ワタスゲ2 の山 4 月 1 週
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○自由な題名
○言語と映像
★疑問を持つことの大切さ、ゴミ
○田中美知太郎さんが
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【1】田中美知太郎さんがプラトンの事を書いていたのを、いつか読んで大変面白いと思った事がありますが、プラトンは書物というものをはっきり軽蔑していたそうです。【2】彼の考えによれば、書物を何度開けてみたって、同じ言葉が書いてある、一向面白くもないではないか、人間に向って質問すれば返事をするが、書物は絵に描いた馬の様に、いつも同じ顔をして黙っている。人を見て法を説けという事があるが、書物は人を見るわけにはいかない。【3】だからそれをいい事にして、馬鹿者どもは、生齧りの知識を振り廻して得意にもなるのである。プラトンは、そういう考えを持っていたから、書くという事を重んじなかった。書く事は文士に任せて置けばよい。哲学者には、もっと大きな仕事がある。【4】人生の大事とは、物事を辛抱強く吟味する人が、生活の裡に、忽然と悟るていのものであるから、たやすく言葉には現せぬものだ、ましてこれを書き上げて書物という様な人に誤解されやすいものにして置くという様な事は、真っ平である。【5】そういう意味の事を、彼は、その信ずべき書簡で言っているそうです。従って彼によれば、ソクラテスがやった様に、生きた人間が出会って互いに全人格を賭して問答をするという事が、真智(しんち)を得る道だったのです。【6】そういう次第であってみれば、今日残っている彼の全集は、彼の余技だったという事になる。彼のアカデミアに於ける本当の仕事は、皆消えてなくなって了(しま)ったという事になる。そこで、プラトン研究者の立場というものは、甚だ妙な事になる、と田中氏は言うのです。【7】プラトンは、書物で本心を明かさなかったのだから、彼自ら哲学の第一義と考えていたものを、彼がどうでもいいと思っていた彼の著作の片言隻句からスパイしなければならぬ事情にあると言うのです。【8】今日の哲学者達は、哲学の第一義を書物によって現し(ママ)、スパイの来るのを待っている。プラトンは、書物は生きた人間の影に過ぎないと考えていたが、今日の著作者達は、影の工夫に生活を賭している。習慣は変って来る。【9】ただ、人生の大事には汲み尽せないものがあるという事だけが変らないのかも知れませぬ。∵
文学者は、皆(みな)口語体でものを書く様になったので、書く事と喋る事との区別が曖昧になったが、曖昧になっただけです。両者が歩み寄って来た様に思うのも外見に過ぎない。【0】あれが文学で、あれが文章なら、自分にも書けそうだという人が増えた、文学を志望する事がやさしくなった、それだけの話で、とるに足らぬ事だ。それよりもよく考えてみると、実は、文学者にとって喋る事と書く事とが、今日の様に離れ離れになって了(しま)った事はないという事実に注意すべきだと思います。昔、歌われる為、語られる為の台本だった書物は、印刷され定価がつけられて、世間にばらまかれれば、これを書いた人間ももうどうしようもないという事になりました。今日の様な大散文時代は、印刷術の進歩と離しては考えられない、と言う事は、ただ表面的な事ではなく、書く人も、印刷という言語伝達上の技術の変革とともに歩調を合わせて書かざるを得なくなったという意味です。昔は、名文と言えば朗々誦すべきものだったが、印刷の進歩は、文章からリズムを奪い、文章は沈黙して了(しま)ったと言えましょう。散文が詩を逃れると、詩も亦散文に近づいて来た。今日、電車の中で、岩波文庫版で金槐集(きんかいしゅう)を読む人の、考えながら感じている詩と、愛人の声は勿論その筆跡まで感じて、喜び或いは悲しむ昔の人の詩とはなんという違いでしょう。散文は、人の感覚に直接訴える場合に生ずる不自由を捨てて、表現上の大きな自由を得ました。この言わば肉体を放棄した精神の自由が、甚だ不安定なものである事は、散文が、自分を強制する事も、読者を強制する事も、自ら進んで捨てた以上仕方がない事でしょう。いい散文は、決して人の弱味につけ込みはしないし、人を酔(よ)わせもしない。読者は覚めていれば覚めている程いいと言うでしょう。優れた散文に、もし感動があるとすれば、それは、認識や自覚のもたらす感動だと思います。
(小林秀雄『考えるヒント』)