ネコヤナギ の山 2 月 3 週
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○自由な題名
○バレンタインデー、もうすぐ春が
★島に住む動物と大陸(感)
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【1】島に住む動物と大陸に住む動物とでは、体の大きさが違う。ゾウのような大形のものを比べると、島のものは大陸のものより、体が小さくなる傾向がある。島はせまい。小さな島で物が小さくなっていくのはもっともな話のようだが、事態はそう単純ではない。【2】ネズミやウサギのような小形のものを比べると、こちらは島のほうが大陸より、ずっと大きい。
島では大きいものは小さくなり、小さいものは大きくなる。島に隔離された動物に見られる、このような体のサイズの変化の方向性が「島の法則」と呼ばれるものだ。【3】変化の方向性は、いま現に生きているものだけを見ているより時間を追って化石を調べていったほうが、はっきりする。大氷河時代には海面が下がり、多くの島が大陸とつながったが、深い海でへだてられていたもの(セレベス、地中海の島々、西インド諸島など)は島として残り、そこではゾウ・カバ・シカ・ナマケモノなどが小形化していった。
【4】もっともあざやかなのはゾウの例だ。ゾウはだんだんと小さくなり、ついには成獣になっても肩までの高さが一メートル、仔牛ほどしかないものが出現した。大陸では巨大なマンモスがのし歩いていたのである。【5】一方ネズミを見てみると、島のネズミは大きくなり、ネコほどもあるものが出現した。
なぜ島では動物のサイズが変化するのだろうか? 一つの要因は捕食者であろう。島という環境は、捕食者のすくない環境である。【6】一般的に言って、捕食者が生きていくには、自身の十倍以上のえさになる動物を必要としている。島という限られた面積の中では、えさになる動物の数もたかがしれてくるわけで、そのくらいの数では捕食者は生きて行けなくなり、島では捕食者がほとんどいない、もしくはまったくいないという状況が出現する。【7】こういう状況下ではゾウは小さくなり、ネズミは大きくなっていく。
ゾウはなぜ巨大なのか? それは大きな図体で捕食者を圧倒しようとしているからだ。あれだけ巨大ならばトラもライオンも歯がた∵たない。ネズミはなんであんなに小さいのか? 【8】小さければ捕食者の目につきにくいし、小さな穴やものかげにすばやくかくれることもできる。ゾウやネズミはだてに大きかったり小さかったりしているわけではない。
巨大であることや矮小であることは、それなりの代価を支払わねばならぬことである。【9】たとえば巨大な体を支える骨格系にはかなりの無理がかかっているようで、ゾウは骨折などせぬよう、一歩一歩慎重に足をはこんでいく。ネズミの場合にはエネルギー上の問題がある。体の小さいものほど、体重の割には体の表面積が大きい。【0】熱は表面からどんどん逃げていくから、体温を一定に保とうとおもったら、小さい動物は、体重あたりにして、大きいものよりずっとたくさん食べて熱をつくりださねばならない。体重は半分でも、食料は半分というわけにはいかないのである。
ゾウの巨大さは畏敬の念を引きおこすものだ。しかしゾウにしてみれば、大きいからみんなハッピー、というものでもなく、できれば「ふつうの動物」にもどりたいのであろう。ネズミにしたってそうだ。だからこそ、捕食者のいない環境に置かれると、大きいものは小さく、小さいものは大きくなって、ほ乳類として無理のないサイズにもどっていく――これが島の法則の一つの解釈である。
しばらくアメリカの大学で過ごす機会を得た。あちらの教授陣の中にはおそれいるばかりの偉人がいて、これでは太刀打ちできないなと、すっかり思い知らされたが、一歩大学の外に出ると、スーパーのレジにしても、自動車修理工にしても、あきれるほど対応がのろいし不適切。一般の日本人の有能さに、いまさらながら気づかされた。日本という島国では、エリートのスケールは小さくなり、ずばぬけた巨人とよびうる人物は出て来にくい。逆に小さい方、つまり庶民のスケールは大きくなり、知的レベルはきわめて高い。大きいものは小さくなり、小さいものは大きくなる――島の法則は人間にも当てはまりそうだ。
獰猛な捕食者に比せられる様々な思想と戦い、きたえぬかれた大∵思想を、大陸の人々は生み出してきた。偉大なこととして尊敬したい。しかしこれらの大思想は、人間が取り組んで幸福に感ずる思考の範囲を、はるかにこえてしまっているのかもしれない。動物に無理のない体のサイズがあるように、思想も人類に似合いのサイズがあるのではないか。日本よりさらに小さな島にいて、大思想を持たないしあわせと、いくばくかの劣等感とを、日々あじわっている。
(本川達雄「島の法則」)