ネコヤナギ2 の山 3 月 1 週
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○自由な題名
○ひなまつり
★料理を作ったこと、初めてできたこと
○甘いおしるこを
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【1】甘いおしるこを食べているとだんだん甘さを感じなくなります。これは、味覚が疲労して甘みの感度が落ちたからだとも考えられます。途中に塩味の強い漬物を食べるのは、味の対比を作って、甘味の感覚を再覚醒させるためです。
【2】トイレの臭いは好ましいものではありません。しかし、しばらくすると、何も感じなくなって、平気で入っていられるようになります。嗅覚は非常に疲労が速いので、トイレに入っても臭いを気にせず、新聞を読んでいられるのです。【3】人間は一分間に二〇回も呼吸しているので、呼吸のたびごとにくさい臭いをかいでいたのではたまりません。感覚器はむしろ自らの疲労によって、脳の疲労を防いでいるのです。このことから考えてみると感覚が疲労しはじめているのに無理に同じ仕事を続けることは、あまりよいことだとは言えません。(中略)
【4】毎日同じ仕事を長く続けていると、それほど苦労しないのに職場での仕事が楽になり、上手になってきます。このような人は熟練工と言われ、大切にされます。人間国宝と言われる人も、その道の熟練工として、くり返しによって身についた能力が土台になっているのでしょう。
【5】同じ仕事を繰り返していると、「もう分かっている」とか「またか」という状況になるので、努力しないでも習慣的に行動ができるようになります。これが馴れの現象であり、頭を使わなくてもすむので、頭を経済的に働かせることができ、脳に余裕が生まれるのです。【6】脳を休ませることによって、いざというときにはいつでも仕事ができるように、待機しているのです。
さまざまな刺激にいちいち真正直に反応していたのでは、脳も忙しすぎて疲れてしまいます。【7】例えば、まじめな部下が細かいことまでいちいち報告してきたら、上司はそのために疲れて、適切な判断を下すことも困難になってしまいます。そこで感覚器の方も「またあの人がきたか、どうせ同じことを言うだけだ」と門前払い∵をしようとします。【8】はじめのうちはちょっと呼んでもすぐ返事をしていましたが、またかと感ずると返事もしなくなります。返事をしてもらうためには、もっと大きな声で呼ばなければなりません。すでに分かっている場合には、脳に負担をかけないために、むしろ常套的な行動をとってしまうのです。【9】こうした感覚感度をみるのに閾値(いきち)という言葉が使われます。閾(いきち)とは、越すか越さないかの境目の値(あたい)のことで、この値を越してきたものが反応に値する刺激の強さとなるのです。【0】
「馴れ」ている事柄に対しては誰もあまり気を使いません。これも神経系の疲労を防ぐ方法なのです。馴れていることはあえて努力しなくてもなしとげられるものなのです。
四季の変わり目には敏感だが、やがて真夏の暑さと、真冬の寒さに耐えられるようになることを、気候順化と言います。同じことが身体にも起こります。四季の変化に対してもはじめのうちは敏感ですが、徐々に感覚が鈍くなるのは、刺激に対する閾値(いきち)が上がったことを意味しています。
はじめて腕時計をはめたり入れ歯を入れたときは気になるものですが、やがて何も感じなくなります。これは触覚の馴れであり、やはり感覚疲労の効用と言えましょう。
(渡辺俊男『人はどうして疲れるのか』より)