ミズキ2 の山 7 月 1 週
◆▲をクリックすると長文だけを表示します。ルビ付き表示

○自由な題名
○生き物の命の大切さ
★テストはよいか、うれしかったプレゼント
○日の丸君が代、経験と知識、規則と自由
○研究者をめざす多くの人は
 【1】研究者をめざす多くの人は、「何を研究するか」(what)が一番大切だと思うかもしれないが、その前に「どのように研究するか」(how)という問題意識の方がより重要だと私は考える。
 【2】科学的な発想や思考、問題を見つけるセンスから始まって、理論的な手法や実験的な手技に見られる基本的な勘所は、すべての分野に共通している。【3】その意味で、「どのように研究するか」という考え方や方法論をしっかり身につけておけば、どんな分野の研究でもできることになる。
 【4】逆に、「何を研究するか」のみを重視すると、ある分野の知識を蓄えたあとで研究分野を変えた時に、一からやり直しになるかのような気がしてしまいがちである。【5】その結果、同じ分野に安住することになり、新しい発想や異分野からの知見を取り入れることに、二の足を踏むことになりかねない。だから、まず「どのように研究するか」を十分に体得した上で、「何を研究するか」を考えた方が良い。
 【6】大学や大学院で始めた研究が、将来のライフワークとなる研究分野と一致したとしたら、それはとても幸運なことだが、そうでなくともがっかりすることはない。【7】その過程で、「どのように研究するか」をまなぶことができたとしたら、それは研究者の卵として最大の財産になるに違いない。
 【8】「どのように研究するか」は、言い換えれば模倣の段階である。そして、「何を研究するか」は、創造の段階に対応する。すでに述べたように、この順番が大切だ。「一に模倣、二に創造」である。
 【9】幅広く科学の知識を吸収し、研究の仕方や考え方を確実に模倣した上で、専門的な分野で創造的な研究に進むことが望ましい。ただし、模倣するにしても、受身になって情報に触れるだけでは身につかない。【0】自分で吸収しやすいようにかみ砕く必要がある。そのためには、やはり自分なりに考えなくてはならない。
 大学で講義の内容を一方的に説明するのでは学生を受身にさせているだけなので、私はできるだけ学生に質問を投げかけて、講義中に考えてもらうようにしている。ところが、学生に質問すると、オウム返しに同じ質問が返ってくることがしばしばある。
 たとえば、「フェヒナーの法則といって、感覚として感じる大きさは刺激の強さの対数(注・累乗の逆算法のひとつ。例えば一〇∵の二乗=一〇〇なら二)に比例することが知られていますが、これはどんなことに役立っていますか?」と質問すると、「それって、フェヒナーの法則がどんなことに役立つかってことですか?」と逆に切り返される。ほとんど反射的に質問の主導権を奪っておいて、それでいて考えようとしているようには見えないのがとても不思議である。質問を確認して質問者にボールを投げ返したら、あとはただ相手の出方を待つだけだ。実際、「そう質問したのですよ」と言うと、判で押したように黙りこくってしまう。答えを述べる時でも、「○○じゃないんですか?」と質問調で返ってくることがあまりに多い。ずいぶんと不作法なやりとりに聞こえるだろうが、これは今時の風潮である。
 いつも受身で待っているだけの模倣では、その内容を良く吸収できない。オウムが内容をわからずに同じフレーズ(句)をくり返すようなものである。反射的なオウム返しはやめて、知恵をはたらかせるべきだ。
 「光の強さや音の大きさに感覚の大きさが比例するのでは、すぐに飽和してしまって環境にある広い範囲の刺激に対して対応できません。対数に比例することで、動物が環境に適応するのに役立っていると考えます」というように、自分の考えとしてはっきり述べるようにしたい。そうすれば、新しい知識が確実に自分のものになる。

(酒井邦嘉()『科学者という仕事』による)