タラ2 の山 5 月 1 週
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○自由な題名
○星空を見たこと、家族で遊んだこと
★家族でスポーツをしたこと、お手伝い

○ちえくらべ(感)
 ちえくらべ
【1】「人々をすくうには、くさり戸(地名)の大岩にトンネルをほるしかない。」
 禅海はそう思いました。村々をまわって、村の人たちに協力してくれるようたのみましたが、だれも本気にしてはくれません。
「あの大岩にあなをあけるなんて、できるはずがない。」
【2】「あのぼうさんは大ぼらふきだ。」
「気がへんだ。」
と、村の人たちはわらうばかりでした。
「しかたがない。それならば一人でほっていこう。」と、禅海は心にきめました。石工(いしく)の使う「のみ」と「つち」を手にいれると、力いっぱいつちをふりました。【3】岩はほんのひとかけら、かけただけでした。朝から晩まで禅海は、つちをふりました。くる日もくる日も岩をきざみつづけました。雨の日も風の日も手を休めませんでした。村の人たちはわらいました。
「いよいよほんとうに気がくるった。」
 【4】一年がたちました。岩にはほんのわずかのくぼみができただけでした。村の人たちはまたわらいました。
「一年間ほりつづけて、たったあれだけか。」
 それでも禅海はやめませんでした。くだかれる岩はほんのひとかけらです。【5】しかし、心をこめてきざんでいけば、岩もまたかくじつに、それにこたえてくれるのです。一生かかるかもしれません。完成しないで死んでしまうかもしれません。それでもじぶんはほりつづけるのだと、禅海はかたく決心していました。
 【6】三年たち、四年たちました。人々はもうわらいませんでした。あなの入り口に、そっと食事をおいてくれるようになりました。しかしそれで、トンネルができようとは、だれも信じませんでした。大岩の長さは百メートル近くもあります。【7】それなのにほったあなは、まだ数メートルです。「きのどくなぼうさんだ。」と、人々は思ったのです。
 十年たちました。二十年になりました。
 禅海はねるまもおしんで、つちをふるいつづけました。暗い岩の中ですわりつづけているので、目も見えなくなりました。【8】足もたたなくなりました。着物はぼろぼろになり、からだはほねと皮ばかりにやせこけて人間かどうかわからないようなすがたになりまし∵た。けれど、どうでしょう。トンネルは、もう半分ほどにほりすすんでいたのです。
 【9】人々の目は、おどろきにかわっていました。それまで、あざわらっていたことを深くはじるようになっていました。人々は考えこんでしまったのです。「たった一人でも、あれだけのことができるのだ。みんなで力をあわせてほっていけば、ほんとうにトンネルができるかもしれないぞ。」と。
 【0】こうしていつか人々も協力するようになりました。お金をだしあって石工たちをよびあつめ、おおぜいで岩にとりくんでいったのです。そしてある日のことです。まっ暗な岩あなに、とつぜん光がさしこみました。トンネルがぬけたのです。岩にぽっかりとあながあき、山国川(やまくにがわ)の流れが、むこう側に見えました。それは、禅海がほりはじめてから三十年目のことでした。
 禅海が、のみ一本でつくったこのトンネルは、「青ノ洞門」とよばれています。長さ八十五メートル、はば三・六メートル、高さ二・七メートルのりっぱなトンネルでした。禅海は死ぬと、土地の人たちに手あつくほうむられました。

 「道は生きている」(富山和子)講談社青い鳥文庫より