ペンペングサ2 の山 1 月 1 週
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○自由な題名
○クリスマス、おおみそか、お正月
★独裁と民主主義、内申点

○陰謀理論とは
 【1】陰謀理論とは、社会的現象はそれをひきおこそうとたくらんだ個人もしくは集団の陰謀から生じてくると主張する理論である。したがって、この理論にとっては陰謀家を探し出すことが主たる課題となる。【2】たとえば、戦争、不況、失業といった社会的現象は大企業とか帝国主義的戦争屋はたまたシオンの長老たちの陰謀の結果であるという。【3】悪の帝国による世界制覇の野望とそれに対して果敢に闘う主人公といった少年マンガのレベルにおいてのみならず、大の大人にとっても、CIAの謀略とかフリーメイスンの陰謀といったことで複雑な出来事が簡単に絵解きされるのは、耳に心地よいらしい。
 【4】陰謀理論に対するポパーの批判はきわめて簡単である。つまり、われわれの社会において陰謀がそのまま成功することはほとんどないという事実が陰謀理論を反駁しているというのである。この点については少しばかり、説明が必要かもしれない。【5】われわれの社会では、意図と結果が大きく相違するのはむしろ当然である。行為は意図されなかった帰結や反発を引き起こす。それらは、当初の意図に跳ね返り、その修正を迫ることになるだろう。とすれば、陰謀がそのまま実現することはありそうにないことである。【6】しかし、こうした理論的な説明をおこなうよりも、具体的な例を挙げた方がわかりやすいかもしれない。
 いま、ある人が家の購入を切望しているとしてみよう。彼はさまざまな住宅会社を訪ねたり、住宅フェアに顔をだしたりするであろう。【7】加えて、彼はできるだけ安い価格で家を購入したいと望んでいるにちがいない。しかしながら、彼が購入者として住宅市場に現れたという事実は、原理上、需要を高め、彼の意に反して価格を上昇させる。【8】ここにあるのは、まさに(資本主義)社会の特定のメカニズムである。他方で、需要の増大が価格の低落をもたらす場合があるとすれば、そこには大量生産といった別種の資本主義的メカニズムが働いている。∵
 もうひとつ、例をあげてみよう。【9】多くの人は競争を好まない――とくに友人同士の場合には――と仮定してもよいだろう。しかしながら、たとえばポストの数にはかぎりがあるといった状況が生じたならば、誰もが競争したくないと思っていても、競争が必然的に生じてこざるをえないだろう。【0】この種の競争という状況を、各人の名誉心とか、闘争心といったものを原因として説明するのはまさに心理的主義であり、本末転倒である。こうした場合、名誉心とか、闘争心といった心理はむしろ状況の産物である。われわれの社会は、意図であれ陰謀であれ、それらを当初の企てどおりに実現させることはきわめて稀である。テロリストがテロ行為によって彼らの(遠大な)目的を実現させることはまずできない。陰謀理論は、たとえ常識の世界でどれほど受け入れられているにせよ、社会のメカニズムを考慮に入れていないという明白な欠陥をもっている。
 ポパーはこうした社会のメカニズムを制度という観点から分析することを制度分析と呼んだ。社会の諸制度はそのなかで行為がおこなわれるもろもろの枠組みである。それらは、大部分が意識的に設計されその通りに形成されたものではなく、意図されなかったものとして、あるいは意図に反して形成されたもの(副産物)である。ハイエクの言葉でいえば、社会の諸制度は自主的秩序である。制度分析は、制度を支えているものとしての伝統や慣習――これらも広い意味での制度である――のみならず、制度がおのずからにしてもった目的や機能、また制度における人員配置の問題、さらには制度が引きおこす諸帰結などを分析する。
 制度分析の概念にくらべると、状況の論理あるいは状況分析の概念はより広い領域をカバーすることができるように思われる。それは、定義的にいえば、事態のもつ必然性の分析である。ポパーは、トルストイに言及しながら、ナポレオン戦争下ロシア軍が闘うことなくモスクワを明け渡し、糧食をみつけることのできる∵場所へ退却していった事態を状況の論理(必然性)の一例としてあげ、トルストイの分析の基本的正しさを認めている。ポパーにとっては、状況の論理を再構成すること、あるいは状況を徹底的に分析することが、(記述的)社会科学や歴史学にとっての課題となる。ポパーのことばでいえば、それ(状況分析)は「行為が客観的に状況に適合したものであったことを認識することである。換言すれば、たとえば、欲求、動機、記憶、連想などのはじめは心理的なものと思われた要素は、状況の要素に変わってしまうほどに状況が徹底的に分析される。……状況分析の方法は、たしかに個人主義的な方法ではあるが、心理学的なものではない。というのも、それは心理的な要素を原理的に排除し、客観的な状況の要素によって置き換えているからである」。

(小河原誠『ポパー 批判的合理主義』による)