ライラック の山 4 月 1 週
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○自由な題名
○心
★ゴミ、長所と短所

○学問は世の役に立つかと
【長文が二つある場合、音読の練習はどちらか一つで可。】
 【1】生物の遺伝的複製技術という意味でのクローニングは、衝撃ではない。誰でも知っている、植物のいちばん簡単なクローニングは、「さし木」というかたちである。動物の場合は、さし木というわけにはいかないが、体の一部分から全体が再生するものはいる。【2】人間も含めた脊椎動物にとって、最も身近なクローニングは、一卵性双生児である。それほど頻繁に起こるわけではないが、しかしひとつの受精卵に由来し、しかも同一の子宮で育つ一卵性双生児が存在することは、古くから知られている自然界の出来事である。【3】この点では、体細胞の核移植により作られ、母親とは別の胎内で育てられてできている羊や牛のクローンなどよりも「完璧な」クローンであると言える。
 【4】羊や牛のクローニングが社会的に衝撃を与えたのは、言うまでもなく動物の核移植クローニングという技術が、人間にも応用されるのではないか、そして、ひとりの人間から、大量にコピーが作られるのではないかという憶測と危惧のためである。【5】同じ遺伝子だから同じ人格が作られるという憶測である。一卵性双生児でさえ、それぞれに独立した別個の人格を認めていることを考えれば、このような遺伝子決定論が間違いであることは明白である。【6】にもかかわらず、人間の大量コピーというイメージが一般化したのは、特に合衆国において、遺伝子を絶対視し、環境因を軽視する傾向があるためでもある。【7】このことをスティーヴン・J・グールドは、「生まれ」に気をとられるばかりに「育ち」の重要さを見落としている社会の危険性として早々と指摘していた。
 【8】「ドリー」のニュースをはじめ、その後各国で報じられるクローニング成功のニュースに接するたびに、わたしの脳裏に浮かびあがる「複製」のイメージがある。一九九三年(平成五年)秋、伊勢神宮で見た光景である。【9】この年は二十年に一度の「式年遷宮」の年にあたるが、そのクライマックスである「遷御(せんぎょ)」の日、内宮のなかを撮影しながら、日の落ちる夕刻まで歩いたことがあった。【0】二十年ごとに御正殿(ごしょうでん)をはじめ、神宮すべての神殿から神宝∵までを新しく作り替える「式年遷宮」は、簡単に言えば神々のお引越しであるが、わたしには、それが形態的には一種の複製の儀式のように見えたのである。建築的には耐用年数にいたらない二十年というサイクルで、いっさいの神殿がまったく同じ技法と形態のもとに作り替えられる理由については、いくつもの説があるが、現実的な意味で説得力があるのは、「唯一神明造」と呼ばれる建築様式の知識と技法を伝承してゆくための期間として、二十年が適当であったのではないかというものである。確かに平均寿命が現在よりもずっと短かった時代に、親から子へ、複雑で精緻を極めた建築技法を伝えるには、十年では短かすぎ、かといって三十年では長すぎたのかもしれない。いずれにしても、「式年遷宮」という儀式の二十年という社会的時間が、世代間の知識の伝承という時間に関係しているという説は、できたばかりの白木の神殿をレンズ越しに眺めながら、すんなりと受け入れることができたのだった。(中略)
 「式年遷宮」における広い意味での様式の「複製」は、その背後に人生と社会が取りもつ「時間性」があるが、核移植クローニングによる人間の「複製」には、この「時間性」が欠落している。クローンである親から生まれた再クローンの牛が誕生している今日、クローニングを重ねるごとに、細胞が若返る可能性があるという研究報告さえ出てきているが、結果の当否は別にして、現在わたしたちが目の当たりにしているクローニングとは、これまでの生物が性を介して営んできた「時間性」に、根本的な変更を要請するものではないだろうか。クローニングの登場によって「適齢期」という言葉が死語になるとは思わないが、しかしおしなべて生物は、「しかるべきときに、しかるべきことを」しながら世代を継いできたのだ。それは「しかるべきときに、しかるべきことを」という性の規則を、時間性として社会に組み込んできた人間にとって、「適齢」の意味を改めて問い直させるものではないかと思う。

