絶対的なものが必要なときもある。」たとえば、生き方を考えるとき、その目標となるものが時と場合によって変わったのでは決意できませんね。価値の変わらない目標がいるのです。
第四段落では、いままでにあげた二つの意見それぞれに理解を示しながら、さらに上の発想Cをしてまとめていきます。「大事なことはAかBかではなくCである。」としていくのです。これを「総合化の主題」といいます。
確かに、相対的なものも、絶対的なものも、どちらも大切だ。しかしもっと大切なことは「できあがった規則をなんとか守ろうとすることよりも、実態に合わせて規則を変えていくことが、真に規則を生かす道である。」という言葉があるように、絶対的なものをひとりで決めていくよりも、生きていく中で他人と協調しつつ判断していくことである。
Re: ●視覚系は(感)
相対的、絶対的な考え方のわかりやすい例です。
・相対的1:選択式のテスト問題がわからないとき。こっちよりはこっちの方がいいみたいだ、という消去法で答えを選ぶことができます。
・絶対的1:選択式であってもいきなり正解がわかったり、記述式で答えなければならない時。直接、答えそのものを導き出します。
・相対的2:入試で、上位100人を合格させる、というような決め方。たいていの入試はこのやり方ですね。「今年の新入生はレベルが高いなあ(または低いなあ)」と言われたりします。
・絶対的2:入試で、○点以上は合格、それ以下は不合格とするというもの。現実にはあまりありません。あるレベル以上の生徒は必ず確保できますが、何人来るか、予測できないからです。
・相対的3:選挙で、「いい人がいないけど、この中でなら○○さんかなあ」と投票する時。
・絶対的3:選挙で、「いい人がいないから、今回は白紙で投票しよう」と決める時。
・相対的4:(社会実例)事故を起こしたシンドラーエレベータの社長が、「閉じ込めはエレベータではよくあること」などと発言したことがありました。これは、間違った「相対的」な考え方です。
・絶対的4:たとえ他社でもよく起こっていても、閉じ込めなどが起こらないよう、最大限の努力をする。それが特に製品の品質管理には求められるものです。品質管理においては、常に「絶対的」な考え方をしなければなりません。「以前よりよくなっているからいいや」ではすまされないのです。
●視覚系は(感)
相対的ということの例としては、言葉の森ホームページから「数字の草」のデータを見て、たとえば、「世界の二酸化炭素排出量の割合」で日本は世界の中でどのくらいの位置にいるか、また「一か月の小遣い平均」で、自分のもらっているおこづかいは、平均と比べて多いのか少ないのか、ということがわかり、比べることによって、自分や、自分の国のことがわかる、ということがあります。「数字の草」には実例として使えるものがたくさんあるので、利用して書くといいでしょう。ほかにももちろん、国民総生産で、世界の中で日本は何番目にお金があるか、とか、世界の幸福度調査で、日本人は世界の人とくらべて、自分たちのことをどう判断しているか、ということも比較により考えることができますね。
9.2週
●自分で判断し決断し行動する(感)
内容:人間はもともと他人依存になりやすい。最近の教育状況は、他人依存を助長している。大学生でも、指示待ちやマニュアル願望が強い。自分で判断し、決断することに慣れていない人が多い。
似た例:自分の体験で書いていくほうが説得力があります。自分で判断し行動するよりも、人に聞いてやったほうが気楽なときがあるでしょう。しかし逆に、人に頼らずに自分から進んでやったときは、たとえうまく行かなかったときでも充実感のあるものです。歴史を切り開いてきたような人もみんな、自分で判断し決断していった人たちでした。
