ニシキギ の山 7 月 2 週
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○自由な題名
○成績がかわったこと
○私の好きな季節、わたしの母(父)
○七夕の思い出
 森林は水をたくわえ

 森林は水をたくわえ、じょじょに、じよじょに、はきだしてくれます。くる日もくる日も同じように、水をおくりつづけてくれます。この、「じょじょに、いつもおなじように水をおくりつづけてくれる。」ということこそ、森林のもつかけがえのないはたらきでした。なぜなら、晴れた日には水がつかえないのでは、日本人はとうのむかしに、ほろびていますね。雨がふると、水がいちどにでてくるのでは、水害になりますね。
 では森林と、人工のダムとはどうちがうのでしょうか。ダムは、いちどにたくさん水をたくわえるので、わたしたちはいちどにたくさんつかえます。しかし、からになったらおしまいです。雨がふってくれなければ、どうしようもありません。
 森林が、どんなにたいせつかについては、いい例があります。昭和三十九年の夏、東京は大かんばつにみまわれました。多摩川の上流には、東京の水がめ、小河内(おごうち)ダムがありますが、このダムもひあがってしまいました。湖のそこの土がひびわれて、その写真が、新聞やテレビで報道されました。水道はとまったり、水の出がわるくなったりして、人びとはバケツやなべを手に、給水車の前に長い行列をつくりました。そんな日が、何十日もつづきました。
 そのような日照りつづきのさなかにも、ダムのまわりの山々からは、日に三十万トンの水が、毎日、かくじつにはきだされていたのです。その水こそ、人びとのぎりぎりの飲み水をまかなってくれた、命づなでした。
 多摩川上流には、二万ヘクタールにのぼる大森林がひろがっています。森林は東京の水源林として、たいせつにそだてられています。水のおくりぬしはこの大森林でした。この森林のおかげで東京の人たちは、命びろいをしたのです。

「川は生きている」(富山和子)より抜粋編集

★「そこをなんとか」(感)
 【1】「そこをなんとか」という言い方はきわめてあいまいである。「そこ」とは何をさすのか。「なんとか」とはどういうことなのか。おそらく、これをそのまま外国語に翻訳したら、まったく意味をなさないだろう。【2】いや、意訳しても通じまい。だいいち、意訳のしようがない。強いて説明するなら、「あなたはそのような理由で拒絶なさるが、その理由をもう一度考え直して、私の要求に応じてくださるまいか」とでも言うほかあるまい。
 【3】しかし、外国人が理由をあげてたのみを断る場合は、「だから、私はあなたの願いをお引き受けするわけにはいかない」という確固たる立場を表明しているわけで、したがって、もうそれ以上いくらたのんでも、応じてくれる余地はない。【4】相手の要求をいれる余地がないからこそ、当人は断ったのである。
 ところが、日本人は義理人情にからまれて、どんなに明白な拒絶の理由があろうと、相手に熱心にたのまれたら、それをむげに断るのは、何か気がひけるように思ってしまう。【5】われわれはそれを「義理と人情」のせいにするが、もともと義理と人情とは、正反対の概念なのである。「義理」とは、正当な理のことであり、「人情」とは、その理を解きほぐす情を意味する。【6】このように、正反対のものを一緒にし、折衷して、日本人はそこに独特の判断領域を設定するのだ。それは、別言すれば「情状酌量」といってもよい。【7】つまり、一切のことがらは、それ自体完結しているのではなく、時と場合に応じて、伸縮自在の形をとっているわけである。
 【8】だから、日本人のノーは、けっして絶対的な否定ではなく、その一部にイエスを含み、イエスは、その中にノーの要素をあわせ持っている。【9】「日本人の不可解な笑い」といわれるものは、その時その時の、こうした判断から生まれているように私には思われ∵る。それを勘案するあいだ、日本人は微笑しているのである。とうぜん、外国人には、それが狡猾なごまかしのように映る。【0】けれど日本人は、これこそが人情、すなわち、もっとも人間的な対応とみなすのだ。
 じっさい、「そこをなんとか」という表現の中には、日本人のものの考え方が、じつによくあらわれている。その考え方とは、すべては完全ではない、ということだ。そこで、たのむほうも、たのまれるほうも、いくばくかの部分が必ず保留されていることを前提に話し合う。したがって、あと、どのくらい可能性の余地があるか、その「残された部分」を両者は見きわめようとし、この言葉が頻出するわけである。
 日本の絵画の特質に「余白」の美というのがある。それに対してイスラムの芸術は、まったく逆で、空白への恐怖とも思えるほど、びっしりと空間をうめつくす。モスクの絢爛たる装飾に、それがよく現れている。
 もともと砂漠の民であるアラブ人は、けっして妥協の余地を認めない。それが、こうした芸術の性格にも表現されているのではなかろうか。
 ところで、日本人の好む「余白」だが、これは言うまでもなく、可能性を意味する。画家は、そこに何かを描こうと思えば、いくらでも描き足すことができるのだ。しかし、彼は描かない。描かないことによって、鑑賞者にその部分を預(あず)ける。「余白」は画家と鑑賞者の共有の空間なのである。そして「余白」をそれぞれが、想像によってどのようにうめるか、当の作品は作者と鑑賞者、双方の「せめぎあい」にかかっている、といってもよかろう。「そこをなんとか」することにより、日本の芸術も、その価値を決められるわけである。

(森本哲郎の文章による)