ヤマブキ の山 4 月 1 週
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○自由な題名
○疑問を持つことの大切さ
★長所と短所、あだなはよいか
○そうしてみると、価値の多様化と
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【長文が二つある場合、音読の練習はどちらか一つで可。】
【1】寺田さんは有名な物理学者であるが、その研究の特徴は、日常身辺にありふれた事柄、具体的現実として我々の周囲に手近に見られるような事実の中に、本当に研究すべき問題を見出した点にあるという。(中略)
【2】周知の通り、林檎が樹から落ちるのを不思議に感じて問題としたことが、近代物理学への重大貢献となった。あたり前の現象として人々が不思議がらない事柄のうちに不思議を見出すのが、法則発見の第一歩なのである。【3】寺田さんは最も日常的な事柄のうちに無限に多くの不思議を見出した。我々は寺田さんの随筆を読むことにより寺田さんの目をもって身辺を見廻すことができる。そのとき我々の世界は実に不思議に充ちた世界になる。
【4】夏の夕暮れ、ややほの暗くなるころに、月見草や烏瓜の花がはらはらと花びらを開くのは、我々の見なれていることである。しかしそれがいかに不思議な現象であるかは気づかないでいる。寺田さんはそれをはっきりと教えてくれる。【5】あるいは鳶が空を舞いながら餌を探している。我々はその鳶がどうして餌を探し得るかを疑問としたことがない。寺田さんはそこにも問題の在り場所を教え、その解き方を暗示してくれる。【6】そういう仕方で目の錯覚、物忌み、嗜虐性、喫煙欲というような事柄へも連れて行かれれば、また地図や映画や文芸などの深い意味をも教えられる。
【7】我々はそれほどの不思議、それほどの意味を持ったものに日常触れていながら、それを全然感得しないでいたのである。寺田さんはこの色盲、この不感症を療治してくれる。【8】この療治を受けたものにとっては、日常身辺の世界が全然新しい光をもって輝き出すであろう。
この寺田さんから次のような言葉を聞くと、まことにもっともに思われるのである。∵
【9】「西洋の学者の掘り散らした跡へ遙々(はるばる)遅ればせに鉱石のかけらを捜しに行くのもいいが、我々の脚元に埋(う)もれてゐる宝を忘れてはならないと思ふ。」
寺田さんはその「我々の脚元に埋(う)もれてゐる宝」を幾つか掘り出してくれた人である。【0】
(和辻(わつじ)哲郎)
∵
【1】そうしてみると、価値の多様化と画一化とは決して矛盾したことではなくて、同じ現象の両面のように思えてくる。その根本にはやはり、普遍的価値の崩壊がある。普遍的価値が崩壊したのは崩壊しただけの歴史的理由がある。【2】ある一つの普遍的価値を信じた人たちが、それと矛盾し、対立する価値を信じている人たちを排撃し、差別して残虐な行為を繰り返してきたということがあって、ある日ふと気づいてみると、そんなことをしてまで守らなければならないほどの絶対性はどのような「普遍的」価値にもないことがわかってきたのである。
【3】そこで、普遍的価値というものは存在しないのだということになった。すべては相対的であって、どのような価値を信じていようが間違っているとは言えず、それぞれが勝手に信じていればいいのだということになった。
【4】そこから、価値の多様化ということが出てくるわけであるが、悲しいかな、人間は何らかの価値を信じ、それを自我の支えにしなくては生きてゆけず、しかも自分の信じる価値はできるかぎり多くの人びとに信じられているものであることを望むので、勝手にどのような価値を信じてもいいと言われても、それほど自由の幅はないのである。【5】そして、普遍的価値は崩壊しているわけだから、何らかの価値を信じていても、それが普遍的だと思って信じていたときのような自信はもてず、ひょっとしてとんでもないことを信じてしまっているのではないかとの疑いを拭い切れない。【6】そこで、他の人たちが信じているように見える価値を、自分は確信をもてないままに、一応今のところ信じておくといったことになる。他の人たちが信じているように見える価値を自分も信じるという人が多くなれば、必然的に、価値は画一化されるわけである。
【7】したがって、価値が多様化されたと言っても、個人が選択できる価値の幅が広く豊かになり、無限に多様な生き方の可能性が開かれているということではなくて、ある価値を信じることによって個人が得ることができるものはむしろ貧しくなっており、【8】また、価値が画一化されたと言っても、多くの人が一つの共通の価値を信じて連帯するということにはならなくて、つまり、同じ価値を信じていることが人と人とを結びつけるわけではなくて、ばらばらに同じ価値を信じているといった具合になっている。∵
【9】わたしは現代を「嫉妬とはしゃぎの時代」だと言っているが、普遍的価値が崩壊すると、そこに自我の安定した基盤を見出せないので、人びとははしゃいで目立つ以外に自分の存在を確認する方法がなくなり、また、同じ理由で他の人のことが絶えず気になり、嫉妬に狂わざるを得ない。【0】
この嫉妬とはしゃぎということと、価値の多様化または画一化とはつながっている。目立つためには、他と異なっていなければならず、人びとは多様な価値をそれぞれに表現し、「個性」を打ち出して目立とうとする。しかし、他方では価値は画一化されているので、優劣、成否を計る一本の尺度しかなく、すべての人が同じ尺度のもとで序列をつけられ、劣位におかれた者は同じ尺度の上で上昇しないかぎり、いつまでも劣者である。これでは、同じ尺度の上で優位にある者に嫉妬し、彼を引きずりおろしたくなるのは避けがたい。
これらのことは現代の時代精神とでも言うべきことであろう。こういう傾向はあらゆる面に現れている。たとえば、若者が親の反対を押し切り、苦難を乗り越えてついに結ばれるといったいわゆる大恋愛をしなくなった。これは、恋愛の永遠性、唯一性、絶対性といったことが信じられなくなった以上、ある者が、おれは大恋愛をしてやろうとがんばったところで、どうにもなるものではない。職業選択においても、一つのことに一生を賭けるということをしなくなった。
(岸田秀(しゅう)の文章による)