レストランなどに行くと、「ぼく、カレー」「あ、わたしも」「ぼくも」「わたしも。じゃあ、カレー四つね」「あ、やっぱりラーメンにしよう」「あ、わたしも」「ぼくも」「わたしも。それじゃあ、ラーメン四つね」「あ……やっぱり、牛丼がいいかなあ」「あ、わたしも」「ぼくも」「わたしも。それじゃあ、牛丼四つね」「ああ……やっぱり、カレーの方が」「いいかげんにしろー!」ということがよくあります。(あるか)
意見:「自分で判断し決断することの大切さ」で書いてみましょう。反対理解は、「よくわからないことや苦手なことは、まずほかの人の意見や世間の常識を参考にして」というところで書くといいでしょう。
名言は、たくさんあるはずですから、自分で探してみましょう。
●自分で判断し決断し行動する(感)
第一段落は要約。
第二段落は、意見A。「自分で判断し、主体的に行動することは大切だ。」周囲の意見に流されることなく、自分で考え、自分で出した結論に従って行動することは大切です。何か物事を決める際に、自分で判断すれば後悔もしないでしょう。体験実例は自分の判断で行動してうまくいった例など。
第三段落は、意見B。「他人の意見を取り入れることも大切だ。」自分一人の考えに固執することなく、他人の意見に耳を傾け、いいと思った意見はどんどん取り入れていくことも大切です。いろいろな人の意見を聞くことで、視野が広くなり、新たな発見もあるでしょう。体験実例は、話し合いなどで他の人の意見を聞くととても新鮮で、物事を広い視野からみることができるといったような話。
第四段落は、総合化した意見C。「確かに自分の判断で物事を進めていくことも他人の意見を取り入れながらやっていくこともどちらも大切だ。しかし、いちばん大切なことは、『始めることも大切だが、やり遂げることの方が、もっと大切である。』という名言があるように、一度決めたことを最後までやり遂げる忍耐力を持つことである。」
9.3週
●文化ということを(感)
内容:ヨーロッパの文化は、個人の独立という市民意識を長所として持っている。しかし、それは同時に愛や助け合いの乏しさという短所も伴っている。日本は、ヨーロッパの長所を取り入れつつ、短所を取り入れない新しい文化を創っていかなければならない。
解説:欧米では、子供は自分の部屋で寝るという習慣があり、日本では、かなり大きくなるまで両親と一緒に寝るという習慣があります(家が狭いというせいもあるけど)。こういう身近な例を通して考えてみるとよいでしょう。
Aの意見は「個人の自立」、Bの意見は「相互の助け合い」ということで考えてみましょう。総合化ということでは、「ヨーロッパの伝統にもよいところがあり、日本の伝統にもよいところがあるが、大事なことは、過去の伝統を取り上げてどちらがよいかと考えることではなく、私たちが「個人の自立と相互の助け合い」を両立させる新しい伝統を作り上げていくことである」というような感じで。
名言は、「やさしさが……」「短所をなくす……」「私たちの幸福が……」など。自分でもいろいろと考えてみましょう。
●文化ということを(感)
身近なことに似た例を探そう。たとえば、「日本的な習慣」として、私たちはすでに小学校のときから自然に行動に現している。
「一緒にトイレに行く」「一緒にお弁当(給食)を食べる」「みんなが賛成(反対)するから自分も」
どんな人であれ、身の覚えがあるはず。なぜこんなことをしてしまうのか?
「出る杭は打たれる」日本では個人の自立、つまり、個人の意見やそれに基づく行動を周囲が認めないということです。けれども、みなさんが高校、大学と進学すると、個人の自立の一部を実行せざるをえないときもあります。―大人として。
一人で行動する…登下校、買い物、勉強、休み時間、食事…。最初は戸惑うでしょう。いつでもいっしょにいる仲間がいないのですから。
そんなとき、何かについて意見を求められたら? 周りをうかがって、多数に従う。または、自分自身のポリシーにしたがって意見を提示する。
個人の自立ということはとてもむずかしいものです。協調性を持ちつつ、自分の考えも変えない。どうやったら、この二つの矛盾する生き方がうまく和合するでしょうか? 自分だったらと具体的に考えると良いでしょう。