ヘチマ2 の山 3 月 2 週
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○自由な題名
○春を見つけた、種まき
○うれしかったこと、がんばったこと
★(感)あまのじゃくな人が
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【1】あまのじゃくな人が嫌われるのは、みんなと歩調を合わせないので、なにかと足手まといになるからです。人間は一人で生きているのではなく、他人とともに生きるようにつくられているのです。ところが、一人ひとりの人間はあらゆる点で違います。【2】生まれつきの差もありますが、ものの見え方や音の聞こえ方も経験によって違ってくるように、後天的につくられる脳機能の差はさらに大きいのです。その違いがいわば個性ということになります。個性というと、先天的な差を連想する人もいるので、個人差という方が誤解が少ないでしょう。【3】単なる感覚でさえも一人ひとりが違うのですから、価値観やものの考え方が違うのも当然です。
このように、一人ひとりが違うのですが、その違いをお互いに主張し合えば、誰もがあまのじゃくになってしまいます。そこで、人間同士の間には一種のなれあい現象が必要になってきます。【4】つまり相手と意見が違っても、すぐに反論するのではなく、一応は聞いておいて、自分の意見も修正し、相手の考え方もおだやかに改めてもらえるように工夫します。お互いに妥協するということにもなります。
【5】たとえば、ある料理を食べたときに、相手が「さすがにホンモノの味だ」といったとしても、自分にはそうも思えないというようなことはよくあります。しかし、それを口にすることはせずに一応は相槌を打って、味わい直してみるのがふつうでしょう。それでその場はなごやかに過ごせるし、自分の味覚が進歩することにもなります。
【6】このように、他人と歩調をそろえなければならないときには、誰もがひとりでになれあうのがふつうです。従って、あまのじゃくになるひとつの原因は、そこにいる人と歩調をそろえるつもりがないために、自分の意見をそのまま主張するということです。【7】誰に対してもあまのじゃくになるとしたら、その人はできるだけ自分だけで生きてゆこうとする人です。実際はそんなことは無理であっても、そういう姿勢をとろうとするわけで、どこかで人間嫌いになる原因があったのでしょう。
(中略)∵
【8】動物であれば、吠えたり、さえずったりして、自分の存在を周囲に訴えるところを、なにかと他人と違う意見を主張することによって自己顕示するというあまのじゃくもいます。
【9】つまり、あまのじゃくにはいろいろの原因があるわけですが、原因はなにであれ、それが集団の歩調を乱すという意味では迷惑なことです。あまのじゃくが仁王様にふみつけられるはめになるのはそのためでしょう。特に、日本人は自他の一体性が強いので、あまのじゃくを嫌うようです。
【0】しかし、なれあいや妥協も度を過ごすと、自分独自の考えがなくなり、個性が薄れてしまいます。特に、創造的な活動を必要とする場合は、それではまずいということになります。「逆転の発想」ということばもあるように、天動説が支配的な状況の中で、地球が動いているのではないか、と考えるような態度が大きな発見につながってゆきます。創造性の強い人の中には「変人」といわれる人が少なくありません。部分的にはあまのじゃくとされることも多いでしょう。つまり、他人と歩調をそろえる心得も持ちながら、自分の意見をしっかり持っているというバランスが必要なのです。
(『ヒトはなぜ夢を見るのか』千葉康則)