タラ2 の山 4 月 2 週
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○自由な題名
○こわかったこと
★初めて何かを食べたこと、学校へ行く道
○道のはじまり(感)
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道のはじまり
【1】それはすばらしいことでした。以前人々が狩りをしてくらしていた時代には、一つの山に動物がいなくなると、人々はべつの山へと移動しなければなりませんでした。えもののない日は十日でもニ十日でも、食事をせずに、食糧をさがし歩かなければなりませんでした。
【2】ところが、いまではちがいます。一つの水田はよく年も、そのまたよく年も、きちんきちんと実りをあげてくれました。畑でとれた作物は、長く保存することもできました。雪にうもれた季節にも、梅雨の長雨の季節にも、人間は安心してその土地で、くらすことができました。
【3】畑しごとのない日には、べつのしごとをすることもできました。はたおりをして、着物をつくることもできました。わらしごとをして、わらじやむしろや、なわをつくることもできました。【4】農作業の道具をつくったり、どうしたらお米がたくさんとれるようになるかと、みんなでゆっくり考えあう、ゆとりもできていきました。
畑をたがやすということは、それほどすばらしいことでした。一つの土地にすみつくということは、たいへん幸せなことでした。【5】家と畑とをむすぶ道は、こうして毎日ふみかためられていきました。家と畑とをむすぶ道も、しっかりつくられていきました。
お米がたくさんとれるようになると、あまったお米は、べつの物と交換することができました。【6】漁村でとれた海のさかなと交換することができました。山村でおられた布と、交換することができました。村と村とをつなぐ道も、こうしてつくられていきました。
お米がたくさんとれるようになると、十人の人をやしなうのに、八人が畑へしごとにでれば、すむようになりました。【7】あとの二人はべつのしごとにつくことができました。武士になったり、坊さんになったり、貴族や学者や技術者になることができました。そして、商人になることもできました。こうして都市ができました。大きな都がつくられていきました。【8】物と物との交換は、さらに活発になりました。人と人との行き来もしだいにさかんになりました。
ちがった土地の人たちが、たがいに交流しあうようになると、ちがったくらしのちえも交換されました。くらしの技術はさらに進歩∵していきました。
【9】技術がすすむと、さらにたくさんのお米がとれるようになりました。物と物との交換も、ちえとちえとの交換も、いっそう活発になりました。道はいよいよたいせつなものになりました。道をつくる技術も、物をはこぶ技術も進歩していきました。【0】でこぼこ道がたいらになっていきました。広い道がつくられるようになりました。荷車もとおれるようになりました。そこで交通は、もっと活発になりました。
人類の文明は、そのようにして発達してきたのでした。道のはたらきは、そのようにしていよいよ重要になってきたのでした。
では道は、人が使わなくなったとき、どうかわっていったでしょうか。大むかし人々がまだけものを追ってくらしていた時代には、そこにけものがいなくなれば、人間はべつの山へと移動していきました。人の使わなくなった古い道は、いつか土にうもれてしまいました。草ぼうぼうになり、ジャングルのように木がしげって、もうあとかたもなくなってしまいました。
そうです。道はいつの時代にも、人間がそこをとおってこそ道でした。どんなにりっぱな道をつくっても、人間がそこをとおらなくなったとき、道はあれはて廃道になっていきました。江戸時代に、にぎやかに人の行き来した街道も、明治にはいって鉄道ができだれもが使わなくなると、とたんにさびれていきました。また、山のむこう側とこちら側とをむすんでいた峠の道も、りっぱな自動車道がトンネルでつうじると、しだいしだいにわすれられていきました。
「道は生きている」(富山和子)講談社青い鳥文庫より