ハギ2 の山 5 月 1 週
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○自由な題名
○私のにがてな食べ物、家族で遊んだこと
★集めているもの、大笑いしたこと
○僕たちは人間として(感)
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【1】僕たちは人間として生きてゆく途中で、子供は子供なりに、また大人は大人なりに、いろいろ悲しいことや、つらいことや、苦しいことに出会う。もちろん、それは誰にとっても、決して望ましいことではない。【2】しかしこうして悲しいことや、つらいことや、苦しいことに出会うおかげで、僕たちは、本来人間がどういうものであるか、ということを知るんだ。
心に感じる苦しみや痛さだけではない。【3】からだにじかに感じる痛さや苦しさというものが、やはり、同じような意味をもっている。健康で、からだになんの故障も感じなければ、僕たちは、心臓とか胃とか腸とか、いろいろな内臓がからだの中にあって、平生大事な役割をつとめていてくれるのに、それをほとんど忘れて暮らしている。【4】ところが、からだに故障が出来て、動悸がはげしくなるとか、おなかが痛み出すとかすると、はじめて僕たちは、自分の内臓のことを考え、からだに故障の出来たことを知る。【5】からだに痛みを感じたり、苦しくなったりするのは故障が出来たからだけれど、逆に、僕たちがそれに気づくのは、苦痛のおかげなのだ。
【6】苦痛を感じ、それによってからだの故障を知るということは、からだが正常な状態にいないということを、苦痛が僕たちに知らせてくれるということだ。【7】もし、からだに故障が出来ているのに、なんにも苦痛がないとしたら、僕たちはそのことに気づかないで、場合によっては、命をも失ってしまうかも知れない。だからからだの痛みは、誰だって御免こうむりたいものに相違ないけれど、この意味では、僕たちにとってありがたいもの、なくてはならないものなんだ。【8】それによって僕たちは、自分のからだに故障の生じたことを知り、同時にまた、人間のからだが、本来どういう状態にあるのが本当か。そのこともはっきりと知る。
【9】同じように、心に感じる苦しみやつらさは人間が人間として正常な状態にいないことから生じて、そのことを僕たちに知らせてくれるものだ。そして僕たちは、その苦痛のおかげで、人間が本来ど∵ういうものであるべきかということを、しっかりと心に捕らえることが出来る。【0】
(吉野源三郎『君たちはどう生きるか』より)