 (港千尋の文章)∵
 【1】学問は世の役に立つかと考えるとき、よく私が思い浮かべるのは、天動説がくつがえされ、地動説が確立されるまでのヨーロッパの学者たちの探究です。地動説の萌芽は、すでに十四世紀にノルマンディの学者、ニコラ・オーレムの書いたものにあったそうですが、【2】十六世紀に入って科学的にこれを一歩進めたのは、ポーランドのコペルニクスで、けれどもキリスト教会の取り締まりを恐れて、七十歳の死の数日前までその論文を発表しなかったといわれています。【3】そしてドイツのケプラー、イタリアのガリレイなどがこの考えを継承してより実証に近づけますが、教会からは弾圧を受け続け、一六一六年には、教皇パウロ五世は地動説を聖書に反するという理由で、断罪しています。
 【4】いうまでもなく、太陽が動くか地球が動くかは、私たちの日常生活にとって、まさにどうでもいいことです。今でも人類の圧倒的大部分は、お日様は東から昇って西へ沈むと思っており、生活感覚としてそれはまったく正しい。【5】天動説、つまり地球中心主義をくつがえすために、教会の弾圧に耐え、ずいぶんお金も使いながら、大勢の学者が執念深く追究してきたことは、直接にはまったく「世の役に立たない」ことです。
 【6】けれども、地動説が確立されたことで、人間の世界に対する認識が根本的に改められ、宇宙科学をはじめとする科学や技術がどれだけ変わったか、その結果、地動説がどれだけ「人間の役に立っている」かは、改めていうまでもないでしょう。
 【7】英語で学者のことをスカラー、学校のことをスクールというのはご存じの通りですが、これはギリシャ語の「スコレー」「閑(ひま)」という言葉に由来しています。つまり、学者というのは元来「閑人」であり、学問は「閑人」のすることなのです。
 【8】小学校の就学率が一〇パーセントにも満たない、私が住み込み調査をしていた頃の西アフリカ内陸社会の村では、家族にとって大事な労働力である子どもが、畑仕事の手伝いもしないで、毎日朝から夕方まで学校に行っているなどというのは、とんでもないことで、学校はまさに「スコレー」の場なのだということがよく分かりました。【9】学校で教わることも、村の生活にとってすぐの役には立たない、公用語のフランス語の読み書きとか、それを使って習う、∵算数とか、歴史とか、地理です。日本でも、多くの人々の生活が貧しかった頃には、事情は同じでした。【0】それなら、家の仕事を手伝わずに「スコレー」の場である学校で、すぐ役に立たないことを勉強するのは無意味かといえば、決してそうではなく、そのことを理解して、家が貧しくても無理をして子どもを学校に行かせた親は、日本にもいたわけですし、アフリカの村にだっているのです。
 それに、何の腹の足しにもならない知的好奇心を満たすという、まさに「スコレー」と結びついた人間の営みは、「ヒトという、この不思議な生物」の、ヒト筋縄では片づかない本質をなすもので、それはアフリカの村の、生活に恵まれない人々にとっても同じです。
 ただ、だからといって、役に立たないことに甘んじていて良いとは、私はまったく考えません。たとえ役に立ち方が迂遠だといっても、学者が現実の社会にいま起こっていることに常に生き生きとした関心をもち、人々が求めていることに共感するのは、現地調査による体験知を重要な拠り所とする人類学者にとって、不可欠のことです。とくに、人間社会の草の根に生きる人々と共感をもった交わりをもつこと、そのことを通して、たとえそれが極めて長い迂回であっても、究極には役に立つことにつながる学問を、私たちはすることができるのだと思います。

(川田順造「人類の地平から」より)