フジ の山 10 月 2 週
◆▲をクリックすると長文だけを表示します。ルビ付き表示

○自由な題名
◎木登(きのぼ)りをしたこと
○私の趣味、将来なりたいもの

★色づいたカキは日本の(感)
 【1】色づいたカキは日本の秋を彩る風物詩です。カキこそは千年にもわたって日本人と共にあり、幾多の詩歌に詠まれてきた郷愁の果物といえます。ガキ大将に率いられたカキ泥棒の思い出を持つ読者も多いことでしょう。
 【2】カキは中国で生まれ日本で大きく発展した果物で、また、日本名のままで世界に通用する数少ない果物でもあります。かつて農家の庭先には必ずカキの巨木がありました。とくに干し柿は歴史的に重要な甘味(かんみ)資源でした。【3】「菓子」という字も元はといえば「柿子(かし)」に由来しています。また、柿はビタミンCを格別にたくさん含む果物です。それはリンゴの二十三倍、温州ミカンの二倍にも達し、長年にわたって日本人の貴重なビタミンCの供給源となってきました。
 【4】日本でカキの栽培史は、八世紀ごろまでさかのぼることができます。江戸時代になると渋抜き法の発達もあって、カキは全国の「庭先」に普及し、さまざまな地方品種が生み出され、そうした時代が長く続きました。
 (中略)
 【5】大正期までカキは日本の果物の王座に君臨していました。が、やがてその座は、新興のミカンとリンゴに奪われ、最近では食の多様化の中で、生産量はナシにも後れを取っています。【6】しかし、実態のつかみにくい「庭先果樹」としては、今もカキの右に出るものはありません。カキは千年の時を越えて、今なおただで食べられる日本最大の果物なのです。
 【7】日本での伸び悩みとは逆に、カキは外国から注目され、新たな世界果実への道を歩き始めています。特に日本とは季節が逆になるニュージーランドでは、時期はずれの日本への逆輸出まで行いつつあります。
 【8】幸か不幸か、カキは早生品種の開発が難しく、また「桃栗三年柿八年」といわれるように、育種に時間がかかり、その作期は今も昔もあまり変わっていません。【9】寒い夜に鐘の音でも聞き∵ながら食べるのが似つかわしい、昔ながらの季節を感じさせてくれる果物です。この日本古来の秋の味覚が、南半球育ちの参入によって、初夏の味覚に変貌しないとも限らない昨今です。
 【0】さて、周知のようにカキには甘ガキと渋ガキとがあります。昔の悪童たちは、どこの家のカキが甘いか渋いかを経験的に知っていました。カキの渋みの本体は特殊なタンニン細胞に含まれるタンニンです。カキが未熟のころは水(果汁)に溶ける性質があって渋く、成熟にしたがって自然に水に溶けない性質に変わって黒い「ゴマ」になり、渋みがなくなります。甘ガキでは成熟するまでにそうした変化が完了しますので、収穫したカキをすぐに食べることができます。しかし、渋ガキでは成熟しても可溶性タンニンが残り、収穫後に人為的な渋抜きが必要になります。
 甘ガキの品種も多いのに、そんな手間をかけてまで渋ガキにこだわるのは、とろけるような肉質が甘ガキでは遠く及ばない上に、寒冷地では甘ガキも温度不足で渋が抜けず、甘ガキの産地が暖地に限られているためです。(中略)
 カキはなぜ渋いのか? あたり前のことのように思えますが、その生物学的な意味についてはこれまで追求されたことがほとんどなかったようです。
 渋ガキの渋もいわゆる「熟しガキ」になるまで木の上に置いておけば抜けます。しかし渋いうちは鳥もタヌキも手を出しません。渋は無用な時期に果実が動物に食われるのを防ぐ、「適応」的な意味を持っていると思います。果実が赤く完熟してタネが充実し、渋みのなくなる「熟しガキ」の時期こそが、動物たちの食べたい気持ちと、タネを運んでほしいカキの思いとが一致する時なのでしょう。こうした、渋を抜いてまで若いカキを食べてしまうヒトの出現は、カキの進化にとって勘定外のことだったに違いありません。

 (『果物はどうして創られたか』梅谷献二・梶浦一郎())