ネコヤナギ の山 2 月 2 週
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○自由な題名
○雪や氷
○なわとび、なみだがぽろり
★チョウチンアンコウ(感)
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【1】チョウチンアンコウには、上唇のすぐ上に背びれから変わったイリシウムと呼ばれるただ一本のアンテナがある。
イリシウムの先端には、エスカという丸いふくらみがあり、この部分が発光するのでチョウチンアンコウの名がある。【2】世界的に有名な深海魚である。チョウチンアンコウの最初の記録は一八三七年であるから、もう一五五年も昔から大勢(おおぜい)の学者の興味を引いていた。しかし生きたチョウチンアンコウがどのようにして光るのかは、長らくだれも知らなかった。【3】一九六七年、日本の水族館においてそれが確かめられた。
その年の二月二〇日、鎌倉の海岸の波打ち際で一ぴきのチョウチンアンコウが海岸に遊びに来ていた一般の人に拾われた。【4】これは珍しい魚だということで、そのチョウチンアンコウは、段ボール箱に入れられて、八キロ離れた江ノ島水族館に運ばれ、海水に戻したところ元気を取り戻し、八日間生きた。わが国での、そして、たぶん世界でのチョウチンアンコウの最長生存記録である。
【5】連絡を受けて逗子の自宅からかけつけた横須賀市自然博物館の羽根田博士は、チョウチンアンコウが水槽の中で発光する様子をくわしく観察されて学術報告を書かれ、後日、私にもそのいきさつを直接話して下さった。【6】温厚な博士が、その時の思い出話をして下さっているうちに、だんだん興奮されるのを見てびっくりした。そんなにもたいへんなことだったのだと、再確認した。
【7】生きているチョウチンアンコウのイリシウムの先端には、小さなザクロの実のように丸くふくらんだエスカがあり、乳白色半透明の上に銀色と淡紅色(たんこうしょく)のリングがあって、暗いところで青白く光って見えた。魚をつついて刺激すると、イリシウムを立て、エスカから明るく光る発光液を前方に向けて噴出した。【8】エスカの左右にある肉質突起の先端で真珠のような白い小球が光を放ち、エスカから垂れ下がる黒くて細長いフィラメントの先端にも小さな発光器∵があって、魚がイリシウムを振り動かすと、これもキラキラと美しく光った。
【9】「この生きたチョウチンアンコウは、今までのいろいろな謎をといてくれた。このような機会はおそらくもうないであろう」と、横須賀市自然博物館の報告に書き添えられた羽根田博士にとって、あの日は一生で一番幸せな日だったことであろう。
【0】もっとも、深海魚の発光が水族館で観察された例は、これが初めてではない。
ずっとさかのぼって、イタリアのナポリ水族館では、一八九九年に生きたダルマザメの発光がガラス越しに観察されている。このサメは長くは生存しなかったらしいが、これがたぶん、生きた発光魚を水族館で観察した、最古の観察記録ではないだろうか。ナポリ水族館は、一八七四年にオープンした海洋研究所の附属水族館で、サンタルチアの海岸に面して建ち、とくにわが国の大学臨海実験所のモデルにされてきた水族館である。
また駿河湾に話を戻すと、ここにはツラナガコビトザメという世界一小さなサメがいる。成長のいい個体でも二五センチ止まり、ふつうは一二、三センチの小さなサメで、頭が大きく三等身なので、ツラナガの名がある。体の下半分一面に小さな発光器が散在し、尾びれと腹びれの一部に白い部分があって、ここがとくに強く光る。羽根田博士はツラナガコビトザメの発光が発光ザメの中で、最も美しく見事であると太鼓判を押している。
ツラナガコビトザメは、駿河湾ではサクラエビといっしょに海面近くまで浮上し、サクラエビの網に入る。個体数は多くもないがまれでもない。駿河湾でとれる深海の発光ザメは、ツラナガコビトザメ以外にも、フジクジラ、カラスザメ、カスミザメと、数多い。サメばかりではない。駿河湾は発光生物の宝庫なのだ。発光しない深海生物ならば、その種類はもっと多い。
ところが、そのことごとくがまだ水族館では飼えないでいる。東海大学海洋科学博物館では、一九八九年以来生きた化石といわれるラブカを中心に、駿河湾の深海魚の飼育に挑戦してきた。しか∵し、正直いって、前途遼遠である。ラブカやギンザメもメンダコも、ようやく一〇日間程度は生かしつづけることはできたが、それは残念ながら飼育したというよりも生存していたという方がふさわしい。
深海魚が水族館で飼えないのは、それが深海に棲んでいるという事実よりも、深海に棲んでいるために皮膚や内臓が傷つきやすい、体がもろくてこわれやすい、環境の変化に弱いという理由の方が大きいようだ。水族館では、傷つき弱って入ってきた魚の健康を回復させることがほとんどできないので、そこが一番弱い。それでも、駿河湾の海岸に建っている水族館に勤務する一人として、いつかは発光魚を含む深海生物が水族館で生きているのを見たい、見せてあげたいと思う。水温も、比重も、水質も、明るさも、自在に調節できるようになった現在の水族館で、未解決の課題として挑戦するのにふさわしい相手であろう。