ペンペングサ2 の山 1 月 2 週
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○自由な題名
○新学期、冬休みの思い出

○In the second half of 英文のみのページ(翻訳用)
In the second half of the twentieth century, oral history has had a significant impact upon contemporary history as practised in many countries. While interviews with members of social and political elites have expanded the range of existing documentary sources, the most distinctive contribution of oral history is that it includes within the historical record the experiences and perspectives of groups of people who might otherwise have been 'hidden from history'. Although such people may in the past have been written about by social observers or in official documents, their own voices have only rarely been preserved -- usually in the form of personal papers or pieces of autobiographical writing. Through oral history interviews, working-class men and women, and members of cultural minorities, among others, have added their experiences to the historical record, and offered their own interpretations of history. Moreover, interviews have documented particular aspects of historical experience which tend to be missing from other sources, such as personal relations, domestic work or family life, and they have resonated with the subjective or personal meanings of lived experience.
0ral history has challenged the historical enterprise in other ways. Oral historians have had to develop skills required for the creation of recorded interviews, and to learn from different academic fields -- including sociology, anthropology, psychology and linguistics -- to better understand the narratives of memory. Most significantly, oral history is based on an active human relationship between historians and their sources, which can transform the practice of history in several ways. The narrator not only recalls the past but also asserts his or her interpretation of that past; and thus, in participatory oral history projects, the interviewee can be a historian as well as the source. Moreover, for some who practise it, oral history has gone beyond just making histories. In certain projects a primary aim has been the empowerment of individuals or social groups through the process of remembering and reinterpreting the past.

★(感)情報公開という言葉が
 【1】情報公開という言葉が近年しばしば言われるようになってきた。政府のもつ情報資料の公開、あるいは政府の審議会や委員会の議事内容の公開が積極的にインターネット上におこなわれるようになって、多くの活動内容が一般社会の人たちにも理解されるようになってきつつある。【2】二〇〇一年四月には、情報公開法が施行されることになり、個人のプライバシーにかかわらない、かなりの範囲の国の情報が、請求によって開示されることになった。
 それでも、すべてのことが公開され、十分な監視とチェックの下におかれることはできず、いろいろと思わぬ事故をおこしてきた。【3】情報の公開とともに、どうすれば第三者的立場から十分なチェックをして、安全性を確保していけるかは、これからの大きな課題である。科学ジャーナリズムにおいても、よく検討すべき問題であろう。【4】たとえば原子力のような複雑なものは、科学ジャーナリズムなどが適切に橋わたしをしなければ、一般の人たちには、客観的な立場からのものの見方をすることは、たいへんむずかしいのである。
 あることがらに対する科学的説明は論理的で、その範囲内においては反論の余地のないものであることがほとんどである。【5】しかし、それでも社会の多くの人々を納得させることのできない場合があるのはなぜか、を考えることが必要だろう。
 それにはいろいろな理由があるだろう。一つは、その科学的説明の前提となっていることが、ほんとうに確信のもてることなのかどうかということである。【6】もう一つは、論理的、科学的説明といっても、説明に用いられる推論規則は絶対確実なものではない。九九・九九九%まちがいないといわれても、〇・〇〇一%の確率でおこる可能性があるとすれば、それに対する心配がある。また理論がまったく予想しない条件が生じないともかぎらないという心配もある。【7】原子力発電所の建設などに対する反対は、そういうところから生じていると考えられる。
 もう一つのタイプの心配は、体外受精の適用範囲の拡大、脳死判定と臓器移植などにおける人間の倫理観や文化に深く関係する問題である。【8】この種の問題については、科学的内容の説明が、人間感情というまったく次元のちがう要素に対して効力を発揮することを期待することはできず、人々を納得させることはむずかしい。∵
 もっと直接的に個人に関係するのは、インフォームド・コンセントであろう。【9】自分の病気がどういうものであり、どういう手術をしたら、どのようになるか、手術の成功率・危険性はどのように判断したらよいか、といったことすべてについて、医者の説明を聞き、それを理解し、医者の助言によって自分が判断し、決定しなければならない。【0】そのときに、完全に理解して明確に決定することができないという場合が多いだろう。しかし、自分の運命は自分が選択しなければならず、そのためには納得のいく説明を受け、十分な理解をする努力が必要になる。医者の側でも、患者の病状だけでなく、その人の年齢、家庭環境、経済力、その人のもつ人生観・価値観についても考えに入れて、助言することが必要となるだろう。説明はあくまでも客観性を失ってはならないが、科学的側面だけでは決定できないのである。
 科学的な説明は論理的なものであり、そのようにして説明されたことはまちがいがないから、人はそれにしたがわねばならないと一般に思われているかもしれない。しかし、論理的な理解のほかに身体的レベルにおける理解、心の底から納得できる状態というものがあって、これは必ずしも論理的なものかどうかはわからないが、個人にとってはむしろこの納得のほうがはるかに優位にある理解の状態といってよいだろう。客観的真理が絶対的なものでなく、それを超えた理解の状態の大切さということにもっと目を向けるべき時代にきているのではないだろうか。

(長尾真『「わかる」とは何か』に拠る)