ネコヤナギ2 の山 1 月 3 週
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○自由な題名
○寒い朝、体がぽかぽか
★(感)ゴッホの絵は
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【1】ゴッホ(有名な画家)の絵は、彼が生きているあいだは一般大衆にはもちろん、セザンヌ(有名な画家)のような同時代の大天才にさえ、こんな腐ったようなきたない絵はやりきれないとソッポをむかれました。当時はじっさい美しくなかったのです。【2】それが今日はだれにでも絢爛たる傑作と思われます。けっしてゴッホの作品自体が変貌したわけではありません。むしろ色は日がたつにつれてかえってくすみ、あせているでしょう。だがそれが美しくなったのです。【3】社会の現実として。こんなことはけっしてゴッホのばあいにかぎりません。受けとる側によって作品の存在の根底から問題がくつがえされてしまう。
こうなると作品が傑作だとか、駄作だとかいっても、そのようにするのは作家自身ではなく、味わうほうの側だということがいえるのではありませんか。【4】そうすると鑑賞――味わうということは、じつは価値を創造することそのものだとも考えるべきです。もとになるものはだれかが創ったとしても、味わうことによって創造に参加するのです。【5】だから、かならずしも自分で筆を握り絵の具をぬったり、粘土をいじったり、あるいは原稿用紙に字を書きなぐったりしなくても、なまなましく創造の喜びというものはあるわけです。
【6】私の言いたいのは、ただ趣味的に受動的に、芸術愛好家になるのではなく、もっと積極的に、自信をもって創るという感動、それをたしかめること。作品なんて結果にすぎないのですから、かならずしも作品をのこさなければ創造しなかった、なんて考える必要もありません。【7】創るというのを、絵だとか音楽だとかいうカテゴリーにはめこみ、私は詩だ、音楽だ、踊りだ、というふうに枠に入れて考えてしまうのもまちがいです。それは、やはり職能的な芸術のせまさにとらわれた古い考え方であって、そんなものにこだわり、自分を限定して、かえってむずかしくしてしまうのはつまりません。∵
【8】それに、また、絵を描きながら、じつは音楽をやっているのかもしれない。音楽を聞きながら、じつはあなたは絵筆こそとっていないけれども、絵画的イメージを心に描いているのかもしれない。つまり、そういう絶対的な創造の意志、感動が問題です。
【9】さらに、自分の生活のうえで、その生きがいをどのようにあふれさせるか、自分の充実した生命、エネルギーをどうやって表現していくか。たとえ、定着された形、色、音にならなくても、心の中ですでに創作が行なわれ、創るよろこびに生命がいきいきと輝いてくれば、どんなにすばらしいでしょう。
【0】だから、創られた作品にふれて、自分自身の精神に無限のひろがりと豊かないろどりをもたせることは、りっぱな創造です。
つまり、自分自身の、人間形成、精神の確立です。自分自身をつくっているのです。すぐれた作品に身も魂もぶつけて、ほんとうに感動したならば、その瞬間から、あなたの見る世界は、色、形を変える。生活が生きがいとなり、今まで見ることのなかった、今まで知ることもなかった姿を発見するでしょう。そこですでに、あなたは、あなた自身を創造しているのです。
(岡本太郎『今日の芸術』より)