黄ウツギ の山 11 月 1 週
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○自由な題名
◎坂
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★二十七歳のときに(感)
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二十七歳のときに京セラという会社をつくってもらって、ファインセラミックスの研究が次から次へと成功し、会社がどんどん大きくなっていきました。
私が開発したセラミック・パッケージという技術は、現在世界中のコンピュータの心臓部に使われています。これがなければ、現代のパソコンもコンピュータもなかった、といわれるほど重要なものですが、それはこの私がつくったのだという自負心が出て、慢心しかけていたときでした。
そのときにハッと気づいたのが、みな同じ人間であるはずなのに、なぜ私だけが才能に恵まれたのだろうということでした。
そしてそれはたまたま私がこの世に出てくるときに、宇宙の創造主が才能を与えてくれただけであって、何も稲盛和夫でなくてもよかったのだということに気づいたのです。
京セラも第二電電も、確かに現代という時代に必要だったと思います。しかしその会社をつくるのは何も私である必要はなかった。一億二千万という人がいる中で、私と同じ役割をする人がいれば、その人がつくっても構わないわけです。
社会を一つのドラマと考えれば、そこには主役を演ずる人も必要ですが、入り口で切符を売る人も必要です。裏では大道具小道具、主役のメイクをする人、衣装を縫う人も必要です。仕出しの弁当を注文したり、みんなの世話をする人も必要です。
いろんな人がいて初めてドラマが構成されるわけですから、私にはたまたま主役を演ずる役割が当たっただけで、もし別の人に当たっていても、人生のドラマは構成できるはずだ、と私は気がついたのです。
人生のドラマという作品をつくるために、宇宙の創造主がそれぞれの人にそれぞれの任務にふさわしい才能を与えてくれて、この世に出してくれたわけですから、主役だからといって、それをあたかも自分だけの才能のように思い、自分だけが利用してお金持ちになり、栄耀(えいよう)栄華を極めていけばいいというものではない、ということに気がついたのです。
そのことに気がついたお蔭で、二十七歳で会社をつくってから今日まで、三十八年間をなんとかやってくることができたのだと思います。もし私が自分自身を戒める謙虚さをなくし、慢心をしていたら、今日の私は存在しなかっただろうと思います。
そのことを思うにつけ、政官財界で、私などより遥かに優秀で、立派な仕事をしてこられた方々が、没落していかれる様子を見ています。
そのような人々が陰徳を積む、積善をするということによって人生は変わるのだということ、あるいは「只謙のみ福を受く」ということを知っておられたのであれば、いまでも立派に世のため人のために尽くしておられただろうと思うのです。
(「致知」九十七年六月号 稲盛和夫氏の文章より)