レンギョウ の山 3 月 2 週
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○自由な題名
○春を見つけた、種まき

○The little word 'why' 英文のみのページ(翻訳用)
The little word 'why' has been a very strong thing with me ever since I was a little girl and couldn't even speak very well. It is a well-known fact that little children ask questions about everything because they don't know much about everything. This was very much the case with me, but even when I grew older I couldn't wait to ask all kinds of questions, whether they could be answered or not. This is not so terrible in itself and I must say that my parents tried to answer every one of my questions very patiently, until.... I began even badgering strangers, and they generally don't like 'children's endless questions'. I must admit that this can make them feel angry, but I console myself with the idea that there is a saying that 'you must ask in order to know', which couldn't be completely true, otherwise I'd be a professor by now.
When I grew older, I realized that it is not possible to ask every kind of question to everyone and that there are many 'why's' that cannot be answered. I then understood from that that I tried to help myself by starting to think out these questions on my own. So I came to the important discovery that questions which one mustn't ask can be solved by oneself. Therefore, the little word 'why' taught me not only to ask but to think.

★イロリの社交は、家族結合の(感)
 【1】イロリの社交は、家族結合の社交であった。一家団欒ということばは言うまでもなく家族がおなじ火をかこんでいることを指した。ひとつの火を通じて心がかよいあう。そういう不思議な力を火はもっていた。家族だけではない。【2】客人もまた、おなじ火をかこむことで、他人ではなくなる。火は人間を近づけるのである。若者たちが夏の山や海で火を燃やしてひらくファイヤー・ストームなども、まさしく火による人間結合の現代的なあらわれのひとつであろう。
 【3】イロリの社交には、秩序があった。よく知られているように、イロリの四辺には誰がどうすわるかについての約束事がある。土間に面していちばん奥の辺は横座である。そこには戸主以外の人間がすわってはいけない。【4】横座からみて左がわの辺にすわるのは主婦によって代表される家の女たちである。この座席はカカ座などと呼ばれる。そして客人の席、すなわち客座は横座からみて右、横座の正面は使用人や場合によっては嫁の座る下座――そんなふうに席の割りふりがきまっていたのである。【5】こんにち、比喩的に、たとえば「主婦の座」というようなことばが使われるのは、このようなイロリの座の割りつけから延長されたものだと考えてよいだろう。
 それぞれの座がきめられ、冬の夜などイロリをかこんで世間話がつづく。【6】火を共有しているという事実が、そして、ときにはバチバチと音をたてて燃える炎が、いわばその世間話の背景音のようなものになる。火は、家庭の健在をしめす象徴なのでもあった。
 これとまったくおなじことが、西洋でも考えられる。【7】かつてマーガレット・ミードはフランス文化を論じて、フランス文化の基本になっているモチーフはFoyerであるといった。このフォアイエというのは、一家団欒を意味し、同時に火床(ひどこ)を意味することばだ。【8】同一の火床(ひどこ)ないしは暖炉を共有する家族の結合がかたいのである。
 フランスだけではない。ヨーロッパやアメリカの住宅で中流以上といういささかゆとりのある家にはたいてい暖炉がある。【9】そして、こんにちでは、ちゃんと中央管理暖房がゆきとどいているにもかかわらず、ときどき暖炉に薪をくべて火の共有の事実を演出するのである。じっさい、イロリと暖炉はその機能においてきわめて類似している。∵【0】もちろん、火をまんなかにしてかこむイロリと火にむかって半月型にならぶ暖炉とでは、社会構造は少し違うかもしれない。だが、おなじ火のぬくもりと光を受けることのできる場を家庭の象徴とすることは、たぶん東西共通なのである。
 火が人間を接近させ、親密さを強める効果をもっていることをわれわれは直観的に知っている。ラジオが大衆化したとき、アメリカの大統領F・ルーズベルトは、定期的な「炉辺談話」番組で国民に親しく話しかけた。番組の題名にある「炉辺」ということばだけで大統領と国民はぐんとその距離を縮めることができたのだ。(中略)
 火の共有による親密な人間関係は、調理の火を考えてみればよくわかる。「同じ釜の飯を食った」関係、というのは、遠慮のない親しい関係ということだ。おなじ火で調理されたものを飲食するというのは、暖房や照明の火の共有よりもさらに深い共通感覚を人間たちに与える。
 カマドをわける、あるいは別火にするというのは、人間のまじわりの単位をわける、ということである。調理の火の共有、それは人間をつなぐ基本的に重要な文化項目であった。
 この点でも、日本文化はいろんな工夫を凝らし、それに美的洗練をあたえつづけてきたように思える。たとえばさまざまな鍋料理。それは、人間が共通の火で調理されたものをわかちあうことで親密さをつくりあげてゆくためのすばらしい知恵であった。
 茶の湯もまた、ある意味で火の共有を象徴する社交の形態であった。小さな風炉とカマ、そこからまさしく茶の湯がうまれる。茶会はおなじカマからつくられた、おなじ味覚を共有する深い人間関係を形成してゆくのである。暖房、照明、調理、それらは、いずれも人間生活にとってきわめて実用的な火の機能である。だが、人間はそういう実用性を超えて、火を人間関係調整の手段としても展開させてきたのであつた。火の管理はたんに物理現象としての火を管理するというだけでなく、その火をめぐる人間集団の管理をもふくむものであった。

 (加藤秀俊「暮らしの思想」より)