ベニバナ の山 2 月 2 週
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○自由な題名
○雪や氷、なわとび

○Family life in the United States 英文のみのページ(翻訳用)
Family life in the United States is changing. Twenty-five years ago the housewife cleaned, cooked and took care of the children. She was the most important person in the home. The father earned the money for the family. He was usually out working all day. He was tired when he came home in the evening. So he did not see the children very much, except on weekends. His work at home was usually outside in the yard. The cooking and the cleaning were for women only.
These days, however, many women work outside the home. They can't be at home with the children all day. They are tired, too, when they come home in the evening. They do not want to spend the evening in cooking dinner. They do not have time to clean the house or wash the clothes. So who is going to take care of the children now? Who is going to do the housework?
For every family the answer to this question may be different. But usually the wife does not have to do all the work herself. Today she can get help. One kind of help is the day-care center. Mothers can leave their children at these centers during the day. Then they are free to go to work. Most children enjoy these centers. They can play with toys and games and other children there.
Another kind of help may come from the company a woman works for. The company may allow her to work part-time. That way, she can earn some money. But she can also be with her children part of every day.
But the most important help a woman can get is from her husband. Today, many men share the housework with their wives. In these families the men clean the kitchen and wash the clothes. On some nights, the wife may cook dinner. On other nights it may be the husband. They may both go shopping and they may clean the house together. The husband may also spend more time at home with the children. Some men may even stop working for a while or work only part-time. For these men there is a new word: the "househusband." In the United States more and more men are becoming househusbands every year.
These changes in the home mean changes in the family. Fathers can be closer to their children because they are at home more. They can learn to understand their children better. The children can get to know their fathers better. Husbands and wives may also find changes in their marriage. They, too, may have a better understanding of each other.

★文化もパーソナリティも(感)
 【1】文化もパーソナリティも、多くの場合すこしずつ変化し、そしてときには大きく急速に変化しうるものである。文化のコードは長年の間にひとりひとりの人間の安全と満足をもとめる欲望があつまって、暗黙の合意のうちにつくりあげられてきたと考えられがちである。【2】しかし、次第に社会が強く組織化されるとともに、そこには、社会の強者、すなわち権力者の安全と満足をもとめる欲望が支配的なものとなっていったのは自然のなりゆきであった。たとえば、テューダー朝のイングランド王へンリー八世(在位一五〇九〜四七)は、【3】自らの離婚の合法性をめぐってアングリカン・チャーチ(イギリス国教会)を成立させ、ローマ教会からの分離独立をなしとげてこれを広く認めさせたし、ヒットラーのネクロフィリア(破壊性)はあの悪名高きナチズムにおける大規模な人間破壊行為を当時の社会におしつけたのであった。【4】しかし、今日、あらゆる点において高度に統合的な組織性を強めた社会では、個人としての権力者ではなく、その構造的力動によって自律的につくり出されるより大きな交換価値こそが、文化のコードとして支配者の地位につくことになっている。【5】そこでは、そもそものはじめから個人の署名をもたないこの文化のコードとしての交換価値を満たそうとする社会の力動的な動きに、個人の欲望は動かされざるをえないような仕組みになっていると言うことができよう。【6】私たちの支配者は、かつてのように、名前をもちはっきり目に見える権力者として君臨しているのではなく、社会的な交換価値という千変万化する記号のかたちをとって私たちひとりひとりを支配するようになっている。【7】そして、文化のコードというこの無名の支配者は、朝から晩まで私たちひとりひとりの全存在を直接・間接に支配しつづけているようだ。
 ほかならぬこの私自身が欲していると思うことも、それは幻想であるにすぎない。【8】より大きな交換価値をもつ記号として皆が欲しているがゆえに、常識を身につけている私が無意識のうちに欲するようになってしまっているものであるにすぎない。「○○大学に入学しますように!」「スリムな美人になりますように!」等、つきることのないこの世俗の欲望は、【9】常識となった文化のコードとしての「より大きな交換価値」を無意識のうちに私的コードにとりこみ、それに身をまかせることによって生じているという側面が強いようだ。――ただし、機械ならぬ人間は、規則を変える創造性という能∵力を持っているために、全面的にそうであるというわけではない。【0】そのために、そうした「交換価値」が変化すれば常識も変化し、それにしたがって個人の欲望の内容も当然変化することになるのだろう。人気のある学校や学部そして美人のタイプなどが時代とともに移りかわるのはその証である。そしてこの情報化社会にあって、このような交換価値としての文化のコードを敏速かつ広域に浸透させるのを助けているのは、いうまでもなく新聞・テレビなどのマス・メディアである。
 これらの欲望を満たそうとすることは、私たちを日々仕事に学習にその他さまざまな活動にかりたてる原動力となっているが、他方その欲望を満足させることがあまりにもむずかしく思えるとき、私の存在の核心にしのびこんだこれらの欲望のいっさいから解放されればどんなに心が休まるだろうか、と思うことにもなる。そのようなとき、冒頭に述べたように、私たちは無意識のうちにできるだけ文化という「人の手」の加わらない自然の中に逃れ、あるいは「非社会」的行為の中にかりそめの脱出を試みて、文化のコードによるすさまじい搾取からすこしでも身をまもろうとすることになるのかも知れない。
 しかし、文化のコードの手の届かないところに逃げきったように思っていても、新記録をうちたてたいという思いをひめた探検家はもちろんのこと、南太平洋の豊かな自然というデラックスな休暇の宣伝に誘われて自然に親しむ人々もまた、やはり文化のコードにしっかりとからめとられていることになる。それに、海や山の「自然」の中でも、やはり、流行の登山装備や水着、さまざまな人との出会いがあり、文化的なものを完全に拒んでしまうことは、とうてい不可能であると言ってよいだろう。

(有馬 道子)