00エニシダ の山 3 月 3 週
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★じゆうなだいめい
○この一年、新しい学年
★そのころのロシアは(感)(できるだけ自由な題名で)
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【1】そのころのロシアは、イギリスやオランダなどの国とくらべて、いろんなところがおくれていました。
なかでも、大帝のいちばんのしんぱいは、ロシアに船があまりないことでした。ものをはこぶ大きな汽船も、いくさをする軍艦もほとんどないのです。
【2】(こんなことでは、ロシアは大きくはなれぬ。ゆたかな国になれぬ。)
大帝はまず、船をつくることに、いっしょうけんめいになりました。外国から船のだいくをよんできて、さかんに船をつくらせました。
【3】でも、なん年かたつと、かんがえなおしました。
(外国人に、まかせっぱなしでは、いつまでたっても、ロシア人は、じぶんで船をつくることはできない。
船だけでなくほかのことでも、外国人をよんできいていてはほんとうのことはわからない。【4】われわれが外国へいって、じかにまなんでくるほうがはやい。
よし、できることなら、わしも船(ふな)だいくになって、船のつくりかたぐらい、おぼえてこよう。)
大帝は、このことを家来にはなしました。
【5】「とんでもございません。大帝はロシアをせおってたたれる、たいせつなお方です。いくら勉強のためとはいえ、船(ふな)だいくになられることは、おひかえください。」
家来たちはとめましたが、大帝はききません。
【6】それどころか、さっさとオランダやイギリスなどへいく人たちをきめてしまいました。そして、二百人ほどのこれらの人のなかに、こっそり、大帝も名まえをかくしてはいりました。
【7】「よいか。これからは、わしはピョートルミハイロフというロシアの兵隊じゃ。大帝などとよんではならぬぞ。」
「はい。かしこまりました。大帝。」∵
「これこれ、だから、気をつけろというのだ。」
【8】こうして大帝たちが、オランダへいったのは一六九七年、大帝の二十五さいのときです。
「なるほど。オランダは、世界でもひょうばんの海の国といわれるだけあって、なかなかさかんな国だ。よし、まず、このオランダの造船所の船(ふな)だいくになろう。」
【9】大帝はしんぱいする家来たちとわかれて、こっそり、船(ふな)だいくのでしになりました。
(中略)
まもなく、ピョートル大帝のちからで、ロシアはみちがえるほどりっぱな国になったことは、いうまでもありません。【0】
(神戸淳吉())
「子どもに聞かせるえらい人の話」(実業之日本社)