ニシキギ2 の山 8 月 2 週
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○自由な題名
○がんばったこと
○私のくせ、つまみ食い
★知恵がつくられる場所で(感)
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【1】知恵がつくられる場所である人間の脳は、また、コンピューターなどと違って、物事を幅をもってみつめ、考えることができるようにできている。つまり寛容な思考態度をとることが人間にはできるのだ。
【2】人間の脳にあるこの寛容性は、ものを考える上でも発揮される。その一つは連想である。文章、特に詩とか格言のようなものを読む時、その中の言葉から連想される異なった言葉を、思いつくまま列記しておくとする。【3】その列記された言葉のいくつかを組み合わせて新しい文章をつくってみる。こうしたあとで、もう一度、元の文章を読み直すと、意味の理解が深みと新鮮さをもつものだ。連想は、言葉の意味と感じに幅をもたせてみるという脳の寛容性から生まれる。
【4】このように、人がものを考える時は、幅をもった考え方をするものであり、またそれでこそ、思考は発展性をもって深まっていくのだ。
【5】私は、人生には、深くものを考えなければならない時期があり、その深い思考力をつちかうことも勉強の目的の一つだ、と前にいった。これはいいかえれば、勉強してこそつくられる「知恵の深さ」である。【6】勉強しない人の脳は、人間特有の幅をもった思考のレッスンをしないから深くものを考える力、つまり「知恵の深さ」が身につかないのだ。
【7】知恵には「広さ」があり、「深さ」があり、また「強さ」というものがある。「知恵の強さ」とは、すなわち決断力である。
【8】私たちが人生で当面する問題には、クイズやテストのようにあらかじめ答えが用意されているものはない。【9】クイズの問題は解答を見つけるだけの問題だが、人生の問題は、相当の時間をかけなければ問題そのものの真意もつかめないし、とうてい真の解決には至らない難問ばかりである。【0】だから、長い年月をかけて、すべ∵てを知らなければ何の行動も起こせないという姿勢にだけ固執していては、この世は渡っていけない。
医者が、現在の医学の水準ではある病気について数パーセントしか解明されていなくても、目の前で苦しんでいる患者に何らかの診断をくださなければならない時があるように、それがいかに未解決の難問であろうと、どこかで決断しなければならないのである。飛躍しなければならないのである。
人間の脳は、不連続のものから連続したものを導き出す寛容性をもっている、と私はいった。いいかえれば、実は飛躍であることを飛躍でないととらえられるのが、人間の脳である。だから、人間は飛躍ができる。コンピューターやロボットには、それができない。
決断できる力、どこかでエイッと飛躍できる力、知恵のそういう「強さ」も、人生とは直接かかわらないように見える勉強を積み上げていく中で、身についていくものなのだ。
知恵には、以上私が述べたほかにも、いくつかの側面があるはずだ。いずれにせよ私は、「人はなぜ学ばなければならないのか」の答えがあるとすれば、「それは知恵を身につけるためだ」と、答えるほかないのである。
(広中平祐(へいすけ)氏の文章による)