ネコヤナギ2 の山 2 月 1 週
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○自由な題名
○マラソン
★節分、ランニングをしたこと
○商品化された「いれもの」を
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【1】商品化された「いれもの」を買うときのわれわれは、ときとして、そのなかにはいるものを買うときよりも慎重である。 たとえば、小麦粉だの砂糖だのは、日常の必需品であって、べつに銘柄を指定することもないが、それらの食品をいれるキャニスターを買うときには、あちこちの店を歩きまわって、よいデザインの品物をさがす。【2】値段が多少高くても、うつくしいものを手にいれようと一生けんめいになる。
タンスなどもそうだ。値段と実用性からいえば、デパートの特価品売場にたくさんタンスがならんでいるから、そのなかからえらべばそれでよいのだが、ながく使う家具、と思うと、なかなか実用一点ばりで気軽に買う気にはなれない。【3】使われている材料だのデザインだのを吟味して、いいタンスをさがしまわる。
つまり、「いれもの」は、たんなる「ものいれ」ではないのである。「いれもの」はそれじたいの価値をもつのである。まえにあげた女性のハンドバッグなどもその一例だ。【4】実用的機能からいえば、財布だの化粧品だのといった小物がそのなかにはいればそれでよいので、極端にいえば、丈夫な紙袋だって間にあう。しかし、そうはゆかない。ハンドバッグは、「ものいれ」なのではなく、それじしん、うつくしい「もの」でなければならないのである。【5】だから、ハンドバッグその他の袋ものに、高いおカネを払う。
そればかりではない。「いれもの」がうつくしい「もの」であることによって、そのなかにはいるものの価値もすっかりかわってしまうからふしぎである。そのことが如実にわかるのは食器という名の「いれもの」だ。
【6】たとえば、ここに、一丁のなんの変哲もない豆腐がある。これを湯豆腐にして食べよう、と思う。そして、湯豆腐をつくるための「いれもの」は、いろいろある。
もしも、安上りにやろうと思ったら、雑貨店に行って、小さなアルミのナベを買ってきたらよい。【7】このナベの底に昆布を敷き、豆腐を入れて火にかければ、やがて湯豆腐はできあがる。味もそうわるくはない。学生街の食堂などで湯豆腐といえば、だいたい、こ∵んなふうに安上りの「いれもの」にはいったもののことを意味する。【8】わたしも、しばしば、そういう学生食堂の湯豆腐を食べてきた。
だが、それだけが湯豆腐の「いれもの」なのではない。高級な湯豆腐の店では、京都の「たる源」でつくられた、小型の湯ぶねのようなたるで湯豆腐の料理をしてくれる。【9】木のにおいがぷんとして、たいへんに清潔だ。そして、とてもおいしい。おいしいかわりに、学生食堂のアルミ・ナベの湯豆腐のねだんの数十倍のおカネを払わなければならない。
このふたつの湯豆腐は、どうちがうか。【0】材料として使われている豆腐にも、もちろん、ちがいがあるだろう。ひとくちに豆腐といっても、いろいろつくりかたのうえでのコツだの原料の大豆の質だのがちがうから、上等の豆腐と、ふつうのそれとはおなじだとはいえない。
しかし、より大きなちがいは「いれもの」のちがいなのである。すくなくとも、わたしのような味のシロウトは、「いれもの」で、完全に降参してしまう。「いれもの」がよければ、それだけで、中身がおいしく感じられ、「いれもの」が貧弱だと、あんまり食欲もわかない。
じっさい、日本の料理は、「いれもの」の芸術なのである。サトイモとエンドウ豆の煮つけ、といった、ごく素朴な料理でも、それが古九谷のうつくしい鉢にすこし盛りつけられて、サンショウの葉などがあしらわれていると、天下の珍味とみえ、ギンナンをホウロクで煎ったものが、黒ウルシの皿で出されたりすると、これも、すばらしい食事だ、と感じられる。まさしく、ここにあるのは、「いれもの」の魔術である。
(加藤秀俊『暮しの思想』による)