ペンペングサ の山 1 月 2 週
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○自由な題名
○新学期、冬休みの思い出

○In the second half of 英文のみのページ(翻訳用)
In the second half of the twentieth century, oral history has had a significant impact upon contemporary history as practised in many countries. While interviews with members of social and political elites have expanded the range of existing documentary sources, the most distinctive contribution of oral history is that it includes within the historical record the experiences and perspectives of groups of people who might otherwise have been 'hidden from history'. Although such people may in the past have been written about by social observers or in official documents, their own voices have only rarely been preserved -- usually in the form of personal papers or pieces of autobiographical writing. Through oral history interviews, working-class men and women, and members of cultural minorities, among others, have added their experiences to the historical record, and offered their own interpretations of history. Moreover, interviews have documented particular aspects of historical experience which tend to be missing from other sources, such as personal relations, domestic work or family life, and they have resonated with the subjective or personal meanings of lived experience.
0ral history has challenged the historical enterprise in other ways. Oral historians have had to develop skills required for the creation of recorded interviews, and to learn from different academic fields -- including sociology, anthropology, psychology and linguistics -- to better understand the narratives of memory. Most significantly, oral history is based on an active human relationship between historians and their sources, which can transform the practice of history in several ways. The narrator not only recalls the past but also asserts his or her interpretation of that past; and thus, in participatory oral history projects, the interviewee can be a historian as well as the source. Moreover, for some who practise it, oral history has gone beyond just making histories. In certain projects a primary aim has been the empowerment of individuals or social groups through the process of remembering and reinterpreting the past.

★私が、文章を書くことで(感)
 【1】私が、文章を書くことでやっと生活出来るようになった頃、言葉遣いについて時折注意して下さる二、三の先輩があった。多忙な方達であるから、私の文章など目にとまる機会はなくても当然、もしも目にとまれば、それだけ僥倖というものだと思っていた。
 【2】一夕(いっせき)、外で集まりがあった。
 ウイスキーグラスを手にして近くに立っていられた、先輩のある男性作家に名前を呼ばれた。この間、偶然、新幹線の中であなたのもの読んだよ。おもしろかった。ただ、あれはちょっとおかしいんじゃないかなあ、と言って、ある用語のことを指摘された。
 【3】また、女性のある先輩作家は、用件の電話を下さった折、話が終わってから、そうそう言わないでもいいことかもしれないけれど、あの文章のあそこのところで、ああ書いていられたのには、わたくし、ちょっとひっかかったんですよ。【4】あの言葉は、私ならこういう時に使うんです。でもきっと、お考えがあってのことだと思いますからお気になさらないでね。
 若い間は自惚れが強い。 我も強い。
 それでも、いずれ劣らぬ大先輩の言葉なので衝撃は強かった。【5】風呂敷で頸(くび)から上をすっぽり包んでしまいたい気持ちになったのは、かなり時が経ってからだった。
 読んでいて下さったからこそのご注意である。知らん顔されていてもすむ。それにお二方とも注意だけでなくほめ言葉も下さった。【6】大安売りのほめ言葉だったに違いないが、あそこがいけないというだけの注意ではなかった。酔いのまぎれにというかたちの気遣いもあとになって分かった。何事に対しても、己れの限界の自覚を失った時にはもう、書き手としての終わりのない堕落が始まっているのだろうとつくづく思うようになった。【7】けれども文章は又、決して謙虚な気持ちだけで書けるものでもない。勢い、が必要である。四苦八苦で筆が渋滞している時ではなく、憑かれたような状態になってはじめて筆を運ばされる時のことを考えると、これは無意識の自惚れというほかはない。∵
 【8】反省と、訓練、謙虚さと、自惚れ、そのどれが欠けてもいけないと思うのはこの期に及んでの認識で、経験の浅いうちはどうしても自惚れが先行する。そういう者に対して、あえて苦言を呈し、叱って下さった方々をかえりみて有難く思う気持ちは強くなるばかりである。
 【9】所詮は孤独な仕事、好きなようにやればいいさというのも一つの生き方であろう。しかし、気づいたことは、自分達の責任において叱っておいてやらなければ、と思って下さったのかどうか、とにかく私は、この種のご注意に対して、今は感謝だけでなく、生き方に対しても敬意を抱くようになっている。
 【0】私どもは、日頃いとも気易く日本語、日本語と言っているが、さてその成り立ちを辿ってみると、口ごもりたくなるようなことが少なくない。厄介な、複雑な成り立ちの歴史をもっているのが、毎日使っている、他のどこの国の言葉でもない日本の国の言葉である。
 その言葉を、出来るだけいい加減にではなく運用しようというのは、出来るだけいい加減にではなく物を見よう、物と自分とを関係づけようという生き方のあらわれにほかならず、そうであればこそ言葉遣いに対する注意は、先に生きた大人がまず子供に対して行うべき大切な義務の一つかと思う。
 教師が生徒に対する以前に、親が子に対して。ということは、日常の言葉遣いをまだよくは知らない者に対しては、知っている者が教えるのが至当(しとう)だと思うからで、知らない者はほうっておいて、自分で知るようになるまで待つというのは、事によっては通用するかもしれないけれど、怠惰の正当化にもなりかねない。
 大学生くらいになると、事情は大分違ってくるが、「怒る」先生と、「叱る」先生を、子供は存外鋭く見抜くものである。こと小学校、中学校、高等学校の国語教育に関しては、自覚と誇りをもって「叱る」先生は、多くてもいいと私は思う。
 生徒を怒るのはいたって簡単だが、日常の言葉遣いについて、は∵っきりした自覚と誇りをもって生徒を叱るために、教師自身の言語生活の訓練と充実が前提になる。教師の知識だけに頼っていても、教師の言語感覚、言葉遣いの好みだけに頼っていてもいけないのが国語教育のはずだから、叱る以上は、教師にも覚悟がいる。
 表現の自由が認められている国は有難い。けれども、本当の自由の行使が出来るのは、不自由を経験している者だろう。自由を知らない者には、自由を知っている者が教える義務はないのか。教えられて学ぶことの大事を、教師はこれまた、自覚と誇りをもって教えていいのではないか。教師と生徒が、友達のような関係だけでは困る。
 まともに人格もそなわっていないうちから、ひとかどの人格扱いをするのが果たしていいことなのかどうか、責任回避の人格尊重や放任は考えものである。
 一人の人間を駄目にしてしまうのはわけのないことだ。好きなものを食べたいだけ食べさせ、眠りたいだけ眠らせる生活を続けさせていればよいと言った人がいる。
 国を亡ぼすのは武力だけではない。教育の大事ということを切実に思う機会が増えている。数日前の新聞の投書欄に、「手抜きのつけ」という見出しがあった。一見しただけで、忸怩たるものをおぼえた。内容は読んでいないのに、思い当たることはあまりに多かった。今の若い者は、と言う前に、そんな若い者に誰がした、という声を聞かなければならないと思った。言い逃れや他人の批判ですまされるうちはいい。大きな変化は、ある日突然には起こらないようである。

(竹西寛子『朝の公園』による)