ゲンゲ2 の山 2 月 2 週
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○自由な題名
○雪や氷、なわとび

○From the outset 英文のみのページ(翻訳用)
From the outset, our civilisation has been structured in large part around the concept of work. But now, for the first time in history, human labour is being systematically eliminated from the economic process, and, in the coming century, employment as we have come to know it is likely to disappear. The introduction of a new generation of advanced information and communication technologies, together with new forms of business organisation and management, is forcing millions of workers into temporary jobs and unemployment lines. While unemployment is still relatively low, it can be expected to climb continuously over the coming decades as the global economy fully enters the Information Age. We are ill the early stages of a long-term shift from mass labour to highly skilled "elite labour", accompanied by increasing automation in the production of goods and the delivery of services. Factories and companies without a workforce are beginning to appear. These developments, however, do not necessarily mean a dark future. The gains from this new technological revolution could be shared broadly among all the people, by greatly reducing the working week and creating new opportunities to work on socially useful projects outside the market economy.

★(感)ヨーロッパのコトバでは
 【1】ヨーロッパのコトバでは、いずれも、「風景」を意味するコトバは「土地」「地域」を意味するコトバから第二次的に出来てきたわけで、ドイツ語では、Landは土地・田舎・地方・国土を意味していまして、それから出来たラントシャフト(Landschaft)という語は、地方行政区域のこと、つまり州とか地方県とかを意味します。【2】それがどうして、そのままに同時に「風景」を意味するようになったのか。まことに不思議なこととも言うべきです。とにかくこのように、風景の場所性といいますか、風土性といいますか、地域に根ざすものを色濃く反映したものになっているわけです。
 【3】そして、考えてみれば当然のことであるわけですけれども、「土地」すなわち、それぞれの個性的な「場所」を離れて風景は存在しえない。土地の地形、風物その他一切のもの、川とか森とか、山とか丘とか平野とか、雲とか、そういう一切のものの全体がつくりだしている姿・形の場所的特徴、これが風景であるわけでしょう。【4】ですから西洋の言語において風景概念が、「地域・地方・土地」がそのまま「風景」となっている。すなわち「場所」としてのラントシャフトとして成立している。このことは考えてみますと、誠に自然でもあり、風景の本筋をいくものだ、とも言えましょう。
 【5】そして、このような西洋語の風景の意味形成の方向性、特徴を、さきほど述べましたような、日本語における「風景」概念の含意のもっている方向性、特徴と比較してみますと、大変興味深いこと、そればかりか大変重要な一つの点が浮かび上がってまいります。【6】といいますのは、日本語の風景概念の含意の方向性やその特徴が「風景」にしても「景観」にしても主として主観性を示している。あるいは主情性に溢れているのに対しまして、西洋語のそれは、対象性、客観性そして場所性を示している、ということが言えると思うからです。【7】日本のばあいには、対象についての主観的な感じ方、感情性、自分中心の好みや感じ方の方面が主として表現されているのに、西洋のばあいには主我性、主観性から一応自由に、外界にある土地について、その地理的空間性、風土生活環境の場所性(トポス性)と形状性(ゲシュタルト)、それらの特徴が「風景」だと認識されている、ということです。∵
 【8】このように見てまいりますと、さきほど私が考察いたしました中に、日本語の「風景」という語には、風情、情景の「情」(心情)が隠されている、あるいは含まれている、ということを言ったのですけれども、この「情」(心情)は、客観的な対象世界(自然)の姿・形とその美しさを、自然の生きた心として、【9】つまりは風景の心として感ずる(印象体験する)という点の情(心)であるよりは、むしろ、自分の主観の側の身勝手な感情の流れ、つまり四季の移ろい、時の流れ、時間性を感ずるあの感情の方に重点があるとみてよいと思えるのです。【0】日本の詩歌に表われている美意識のトーンの主要な特徴が、自然の対象に即した表現であるよりは、むしろ四季の移ろい、時の流れのあわれさ、その時間性の主観的体験の表現という特徴を示していることと、このことは一致してくると思います。
 これに対しまして、西洋のランドスケープ、ラントシャフトの方は、「対象としての自然」の「地域」に即した姿・形、その美を、その「場所性」において、つまりは空間性の生ける現象としてとらえる所において成り立っていると言えるでしょう。
 このことは西洋の場合、対象としての自然に内在している生命・美というものを大切に思う心、つまり生きた自然の心を大切にする心が育ってくることを暗示しているのです。

(内田芳明『風景とは何か』)