ゼニゴケ2 の山 2 月 1 週
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○自由な題名
○節分、マラソン
○個性、父親と母親
○Until a few years ago 英文のみのページ(翻訳用)
Until a few years ago, the common idea among archaeologists was that early human beings began to practice farming because they had no choice. Experts claimed that population growth led people to push some of their group members out of the most productive areas where it was easy to hunt and gather plenty of food from the wild.
Living on the poorer edges of the rich environments, according to the old thinking, these people noticed that seeds of gathered wild plants often began to grow where they had been thrown away or accidentally dropped. They then realized that planting crops intentionally in these poor areas provided a more plentiful and reliable source of food than hunting and collecting wild plants that could be eaten. As a result, according to the traditional idea, temporary camps in the poor areas developed into permanent settlements. Recent research, however, suggests it didn't happen quite that way.
Archaeologists now think that agriculture might not have begun just by accident. Instead, it might have begun because early humans did some scientific research. They say that because ancient peoples had experienced occasional bad years when wild foods were not easily available, people thought they should look for ways of making sure they always had enough food. So they experimented with particular wild plants, and eventually chose to grow the ones that seemed the best. Archaeologists say now that necessity was not necessarily the mother of the invention of agriculture. Instead, human creative ability was.

★(感)実際に一九世紀前半において
 【1】実際に一九世紀前半において、ようやく始まった科学研究から得られた成果が、社会の役に立つと主張できるような実例は、化学の世界を除いてはほとんど皆無であった。にも拘わらず、すでに科学者たちは、研究から得られる知識が「役に立つ」という価値を持っていることを、社会にアピールしようとしたのであった。
 【2】しかし、一方で科学者は、研究は自らの好奇心や真理探究心によるものであり、それは純粋に知的な活動であることを主張し続けたのである。「価値」という点からみれば、ちょうど一九世紀ヨーロッパに「芸術のための芸術」という考え方があったのと同じように、【3】科学的知識には、それ自体に内在的な価値が備わっていて、したがって科学というのは、社会的に有用な価値を追求するのではなく、知識を追求することそれ自体が、人間にとって価値がある、という姿勢をとった。別の言い方をすれば、「知識のための知識」こそ科学の姿である、ということにもなる。
 【4】科学者たちは、この二つの主張を、一九世紀の発足当時から、使い分けながら社会に対処してきたと言える。社会もまたこのダブル・スタンダードをある程度は受け入れてきた。
 【5】したがって、科学者の立場からすれば、自分たちの造り出す知識は、芸術作品とは違って、豊富な社会的効用を備えているのだから、社会は、そうした効用を備えた知識を提供してくれる科学研究には、公的に支援をして当然である、という主張を一方で抱え、【6】他方で、科学研究は純粋に「知識のための知識」追求の営みなのだから、社会の側から制約や管理を受けるべきでないし、その必要もない、という主張を用意してきたのである。
 この二面性は現在でも解消されていないばかりか、むしろかえって現代により深刻な問題を生み出している。
 【7】もしも、科学が、純粋に研究者集団の内部に閉じ込められた、自己閉鎖的で、自己充足的な営みであるとすれば、倫理的な問題が入り込むべき場所は、そうした集団の内部のみということになるだろう。【8】しかし、科学の成果が、社会的なインパクトを持ち、社会における個々人の生活に善きにつけ悪しきにつけ、直接的な力を発揮するようになった現在においては、やはり、科学者の場合も、内部規範だけでは明らかに不十分であると思われる。【9】科学者は、好奇心に任せて、どんな材料を使って、どんな方法で、何を∵やっても、それが「研究」である限り、許されるし、その結果がもたらす事態についても、社会的責任や義務から免れる、というわけには行かなくなったのである。
 【0】このように考えてくると、科学者という概念もまた改めなければならないところが見えてくる。科学者とは、本来、自らの好奇心の赴くままに、俗界を離れて、ひたすら真理を探求することに勤しむものである、というイメージがかつて存在した。そこでの倫理は、ただひたすら真理に忠実であれ、ということで済んだ。
 しかし、今や、科学者の研究という行動は、望むと望まざるとに拘わらず、社会における他者、科学者という同僚以外の他者の生活を、生から死までの全般に亘って、左右するような成果もしくは結果を導く可能性があることを認識し、負の影響を避けるためには、自分の好奇心を抑制し、研究の方向を制御することも、ときには自ら決断しなければならない、そういう倫理観が要求される存在として、科学者があらためて認識されるに至っている。
 少なくとも、専門家として、自らの研究成果の、社会に対する負の効果に対して、常に敏感であり、それを制御する方法の案出にも責任と義務を感じ、またそれを実践できるような、そういう研究者の倫理が、求められてくる。
 同時に専門家としての経験と知識が、常にそうした義務や責任の遂行に最適・最善である、とは言えない、という事情に鑑みれば、研究の世界で起こっていることを、常に一般の社会に対して開示、説明する義務もまた、そこに生まれてくる。一般の社会も、そこで起こっていることを充分に理解した上で、専門家と協力しながら、正の効果を増大させ、負の効果を減少させるために、パートナーとして働かなければならない。
 言い換えると、現代社会においては、一般の社会もまた、ある種の倫理的綱領のなかで、科学的研究を見つめ、協力し、共生していく途を探らなければならないのである。
(村上陽一郎の文による)