ゼニゴケ2 の山 3 月 1 週
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○自由な題名
○ひなまつり
○知的所有権、ペット
○Bad luck always seems 英文のみのページ(翻訳用)
Bad luck always seems to strike at the worst possible moment. A man about to interview for his dream job gets stuck in traffic. A law student taking her final exam wakes up with a blinding headache. A runner twists his ankle minutes before a big race. Perfect examples of cruel fate.
Or are they? Psychologists who study unfortunate incidents like these now believe that in many instances, they may be carefully arranged schemes of the subconscious mind. People often engage in a form of self-defeating behaviour known as self-handicapping -- or, in simple terms, excuse-making. It's a simple process ゚ by taking on a heavy handicap, a person makes it more likely that he or she will fail at an endeavour. Though it seems like a crazy thing to do, it is actually a clever trick of the mind, one that sets up a difficult situation which allows a person to save face when he or she does fail.
A classic self-handicapper was the French chess champion Deschapelles, who lived during the 18th century. Deschapelles was a distinguished player who quickly became champion of his region. But when competition grew tougher, he adopted a new condition for all matches: he would compete only if his opponent would accept a certain advantage, increasing the chances that Deschapelles would lose. If he did lose, he could blame it on the other player's advantage and no one would know the true limits of his ability; but if he won against such odds, he would be all the more respected for his amazing talents.
Not surprisingly, the people most likely to become habitual excuse-makers are those too eager for success. Such people are so afraid of being labeled a failure at anything that they constantly develop one handicap or another in order to explain away failure. True, self-handicapping can be an effective way of coping with anxiety for success now and then, but, as researchers say, it makes you lose in the end. Over the long run, excuse-makers fail to live up to their true potential and lose the status they care so much about. And despite their protests to the contrary, they have only themselves to blame.

★(感)西洋近代における
 【1】西洋近代における一つの画期的な新しい出来事として、数学に基づく自然科学的方法による自然世界の発見と並んで、風景としての自然の発見と風景感情の覚醒ということがありました。【2】ところで日本はどうかと言いますと、幕末の開港――明治維新の変革と共に、西洋近代文化、特に近代のいろいろな精神文化の流入が開始するに及んで、これを文化受容していく過程で、日本においても全く新たに風景の発見、風景感情の覚醒が生起することになったのです。【3】具体的に言いますと西洋近代の精神文化の遺産であります文学・詩・西洋画(特に風景画)・建築・博物学・地理学・山岳登山・民衆芸術・思想(哲学)、更にそれら一切の文化の精神的基礎の一つであるプロテスタンティズムなどの日本への流入があって、【4】これらを受容する過程で初めて、自由な個人の覚醒、自然の美の世界への心的覚醒が日本人に生じ、これによって日本人は初めて、風景の発見・風景感情の覚醒へと導かれたのでした。
 【5】西洋近代の物質的文明の方面については、経済や自然科学の技術や制度など、すべての方面において、日本人は全面的に急速にそれらを摂取して自分のものとなし、物的・経済的・制度的方面において、いわゆる近代化を達成したのです。この点で日本人は極めて優秀な国民であることを証明したのでした。【6】ところが、これに対して、西洋近代の諸々の精神文化については、その本質的な部分にまで深く入って、それを理解したり受容したりするという次元になると、一般的な傾向として、そこではスレチガイになるか、拒否されるか、そうした反応が繰り返し起こるのです。【7】なぜこういうことが起こるのか、ということについてですが、このような現象につきましては、かつて戦前の日本(仙台)に教授として数年(一九三六〜四一年)滞在したことのあるレーヴィットの次のような鋭い日本人観察の言葉が、そのまま的中していると思うのです。【8】「大概の日本人の西洋に対する関係において聞き逃されない言外の響きは、ヨーロッパに対する拒絶である」。日本人は、「あらゆる領域で今やふたたび己れ自身になろうと欲する」。それは「今日の日本人の国粋主義的な願望」の現れなのであり、「日本の自己愛」∵の現れなのである、と。【9】またこうもレーヴイットは言っています。ギリシア人は、「自分の中から自由に歩みでること」ができた国民であって、まさにこのことによって「その根が異国のものであった一つの世界を己れの故郷」とすることができた、と。
 【0】ところで、日本人の物質主義的・現実主義的傾向によって西洋近代の物質文明と進歩信仰の一面的・情熱的摂取がなされたのに対して、西洋の精神文化の受容となると国粋主義的アレルギーの反応が起こる、という点を考えると、それだけに一層驚かされること、また感動深くあることは、明治時代の日本人の一部の人たちが初めて体験する西洋近代の精神文化の流入に直面した時、新鮮に驚き、自己を空しくして学びとろうと努力したことがあるという事実です。そしてそのことの成果として、精神文化の各方面においては、近代の自然科学的自然の発見とは異なるいま一つの自然の発見、自然における美の世界の発見、すなわち自然風景の発見に、導かれたということです。しかもこれは、明治の初期にすぐに発生する国粋主義的・日本主義的反動の層の厚い流れの中で、その流れに抗しながら生じたのでした。ですからそのことは文化史的、思想史的に極めて意義深き出来事だったと言えるでしょう。

(内田芳明氏の文章による)