チカラシバ の山 9 月 2 週
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○自由な題名
○家族でどこかへ出かけたこと
★わたしの好きな勉強、何かを作ったこと
○いたかったこと
○わたしがおもしろいとおもったのは、
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わたしがおもしろいとおもったのは、「テレビで、現実にはできない経験があじわえるか」という質問にたいして、「そうおもう」があきらかに半数をこえ、「そうおもわない」のは四人に一人くらいでした。わたしたちが直接に体験できることは、かぎられているので、テレビがわたしたちにかわって体験させてくれること、また、テレビが現実以上に現実を劇的につくりあげて体験させてしまうことに、人びとはおそらく気づいていて、このような回答がでてきているのだとおもいます。
しかし、「テレビがあることで、生きかたや行動の手本がえられる」とこたえた人は過半数にとどかず、「そうおもわない」とこたえた人は三人に一人で、テレビで生きかたの手本をとかんがえているひとはおおいとはいっても二人に一人になりません。テレビを人の生きかたのうえでぜったいに重要なものとはかんがえていないといえるかもしれません。
この点は、「テレビはひとことでいえば、どんな感じのものですか」という質問にたいして、「あれば便利という程度のもの」というこたえが過半数をこえ、「なくてはならないもの」というこたえを二〇パーセントぐらいうわまわっていることからもこのことはうらづけされているようにおもわれます。
テレビの影響については人びとはどのように感じているのでしょうか。
テレビ、新聞、ラジオ、週刊誌などをひっくるめて、マスコミというよびかたがされていますが、そのようなマスコミ全体のなかでテレビの影響はどんな位置をしめているのでしょう?
まず、「衣食住など、人びとの生活のしかたに、いちばん影響をあたえているものは、どれだとおもいますか」という質問にたいしては、テレビをあげる人がまさに圧倒的におおく、それぞれ十パーセント以下の新聞、週刊誌、ラジオをはるかにひきはなしています。ところが、「政治や社会問題についての世論」については、∵テレビとこたえるものが約半数で、新聞とこたえるものとほとんどかわりません。この点では新聞の影響もおおきいと感じられているわけです。なお、週刊誌とラジオはたった一パーセント台でした。
さらに「マスコミがつたえていることは、ほぼ事実どおりだとおもうか」という質問にたいして、「そうおもう」が「そうおもわない」よりすくなくなっています。マスコミへの不信がかなりおおくみられているわけです。この点は、「どちらかといえば、いろいろな情報がありすぎて、まどわされることがおおい」という回答が三人に一人ぐらいはいるのと合致しているようです。
マスコミの報道がかならずしも事実をつたえていないとすれば、それにふりまわされるようなことがあってはならないということになります。いかがわしいとすれば、事実や真実をみきわめる必要があります。
人びとはマスコミへの不信をもちつつ、さらにそれにのせられる――うごかされる――ことに不安ももっているのです。
「人びとの意見は、知らないうちにマスコミのいうとおりにうごかされていることがおおいか」という質問にたいして、「そうおもう」が四人に三人ぐらいで、「そうおもわない」をはるかにしのいでおおくのこたえをよせています。
人びとがマスコミにたいして意外とおおく、批判的な意識をもっていることがわかります。これはだいじにしなければならない意識だとおもいます。
近年、テレビの社会的影響力についての専門的な研究の分野でも、テレビの影響が「強力」であるということがほぼ定説となってきています。わたしたちは、やはり、ひとりひとりがまず「テレビをみる目」をつくり、やしなうことが必要なのです。
(佐藤毅(たけし)「テレビとわたしたち」)